夜更けの飴屋に、毎晩のようにやってくる青白い顔の女性。
差し出す一文銭で飴を買い、そして消えていく…。
実はこの女性、お腹に赤ちゃんを宿したまま亡くなり、墓の中で生まれた我が子を育てるために幽霊となって現れたお母さんだったんです。
母親の愛情は、死んでもなお子供を守ろうとするほど強いものなのでしょうか。
この記事では、日本全国に伝わる悲しくも美しい妖怪「子育て幽霊」の物語について詳しくご紹介します。
概要

子育て幽霊(こそだてゆうれい)は、日本の民話や怪談として語り継がれている幽霊です。
「飴買い幽霊」とも呼ばれ、青森県から沖縄県まで日本全国に似たような話が伝わっています。身ごもったまま亡くなった母親が、墓の中で生まれた赤ちゃんを育てるために幽霊となって現れるという、母の愛情の深さを物語る存在なんです。
この話の特徴的な点は、幽霊が三途の川の渡し賃である六文銭を使って飴を買いに来るところ。あの世へ行くためのお金を、子供のために使ってしまうんですね。そして多くの場合、助け出された赤ちゃんは後に高僧になるという結末を迎えます。
仏教の説教でも親の恩を説く題材として使われ、江戸時代には落語の演目にもなるほど広く知られた話となりました。
伝承

子育て幽霊の基本的な物語はこんな感じです。
基本のあらすじ
ある夜、店じまいした飴屋に女性がやってきます。青白い顔で髪をボサボサにした女性は、か細い声で「飴をください」と一文銭を差し出しました。
不思議に思いながらも飴を売る店主。女性は毎晩同じように飴を買いに来ますが、どこに住んでいるのか尋ねても答えずに消えてしまいます。
7日目の晩、女性は「もうお金がないので、これで飴を売ってください」と自分の羽織を差し出しました。気の毒に思った店主は、羽織と引き換えに飴を渡します。
翌日、その羽織を見た通りすがりの人が「これは最近亡くなった娘の棺桶に入れたものだ」と驚きます。みんなで墓地へ行ってみると、新しい土饅頭の中から赤ちゃんの泣き声が!
掘り起こしてみると、亡くなった女性が赤ちゃんを抱いていて、三途の川の渡し賃の六文銭はなくなっており、赤ちゃんは飴をなめていたのです。
各地に残る伝承
この話には、地域ごとに様々なバリエーションがあります。
京都の伝承
- 東山の「みなとや」という飴屋は現在も営業中
- 「幽霊子育飴」を今でも販売している
- 助けられた子は六道珍皇寺の僧侶になったという
石川県金沢市の伝承
- 飴を買っていたのは幽霊ではなくお地蔵さん
- 赤ちゃんを不憫に思った地蔵が飴を買い与えた
- 「飴買い地蔵」として現在も信仰されている
長崎県の伝承
- 幽霊がお礼に枯れない井戸を教えた
- 光源寺には「赤子塚民話の碑」がある
- 年に1回の御開帳で配られる飴をなめると母乳の出が良くなる
福岡県の伝承
- 安国寺には飴買い幽霊と子供の墓が現存
- 墓から助け出された女児も数日後に亡くなった
- 母と子の墓が寄り添うように作られている
実在の高僧との関係
興味深いことに、この伝説から生まれたとされる実在の高僧が何人もいるんです。
主な高僧たち
- 通幻寂霊(つうげんじゃくれい):曹洞宗總持寺5世、最盛期には9,000の寺を率いた
- 頭白上人(ずはくしょうにん):生まれながらに髪が真っ白だった天台宗の名僧
- 日観上人(にっかんしょうにん):法華宗本興寺第17代住職
- 鉄相禅師(てつそうぜんじ):天狗と競書をした名筆家
中国の怪談との関係
実はこの話、中国の南宋時代(12-13世紀)の怪談集『夷堅志』に載っている「餅を買う女」という話とそっくりなんです。
中国版では餅を買う女の話として伝わっており、日本に伝わってから飴に変わったと考えられています。仏教と一緒に大陸から伝わってきた話が、日本独自の形に変化していったんですね。
仏教説話との関係
子育て幽霊の話には、仏教的な要素がたくさん含まれています。
仏教的な要素
- 幽霊が現れて7日目に赤ちゃんが発見される→釈迦の母・摩耶夫人が出産後7日で亡くなった話と関連
- 三途の川の六文銭を子供のために使う→親の恩の深さを示す
- 助けられた子が高僧になる→仏縁の不思議さを表現
- 飴屋が坂の上にある伝承が多い→黄泉比良坂(あの世との境)を連想
まとめ
子育て幽霊は、母親の愛情の強さと深さを物語る、日本を代表する幽霊です。
重要なポイント
- 身ごもったまま亡くなった母親が幽霊となって現れる
- 三途の川の渡し賃(六文銭)で飴を買って子供を育てる
- 7日間飴を買い続けて、最後は自分の羽織を差し出す
- 墓から助け出された赤ちゃんは高僧になることが多い
- 日本全国に似た話が伝わり、実在の僧侶の出生譚にもなっている
- 中国の怪談が起源で、仏教と共に日本に伝わった可能性がある
死してなお子を思う母の愛。その強さは、あの世とこの世の境さえも越えてしまうのかもしれません。この話が長く語り継がれているのは、親子の絆の尊さを私たちに教えてくれるからなのでしょう。

コメント