吉祥天(きっしょうてん)とは?仏教の美と福徳の女神を徹底解説

吉祥天(きっしょうてん)は、仏教における美と福徳の守護神です。
インドのヒンドゥー教の女神ラクシュミー(Lakshmi)を起源に持ち、仏教に取り入れられたのちに日本へ伝わりました。
その美しい姿から「美女の代名詞」とも称され、奈良時代以降の日本では国家鎮護の法要で重要な役割を果たしています。
この記事では、吉祥天の起源から仏教での位置づけ、日本における信仰と美術作品まで、幅広く解説します。

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概要

吉祥天は、仏教の守護神である天部の一尊です。
サンスクリット語では「シュリー・マハーデーヴィー(Śrī-mahādevī)」と呼ばれ、「吉祥の偉大なる女神」を意味します。
幸福・美・富を司る神として知られ、唐服の貴婦人の姿で描かれることが一般的です。
夫は毘沙門天(びしゃもんてん)、母は鬼子母神(きしもじん)とされており、仏教の守護神たちの中でも独特の家族関係を持っています。

ヒンドゥー教における起源:ラクシュミー

「シュリー」から女神へ

吉祥天のルーツは、ヒンドゥー教の女神ラクシュミーにあります。
「ラクシュミー」という名はサンスクリット語の「lakṣmī(ラクシュミー)」に由来します。
『リグ・ヴェーダ』では「lakṣmī」という語が「吉祥の印・兆し」を意味する言葉として用いられており、語根「lakṣ」は「知覚する・観察する」を意味します。

ラクシュミーの起源はヴェーダ時代にまでさかのぼります。
『リグ・ヴェーダ』では「シュリー(Śrī)」という言葉も「吉祥」「輝き」「威光」を表す抽象的な概念として登場しており、この吉祥の力が徐々に擬人化され、一柱の女神として成立していったとされています。

叙事詩時代の後期(紀元後4~5世紀頃)になると、シュリー=ラクシュミーはヒンドゥー教の維持神ヴィシュヌ(Vishnu)の妃として確固たる地位を築いていきました。
ヴィシュヌが地上に化身(アヴァターラ)として現れるたびに、ラクシュミーも異なる姿でその妻として現れるとされています。
たとえばヴィシュヌがラーマとして現れた際にはシーター、クリシュナとして現れた際にはルクミニーとして伴ったと伝えられています。

乳海攪拌(にゅうかいかくはん)の神話

ラクシュミーの誕生にまつわる最も有名な神話が「乳海攪拌(サムドラ・マンタナ / Samudra Manthana)」です。

神々(デーヴァ)と悪魔(アスラ)が不死の霊薬アムリタ(Amṛta)を求めて、乳の海を攪拌したという壮大な物語が『ヴィシュヌ・プラーナ』などに語られています。
マンダラ山を軸にし、大蛇ヴァースキを綱として神々と悪魔が引き合い、海をかき回していくと、さまざまな宝物が海中から次々と現れました。

その中で最も輝かしい存在として、蓮の花の上に座したラクシュミーが出現したのです。
彼女の登場により闇は消え去り、世界は活力を取り戻したとされています。
ラクシュミーは宇宙の守護者であるヴィシュヌのもとに自ら赴き、永遠の伴侶となることを選びました。

この神話はヒンドゥー教の重要な祭礼であるディーワーリー(光の祭り)でも記念されており、ラクシュミーはインドで最も広く崇拝される女神の一人であり続けています。

ラクシュミーの象徴と八つの姿

ラクシュミーの図像には、いくつかの特徴的なシンボルが見られます。
四本の腕はそれぞれダルマ(法・道義)・カーマ(愛・情愛)・アルタ(財・実利)・モークシャ(解脱)という人生の四つの目標を象徴しています。
また、蓮の花は清浄と美を、象が水を注ぐ「ガジャ・ラクシュミー」の図像は王権と豊穣を表しています。

ラクシュミーには「アシュタ・ラクシュミー」と呼ばれる八つの顕現があるとされ、富・農業・勇気・知識・子孫繁栄など、さまざまな恵みをもたらす存在として信仰されてきました。

仏教への受容

インドからの伝来

ラクシュミーは仏教の成立以前から崇拝されていた女神であり、比較的早い段階で仏教にも取り入れられました。
帝釈天(インドラ)や大自在天(マヘーシュヴァラ)といったヒンドゥー教の神々とともに、仏教の護法善神として位置づけられたのです。

仏教に入ったラクシュミーは「吉祥天」「功徳天」「宝蔵天女」などの名で呼ばれるようになりました。
「吉祥」の文字が示すとおり、めでたいこと・幸先のよいことを司る天女としての性格が与えられています。

仏教における家族関係

吉祥天の仏教での家族構成は独特で、ヒンドゥー教とは異なる設定になっています。

続柄名前備考
徳叉迦(とくさか)八大竜王の一尊
鬼子母神(きしもじん)子どもの守護神
毘沙門天(びしゃもんてん)四天王の一尊、武神・財宝神
黒闇天(こくあんてん)不幸・災難を司る女神
善膩師童子(ぜんにしどうじ)毘沙門天の眷属

ヒンドゥー教ではヴィシュヌの妃であったラクシュミーですが、仏教では毘沙門天の妃(あるいは妹)として位置づけられています。
毘沙門天の脇侍として善膩師童子とともに祀られる場合もあり、京都の鞍馬寺ではこの三尊像が国宝に指定されています。

弁財天との混同

日本では時代が下るにつれて、吉祥天と弁財天(サラスヴァティー)が混同されることが多くなりました。
両者はともにインド起源の美しい女神であり、福徳をもたらす存在として信仰が重なる部分があったためです。

この混同の影響もあり、吉祥天は七福神のメンバーの座を弁財天に譲ることになります。
しかしもともと七福神の原型においては、弁財天ではなく吉祥天が含まれていた時期がありました。
現在でも埼玉県久喜市などでは吉祥天を含む「八福神」の信仰が残されています。

日本における信仰

『金光明最勝王経』と吉祥悔過

日本で吉祥天が広く信仰されるきっかけとなったのは、『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』の伝来です。
この経典は703年に義浄によって漢訳されたもので、国家の安泰と繁栄をもたらす「護国経典」として重視されました。

経典には「大吉祥天女品」と「大吉祥天女増長財物品」という吉祥天に関する章が含まれています。
この教えに基づいて行われたのが「吉祥悔過(きちじょうけか)」と呼ばれる法要です。

吉祥悔過は、過去の罪を懺悔し、国家安泰・五穀豊穣・天下泰平を祈る儀式として、奈良時代の宮中や主要寺院で盛んに営まれました。
『続日本紀』には、767年に称徳天皇が吉祥悔過を催したことが記録されています。

薬師寺の修正会

吉祥天信仰の伝統を今に伝える代表的な行事が、奈良・薬師寺の「修正会(しゅしょうえ)」です。
毎年1月1日から15日にかけて行われるこの法要は、宝亀2年(771年)から3年(772年)頃に始まったと伝えられており、研究者の間では772年が有力視されています。
1200年以上の歴史を持つこの法要では、国宝の「吉祥天像」が本尊として掲げられ、五穀豊穣や国の安泰が祈願されます。
この法要は吉祥悔過の系譜を受け継ぐもので、日本における吉祥天信仰の中核をなしています。

吉祥天のご利益

吉祥天に祈願することで得られるとされるご利益は多岐にわたります。

  • 財宝金銭:富と経済的な繁栄
  • 五穀豊穣:農作物の豊かな実り
  • 商売繁盛:商いの成功
  • 天下泰平:国家・社会の安定
  • 家内安全:家庭の平穏
  • 芸道上達:芸事や学問の向上

密教経典『大吉祥天女十二契一百八名無垢大乗経』では、吉祥天は未来に成仏するとも説かれており、単なる福の神にとどまらない仏教的な深みを持った存在です。

吉祥天の姿:図像と象徴

唐の貴婦人の姿

日本における吉祥天の像容は、中国・唐代の高貴な女性の姿を基にしています。

左手には如意宝珠(にょいほうじゅ)を持ち、あらゆる願いを叶える力の象徴とされています。
右手は施無畏印(せむいいん)を結び、衆生の恐れを取り除く慈悲を示しています。
髪は豪華な宝冠や装飾品で飾られた結髪で、背子(はいし)と呼ばれる上着に大袖(おおそで)の衣をまとい、裳(も)と呼ばれるスカート状の衣を着けた優美な立ち姿が一般的です。

頭部の背後には円光(えんこう)と呼ばれる丸い光背がつき、蓮華座の上に立つ(または座る)姿で表現されます。
唐代の画家である周昉(しゅうぼう)や張萱(ちょうけん)の美人画の影響が指摘されており、豊満で気品ある姿は日本美術における理想的な女性像の一つとなりました。

吉祥天の代表的な美術作品

薬師寺吉祥天像(国宝)

奈良・薬師寺が所蔵する吉祥天像は、奈良時代(771~772年頃)に制作された麻布著色(まふちゃくしょく)の絵画です。
麻布に描かれた彩色画としては日本最古の遺品の一つであり、縦約53センチメートル×横約32センチメートルの額装仕立てとなっています。

修正会の際に本尊として掲げられるこの画像は、通常は1月1日から3日の間のみ公開される秘宝です。
修復調査の結果、制作当初の鮮やかな色彩が確認されており、唐代絵画の影響を強く受けた日本絵画史上の傑作として高く評価されています。

光明皇后がモデルになったという伝承も残されており、仏教美術と日本の歴史が交差する貴重な作品です。

鞍馬寺 毘沙門天・吉祥天・善膩師童子立像(国宝)

京都・鞍馬寺に伝わる三尊像は、平安時代の木彫仏教彫刻の傑作です。
中央に毘沙門天(像高約175センチメートル)、向かって右に吉祥天(像高約100センチメートル)、左に善膩師童子(像高約95センチメートル)が配される構成になっています。

毘沙門天と善膩師童子はトチの一木造り、吉祥天は檜の一木造りで制作されています。
三軀が一件の国宝として1952年に指定されました。
現在は鞍馬寺の霊宝殿に安置されており、月曜休館と12月から2月の冬期休館を除いて拝観することができます。

浄瑠璃寺吉祥天立像(重要文化財)

京都・浄瑠璃寺に伝わる吉祥天立像は、1212年(建暦2年)に本堂に安置された記録を持つ、ヒノキ材割矧ぎ造(前後割矧ぎ)・彩色の仏像です。
秘仏として厳重に管理されてきたため、制作当時の鮮やかな彩色がほぼそのまま保存されています。

写真家の土門拳は「仏像のうちでは、おそらく日本一の美人であろう」と称えたことで知られています。
限られた機会にのみ公開される秘仏であることが、かえってその神秘的な魅力を高めている作品です。

華やかに彩色された厨子(ずし)に納められており、オリジナルの厨子扉絵も重要文化財に指定されています。
扉絵は明治22年(1889年)に東京美術学校(現・東京藝術大学)が購入しており、現在は東京藝術大学が所蔵しています。
現在の厨子の扉は1976年に取り付けられた模造品です。

妹神・黒闇天(こくあんてん)

幸福と不幸の姉妹

吉祥天には「黒闇天」と呼ばれる妹がいるとされています。
黒闇天は吉祥天とは正反対に、醜い容貌を持ち、不幸や災難を司る女神です。

『涅槃経』では、この姉妹は常に一緒におり、決して離れることがないと説かれています。
ある時、功徳天(吉祥天の別名)が訪れた家の主人が「あなたの妹は来ないでほしい」と言ったところ、吉祥天は「姉妹は常に一緒。私だけを受け入れて妹を拒むことはできません」と答えたと伝えられています。

この教えは、幸福と不幸は表裏一体であり、一方だけを求めることはできないという仏教的な世界観を象徴しています。

ヒンドゥー教の起源

黒闇天のヒンドゥー教における起源は「アラクシュミー(Alakshmi)」、すなわち「ラクシュミーの反対」に相当する存在と考えられています。
幸運の女神ラクシュミーに対し、不運を司る存在としてインド神話に位置づけられていました。

日本の民間信仰では、黒闇天(貧乏神)を敢えて祀ることで、不幸を福に転じさせるという逆転の発想もみられます。

七福神と吉祥天

かつての七福神メンバー

現在の七福神は恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七柱が一般的ですが、七福神の構成は時代によって変遷してきました。

かつては寿老人と福禄寿がともに南極老人の化身とされることから、寿老人の代わりに吉祥天が含まれていた時期がありました。
この変更は関西から始まったとされています。

しかし時代が下るにつれて、庶民に親しみやすい弁財天の人気が高まり、吉祥天は七福神から外れていきました。
現在でも一部の地域では七福神に吉祥天を加えた「八福神」として信仰が続いています。

吉祥天ゆかりの寺社

寺社名所在地見どころ
薬師寺奈良県奈良市国宝・吉祥天像(麻布著色)。修正会(1月1〜15日)で公開
鞍馬寺京都府京都市国宝・毘沙門天三尊立像。霊宝殿で拝観可能
浄瑠璃寺京都府木津川市重要文化財・吉祥天立像(秘仏)
六波羅蜜寺京都府京都市重要文化財・吉祥天立像
吉祥院天満宮京都府京都市菅原道真の祖父が唐から請来した吉祥天を祀る

吉祥院天満宮は、菅原道真の幼名が「吉祥丸」であったことに由来する興味深い神社です。
道真の祖父・菅原清公が遣唐使として唐に渡った際に吉祥天に帰依し、その信仰が菅原家に受け継がれたと伝えられています。

まとめ

  • 吉祥天はヒンドゥー教の女神ラクシュミーを起源とする仏教の守護神
  • 乳海攪拌の神話で蓮の花の上に出現し、ヴィシュヌの永遠の伴侶となった
  • 仏教では毘沙門天の妃とされ、妹に黒闇天がいる
  • 奈良時代以降、『金光明最勝王経』に基づく吉祥悔過の法要で国家鎮護の神として信仰された
  • 薬師寺の国宝・吉祥天像をはじめ、日本美術史上の傑作が多数残されている
  • かつては七福神の一柱でもあったが、のちに弁財天にその座を譲った

吉祥天は、インドからシルクロードを経て日本に至る信仰の壮大な旅路を体現する存在です。
美と福徳を司るその姿は、千年以上の時を超えて人々を魅了し続けています。

参考情報

関連記事

この記事で参照した情報源

一次資料・経典

  • 『金光明最勝王経』(義浄訳、703年)- 吉祥悔過の典拠となる護国経典
  • 『涅槃経』- 吉祥天と黒闇天の姉妹の教え
  • 『大吉祥天女十二契一百八名無垢大乗経』(不空訳)- 吉祥天の未来成仏を説く密教経典
  • 『続日本紀』- 767年の吉祥悔過の記録

学術資料・百科事典

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