大切に受け継がれてきた嫁入り道具から、ある日突然、子供のような妖怪が這い出てきたら…あなたはどう思いますか?
江戸時代の妖怪絵師・鳥山石燕が描いた「貝児(かいちご)」は、母から娘へと代々伝えられてきた貝桶から生まれるという、ちょっと不思議な妖怪なんです。
この記事では、嫁入り道具に宿る付喪神「貝児」について、その姿や由来を分かりやすくご紹介します。
概要

貝児(かいちご)は、江戸時代の絵師・鳥山石燕が妖怪画集『百器徒然袋』に描いた妖怪です。
古い貝桶(かいおけ)から、子供のような姿の存在が這い出てくる様子が描かれています。
貝桶というのは、平安時代から江戸時代にかけて流行した「貝合わせ」や「貝覆い」という遊びに使う貝殻を入れておく容器のこと。八角形や印籠形のものが多く、高貴な家では嫁入り道具として大切にされていました。
石燕は絵の解説文で「この貝児は這子(はいこ)の兄弟ではないか」と記しています。這子とは、四つん這いの姿をした幼児の人形で、子供のお守りとして使われていたものなんですね。
つまり貝児は、長い年月を経た嫁入り道具から生まれた付喪神(つくもがみ)の一種として描かれているわけです。
伝承

貝児の出現記録は残っていない
実は、貝児が実際に現れたという伝承は残されていません。
石燕が『百器徒然袋』の中で創作した妖怪だと考えられています。ただし、その着想には当時の文化や信仰が深く関わっているんです。
なぜ貝桶から妖怪が生まれるの?
貝児が貝桶から生まれるとされた背景には、いくつかの理由があります。
貝桶が特別な嫁入り道具だったから
- 貝桶は母親から娘へ贈られる大切な嫁入り道具だった
- 高貴な家では百年、二百年と受け継がれることも珍しくなかった
- 長い年月を経た道具には魂が宿るという「付喪神」の信仰があった
貝合わせに込められた意味
貝合わせとは、蛤(はまぐり)などの貝殻に花鳥や物語の絵を描き、バラバラにした貝殻の組み合わせを当てるパズル遊びのことです。
蛤の貝殻は、もともと対だったもの同士でないとぴったり合わないという特徴があります。この性質から、貝合わせの貝は「夫婦和合」の象徴とされ、婚礼には欠かせない縁起物だったんですね。
石燕が込めた意味とは?
石燕がなぜ貝児を描いたのか、はっきりとした理由は分かっていません。
ただ、一説では「子を思う親心が行き過ぎて、迷いとなり、子供の幻として現れたのではないか」という解釈もあります。
また、遊びに使われなくなった貝が寂しさから妖怪になったという見方も。いずれにしても、親から子へと受け継がれる想いが形になった存在として、貝児は描かれているのかもしれません。
まとめ
貝児は、嫁入り道具に宿る付喪神として石燕が創作した妖怪です。
重要なポイント
- 鳥山石燕の『百器徒然袋』に描かれた妖怪
- 貝桶から子供のような姿が這い出る様子で描かれている
- 「這子(幼児の人形)の兄弟ではないか」と石燕が記述
- 実際の出現記録はなく、石燕の創作と考えられている
- 貝桶は夫婦和合を象徴する大切な嫁入り道具だった
- 数百年受け継がれた道具から生まれた付喪神という解釈がある
恐ろしい妖怪というよりは、親から子へ、そしてその子へと受け継がれてきた想いが形になった、どこか切ない存在なのかもしれませんね。


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