愛する弟を失った悲しみのあまり、木に姿を変えてしまった姉妹がいます。
彼女たちの流した涙は、黄金色に輝く「琥珀」になったと伝えられています。
今回紹介するのは、ギリシャ神話に登場するヘーリアデス。
太陽神ヘーリオスの娘たちで、弟パエトーンの死を嘆き続けたニンフたちです。
この記事では、ヘーリアデスの伝承や、琥珀との深い関係についてわかりやすく解説していきます。
ヘーリアデスとは?
ヘーリアデス(古希: Ἡλιάδες)は、ギリシャ神話に登場する太陽神ヘーリオスの娘たちです。
弟のパエトーンが命を落としたあと、その死を嘆き悲しみ、最終的にポプラの木へと姿を変えてしまいました。
彼女たちが流した涙は太陽の光を受けて固まり、琥珀(こはく)になったと伝えられています。
「ヘリアデス」と表記されることもあります。
名前の意味
「ヘーリアデス」という名前は、ギリシャ語で「太陽の娘たち」を意味します。
- ἥλιος(ヘーリオス)=太陽
- -αδες(-アデス)=〜の娘たち(女性複数形の接尾辞)
父である太陽神ヘーリオスにちなんだ名前なんですね。
また、弟パエトーンにちなんで「パエトンティデス(Phaethontides)」と呼ばれることもあります。
こちらは「パエトーンの姉妹たち」という意味です。
ヘーリアデスの家系
ヘーリアデスの家族関係は以下のとおりです。
| 続柄 | 名前 | 説明 |
|---|---|---|
| 父 | ヘーリオス | 太陽神。毎日4頭立ての馬車で天空を駆ける |
| 母 | クリュメネー | オーケアノスの娘であるニンフ |
| 弟 | パエトーン | 太陽の馬車を御して命を落とした悲劇の少年 |
ヘーリオスは、ティターン神族のヒュペリーオーンとテイアーの息子です。
曙の女神エーオースや月の女神セレーネーは、ヘーリオスの姉妹にあたります。
つまりヘーリアデスにとって、エーオースとセレーネーは叔母ということになりますね。
ヘーリアデスは何人いたのか
実は、ヘーリアデスの人数は文献によってバラバラです。
これがギリシャ神話のややこしいところでもあり、面白いところでもあります。
| 出典 | 人数 | 名前 |
|---|---|---|
| ヒュギーヌス『神話集』 | 7人 | メロペー、ヘーリエー、アイグレー、ランペティエー、ポイベー、アイテリエー、ディオクシッペー |
| アイスキュロス『ヘーリアデス』(断片) | 3人 | パエトゥーサ、ランペティエー、アイグレー |
| オウィディウス『変身物語』 | 3人以上 | パエトゥーサ、ランペティエー、ポイベー(他にも言及あり) |
| ホメーロス『オデュッセイア』の注釈 | 3人 | パエトゥーサ、ランペティエー、アイグレー |
最も一般的なのは7人という説ですが、古い文献では3人とされることも多いです。
名前に注目すると、「ランペティエー」は「輝く者」、「アイグレー」は「光輝」という意味。
太陽神の娘らしく、光や輝きにまつわる名前がつけられていますね。
パエトーンの死と姉妹たちの悲劇
ヘーリアデスの神話で最も有名なのは、弟パエトーンの死後の物語です。
この悲劇は、ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』で詳しく描かれています。
弟パエトーンの無謀な挑戦
パエトーンは、自分が本当に太陽神ヘーリオスの息子であることを証明したいと願っていました。
友人たちから「お前の父親が太陽神なんて嘘だろう」とからかわれていたからです。
父ヘーリオスのもとを訪れたパエトーンは、「何でも願いを叶える」という約束を取り付けます。
そして彼が望んだのは、太陽の馬車を一日だけ自分で御することでした。
ヘーリオスは必死に止めました。
「あの馬車は私以外には御せない。ゼウスでさえ乗りこなせないのだ」と。
しかしパエトーンは聞く耳を持ちません。
ヘーリオスは約束を破ることができず、やむなく息子に馬車を託しました。
一説では、ヘーリアデスたちが父に内緒で馬車に馬をつないでしまったとも言われています。
天空での大惨事
案の定、パエトーンには荒馬たちを制御できませんでした。
馬車は軌道を外れ、天に近づきすぎれば星座を焦がし、地に近づきすぎれば大地を焼き払います。
アフリカの砂漠ができたのも、この時の火災が原因だという伝承もあります。
ついに大地の女神ガイアがゼウスに救いを求めました。
ゼウスは世界を救うため、雷霆(らいてい)でパエトーンを撃ち落とすしかありませんでした。
パエトーンの亡骸は、エーリダノス川(現在のポー川と同一視されることが多い)に落ちたと伝えられています。
ポプラの木への変身
母クリュメネーは世界中をさまよい、ようやくエーリダノス川のほとりにある息子の墓を見つけました。
ヘーリアデスたちもまた、弟の墓のそばに集まり、昼も夜も泣き続けました。
その嘆きは4ヶ月もの間途切れることがなかったといいます。
ある日、長女のパエトゥーサが地面に伏せようとすると、足がこわばって動かなくなっていました。
色白のランペティエーが姉を助けようと駆け寄りますが、彼女もまた根が張ったように動けません。
別の姉妹は髪をかきむしろうとして、その手が木の葉をつかんでいることに気づきます。
足は幹に、腕は枝に、肌は樹皮に覆われていきました。
母クリュメネーは娘たちを救おうと、枝を折り、樹皮を剥がそうとしました。
しかしその傷口からは血が流れ、娘たちは「お母さん、やめて」と叫びます。
やがて樹皮が口元まで覆い、彼女たちの最後の言葉は「さようなら」でした。
こうしてヘーリアデスはポプラの木に姿を変え、エーリダノス川のほとりに永遠に立ち続けることになったのです。
変身の理由
ヘーリアデスがポプラに変身した理由についても、文献によって異なります。
- オウィディウス説:あまりにも深い悲しみから、神々が哀れんで変身させた
- ヒュギーヌス説:父に無断で馬車に馬をつけた罰として変身させられた
- 『オデュッセイア』注釈:ゼウスが姉妹たちを哀れみ、記憶を保ったまま木に変えた
罰なのか、慈悲なのか。
解釈は分かれますが、いずれにしても深い悲しみが彼女たちの運命を変えたことは確かです。
琥珀の起源神話
ヘーリアデスの神話で特に興味深いのは、琥珀(こはく)の起源を説明している点です。
ポプラの木に変身した姉妹たちは、それでも泣き続けました。
その涙は太陽の光を受けて固まり、黄金色に輝く琥珀になったと伝えられています。
琥珀はエーリダノス川に落ち、水に流されて遠くの海岸に打ち上げられました。
古代ローマでは、この琥珀が花嫁の装飾品として珍重されたといいます。
琥珀と「電気」の意外な関係
実は、現代の私たちが使う「電気」という言葉は、琥珀と深い関係があります。
古代ギリシャ語で琥珀は「エーレクトロン(ἤλεκτρον)」と呼ばれていました。
紀元前600年頃、哲学者タレスが「琥珀を布でこすると、羽毛を引き寄せる」という現象を発見します。
これが後に静電気として知られる現象でした。
17世紀になって、イギリスの科学者ウィリアム・ギルバートがこの現象を研究し、琥珀のギリシャ語から「エレクトリック(electric)」という造語を作りました。
つまり、電気(electricity)や電子(electron)という言葉は、ヘーリアデスの涙である琥珀が語源なんです。
太陽神の娘たちが流した涙が、現代の科学用語につながっているなんて、ロマンチックな話ですよね。
芸術作品に描かれたヘーリアデス
ヘーリアデスの悲劇は、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきました。
絵画
| 作品名 | 作者 | 年代 | 所蔵 |
|---|---|---|---|
| パエトーンの墜落 | ルーベンス | 1604-1608年頃 | ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.) |
| パエトーンの墜落 | ギュスターヴ・モロー | 1878年 | ルーヴル美術館 |
| パエトーンの姉妹たちがポプラに変身する | サンティ・ディ・ティート | 1570年頃 | ヴェッキオ宮殿(フィレンツェ) |
| パエトーンの墜落 | ミケランジェロ | 1533年 | 大英博物館 |
ルーベンスの作品は、馬車から投げ出されるパエトーンの劇的な瞬間を捉えた傑作として知られています。
ミケランジェロは素描で、変身途中の姉妹たちの姿を描いています。
文学
古代から現代まで、多くの詩人や作家がヘーリアデスの物語を取り上げてきました。
- アイスキュロス『ヘーリアデス』(紀元前5世紀の悲劇、現在は断片のみ)
- オウィディウス『変身物語』(紀元後8年頃)
- アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』
特にオウィディウスの描写は詳細で、姉妹たちが徐々に木に変わっていく様子が生々しく描かれています。
星座
ヘーリアデスと関連する星座もあります。
- エリダヌス座:パエトーンが落ちた川を象徴
- ぎょしゃ座(アウリガ):一説ではパエトーンを象徴
夜空を見上げるとき、エリダヌス座を探してみてください。
ヘーリアデスの物語を思い出しながら眺めると、また違った感慨があるかもしれません。
まとめ
- ヘーリアデスは太陽神ヘーリオスの娘たちで、「太陽の娘たち」という意味
- 弟パエトーンの死を4ヶ月間嘆き続け、ポプラの木に変身した
- 彼女たちの涙は琥珀になったと伝えられる
- 琥珀のギリシャ語「エーレクトロン」は、電気(electricity)や電子(electron)の語源
- 人数は文献により3人から7人まで諸説ある
- ルーベンスやミケランジェロなど、多くの芸術家に描かれてきた
ヘーリアデスの物語は、単なる悲劇ではありません。
弟を想う姉妹の深い愛情、そしてその悲しみが美しい琥珀という形で永遠に残るという、ある意味で救いのある神話でもあります。
次に琥珀のアクセサリーを見かけたら、太陽神の娘たちの涙なんだと思い出してみてください。
きっと、その黄金色の輝きがまた違って見えるはずです。


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