はじめに:ホンダワケノミコトって誰?
「ホンダワケノミコト(誉田別命)」は、実在した可能性が高い古代天皇の一人であり、のちに”八幡神(はちまんしん)”として全国で信仰されるようになった大人物です。
応神天皇として歴史に残り、「神」として日本全国に広がった存在―― それがホンダワケノミコトなんです。
系譜:神の血を引く皇子

ホンダワケノミコトは、神功皇后(オキナガタラシヒメ)の子どもであり、第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の御子でもあります。
- 父:仲哀天皇
- 母:神功皇后(オキナガタラシヒメ)
- 子孫:仁徳天皇など(有名な「大仙古墳」の主とされる)
神功皇后が神託を受けて生んだ”神の子”として、特別な出生背景をもっています。
神功皇后が三韓征伐(朝鮮半島への遠征)から帰還後に生まれたとされ、伝説によれば数年間も神功皇后のお腹にいたという神秘的な誕生エピソードも残っています。
神格:八幡神として信仰された”武の守護神”
ホンダワケノミコト(応神天皇)は、「八幡神(はちまんしん)」として神格化されます。
- 戦(武)の神
- 学問の神
- 源氏の守護神
特に武士たちの守護神として、平安時代以降とても信仰されました!
初めて八幡神として現れたのは、奈良時代(8世紀頃)の宇佐神宮といわれています。
「応神天皇の御霊が神として現れた」という伝承から始まりました。
また、現代では学問の神格も加わり、文武の神となりました。
神話・伝承:ホンダワケノミコトの偉業

ホンダワケノミコト自身には大きな戦いの伝説は少ないものの、以下のようなエピソードがあります。
伝えられている偉業
- 神功皇后の遠征後に即位し、国を安定させた
- 渡来人(百済など)との交流を進め、文化・技術の発展に貢献
- 文字・織物・農具など、中国・朝鮮半島由来の文明を日本に取り入れた
- 弓月君、阿直岐、王仁、阿知使主という優秀な渡来人を招いた
『古事記』や『日本書紀』によると、応神天皇の治世には多くの知識人や技術者が朝鮮半島から渡来し、日本の文化発展に大きく貢献したとされています。
ホンダワケノミコトは、日本の”国づくり”を担った文化的英雄でもあるんです!
神社とご利益:全国に広がる八幡信仰

ホンダワケノミコト(応神天皇)=八幡神として、全国に約4万社もあるといわれる八幡神社の中心は以下の神社です。
神社
- 宇佐神宮(うさじんぐう)|大分県
- 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)|京都府
- 筥崎宮(はこざきぐう)|福岡県
鎌倉幕府が成立した後、武家社会の中で八幡信仰はさらに広がっていきました。
ご利益
以下は、彼のご利益。
- 国家鎮護
- 殖産興業
- 教育・縁結び
- 成功勝利
- 家運隆昌
歴史と伝説の間で:実在した天皇?

現代の歴史学では、応神天皇は5世紀頃の実在の人物である可能性が高いとされています。
- 大阪府の「誉田山古墳」は応神天皇の墓とされる
- 考古学的証拠からも、この時代に大陸からの文化流入があったことが裏付けられている
一方で、神功皇后の子として3年間もお腹にいたなどの伝説的要素も多いが、実在した可能性がとっても高い。
彼は、歴史と神話が交錯する魅力的な人物です。
まとめ:ホンダワケノミコトは”文化と武の守護神”
最後に、ホンダワケノミコトについてのポイントを整理しましょう!
- 別名は「誉田別命(ホンダワケノミコト)」
- 第15代応神天皇として実在の可能性が高い
- 神功皇后の子で、神の加護を受けて生まれた
- 文化・技術を大陸から取り入れた「文明開化」の先駆者
- 「八幡神」として全国に広まり、武神・国家守護神に
- ご利益は「勝運」「厄除け」「家内安全」「安産」など多彩
“戦の神”でありながら、”国を平和に導いた文化人”でもある―― ホンダワケノミコトは、強さと知恵を兼ねそなえた、まさに理想のリーダーだったのです。
今でも全国各地の八幡神社で祀られ、多くの日本人から親しまれている神様です。
皆さんも近くの八幡神社を訪れてみてはいかがでしょうか?
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