夜の静けさを破る「ボー、ボー」という不思議な音。まるで法螺貝を吹き鳴らすようなその音は、一体どこから聞こえてくるのでしょうか。
岡山県に伝わる妖怪「貝吹坊(かいふきぼう)」は、姿を見せずに音だけを出すという、ちょっと変わった妖怪です。今回は、この謎めいた妖怪の伝承と、その正体について迫っていきます。
貝吹坊の基本情報
貝吹坊は、備前国和気郡(現在の岡山県)に伝わる妖怪です。熊山城跡の堀の水中に棲んでいたとされています。
その最大の特徴は、法螺貝を吹くような「ボー、ボー」という音を出すこと。しかし、姿を見せることはなく、音だけが響くという不思議な存在として語り継がれてきました。
この伝承は、民俗学者・柳田國男が監修した『綜合日本民俗語彙』(1955年、民俗学研究所編、平凡社)に記録されています。
伝承の舞台「熊山城跡」とは
貝吹坊が棲んでいたとされる熊山城跡は、標高509メートルの熊山にあります。この山は古くから霊山として信仰を集めており、山上には「熊山遺跡」と呼ばれる奈良時代の仏教遺跡も存在します。
熊山遺跡は三段の石積みで構成された建造物で、国の史跡に指定されています。奈良県の頭塔や大阪府の土塔と類似しており、仏塔の一種と考えられています。
この一帯には、古代から中世にかけて「霊山寺」という寺院が存在していました。南北朝時代の武将・児島高徳が挙兵した場所としても知られており、「腰掛岩」や「旗立岩」といった伝承の遺跡も残っています。
このように、熊山は古くから神聖な場所として認識されていたため、不思議な現象が妖怪伝承として語り継がれやすい土地柄だったのかもしれません。
唐津城の類似伝承との関係
水木しげるの著書『図説 日本妖怪大全』(1994年、講談社)では、貝吹坊に関連する興味深い話が紹介されています。
かつて味地義兵衛という人物が、佐賀県の唐津城の壕に妖怪がいると聞いて調べに行ったところ、壕から青い目を光らせた妖怪が現れたことがあったそうです。水木しげるはこの妖怪が貝吹坊の一種であろうと述べています。
ただし、注意が必要なのは、この唐津城の妖怪の話は天保時代(1830〜1844年)の随筆『思斉漫録』に記されているものの、原典には「貝吹坊」という名称は登場しないということです。水木しげるが両者を関連付けたことで、平成以降の妖怪関連文献では「貝吹坊は青い目を持つ妖怪」と解説されることもあります。しかし、これは後世の解釈であり、備前国の元々の伝承では姿は見えないとされていた点に留意する必要があります。
貝吹坊の正体はウシガエル?
では、貝吹坊の正体は何だったのでしょうか。
有力な説として挙げられているのが「ウシガエル」です。千葉幹夫の『妖怪お化け雑学事典』(1991年、講談社)でも、この説が紹介されています。
水木しげるも、かつて池で食用ガエル(ウシガエル)の鳴く音に驚いた経験があることから、ウシガエルが貝吹坊の正体だった可能性を示唆しています。
ウシガエルの鳴き声は「ブオー、ブオー」という低く響く音で、その名の通り牛の鳴き声にも似ています。この鳴き声は非常に大きく、静かな田園地帯では数キロメートル先まで聞こえることもあるといいます。
ウシガエルは北アメリカ原産で、日本には食用として1918年以降に輸入されました。そのため、江戸時代以前の伝承にウシガエルが直接関わっていた可能性は低いですが、昭和以降に野生化したウシガエルの鳴き声が、古い伝承と結びついて解釈されるようになったとも考えられます。
また、日本在来のカエルの中にも低い声で鳴く種類がいるため、そうしたカエルの鳴き声が元々の伝承の起源だった可能性もあります。
音だけが聞こえる妖怪たち
貝吹坊のように「姿を見せずに音だけ出す」という特徴を持つ妖怪は、日本各地に伝わっています。
代表的なものが「小豆洗い」です。夜の谷川のほとりや橋の下で「ショキショキ」と小豆を研ぐような音をさせる妖怪で、やはり姿は見えず音だけが聞こえるとされています。
また、「算盤坊主」という妖怪は、寂しい道端の大木の陰でパチパチ、チャラチャラと算盤を弾くような音を立てて人々を驚かせます。こちらも音だけで姿を現すことはないといいます。
こうした「音の妖怪」は、自然現象や動物の声など、正体がわからない音を妖怪として解釈した結果生まれたものと考えられています。暗闘の中で聞こえる不思議な音は、人々の想像力をかき立て、様々な妖怪伝承を生み出してきたのです。
水辺の妖怪としての貝吹坊
貝吹坊は城跡の堀という水辺に棲む妖怪として伝えられています。日本には水辺に関連する妖怪が数多く存在し、海坊主や河童、川姫などがよく知られています。
水は古来より生命の源であると同時に、死や異界との境界としても認識されてきました。特に城の堀は人工的に作られた閉じた水域であり、そこに得体の知れないものが棲んでいるという想像は、自然なことだったのかもしれません。
熊山城跡の堀から響く「ボー、ボー」という音は、そうした水辺の神秘性と相まって、妖怪伝承として語り継がれることになったのでしょう。
まとめ
貝吹坊は、岡山県の熊山城跡に伝わる「音だけが聞こえる妖怪」です。法螺貝を吹くような「ボー、ボー」という音を出しますが、姿を見せることはないとされています。
その正体については、ウシガエルなどのカエルの鳴き声だったのではないかという説が有力です。実際、ウシガエルの「ブオー、ブオー」という低く大きな鳴き声は、法螺貝の音に似ているともいえます。
姿が見えないからこそ、人々の想像力は膨らみ、様々な解釈が生まれてきました。もし岡山県を訪れる機会があれば、熊山城跡に足を運んでみてはいかがでしょうか。夜の静けさの中で、どこからともなく「ボー、ボー」という音が聞こえてくるかもしれません。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
一次資料
- 『綜合日本民俗語彙』第1巻(1955年、大藤時彦他著、民俗学研究所編、柳田國男監修、平凡社)317頁 – CiNii情報
学術・研究機関
- 国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース – 日本の妖怪伝承に関する学術データベース
- 国立国会図書館サーチ – 書誌情報の確認
二次資料
- 水木しげる『図説 日本妖怪大全』(1994年、講談社+α文庫)155頁 – 貝吹坊と唐津城の妖怪の関連についての解説
- 千葉幹夫『妖怪お化け雑学事典』(1991年、講談社)116頁 – ウシガエル正体説についての解説
- 草野巧『幻想動物事典』(1997年、新紀元社)77頁
- 中村弘毅「思斉漫録」『日本随筆大成』第2期24(1975年、吉川弘文館)144頁 – 唐津城の妖怪譚の原典
- Wikipedia「貝吹坊」 – 基本情報の確認
- Wikipedia「ウシガエル」 – ウシガエルの生態と鳴き声についての情報
- Wikipedia「熊山遺跡」 – 熊山遺跡についての情報
関連サイト
- 水木しげる記念館 – 妖怪についての解説
- 岡山県観光情報 熊山遺跡 – 熊山遺跡の観光情報


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