もし愛する夫を殺されたら、あなたは復讐を選びますか?
江戸時代、夫を殺された悲しみから復讐の鬼と化し、ついには恐ろしい女盗賊になってしまった女性がいました。
その名は「鬼神のお松」。
美貌を武器に男たちを騙し、次々と殺していった恐るべき女性だったんです。
この記事では、日本三大盗賊の一人に数えられる伝説の女盗賊「鬼神のお松」について詳しくご紹介します。
概要

鬼神のお松(きじんのおまつ)は、江戸時代に活躍したとされる伝説の女盗賊です。
歌舞伎や読本、錦絵などで石川五右衛門、自来也と並んで「日本三大盗賊」の一人として描かれています。
実は、お松が本当に実在したかどうかは分かっていません。
しかし、その壮絶な復讐劇と残酷な手口は、江戸時代の人々を震え上がらせ、多くの物語や芝居の題材となったんです。
姿・見た目
お松は、その美貌で知られていました。
お松の外見的特徴
- 妖艶な美女として描かれる
- 元は深川の遊女だったという説も
- 「骸骨お松」という異名も持つ
特に興味深いのが「骸骨お松」という異名です。
伝説では、亡くなった父の髑髏を抱いて寝るうちに妖艶さを身につけたとされています。
この不気味なエピソードが、彼女の恐ろしさをさらに際立たせていたんですね。
特徴
鬼神のお松には、他の盗賊とは違う独特の手口がありました。
お松の恐ろしい手口
- 美貌を使って男を誘惑
- 川を渡る時に自分を背負わせる
- 背中から刺し殺して川に蹴り落とす
- 殺した相手から金品を奪う
この手口の恐ろしいところは、相手が完全に油断している瞬間を狙うことです。
川を渡っている最中は逃げることもできず、まさに絶体絶命の状況で襲いかかるんです。
盗賊団の頭目として
お松は単独犯ではなく、後に20余名の盗賊団の頭目になりました。 手下を率いて近隣の村々を略奪して回り、人々から「鬼神のお松」と恐れられるようになったのです。
伝承
お松の物語には、いくつかのバリエーションがありますが、最も有名なのが夫の仇討ちから始まる復讐劇です。
夫の死と復讐の始まり
明和4年(1767年)、仙台藩士の早川文左衛門と浪人の山木伝七郎が試合をし、早川が勝利しました。 恨みを持った山木は仲間と共に早川を襲撃しましたが、返り討ちに遭います。
この戦いで殺された立見丈五郎の妻がお松でした。 夫を失った悲しみと怒りから、お松は復讐を決意したんです。
復讐の完遂
お松は巧みに早川に近づき、陸奥国一関への旅に誘い出しました。 衣川を渡る時、色仕掛けで自分を背負わせ、背中から刺して川に蹴り落とし本懐を遂げたのです。
盗賊団の頭目へ
復讐を果たした後、お松は金岳山で三島権左衛門率いる盗賊団に囲まれます。 しかし、逆に権左衛門を倒して盗賊団の頭目に収まってしまいました。
最期
天明3年(1783年)3月7日、お松は早川文左衛門の遺児・文次郎によって討たれます。
夫の仇を討ったお松も、最後は仇の息子に討たれるという因果応報の結末を迎えたのです。
起源
鬼神のお松の物語は、実話なのか創作なのか、はっきりしていません。
物語の広がり
お松の物語は、ちょんがれ(江戸時代の語り物)で語られ始め、その後浄瑠璃や歌舞伎で大きく脚色されていきました。
特に歌舞伎狂言「新板越白浪(しんぱんこしのしらなみ)」が有名で、この作品でお松は「悪婆」という役柄として定着したんです。
各地の伝説
青森県にもお松の伝承が残っています。
- 奥入瀬渓流の石ヶ戸:お松が住処にしていたという岩屋
- 東津軽郡蓬田村:お松の父親と兄弟分だったという家系の伝承
これらの伝説が示すように、お松の物語は東北地方を中心に広く語り継がれていったのです。
まとめ
鬼神のお松は、愛する夫を失った悲しみから復讐の鬼と化した壮絶な女性の物語です。
重要なポイント
- 日本三大盗賊の一人として有名な女盗賊
- 夫の仇討ちから始まった復讐劇
- 美貌を武器に男を騙して殺す恐ろしい手口
- 20余名の盗賊団を率いた女頭目
- 最後は仇の息子に討たれる因果応報の結末
実在したかどうかは定かではありませんが、その物語は江戸時代の人々に強烈な印象を残し、現代まで語り継がれています。
愛が憎しみに変わった時の恐ろしさを描いた、日本の伝説史に残る女盗賊の物語なんです。
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