ペルー中部高地ワロチリ地方に伝わる神話に登場する、火の神ワリャリョ・カルウィンチョ(Huallallo Carhuincho)。
口から火を吐き、人々を恐怖に陥れた恐ろしい神として知られています。
この記事では、16世紀末から17世紀初頭に記録されたワロチリ文書に基づき、ワリャリョ・カルウィンチョの神話、パリアカカとの壮絶な戦い、そして文化的背景まで詳しく解説します。
概要
ワリャリョ・カルウィンチョは、ペルーのアンデス神話に登場する火山と火の神です。
ワロチリ地方の先住民が崇拝していた創造神の1柱で、口から火を吐き、人肉を食べる恐ろしい存在として描かれています。
やがて水と嵐の神パリアカカとの激しい戦いに敗れ、アマゾンの密林へと追放されました。
ワリャリョ・カルウィンチョの名前と表記
ワリャリョ・カルウィンチョには、複数の異なる表記が存在します。
主な異表記:
- Huallallo Carhuancho(ワリャリョ・カルウアンチョ)
- Wallallo Karwinchu(ワリャリョ・カルウィンチュ)
- Qalalu Karwancho(カラル・カルワンチョ)
- Wallallu Qarwinchu(ワリャリュ・カルウィンチュ)
これらの表記の違いは、ケチュア語の音写の違いによるものです。
スペイン語やケチュア語の文献によって表記が異なりますが、いずれも同じ神を指しています。
ワリャリョ・カルウィンチョの神格と特徴
火と火山の神
ワリャリョ・カルウィンチョは、火山と火を司る神として崇拝されていました。
口から火を吐くことができ、その炎で敵を焼き尽くしたとされています。
実際、ワロチリ地方近郊には火山が存在し、ワリャリョ・カルウィンチョはこれらの火山を擬人化した存在だと考えられています。
火山の噴火や地震といった自然災害は、この神の力の現れとして恐れられていました。
人肉食の習慣
ワリャリョ・カルウィンチョには、人肉を食べる恐ろしい習慣がありました。
ワロチリ文書によれば、彼は人々に対し「1家族につき2人以上の子供を持つことを禁じる」という過酷な掟を課していました。
家族が2人の子供を持った場合、1人は親が育て、もう1人はワリャリョ・カルウィンチョの食料として差し出さなければなりませんでした。
この残酷な慣習は、人々を恐怖で支配するための手段だったと考えられています。
荒々しい気性
ワリャリョ・カルウィンチョは、非常に荒々しく激しい気性の持ち主として描かれています。
怒りやすく、人々を容赦なく罰する存在として恐れられていました。
ワロチリ地方の創造神の系譜
ワロチリ文書には、4柱の創造神が次々と入れ替わっていく神話が記録されています。
創造神の系譜:
- ヤナムカ・トゥタニャムカ(Yanañamca Tutañamca) – 最古の創造神。詳細はほとんど不明
- ワリャリョ・カルウィンチョ(Huallallo Carhuincho) – ヤナムカを倒し、人々に生命力を伝えた最初の神
- パリアカカ(Pariacaca) – 水と嵐の神。ワリャリョを倒して新たな支配者となった
- コニラヤ・ビラコチャ(Cuniraya Viracocha) – 最後の創造神。パリアカカの後継者
ワリャリョ・カルウィンチョは、この系譜において2番目の創造神であり、人々に初めて生命力(カマク)を伝えた存在とされています。
ワリャリョの時代
ワリャリョ・カルウィンチョが支配していた時代、ワロチリ地方には不思議な現象が起きていたとワロチリ文書は伝えています。
ワリャリョ時代の特徴:
- 赤と黄色の鳥(オウム)が生息していた
- 種をまいてから5日で収穫できた
- 死んだ人間は5日後に生き返った
しかし、人々が5日で生き返るため人口が急速に増加し、住む場所を求めて山々へと移住しなければなりませんでした。
この人口増加問題への対処として、ワリャリョは「2人以上の子供を持つことを禁じる」掟を設けたと考えられています。
パリアカカとの戦い
戦いの発端
やがて、水と嵐の神パリアカカ(Pariacaca)が5つの卵から生まれました。
パリアカカは自分の力を試すべく、ワリャリョ・カルウィンチョとの戦いを決意します。
別の物語では、人々がワリャリョへ人間の生贄(特に子供)を捧げているのを見たパリアカカが、「自分はリャマと子リャマの血で満足する。人間を捧げる必要はない」と宣言しました。
しかし人々がワリャリョの報復を恐れていることを知ったパリアカカは、ワリャリョとの対決を決意したとされています。
火と水の激突
パリアカカとワリャリョ・カルウィンチョの戦いは、火と水の壮絶な激突でした。
戦いの様子:
- ワリャリョの武器: 火、巨大な炎
- パリアカカの武器: 水、嵐、洪水、雷、稲妻
ワロチリ文書によれば、パリアカカは5人の人間の姿で戦い、5つの方向から黄色と赤の雨を降らせ、稲妻の光も5方向で輝いたとされています。
対するワリャリョは巨大な火焔となって応戦しました。
雨水が低地のウラ・コチャ湖を溢れさせると、パリアカカの分身の1人が山を崩して水をせき止めました。
しかし、パリアカカはさらに稲妻を浴びせ続けました。
敗北と逃亡
激しい戦いの末、水の力に破れたワリャリョ・カルウィンチョは敗走します。
敗北後のワリャリョ:
- 鳥に変身してタシュリカ山へ逃げた
- パリアカカの息子が雷で追撃してきた
- 多数の双頭の蛇をまき散らしながら、アマゾンの密林(アンティ地方)へ逃れた
- 残された双頭の蛇はパリアカカによって石に変えられた
一説では、パリアカカが雪山となり、ワリャリョを火山に変えたとも伝えられています。
敗北後の運命
ワロチリ文書によれば、敗北したワリャリョ・カルウィンチョはムリュコチャ湖(Mullucocha)に封じられたとされています。
この湖は、パリアカカが戦いで降らせた雨水によって形成されたものです。
また別の伝説では、ワリャリョはアマゾンの密林へ逃れた後、人間を食べる怪物となって復讐の機会を狙い続けたとされています。
パリアカカの勝利後
ワリャリョを破ったパリアカカは、新たな秩序を確立しました。
パリアカカによる新しい掟:
- 人間の生贄の代わりに、リャマと子リャマの血を捧げる
- それまでワリャリョに子供を捧げていた人々は、以後パリアカカを崇めるようになった
- 雪山パリアカカ(ヤロとも呼ばれる)の頂上で、パリアカカに犠牲を捧げる儀式が行われるようになった
マナ・ニャムカとの関係
ワリャリョ・カルウィンチョには、マナ・ニャムカ(Manañamca)という女性のワカ(神格)の仲間がいました。
パリアカカがワリャリョを破った後、マナ・ニャムカもパリアカカに戦いを挑みましたが、同じく敗れ去りました。
敗北したマナ・ニャムカは、西の海へ投げ込まれたとワロチリ文書は伝えています。
ワロチリ文書とワリャリョ・カルウィンチョ
ワロチリ文書とは
ワリャリョ・カルウィンチョの神話は、ワロチリ文書(Manuscrito de Huarochirí)に詳しく記録されています。
この文書は、16世紀末から17世紀初頭にかけて、ケチュア語で記録されたペルー中部高地ワロチリ地方の神話・伝承の集大成です。
ワロチリ文書の特徴:
- 記録時期: 16世紀末~17世紀初頭(1598年頃)
- 言語: ケチュア語
- 編纂: フランシスコ・デ・アビラ(Francisco de Ávila)神父の監修
- 所蔵: マドリード国立図書館(Mss. 3,169)
- 別名: Runa Yndio Ñiscap(ルナ・インディオ・ニスカプ)
ワロチリ文書は、スペイン征服後も残されたアンデスの先住民の宗教観を記録した唯一の大規模な文献として、「アンデスの聖書」とも呼ばれています。
フランシスコ・デ・アビラと「偶像崇拝の根絶」
皮肉なことに、ワロチリ文書を編纂したフランシスコ・デ・アビラ神父は、「偶像崇拝の根絶運動(Extirpación de idolatrías)」を推進した人物でした。
アビラは先住民の異教信仰を弾圧する立場にありながら、その信仰の詳細を記録に残したのです。
この文書が作成された背景には、先住民の信仰を理解し、より効果的にキリスト教へ改宗させるという目的があったと考えられています。
主要な翻訳版
ドイツ語版:
- Hermann Trimborn(1939年)『Dämonen und Zauber im Inkareich』
- Hermann Trimborn & Antje Kelm(1967年)『Götter und Kulte in Huarochirí』
スペイン語版:
- José María Arguedas(1966年)『Dioses y hombres de Huarochirí』
- Gerald Taylor(1987年)『Ritos y tradiciones de Huarochirí del siglo XVII』※学術的に最も評価が高い
英語版:
- Frank Salomon & George L. Urioste(1991年)『The Huarochirí Manuscript: A Testament of Ancient and Colonial Andean Religion』
文化的・歴史的背景
農民と牧畜民の対立
ワリャリョ・カルウィンチョとパリアカカの神話は、単なる神々の戦いではなく、農民と牧畜民の対立を象徴していると考えられています。
ワリャリョ・カルウィンチョ:
- 崇拝者: ユンカ族(低地の農民)
- 象徴: 火、乾燥、農業
パリアカカ:
- 崇拝者: ヤウヨ族(高地の牧畜民)
- 象徴: 水、嵐、雨
ワロチリ地方には、もともと農業を営むユンカ族が住んでいました。
やがてパリアカカを信仰する牧畜民のヤウヨ族が侵入し、先住の農民たちを征服して自分たちに同化させました。
ワリャリョがパリアカカに敗れてアマゾンの密林(低地)へ追放される神話は、この歴史的な民族移動と征服の記憶を反映していると考えられています。
ワロチリ地方の地理
ワロチリ(Huarochirí)は、ペルーの首都リマの内陸部に位置する地域で、アンデス山脈の西斜面にあたります。
この地域は、高地と低地が入り組んだ複雑な地形を持ち、異なる生態系が共存しています。
地理的特徴:
- 標高差が大きく、高地と低地で気候・植生が大きく異なる
- 高地: 牧畜に適した草原地帯
- 低地: 農業に適した温暖な谷
- アマゾンの密林への入り口に位置
この地理的条件が、農民と牧畜民の異なる生活様式を生み、やがて両者の対立を生んだと考えられています。
ワリャリョ・カルウィンチョの象徴するもの
火山の擬人化
ワリャリョ・カルウィンチョは、ワロチリ近郊の火山を擬人化した存在だと広く考えられています。
口から火を吐く、炎となって戦うといった描写は、火山の噴火を連想させます。
自然の脅威と恩恵
火山は、アンデスの人々にとって脅威であると同時に、土壌を肥沃にする恩恵ももたらす存在でした。
ワリャリョが農業の神としての側面も持っていたことは、この二面性を反映しています。
旧秩序の象徴
創造神の系譜において、ワリャリョは「古い秩序」を象徴しています。
パリアカカに敗れて追放されることは、新しい秩序(水と嵐の神パリアカカ)による古い秩序(火と乾燥の神ワリャリョ)の打倒を意味しています。
ワンカ族の伝承における違い
ワリャリョ・カルウィンチョは、ワンカ族(Wanka)の主神としても崇拝されていました。
ワンカ族の伝承には、ワロチリ文書とは異なる独自の要素が含まれています。
ワンカ族の伝承:
- ワリャリョがワンカ族に犬肉を食べることを命じた
- これらの犬は、敵の戦士が変身させられたもの
- 犬は死後も人間に忠実であり続けた
ワンカ族は「犬を食べる民族」として他の民族から蔑視されることがありましたが、これはワリャリョ・カルウィンチョ信仰に由来するものでした。
現代におけるワリャリョ・カルウィンチョ
伝承の継承
スペイン征服とキリスト教化により、ワリャリョ・カルウィンチョへの信仰は衰退しました。
しかし、ワロチリ文書の発見と研究により、この神話は学術的に再評価されています。
文化的意義
ワリャリョ・カルウィンチョの神話は、以下の点で文化的に重要です:
- 民族対立の記憶 – 農民と牧畜民の歴史的対立を伝える
- 自然観の反映 – 火山、水、嵐といった自然現象への畏敬
- 宗教的変遷 – 異なる神々の交代による宗教・文化の変化
現代の研究
現代の人類学者や歴史学者は、ワリャリョ・カルウィンチョの神話を通じて、以下のテーマを研究しています:
- アンデス先住民の宗教観
- スペイン征服前の社会構造
- 民族間の相互作用と文化変容
- 神話と歴史の関係
まとめ
ワリャリョ・カルウィンチョは、ペルー中部高地ワロチリ地方に伝わる火と火山の神です。
主なポイント:
- 口から火を吐き、人肉を食べる恐ろしい神
- 創造神の系譜において2番目の神
- 水と嵐の神パリアカカとの戦いに敗れ、アマゾンの密林へ追放された
- 農民(ユンカ族)と牧畜民(ヤウヨ族)の対立を象徴
- ワロチリ文書に詳しく記録されている
ワリャリョ・カルウィンチョの神話は、アンデスの人々の自然観、宗教観、そして歴史的な民族対立を今に伝える貴重な文化遺産なんです。


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