【治水に挑んだ悲運の神】中国神話の「鯀(こん)」とは?息壌伝説と禹との関係を解説

神話・歴史・伝承

大洪水から人々を救おうとして、天の宝を盗んでまで治水に挑んだ神がいたことをご存じでしょうか?

その神の名は鯀(こん)。中国神話において、後に夏王朝を開くことになる伝説の英雄・禹(う)の父として知られています。

しかし鯀は、治水に失敗したとして処刑されるという悲劇的な最期を迎えました。その死後には龍や魚に変身したという不思議な伝承も残されているんです。

この記事では、中国神話における鯀の人物像、治水伝説、そして息壌(そくじょう)を盗んだとされる神話について分かりやすくご紹介します。


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概要

鯀は、古代中国の神話・伝説に登場する神あるいは伝説上の人物です。

読み方は日本語で「こん」、中国語では「Gǔn(グン)」と発音します。「鯀」という字は「大きな魚」を意味しており、この名前からも水との深い関わりがうかがえますね。

鯀は五帝の一人である顓頊(せんぎょく) の子孫とされ、爵位は崇伯(すうはく) でした。そして何より重要なのは、禹(う)の父であるという点。禹は後に大洪水を治めて夏王朝を開いた英雄ですから、鯀はまさに英雄の父というべき存在なんです。

ただし鯀は、治水に失敗したとして四罪(しざい) の一人に数えられています。四罪とは、古代中国で重罪を犯したとされる4人の人物のことで、共工(きょうこう)、讙兜(かんとう)、三苗(さんびょう)とともに鯀の名が挙げられています。


姿と神格

鯀はどのような存在だったのでしょうか?

文献によって描写は異なりますが、鯀には神としての側面が強く残されています。『山海経』によれば、鯀は白馬(はくば) という神と同一視されており、黄帝の孫にあたるとされています。

鯀の神としての特徴

  • 龍に化けることができる
  • 馬に変身することができる
  • 魚に変化することができる

つまり鯀は、水や大地に関わる複数の動物に変身できる力を持った神だったんですね。

系譜については諸説あり、以下のように文献ごとに異なる記述が見られます。

文献系譜
『史記』『世本』顓頊の子
『漢書』顓頊の五世孫
『山海経』海内経黄帝の孫(駱明の子・白馬)

このように系譜には揺れがありますが、禹の父であるという点だけは、すべての文献で一致しています。


治水の神話

鯀にまつわる最も有名な神話は、治水にまつわる物語です。

大洪水と鯀の任命

堯(ぎょう)が帝であった時代、黄河をはじめとする大河が氾濫を繰り返し、人々は苦しんでいました。堯は治水を任せる人物を探していたところ、臣下たちは口をそろえて鯀を推薦したのです。

しかし堯は当初、鯀を用いることをためらいました。それでも臣下たちが「鯀より賢い者はいない」と言い張ったため、堯はついに鯀に治水を命じることにしたのです。

9年間の失敗

鯀が採用した治水方法は、堤防を築いて水をせき止めるというものでした。高い土手を作り、洪水を封じ込めようとしたんですね。

しかしこの方法はうまくいきませんでした。水は土手を越えてあふれ出し、9年間もの間、洪水は収まらなかったのです。それどころか、以前より被害が拡大してしまう事態に陥りました。

息壌を盗む

『山海経』には、もう一つの重要な伝承が記されています。

鯀は治水を成功させるため、息壌(そくじょう) という神秘的な土を盗んだというのです。息壌とは「自ら成長して増える魔法の土」のこと。この土を使えば、どんな洪水も防げると考えたのでしょう。

ところが鯀は、天帝の許可を得ずに息壌を持ち出してしまいました。この行為が天帝の怒りを買うことになります。


処刑と死後の変身

治水の失敗と息壌窃盗により、鯀は悲劇的な結末を迎えます。

羽山での死

鯀は羽山(うざん) という場所で命を落としました。羽山は現在の江蘇省連雲港市付近にあったとされています。

死の経緯については複数の説があります。

『韓非子』の説
堯が舜に天下を譲ることを決めた際、鯀はこれに反対したため、堯の命令で誅殺された。

『山海経』海内経の説
天帝の許可なく息壌を盗んだことが発覚し、天帝は火の神・祝融(しゅくゆう) を遣わして鯀を殺させた。

『史記』夏本紀の説
舜が治水の現場を視察に行ったところ、鯀の治水が失敗していることを確認し、羽山に追放して死なせた。

いずれの説でも、鯀が羽山で最期を迎えたという点は共通しています。

3年間腐らなかった遺体

屈原の『天問』には、興味深い記述があります。

鯀の遺体は3年間も腐らなかったというのです。「永く羽山に閉じ込められて、どうして3年も(埋葬されなかったのか)」と屈原は問いかけています。

死後の変身伝説

鯀の死後には、さまざまな変身伝説が残されています。

『左伝』の伝承
鯀の魂は黄熊(こうゆう) に化し、羽淵(うえん)という深い淵に沈んだ。この神は夏・商・周の三代にわたって祀られた。

『春秋左伝』『国語』の伝承
鯀はに化して羽淵に入った。

その他の伝承
龍や玄魚(黒い魚)に変身したという説もある。

水に関わる生き物への変身は、鯀が本来は水神としての性格を持っていたことを示唆しているのかもしれません。


屈原の同情

楚の詩人・屈原(くつげん)は、『天問』や『離騒』の中で鯀に対して深い同情を寄せています。

『離騒』では「鯀は真っ直ぐな性格ゆえに身を滅ぼし、ついに羽の野で若くして死んだ」と歌われており、鯀を単なる罪人としてではなく、正義感ゆえに悲劇に見舞われた人物として描いているんですね。

また『天問』では、鯀が民のために治水を成功させようとしたにもかかわらず、なぜ天帝は刑罰を与えたのかと問いかけています。屈原は、鯀の行動を民のための自己犠牲として捉えていたのかもしれません。


禹への継承

鯀の死後、治水事業は息子の禹(う) に引き継がれました。

舜は鯀を殺害したのではないかという疑いを払拭するため、鯀の遺児である禹に治水を任せたともいわれています。禹は父とは異なる方法で治水に取り組みました。

鯀の方法と禹の方法の違い

方針水をせき止める水を流す
手法堤防を高くする水路を掘って海に導く
結果失敗(9年間)成功(13年間で完成)

禹は水の流れに逆らわず、水路を掘って海へと導く方法を採用しました。この「疏(そ)」と呼ばれる方法により、ついに大洪水は治められたのです。

禹はこの功績により民衆の信頼を得て、後に舜から帝位を譲られ、中国最初の王朝である夏王朝を開くことになります。


子孫の行方

『史記』舜本紀によると、鯀の子孫たちは東方へ逃れ、東夷(とうい) と呼ばれる人々になったとされています。東夷とは、中国から見て東方に住む民族の総称です。

また『山海経』大荒南経には、鯀の妻・士敬(しけい)が炎融(えんゆう)を生み、その子が讙頭人(かんとうじん) の祖先になったという記述もあります。

このように鯀は、中華文明の周辺に住む諸民族の祖先としても位置づけられているんですね。


まとめ

鯀は、大洪水から人々を救おうとして悲劇的な最期を迎えた中国神話の神です。

重要なポイント

  • 五帝・顓頊の子孫で、治水の英雄・禹の父
  • 堯帝の命で治水を担当したが、9年間失敗した
  • 天帝の息壌を盗んで治水しようとした伝承がある
  • 羽山で処刑され、四罪の一人に数えられた
  • 死後は魚や黄熊に変身したという伝説が残る
  • 龍・馬・魚に化けられる神としての側面を持つ
  • 屈原は鯀に深い同情を寄せ、正義の人として描いた
  • 息子の禹が治水事業を引き継ぎ、夏王朝を開いた

鯀の物語は、単なる失敗者の話ではありません。民のために天の掟を破ってまで行動した神の悲劇として、古代中国の人々の心に刻まれてきたのです。

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