「囲碁四千年」という言葉を聞いたことはありませんか?
白と黒の石を交互に置いていくシンプルなルールでありながら、その局面の数は宇宙の原子の数よりも多いとされる囲碁。中国で生まれたこの知的ゲームは、日本で独自の発展を遂げ、今や世界中で4600万人以上がプレイする国際的な競技となっています。
この記事では、伝説に彩られた囲碁の起源から、江戸時代の黄金期、そしてAIとの対決という衝撃の現代史まで、囲碁4000年の壮大な歴史を紐解いていきます。
囲碁とは
囲碁は2人で行う陣取りゲームです。縦横19本ずつの線が引かれた碁盤の上に、黒と白の碁石を交互に置いていきます。目的は相手より広い領域(地)を囲うこと。一度置いた石は動かせませんが、相手の石を完全に囲むと盤上から取り除くことができます。
ルールは驚くほどシンプルですが、盤上に現れる局面の数は約10の170乗通りにも達します。これはチェスの約10の120乗通りを遥かに超え、宇宙に存在する原子の数(約10の80乗個)すら凌駕する天文学的な数字です。
現在、囲碁は中国では「囲棋(ウェイチー)」、韓国では「バドゥク」、日本では「碁」または「囲碁」と呼ばれ、東アジアを中心に世界中で親しまれています。
囲碁の起源|伝説と諸説
堯帝の教育説
囲碁の起源を巡っては、いくつかの伝説が語り継がれています。最も有名なのは紀元前2350年頃、中国の伝説の王である堯帝(ぎょうてい)が息子の丹朱(たんしゅ)を教育するために囲碁を考案したという説です。
丹朱は品行が悪く、堯帝は彼に規律と集中力、バランス感覚を教えるために囲碁を作ったとされています。もちろんこれは伝説であり、史実かどうかは定かではありません。
占星術起源説
別の説では、囲碁は占星術から発展したとも考えられています。碁盤は宇宙を表し、碁石は星を象徴しているという解釈です。実際、碁盤の中央から各方向に10点ずつ広がる構造は、暦や占いに使われていた可能性が指摘されています。
軍事シミュレーション説
春秋・戦国時代には、囲碁は戦略や政治のシミュレーションゲームとして活用されていたという説もあります。盤上での石の争奪は領土と人民の争いを模しており、作戦会議は碁盤を囲んで行われたのではないかとも言われています。
発祥地の諸説
囲碁の発祥地については中国説が最有力ですが、インド説やチベット説も存在します。興味深いことに、チベットでは現在も17×17の盤面が使用されており、これは古代中国の囲碁盤と同じサイズです。標準的な19×19の盤面は唐代(618〜907年)以降に定着したとされています。
古代中国での発展
最古の文献記録
囲碁に関する最古の文献記録は、『左伝』(紀元前548年頃)に見られます。また、孔子の言行録である『論語』や、孟子の思想を記した『孟子』にも囲碁への言及があり、少なくとも紀元前500年頃には囲碁が中国社会に浸透していたことがわかります。
考古学的には、殷の時代(紀元前1500〜1000年頃)の甲骨文字に「棊」という文字が発見されており、これが囲碁を指すのではないかとも推測されています。
琴棋書画:君子の四芸
中国では囲碁は教養ある文人のたしなみとして尊重されてきました。「琴を弾いて囲碁を打ち、書を書いて絵を描く」という琴棋書画(きんきしょが)は、中国の知識人が身につけるべき四つの技芸とされました。ここで「棋」は囲碁を意味しています。
200年から600年頃にかけて、芸術や文学への関心が高まった時代に囲碁も大いに栄えたとされています。
日本への伝来
伝来の時期
囲碁がいつ日本に伝わったのかは、正確にはわかっていません。有名な説としては、奈良時代(8世紀前半)に遣唐使として唐に渡った吉備真備(きびのまきび)が持ち帰ったというものがあります。
しかし、636年の『隋書』倭国伝にはすでに日本人が囲碁を好むことが記されており、701年の大宝律令にも囲碁についての記述があります。つまり、吉備真備より以前に囲碁は日本に伝わっていた可能性が高いのです。
平安貴族のたしなみ
平安時代(794〜1185年)になると、囲碁は貴族たちの間で大いに流行しました。紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』にも囲碁の場面が描かれており、宮廷文化の一部として定着していたことがうかがえます。
室町時代(1336〜1573年)には武家や庶民にも広がり始め、半専門的な囲碁打ちも現れるようになりました。
江戸時代|囲碁の黄金期
徳川家康と家元制度
江戸時代は日本囲碁史上、最も輝かしい時代でした。その発展の背景には徳川家康の存在があります。家康は囲碁を愛好し、優れた棋士たちを保護・奨励しました。
家康に仕えた日海(のちの本因坊算砂、1559〜1623年)は、京都寂光寺の僧侶でありながら囲碁の名手として知られ、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕えたとされています。1588年には秀吉から俸禄を受け、これが碁所(ごどころ)の始まりともされています。
四家元の確立
江戸幕府のもとで、囲碁界は本因坊家・井上家・安井家・林家の四つの家元によって支配される体制が確立しました。彼らは幕府から俸禄を得る代わりに、毎年11月17日に江戸城で囲碁を披露する「御城碁(おしろご)」という行事を務めました。御城碁は1626年から1861年まで約530局が行われ、各家元にとって家の名誉をかけた真剣勝負の場でした。
四家元の中でも本因坊家は常に筆頭の地位にあり、最も多くの名人を輩出しました。特に四世本因坊道策(1645〜1702年)は「碁聖」と称えられ、布石理論を革新して近代囲碁の基礎を築いた人物です。
名人碁所の争奪
囲碁界の最高位である名人碁所の地位は、絶大な権威と権力を伴いました。碁所に就任できるのは名人(九段)だけであり、その地位を巡って家元間で激しい争いが繰り広げられることもありました。
有名な逸話として、本因坊秀策の「耳赤の一手」があります。これは対局中の妙手によって相手の耳が赤くなるほど動揺させたというエピソードで、当時の対局がいかに緊迫したものだったかを物語っています。
明治以降|近代化への道
幕府崩壊と家元の苦難
1868年の明治維新により幕府が崩壊すると、家元たちは俸禄を失い苦難の時代を迎えました。一時は本因坊家の当主が倉庫で生活するほどの困窮に陥ったとも伝えられています。
方円社の誕生
1879年、十四世本因坊秀和の門下であった村瀬秀甫と中川亀三郎を中心として、囲碁の研究会「方円社」が発足しました。方円社は雑誌『囲棋新報』を発刊し、従来の家元が認定する段位制度ではなく実力主義の級位制を導入するなど、囲碁の新しい時代を切り開いていきました。
新聞と囲碁
明治時代、囲碁界を経済的に支えたのが新聞社でした。1878年には『郵便報知新聞』が棋譜を掲載し、1898年には『神戸新聞』が囲碁欄を設ける先駆けとなりました。新聞への棋譜掲載は囲碁の宣伝になるとともに、棋士たちの収入源ともなりました。
日本棋院の設立
1924年、囲碁界を統括する組織として日本棋院が設立されました。そして1938年、二十一世本因坊秀哉が引退した際にその名跡を日本棋院に譲渡し、家元制から実力制への移行が実現しました。1941年には第1期本因坊戦が開催され、これは現在まで続く日本囲碁界最高峰のタイトル戦となっています。
世界への広がり
韓国・中国の台頭
20世紀後半まで、囲碁の国際舞台では日本が圧倒的な強さを誇っていました。しかし1980年代以降、韓国と中国が国家的な支援のもとで若手棋士の育成に力を入れ、急速に実力を伸ばしていきました。
2005年頃からは中国の若手棋士たちが国際タイトルを次々と獲得するようになり、現在では中国・韓国・日本の三国が世界の囲碁界をリードしています。
国際棋戦の誕生
1979年には世界アマチュア囲碁選手権が始まり、1988年には賞金100万ドルの応昌期杯世界囲碁選手権(Ing杯)が創設されました。その後も富士通杯、三星火災杯、LG杯など多くの国際棋戦が生まれ、各国のトップ棋士たちが世界一を競い合う時代となりました。
西洋への普及
ヨーロッパでは1880年にドイツのオスカー・コルシェルトが囲碁についての本を出版したのをきっかけに普及が始まりました。1957年には最初のヨーロッパ選手権が開催されています。
近年ではインターネットの発展により、世界中の囲碁ファンがオンラインで対局できるようになり、囲碁の国際化はさらに加速しています。
AI時代の到来
AlphaGoの衝撃
2016年3月、囲碁界に激震が走りました。Google DeepMindが開発した囲碁AI「AlphaGo」が、世界トップクラスの棋士である李世乭(イ・セドル)九段(韓国)と五番勝負を行い、4勝1敗で勝利したのです。
当時、囲碁は局面の複雑さゆえに「AIが人間のプロ棋士に勝つにはあと10年かかる」と言われていました。チェスでは1997年にIBMのディープ・ブルーが世界チャンピオンに勝利していましたが、囲碁ははるかに困難な課題とされていたのです。
人類最後の1勝
五番勝負の第4局で、李世乭九段は白78手目のワリコミという一手でAlphaGoのミスを誘発し、唯一の勝利を挙げました。この手は「神の一手」とも称えられ、人類がディープラーニング系の囲碁AIに公式戦で勝利した最後の1勝となりました。
2017年5月には、当時世界ランキング1位だった柯潔(カ・ケツ)九段(中国)がAlphaGoと対戦しましたが、3連敗を喫しました。この対局を最後にAlphaGoは人類との対局から引退しています。
AI後の囲碁界
AlphaGoの登場は囲碁の考え方に革命をもたらしました。従来の常識を覆す手が次々と発見され、それらは世界中のプロ棋士によって研究・模倣されて新たな布石や定石となっています。
現在では囲碁AIは棋士たちの学習ツールとして広く活用されています。世界チャンピオンの申眞諝(シン・ジンソ)九段(韓国)は、AIを通じて囲碁を学んだ新世代の象徴とされ、その着手のAI予測精度は92%に達するといわれています。
2019年、李世乭九段はプロ棋士を引退しました。引退の理由について彼は「囲碁AIが登場したことで、必死に努力してナンバー1になっても、自分はトップではないことがわかった」と語っています。
まとめ
囲碁は4000年以上前に中国で生まれ、日本で独自の発展を遂げ、今や世界中で愛される知的ゲームとなりました。
- 古代中国:伝説では堯帝が子どもの教育のために考案したとされ、君子の四芸のひとつとして尊重された
- 日本への伝来:奈良時代以前に伝わり、平安貴族から武士、庶民へと広まった
- 江戸時代:徳川家康の保護のもと四家元が確立し、御城碁を舞台に名勝負が繰り広げられた
- 近代化:明治維新後の苦難を経て、新聞社の支援と日本棋院の設立により復興を遂げた
- 世界への広がり:韓国・中国の台頭と国際棋戦の誕生により、真のグローバル競技となった
- AI時代:2016年のAlphaGo対李世乭戦を境に、囲碁界は大きな転換期を迎えた
4000年の歴史の中で、囲碁は占いから教養、芸術、スポーツ、そしてAI研究の試金石へと、その意味合いを変化させてきました。しかし、盤上で繰り広げられる知の戦いの魅力は、今も昔も変わりません。
AIが人間を超えた今、囲碁はどこへ向かうのでしょうか。その答えは、これからの歴史が教えてくれることでしょう。

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