巨大な宝塔を一人で担いで運んでしまうほどの怪力。
困っている人を見れば必ず手を差し伸べる義侠心。
そして、梁山泊という反乱軍の礎を築きながらも、志半ばで命を落とした悲運の英雄。
中国四大奇書の一つ『水滸伝』に登場する晁蓋は、主人公の宋江よりも先に梁山泊の頭領となり、後の108人の豪傑が集う組織の基盤を作り上げた重要人物なんです。この記事では、影の主人公とも呼ばれる晁蓋の生涯と、彼にまつわる伝説について詳しくご紹介します。
概要
晁蓋(ちょうがい)は、中国の古典小説『水滸伝』に登場する豪傑の一人です。
梁山泊という反乱軍の2代目頭領として活躍しましたが、108人の英雄が揃う前に戦死してしまったため、「百八星」には含まれていません。しかし、初期の梁山泊を支え、組織の基礎を築いた功績から、死後は梁山泊の守護神として祀られることになりました。
元々は済州鄆城県(せいしゅううんじょうけん)郊外の東渓村という村の名主で、武術に優れ、義理人情に厚い人物として知られていました。年齢は登場時で30代後半から40代前半とされ、独身を貫いた生涯でした。
『水滸伝』という物語
『水滸伝』は、14世紀半ばに成立した中国の長編小説で、『三国志演義』と並ぶ古典文学の代表作です。北宋末期(12世紀初め)に実在した盗賊団の首領・宋江をモデルに、108人の英雄たちが梁山泊に集まり、悪官吏に立ち向かう物語なんですね。
渾名の由来
晁蓋の渾名(ニックネーム)は「托塔天王(たくとうてんのう)」、または「鉄天王(てつてんのう)」と呼ばれました。
この渾名には、晁蓋の豪傑ぶりを示す伝説的なエピソードがあります。
宝塔を担いだ伝説
ある時、晁蓋が住む東渓村の隣村である西渓村に、谷川の妖怪を鎮めるための巨大な宝塔が建てられました。
ところが、その宝塔のおかげで妖怪が鎮められた西渓村とは反対に、東渓村に妖怪が集まってくるようになってしまったんです。
これに激怒した晁蓋は、なんとたった一人でその巨大な宝塔を西渓村から強奪し、自分の村まで担いで持ち帰ってしまいました。
この驚異的な怪力と豪快な行動から、晁蓋は「托塔天王」(塔を担ぐ天王)という渾名で呼ばれるようになったのです。
「天王」とは?
「天王」というのは、仏教における守護神のこと。特に「托塔天王」は、塔を持つ毘沙門天(びしゃもんてん)を指す呼び名です。晁蓋の渾名は、まさに神のような力を持つ人物だという称賛の意味が込められているんですね。
人物像と性格
晁蓋は、義侠心に厚く、人に分け隔てなく接する人物でした。
困っている人や貧しい人がいれば必ず助け、天下の好漢(豪傑)たちと交わり、頼ってくる者がいれば屋敷に泊めて路銀まで出してやるほど。そのため、世間に広く名が知れ渡っていたんです。
性格の特徴
- 義理人情に厚い:困った人を見過ごせない優しさ
- 武術に優れる:朴刀(ぼくとう)という武器の達人
- 怪力の持ち主:がっちりとした体格
- 分別がある:冷静な判断力を持つ
- 厳格な一面:後に頭領となる宋江と比べると、やや怒りっぽい性格
宋江との違い
同じく義侠心の厚い宋江が柔和で穏やかな性格なのに対し、晁蓋は厳格で多少怒りっぽいところがありました。しかし、どちらも仲間想いで、義理を重んじる点では共通していたんです。
生辰綱強奪事件
晁蓋の人生を大きく変える事件が起こります。それが生辰綱(せいしんこう)強奪事件です。
事件の発端
ある日、劉唐(りゅうとう)という男が晁蓋の屋敷を訪ねてきました。
劉唐が持ってきた情報はこうでした。北京大名府の留守司・梁中書(りょうちゅうしょ)が、舅である宰相の蔡京(さいけい)に、誕生日祝いとして10万貫もの莫大な財宝(生辰綱)を贈ろうとしている。しかし、その財宝は民から搾り取った不義の財である、と。
晁蓋は、旧知の智謀家・呉用(ごよう)も交えて相談し、この不義の財を奪い取ることを決意します。
強奪計画
晁蓋たちは仲間を集めました。
強奪メンバー(北斗七星)
- 晁蓋
- 呉用(智謀家)
- 劉唐
- 公孫勝(道士)
- 阮小二、阮小五、阮小七(漁師の三兄弟)
- 白勝(協力者)
呉用の巧妙な計略により、一行は棗売りと酒売りに変装。護送隊に痺れ薬入りの酒を飲ませることで、見事に生辰綱を奪い取ることに成功しました。
ちなみに、この護送隊の責任者が楊志(ようし)という武将で、彼もこの失態により処罰を恐れて逃亡することになります。
事件の発覚
しかし、計画を盗み見ていた晁蓋の食客の一人が、報酬目当てで役人に密告してしまいます。
協力者の白勝が捕らえられ、拷問されて白状。晁蓋たちに逮捕状が出されてしまったのです。
梁山泊への逃亡
窮地に陥った晁蓋を救ったのは、鄆城県の役人だった宋江でした。
宋江は晁蓋と義兄弟の契りを結んでいたため、危険を冒して密かに知らせに来てくれたんです。宋江の助言に従い、晁蓋たちは梁山泊へ逃げることを決意します。
友情による逃亡劇
追っ手として派遣されたのは、都頭(警備隊長)の朱仝(しゅどう)と雷横(らいおう)でした。
しかし、二人とも晁蓋のことを尊敬していたため、わざと見逃すという形で逃亡を助けます。こうして晁蓋たちは、追っ手を振り切って無事に梁山泊へたどり着きました。
この一連の出来事は、『水滸伝』における義理人情の美しさを象徴するエピソードなんですね。
梁山泊の頭領へ
梁山泊に到着した晁蓋でしたが、そこで新たな問題が発生します。
当時の梁山泊の頭領・王倫(おうりん)が、晁蓋たちの受け入れを拒否したのです。
王倫の妨害
王倫は、自分よりも優れた晁蓋に頭領の座を奪われることを恐れていました。そのため、晁蓋たちを追い返そうとします。
この狭量な態度に激怒したのが、すでに梁山泊に身を寄せていた豪傑・林冲(りんちゅう)でした。
林冲は王倫を殺害し、晁蓋を新しい頭領として迎え入れたのです。
こうして晁蓋は、梁山泊の2代目頭領となりました。
頭領としての活躍
晁蓋は頭領として、梁山泊の取りまとめに尽力します。
特に有名なのが、江州で宋江が逮捕された際、自ら軍勢を率いて救出に向かったこと。この時、晁蓋は宋江に頭領の地位を譲ろうとしますが、宋江は丁重に断りました。
その後、梁山泊の防衛は晁蓋が、外征は宋江がという役割分担ができあがります。晁蓋本人は何かと出陣したがったのですが、周囲が止めていたそうです。
曾頭市での最期
晁蓋の運命を決定づける事件が起こります。
曾家の挑発
曾頭市(そうとうし)を治める曾家は、梁山泊を倒して名を上げようと企んでいました。
- 梁山泊を馬鹿にする歌を子供たちに歌わせる
- 頭領たちを収監する監車(かんしゃ)を作る
- 段景住が梁山泊に献上しようとした名馬を強奪する
これらの侮辱行為に、晁蓋は激怒します。
最後の出陣
周囲の反対を押し切り、晁蓋は自ら出陣することを決意しました。
しかし、この決断が悲劇を招きます。戦闘中、曾家の武術師範・史文恭(しぶんきょう)が放った毒矢が晁蓋の額に命中してしまったのです。
遺言
晁蓋はなんとか梁山泊に帰還しましたが、毒の回りを悟ります。
そして、息を引き取る前にこう遺言を残しました。
「史文恭を倒した者を次の頭領に」
この遺言により、後に史文恭を捕らえた盧俊義(ろしゅんぎ)が頭領候補となりますが、結局は宋江が3代目頭領に就任することになります。
死後の扱い
晁蓋の物語は、死後も続きます。
守護神として
108人の豪傑が集結した後、晁蓋は忠義堂の奥に祀られ、百八星よりもさらに上の存在、つまり梁山泊の守護神という位置づけになりました。
彼を「托塔天王」すなわち毘沙門天の転生とする見方もありますが、作中では明確には語られていません。
霊験
晁蓋の霊は、死後も梁山泊を守護します。
- 宋江の病気を夢枕で知らせる:宋江が重い病気にかかった際、夢に現れて江南の名医を探すよう助言
- 史文恭の逃走を妨害:梁山泊に敗れた史文恭が逃げようとした際、霊験を現して妨害
このように、死してなお仲間たちを見守り続ける存在として描かれているんです。
『水滸伝』における重要性
晁蓋は百八星には含まれませんが、『水滸伝』という物語において極めて重要な役割を果たしています。
影の主人公
晁蓋は、しばしば『水滸伝』の影の主人公と評されます。
- 梁山泊の基礎を築いた
- 宋江を含む多くの豪傑を梁山泊に導いた
- 「替天行道」(天に代わって道を行う)という梁山泊の理念を体現した
もし晁蓋が早死にしていなければ、物語の展開は大きく変わっていたかもしれません。
文化大革命と晁蓋
興味深いことに、1970年代の中国では、晁蓋が政治的に注目されました。
毛沢東が、「革命の指導者でありながら、神様に祭り上げられ、一線から弾き出された」晁蓋と、自分自身を重ね合わせたため、大々的な『水滸伝』批判キャンペーンが展開され、その中で晁蓋が持ち上げられたのです。
まとめ
晁蓋は、梁山泊という反乱軍の礎を築いた豪傑です。
重要なポイント
- 『水滸伝』に登場する梁山泊の2代目頭領
- 「托塔天王」「鉄天王」の異名を持つ怪力の持ち主
- 巨大な宝塔を一人で担いだ伝説が渾名の由来
- 生辰綱強奪事件で梁山泊へ逃亡
- 義侠心に厚く、宋江をはじめ多くの豪傑を導いた
- 曾頭市との戦いで史文恭の毒矢に当たり戦死
- 死後は梁山泊の守護神として祀られた
- 百八星には含まれないが、物語の影の主人公とも言える存在
宋江という表の主人公の陰で、梁山泊という組織の魂となった晁蓋。彼の義侠心と豪胆さは、『水滸伝』という物語全体を支える大きな柱となっているんですね。


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