和歌山県の道成寺には、今でも釣鐘がありません。
なぜかって?それは平安時代、一人の女性が恋の炎で鐘を焼き尽くしてしまったからなんです。
その女性の名前は清姫(きよひめ)。愛する人に裏切られて大蛇に変身し、最後は自ら命を絶った悲劇のヒロインです。
この記事では、日本三大怨霊伝説のひとつ「安珍・清姫伝説」の清姫について詳しくご紹介します。
清姫ってどんな人物なの?

清姫は、紀伊国(現在の和歌山県)の真砂(まなご)という場所に住んでいた庄司(村の有力者)の娘です。
美しく純真な少女だった清姫は、熊野参詣に来た僧・安珍(あんちん)に恋をしました。
しかし、その恋は裏切りで終わり、怒りと悲しみのあまり大蛇に変身。
逃げる安珍を追いかけて、道成寺の鐘ごと焼き殺してしまうんです。
この物語は「安珍・清姫伝説」として、能楽や歌舞伎など様々な芸能の題材になっています。
起源
清姫伝説の原型は、実はとても古いんです。
平安時代の『大日本国法華験記』という仏教の説話集に、最初の物語が載っています。
ただし、この時点では主人公に名前はなく、単に「寡婦(未亡人)」と「若い僧」としか書かれていませんでした。
名前の登場時期
- 安珍:1322年の『元亨釈書』が初出
- 清姫:1742年の浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』が初出
つまり、清姫という名前が付いたのは江戸時代になってからなんです。
物語の舞台である道成寺では、室町時代から『道成寺縁起』という絵巻物で、この伝説を語り継いできました。
時代とともに、仏教の教訓話から恋愛悲劇へと変化していったんですね。
姿・見た目

清姫の姿は、物語の展開とともに変化します。
最初は美しい少女として描かれます。
年齢は文献によって違いますが、13歳から16歳くらいとされています。清楚で純真な、普通の娘さんだったんです。
でも、安珍への怒りが頂点に達すると…
蛇への変身過程
- 切目川を渡るあたりから顔が変わり始める
- 目が吊り上がり、口が耳まで裂ける
- 吐く息が炎になる
- 日高川で衣服を脱ぎ捨てる
- 全身が大蛇に変化
最終的には、体長が5尋(約9メートル)もある巨大な毒蛇になってしまいます。
特徴

清姫の最大の特徴は、純粋な愛情が裏切りによって怨念に変わったという点です。
彼女は最初から悪い人じゃありません。むしろ一途で純真な女性でした。
清姫の性格と能力
- 一途で純粋な恋心
- 裏切りを許さない激しい性格
- 蛇に変身する能力
- 炎を吐いて鐘を焼く力
- 川を泳いで渡る執念
特に恐ろしいのは、その執念の強さです。
安珍が逃げても逃げても追いかけ、日高川という大きな川さえも蛇となって泳ぎ渡ってしまいました。
愛が憎しみに変わった時の女性の恐ろしさを象徴する存在といえるでしょう。
伝承

清姫と安珍の悲劇は、こんな風に始まります。
運命の出会い
奥州(現在の福島県)から熊野参詣にやってきた美男子の僧・安珍は、毎年真砂の庄司の家に宿を取っていました。
庄司の娘・清姫は、安珍に一目惚れ。
父親が冗談で「あの僧があなたの夫になる人だ」と言ったのを真に受けて、安珍に結婚を迫ります。
困った安珍は「熊野参詣が終わったら必ず戻ってくる」と約束して、その場を去りました。
裏切りと追跡
しかし安珍は約束を守らず、そのまま帰ってしまいます。
騙されたと知った清姫は激怒。安珍を追いかけ始めました。
切目川、上野と追いかけていくうちに、怒りで徐々に蛇の姿に変わっていきます。
日高川の場面
逃げる安珍は日高川で船頭に金を渡し、「後から来る女を絶対に乗せるな」と頼んで対岸へ。
追いついた清姫は船に乗せてもらえず、ついに衣服を脱ぎ捨てて完全な大蛇となり、川を泳いで渡りました。
道成寺での最期
道成寺に逃げ込んだ安珍は、僧たちに頼んで釣鐘の中に隠してもらいます。
しかし大蛇となった清姫は、鐘に七重に巻き付いて炎を吐き、鐘ごと安珍を焼き殺してしまいました。
鐘の中の安珍は、骨も残らないほど焼けてしまったといいます。
その後、清姫は道成寺と八幡山の間の入江に身を投げて、自ら命を絶ちました。
後日談
仏教説話では、二人は蛇道に落ちた後、道成寺の僧の読経により成仏したとされています。
また能楽では、400年後に新しい鐘を作った時、清姫の怨霊が白拍子の姿で現れて鐘を引きずり下ろしたという話もあります。
まとめ
清姫は、純粋な愛が裏切りによって怨念に変わった悲劇の女性です。
清姫伝説の重要ポイント
- 真砂の庄司の娘で、13~16歳の美少女
- 僧・安珍への純粋な恋が裏切られる
- 怒りで大蛇に変身し、日高川を泳ぎ渡る
- 道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺す
- 最後は入水自殺で自らも命を絶つ
清姫の物語は、愛の深さと恐ろしさを同時に教えてくれます。
道成寺を訪れると、今でも鐘のない鐘楼や安珍塚などの史跡を見ることができます。
純粋すぎる愛が生んだ悲劇として、これからも語り継がれていくことでしょう。
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