【古代中国の反逆者】驩兜(かんとう)とは?四罪の一人として恐れられた悪神を解説!

神話・歴史・伝承

古代中国の神話には、天下を乱したとされる「四罪(しざい)」と呼ばれる悪神たちがいます。

その中でも「驩兜(かんとう)」は、聖王・堯(ぎょう)の時代に反乱を企てた人物として知られています。

実は、驩兜には堯の息子・丹朱(たんしゅ)と同一人物だという説があり、その正体には謎が多いのです。

この記事では、驩兜の正体や四罪としての位置づけ、そして子孫が建てたとされる讙頭国(かんとうこく)の伝説まで、分かりやすくご紹介します。


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概要

驩兜(かんとう)は、古代中国神話に登場する悪神です。「讙兜」「讙頭」「驩頭」「鴅吺(かんとう)」「鴅兜」「讙朱」とも表記されます。

共工(きょうこう)・鯀(こん)・三苗(さんびょう)とともに「四罪」の一人に数えられており、堯(ぎょう)の時代に天下を乱した悪人として伝えられています。

『史記』や『山海経』などの古典文献に記述が残されており、後の時代の舜(しゅん)によって崇山(すうざん)に流刑にされたとされています。


驩兜の正体とは?丹朱との関係

驩兜の正体については、古くからさまざまな説が存在しています。

最も有力なのは、驩兜は堯の息子である丹朱(たんしゅ)と同一人物であるという説です。『読書偶識』や郭璞(かくはく)による『山海経』の注釈にも、この考察が記されています。

この説によると、丹朱は三苗族の首領である論戚誼(ろんせきぎ)と手を組み、父である堯に対して反乱を企てたとされています。これが、丹朱が四罪の一人として数えられる由来となったのです。

一方で、『山海経』には別の系譜も記されています。

もう一つの系譜:鯀の孫という説

『山海経』の「大荒南経」には、驩兜は鯀(こん)の孫にあたるという記述があります。

この説では、鯀の妻である士敬(しけい)が炎融(えんゆう)を生み、その子が驩頭であるとされているのです。

また、『山海経』の「海外南経」には「顓頊(せんぎょく)が驩頭を生み、驩頭が苗民を生んだ」という記述もあり、系譜にはばらつきが見られます。


四罪としての驩兜

四罪とは、古代中国神話において天下に害をなしたとされる4人の悪神を指します。

四罪を構成する4人

  • 共工(きょうこう):洪水を引き起こす水神。天柱を壊したことで有名
  • 驩兜(かんとう):堯に反乱を企てた悪神。丹朱と同一視される
  • 鯀(こん):治水に失敗した禹の父。息壌を盗んだ罪で殺された
  • 三苗(さんびょう):堯に反乱を起こした部族の首領

『史記』「五帝本紀」によると、堯に対して放斉(ほうせい)が丹朱を推挙し、驩兜(丹朱)が共工を推挙して登場しますが、両者ともに堯から退けられています。

舜による追放

『尚書』の「舜典」には、舜が四罪をそれぞれ追放したことが記されています。

驩兜は崇山(すうざん)に流刑にされました。現在の崇山は湖南省張家界市にあるとされ、当地には驩兜墓、驩兜屋場、驩兜廟などの古い遺跡が残っているそうです。


神話に描かれる姿:鳥人間の特徴

『山海経』の「大荒南経」には、驩兜の姿についての興味深い記述があります。

驩兜の外見的特徴

  • 人間の顔に鳥の嘴(くちばし)を持つ
  • 翼がある
  • 海の魚を捕らえて食べる
  • 翼を杖のようにして歩く

このように、驩兜は人間と鳥を合わせたような異形の存在として描かれているのです。
日本の天狗や西洋のハルピュイアを思わせる姿かもしれません。


讙頭国:驩兜の子孫が建てた国

反乱に敗れた後、丹朱(驩兜)の子孫たちはどうなったのでしょうか?

伝承によると、子孫たちは南方へ逃れ、讙頭国(かんとうこく)という国を建てたとされています。その国の様子や位置は『山海経』などに記されており、住民たちは驩兜と同じく鳥のような特徴を持っていたようです。

『史記』舜本紀には、驩兜の子孫たちが南の方角に住む「南蛮」になったと記されています。古代中国では、周辺の異民族を方角で呼び分けており、南方の民を「南蛮」と呼んでいました。

四罪の子孫と四方位

『史記』舜本紀では、四罪のそれぞれの子孫が四方位の民族になったとされています。

  • 共工の子孫 → 北狄(ほくてき・北方の民)
  • 驩兜の子孫 → 南蛮(なんばん・南方の民)
  • 三苗の子孫 → 西戎(せいじゅう・西方の民)
  • 鯀の子孫 → 東夷(とうい・東方の民)

このように、四罪は単なる悪神というだけでなく、古代中国の世界観において周辺民族の起源を説明する神話的な役割も担っていたのです。


丹朱と囲碁の伝説

驩兜と同一視される丹朱には、意外な伝説も残されています。

器物の発明について記した『世本(せほん)』によると、囲碁は堯が丹朱のために作ったものだとされているのです。

丹朱に与えられた囲碁は、犀角(さいかく)や象牙などとても贅沢な素材で作られていたといいます。中国の古い囲碁に関する文献には、この伝説が引用されることもあります。

ただし、元の時代に編まれた囲碁の本『玄々棊経(げんげんきけい)』には、「天下を治める教養を身につけさせるために与えた囲碁が、丹朱に良い影響をもたらしたとは言えない」という批判的な意見も序文に載せられています。


まとめ

驩兜は、古代中国神話において聖王・堯に反乱を企てた悪神として語り継がれてきました。

重要なポイント

  • 共工・鯀・三苗とともに「四罪」の一人
  • 堯の息子・丹朱と同一視される説がある
  • 三苗族と組んで堯に反乱を企てた
  • 舜によって崇山に流刑にされた
  • 人面鳥嘴で翼を持つ異形の姿で描かれる
  • 子孫は南方に逃れて讙頭国を建て、「南蛮」になったとされる
  • 丹朱には囲碁の起源に関わる伝説もある

神話の中では悪神として描かれる驩兜ですが、その背景には堯から舜への王位継承という古代中国の政治的な物語が隠されているのかもしれません。鳥人間のような異形の姿も、南方の異民族に対する古代中国人のイメージが反映されているとも考えられるでしょう。

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