荒れ狂う熊野の海。 そこには村人たちを恐怖に陥れる鬼の海賊がいました。
平安時代、熊野灘を根城にして暴れまわった鬼の大将「金平鹿(こんぺいか)」。
断崖絶壁に立てこもり、神通力を使って船を襲う恐ろしい存在だったといいます。
この記事では、三重県熊野に伝わる海賊の鬼「金平鹿」について、その起源から退治伝説まで詳しくご紹介します。
概要

金平鹿は、平安時代に熊野の海を荒らしまわった鬼の大将です。
別名「多娥丸(たがまる)」とも呼ばれ、海賊として恐れられた存在でした。
数百人もの鬼たちを部下に従え、沿岸の村々を襲っては金品や食料を奪っていたんです。
金平鹿の基本情報
- 種族:悪鬼
- 地域:三重県(紀伊国)
- 活動場所:熊野の海、熊野灘
- 時代:平安時代(794~1185年)
- 本拠地:鬼ヶ城(断崖絶壁の岩屋)
- 部下:800人の鬼たち
普通の海賊と違うのは、金平鹿が神通力という超自然的な力を持っていたことです。
姿・見た目
残念ながら、金平鹿の具体的な姿についての記録は残されていません。
ただし、「鬼の大将」と呼ばれていたことから、以下のような姿だったと推測されます:
- 一般的な鬼の特徴(角、牙、赤い肌など)
- 海賊の頭領にふさわしい威圧的な体格
- 神通力を持つ恐ろしい形相
部下の鬼たちを800人も従えていたことから、相当な迫力と威厳を持った姿だったことは間違いないでしょう。
特徴
金平鹿には、普通の海賊にはない恐ろしい特徴がありました。
海賊としての活動
略奪行為:
- 沿岸の村々を襲撃
- 金品や食料を強奪
- 村人たちを恐怖に陥れる
戦略的な拠点:
- 鬼ヶ城という断崖絶壁の岩屋が本拠地
- 船を近づけにくい場所を選んで防御
- 海が荒れやすく、攻めにくい地形を利用
超自然的な力
金平鹿の最大の特徴は神通力を持っていたことです。
この力により:
- 普通の武器では倒せない
- 海を自在に操ることができた(推測)
- 観音様の加護がなければ対抗できなかった
だからこそ、英雄・坂上田村麻呂でさえ苦戦したんですね。
伝承

金平鹿の退治伝説は、熊野地方で今も語り継がれています。
坂上田村麻呂との戦い
退治の経緯:
征夷大将軍の坂上田村麻呂は、鈴鹿山の鬼を退治した後、熊野の鬼の話を聞きました。 村人を苦しめる金平鹿を討つため、軍勢を率いて熊野へ向かったのです。
攻略の困難:
鬼ヶ城は断崖絶壁で、海が静かな時しか近づけません。 金平鹿は「田村麻呂には観音の加護がある」と知って、石の戸を閉めて立てこもりました。
千手観音の助け:
田村麻呂が攻めあぐねていると、沖の島に童子が現れます。 この童子は実は千手観音の化身でした。
童子は田村麻呂に言いました: 「私が舞を舞うから、軍勢も一緒に舞おう」
妙なる調べに誘われて、金平鹿が石の戸を少し開けて顔を出した瞬間!
最期の瞬間:
田村麻呂は童子から授かった弓矢を放ちます。 矢は見事に金平鹿の左目を射抜きました。
金平鹿は血を吹きながら海に倒れ、飛び出してきた800人の部下たちも、田村麻呂の千の矢にことごとく倒されたといいます。
伝説が残した場所
現在も熊野には、金平鹿にまつわる場所が残っています。
関連する史跡:
- 鬼ヶ城:金平鹿が立てこもった岩屋(世界遺産の一部)
- 魔見ヶ島:千手観音の化身が現れた島
- 大馬神社:金平鹿の首を埋めた場所に建てられた神社
- 泊観音(清水寺):田村麻呂が千手観音を安置した寺
起源
金平鹿の伝説には、興味深い歴史的背景があります。
伝説の成り立ち
実は、坂上田村麻呂が熊野へ遠征した歴史的事実は確認できないんです。
じゃあ、なぜこの伝説が生まれたのでしょうか?
研究者によると、もともとは別の話だった可能性があるといいます。
元の物語(『熊野山略記』より):
- 熊野三党(榎本氏、宇井氏、鈴木氏)が主役
- 彼らが「南蛮」と呼ばれた勢力を討伐
- 坂上田村麻呂は脇役として登場
つまり、時代とともに物語が変化したんですね。
「南蛮」が「鬼」に、「熊野三党」が「坂上田村麻呂」に入れ替わったと考えられています。
なぜ鬼として語り継がれたのか
平安時代、朝廷に従わない地方勢力は「鬼」と呼ばれることがありました。
金平鹿も、もしかすると実在の海賊や反乱勢力がモデルだったのかもしれません。
まとめ
金平鹿は、平安時代の熊野の海を恐怖に陥れた鬼の海賊でした。
金平鹿伝説の重要ポイント
- 熊野の海を支配した鬼の大将
- 別名「多娥丸」とも呼ばれる
- 鬼ヶ城という難攻不落の拠点
- 800人の鬼を従える勢力
- 神通力を持つ超自然的存在
- 坂上田村麻呂に退治された
- 千手観音の加護により討伐成功
この伝説は、単なる鬼退治の物語ではありません。
朝廷に従わない地方勢力を「鬼」として語り継いだ可能性もあり、歴史と伝説が混ざり合った興味深い物語なんです。
今も熊野の地に残る史跡は、この伝説が地域の人々にとっていかに重要だったかを物語っています。
海の安全と平和を願う人々の思いが、金平鹿伝説として今に伝わっているのかもしれませんね。
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