「モナ・リザ」や「最後の晩餐」という絵画は、美術に興味がない方でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。これらの世界的名画を生み出したのが、イタリア・ルネサンス期を代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)です。絵画だけでなく、彫刻、建築、科学、解剖学、発明など、あらゆる分野で才能を発揮し「万能の天才」と称される人物の生涯と功績を、詳しく紹介していきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの基本情報
レオナルド・ダ・ヴィンチは、15世紀から16世紀にかけて活躍したイタリアの芸術家であり、科学者でもあります。彼のフルネームは「レオナルド・ディ・セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ(Leonardo di ser Piero da Vinci)」で、これは「ヴィンチ村出身のセル・ピエロの息子レオナルド」という意味になります。
「ダ・ヴィンチ」という呼び方は日本では一般的ですが、実はこれは姓ではなく出身地を示す言葉なんです。イタリアや英語圏では、個人名の「レオナルド」と呼ぶのが正式な呼び方とされています。
基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1452年4月15日(ユリウス暦) |
| 出生地 | トスカーナ地方ヴィンチ村近郊アンキアーノ |
| 没年月日 | 1519年5月2日(67歳) |
| 没地 | フランス・アンボワーズ近郊クロ・リュセ城 |
| 職業 | 画家、彫刻家、建築家、科学者、発明家、解剖学者 |
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯
レオナルドは67年という当時としては比較的長い人生を送りました。その生涯は、フィレンツェでの修業時代、ミラノでの活躍期、晩年のフランス時代と、大きく3つの時期に分けることができます。
幼少期と出生(1452-1466年頃)
レオナルドは1452年4月15日、フィレンツェ共和国の支配下にあったトスカーナ地方のヴィンチ村で誕生しました。父親のセル・ピエロは裕福な公証人、母親のカテリーナは農家の娘で、二人は正式に結婚していませんでした。つまりレオナルドは私生児として生まれたのです。
私生児という立場のため、レオナルドは正式な学校教育を受けることができませんでした。ラテン語や数学といった当時の基礎教育は独学で身につけたとされています。また、左利きだったため文字を右から左に書く「鏡文字」を使う習慣が生涯続きました。
フィレンツェでの修業時代(1466-1482年頃)
14歳頃、レオナルドはフィレンツェの著名な芸術家アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入りします。ヴェロッキオの工房は当時フィレンツェの知的中心地のひとつで、絵画だけでなく彫刻、金属加工、建築など多岐にわたる技術を学ぶことができました。
1472年、20歳でフィレンツェの画家組合「聖ルカ組合」に加入し、正式な画家として独立する資格を得ます。師匠ヴェロッキオとの共作「キリストの洗礼」では、レオナルドが担当した天使の出来栄えがあまりに素晴らしかったため、師匠が「もう筆を取らない」と誓ったというエピソードが伝わっています。
ミラノ時代(1482-1499年)
30歳頃、レオナルドはフィレンツェを離れ、ミラノへと向かいます。当時ミラノを支配していたルドヴィーコ・スフォルツァ公に宛てた自薦状が残されており、そこでは軍事技術者としての能力を前面に押し出し、絵画や彫刻は最後に付け加える形で自己アピールしていました。
ミラノではおよそ17年間にわたり活動し、この時期に代表作「最後の晩餐」(1494-1498年)を完成させています。また、スフォルツァ家の先祖を讃える巨大騎馬像「グラン・カヴァッロ」の制作にも取り組みましたが、1499年のフランス軍侵攻により、粘土の模型は兵士たちの標的練習に使われて破壊されてしまいました。
放浪と「モナ・リザ」制作(1499-1516年)
ミラノ陥落後、レオナルドはヴェネツィア、フィレンツェ、ローマなど各地を転々とします。1503年頃からは、後に世界で最も有名な絵画となる「モナ・リザ」の制作に着手しました。この作品はフィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドから依頼されたものでしたが、レオナルドは完成後も依頼主に渡すことなく、死ぬまで手元に置き続けました。
この時期、レオナルドは軍事技術者としてチェーザレ・ボルジアに仕えたり、フランス王ルイ12世の宮廷画家を務めたりと、パトロンを転々としています。
フランス晩年(1516-1519年)
1516年、64歳のレオナルドはフランス王フランソワ1世の招きでフランスに渡ります。「王の第一画家・技術者・建築家」という称号と年金を与えられ、アンボワーズ近郊のクロ・リュセ城で晩年を過ごしました。
フランソワ1世はレオナルドを非常に敬愛し、頻繁に城を訪れては芸術や科学について語り合ったと伝えられています。晩年のレオナルドは右手の麻痺に悩まされましたが、左利きだったため絵を描き続けることはできました。1519年5月2日、67歳でこの世を去り、弟子のフランチェスコ・メルツィが遺産の大部分を相続しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作品
レオナルドが完成させた絵画は約20点ほどしか現存していません。多くの作品が未完成のまま残されていますが、完成した作品はいずれも西洋美術史上の最高傑作として評価されています。
「モナ・リザ」(1503-1519年頃)
「モナ・リザ」は、世界で最も有名な絵画といっても過言ではありません。現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されており、年間数百万人の観光客が訪れる人気作品となっています。
縦77cm×横53cmという比較的小さなこの作品は、フィレンツェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・ゲラルディーニ(1479年生まれ)がモデルとされています。16世紀の美術史家ジョルジョ・ヴァザーリが著書『芸術家列伝』でこの説を記録しており、現在では定説となりました。
作品の特徴は何といっても、見る角度や気分によって変化するように見える「謎めいた微笑み」です。これはレオナルドが開発した「スフマート」という技法によるもので、輪郭線を描かずに色彩を少しずつぼかしていくことで、表情に曖昧さと深みを与えています。
レオナルドはこの作品を死ぬまで手放さず、フランスにも持参しました。フランソワ1世が約4,000スクード(当時の高額)で購入し、フランス王室のコレクションとなったのです。
「最後の晩餐」(1494-1498年)
「最後の晩餐」は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院の食堂壁面に描かれた大作です。縦4.6m×横8.8mという巨大な作品で、1980年には教会と修道院とともにユネスコ世界遺産に登録されました。
この作品は、イエス・キリストが十二使徒と最後の食事をとる場面、特にイエスが「この中の一人が私を裏切るだろう」と告げた瞬間を描いています。十二使徒それぞれが驚き、悲しみ、怒りなど異なる感情を示しており、レオナルドの卓越した心理描写の技術が発揮された傑作といえます。
しかし、この作品には大きな問題がありました。レオナルドは伝統的なフレスコ画の技法(生乾きの漆喰に顔料を塗る方法)を使わず、乾いた壁に油彩とテンペラを混合して描くという実験的な技法を選んだのです。この方法により緻密な描写が可能になりましたが、湿気の多い環境との相性が悪く、完成からわずか20年ほどで劣化が始まってしまいました。
1978年から1999年まで実施された大規模な修復作業により、現在は当時の色彩がある程度回復しています。ただし、保存状態を維持するため、見学は15分間、最大40人ずつに制限されています。
その他の主要作品
レオナルドの作品として確認されているものには、以下のような絵画があります。
「受胎告知」(1472-1475年頃)は、師匠ヴェロッキオの工房時代に制作された初期作品です。大天使ガブリエルが聖母マリアにイエスの懐妊を告げる場面を描いており、現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。
「岩窟の聖母」は2つのバージョンが存在し、パリのルーヴル美術館版(1483-1486年頃)とロンドンのナショナル・ギャラリー版(1495-1508年頃)があります。洞窟を背景に聖母マリア、幼子イエス、洗礼者ヨハネ、天使を配した神秘的な構図が特徴です。
「ウィトルウィウス的人体図」(1490年頃)は、古代ローマの建築家ウィトルウィウスの人体比例論に基づいた素描です。円と正方形の中に人体を配置したこの図は、ルネサンス精神を象徴する作品として広く知られています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの発明と科学研究
レオナルドは画家としてだけでなく、科学者・発明家としても驚くべき業績を残しています。彼の手稿(ノート)には、当時の技術では実現不可能だった数々の発明のアイデアが記録されていました。
飛行機械への情熱
レオナルドは人間が空を飛ぶことに強い関心を持っていました。鳥の飛行を詳細に観察し、その原理を応用した飛行機械の設計図を数多く残しています。
「エアリアル・スクリュー(空中螺旋)」は、現代のヘリコプターの原型とも言われる設計図です。1480年代後半に描かれたこの装置は、直径約4.8mのリネン製の螺旋翼を持ち、4人の人力で回転させる仕組みになっていました。実際に飛行することは不可能でしたが、螺旋の原理自体は理にかなっており、2022年にはメリーランド大学の研究チームがこの設計を基にしたドローンの作成に成功しています。
また、レオナルドはパラシュートの設計図も残しています。現代のパラシュートとは異なるピラミッド型の形状でしたが、2000年に実際に再現実験が行われ、安全に着地できることが実証されました。
「鳥の飛翔に関する手稿」(1505-1506年)は、鳥の飛行メカニズムを科学的に分析した論文です。重心と揚力の関係、失速の概念、尾翼によるバランス制御など、後の航空力学につながる洞察が含まれています。
軍事兵器と工学
ミラノ公への自薦状でも強調していたように、レオナルドは軍事技術者としての顔も持っていました。
「装甲車」は、現代の戦車の原型となる設計図です。円形の装甲板で覆われた車両で、周囲360度に配置された大砲から攻撃できる仕組みでした。ただし、設計図には歯車の向きが逆になっているという「意図的な誤り」があり、敵の手に渡っても再現できないようにしたのではないかと推測されています。
その他にも、巨大クロスボウ(バリスタ)、連発銃、可動式の橋など、数多くの軍事兵器の設計図を残しています。
解剖学研究
レオナルドは人体の構造を理解するため、30体以上の遺体解剖を行ったとされています。当時、解剖は教会から好ましく思われていませんでしたが、レオナルドは精密な解剖図を数多く作成しました。
彼の解剖図は、骨格、筋肉、血管、脳、消化器官、生殖器官など多岐にわたり、当時としては驚くほど正確でした。これらの研究は彼の絵画における人体表現に活かされただけでなく、後の解剖学にも影響を与えています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿(コデックス)
レオナルドは生涯を通じて膨大な量のノートを書き残しました。現存するページは約6,000枚で、世界各地の美術館や図書館に分散して保管されています。
主な手稿の一覧
| 手稿名 | 所蔵先 | 主な内容 |
|---|---|---|
| コデックス・アトランティクス | アンブロジアーナ図書館(ミラノ) | 飛行機械、軍事兵器、建築など |
| レスター手稿 | ビル・ゲイツ個人所有 | 水の研究、天文学、地質学 |
| パリ手稿 | フランス学士院(パリ) | 飛行、幾何学、建築 |
| フォースター手稿 | V&A博物館(ロンドン) | 水力学、幾何学 |
| 鳥の飛翔に関する手稿 | トリノ王立図書館 | 鳥の飛行メカニズム |
これらの手稿は、すべて鏡文字で書かれています。レオナルドが左利きだったため自然とこの書き方になったとも、他人に読まれないようにするためだったとも言われています。
1994年、ビル・ゲイツがレスター手稿を約3,080万ドル(当時約34億円)で購入したことは大きなニュースになりました。これは現在でも、単一の手稿として史上最高額の取引です。
手稿の再発見と評価
レオナルドの生前、彼の科学的研究はほとんど公開されませんでした。手稿は弟子のフランチェスコ・メルツィに遺贈され、その後散逸してしまいます。
19世紀になって手稿の研究が本格化すると、レオナルドが単なる画家ではなく、時代を数世紀先取りした科学者・発明家でもあったことが明らかになりました。「万能の天才」という評価が定着したのは、実はこの手稿の再発見以降のことなのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画技法
レオナルドは単に絵が上手かっただけでなく、新しい技法を開発し、後世の画家たちに多大な影響を与えました。
スフマート(ぼかし技法)
スフマートはイタリア語で「煙」を意味する言葉に由来する技法です。輪郭線を描かず、色彩を何層にも薄く重ねてぼかすことで、対象物に柔らかさと立体感を与えます。
「モナ・リザ」の口元や目元に見られる曖昧な表情は、このスフマート技法によるものです。レオナルド自身、著作の中で「顔の輪郭を硬く描いてはならない。それは顔を固く角張ったものにしてしまう」と述べています。
空気遠近法
遠くの物体は空気の層を通して見るため、青みがかって見えたり、輪郭がぼやけて見えたりします。レオナルドはこの自然現象を絵画に取り入れ、より現実的な奥行き表現を実現しました。
「モナ・リザ」の背景に描かれた風景は、この空気遠近法の好例です。手前は鮮明に、遠くになるほどぼんやりと青みがかって描かれており、自然な距離感を生み出しています。
コントラポスト
コントラポストとは、人体の重心を片方の足にかけ、肩と腰を反対方向にひねった姿勢のことです。古代ギリシャ彫刻に見られる技法ですが、レオナルドはこれを絵画に応用し、人物に自然な動きと生命感を与えることに成功しました。
まとめ
レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画においては「モナ・リザ」「最後の晩餐」など西洋美術史上の最高傑作を生み出し、科学においてはヘリコプターやパラシュートの原型となるアイデアを構想し、解剖学では正確な人体図を作成するなど、あらゆる分野で卓越した才能を発揮しました。
正規の教育を受けずに独学で知識を身につけ、既存の常識にとらわれない自由な発想で新しい技法や理論を生み出していったレオナルド。彼の「見ることを学べ。すべてはそこから始まる」という言葉は、500年以上経った今でも私たちに多くのことを教えてくれます。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
学術・美術館サイト
- Britannica「Leonardo da Vinci」 – 生涯と作品の学術的概要
- National Gallery, London「Leonardo da Vinci」 – 作品解説
- V&A Museum「Leonardo da Vinci’s notebooks」 – フォースター手稿の詳細情報
- National Air and Space Museum「Leonardo da Vinci and Flight」 – 飛行研究に関する解説
- Library of Congress「Codex on the Flight of Birds」 – 鳥の飛翔に関する手稿
「最後の晩餐」関連
- Cenacolo Vinciano公式サイト – 作品の詳細と保存状況
- Wikipedia「The Last Supper (Leonardo)」 – 制作背景と技法
「モナ・リザ」関連
- Louvre Museum「Mona Lisa」 – 所蔵作品情報
- Google Arts & Culture「Mona Lisa」 – 高解像度画像と詳細情報
- Britannica「Mona Lisa」 – 作品の学術的解説
発明・科学研究関連
- Google Arts & Culture「Leonardo da Vinci’s Inventions」 – 発明品の解説
- Wikipedia「Leonardo’s aerial screw」 – エアリアル・スクリューの詳細
日本語情報源
- Wikipedia「レオナルド・ダ・ヴィンチ」 – 日本語での基本情報

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