【項羽と共に散った悲劇のヒロイン】虞美人(ぐびじん)とは?その生涯・伝説・最期をやさしく解説!

神話・歴史・伝承

愛する人のために命を捨てる──そんな究極の愛の物語が、今から2200年以上も前の中国で実際にあったことをご存じでしょうか?

紀元前202年、垓下の戦いで追い詰められた西楚の覇王・項羽。その最期を見届けたのは、長年連れ添った愛人・虞美人でした。

四面楚歌の中で交わされた悲痛な別れの歌は、時代を超えて人々の心を打ち続けています。

この記事では、中国史上最も有名な悲恋のヒロイン「虞美人」について、その生涯と伝説を詳しくご紹介します。

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概要

虞美人(ぐびじん)は、紀元前3世紀の中国に実在した女性です。

秦の滅亡後、天下を二分した楚漢戦争において、西楚の覇王・項羽の愛人として知られています

中国語では「虞姫(ユージー)」とも呼ばれ、小説やドラマでは項羽の妻として描かれることが多いんですね。

名前の謎

実は、虞美人の正確な名前ははっきりしていません。

『史記』には「美人名虞(美人、名は虞)」、『漢書』には「美人姓虞氏(美人、姓は虞氏)」と記されており、「虞」が名なのか姓なのかも定かではないのです。

また「美人」という言葉も、当時の後宮における役職名だったという説と、単純にその美しい容姿を表現したものという説があります。

歴史への登場

虞美人が歴史書に初めて登場するのは、項羽の最期となった垓下の戦いのときです。

それまでの項羽との馴れ初めや生い立ちについては、『史記』にも『漢書』にも一切記録がありません。ただ、「常幸從(常に寵愛され、従っていた)」と記されており、項羽が片時も離さないほど愛していたことが分かります。

2. 偉業・功績

虞美人の功績は、戦場での武功ではなく、項羽を精神的に支え続けたことにあります。

項羽を支えた存在

戦乱の時代、虞美人は項羽と共に戦場を転々としました。

明代の小説『西漢通俗演義』では、虞美人は単なる美女ではなく、聡明で貞淑な女性として描かれています。幼い頃から書を読んで大義に通じ、時には項羽を諫め、項羽が諫めを聞かなかったときも許し、励ます──武人の妻としての道義をわきまえた存在だったんですね。

最期の気高さ

虞美人の最大の功績は、その死に様の気高さにあると言えるでしょう。

多くの文学作品では、絶体絶命の項羽を残して生き延びることを拒み、自らの意思で貞操を貫いた烈婦として描かれています。その姿は後世の人々に深い感動を与え、忠義と愛の象徴となりました。

3. 系譜

虞美人の出自については、明確な記録がほとんど残っていません。

『西漢通俗演義』によれば、会稽塗山の近隣にある村の父老である虞一公の娘とされています。

馴れ初めの伝説

同じく『西漢通俗演義』での記述をご紹介しましょう。

項羽の武勇を知った虞一公が、項羽を家に招いて娘を引き合わせました。虞一公は娘についてこう語ったそうです。

「聡明で貞淑であり、幼い時から書を読んで大義に通じている。母が彼女を生むとき、部屋で五羽の鳳凰が鳴く夢を見たため、後に貴人となることが分かり、誰にも嫁がせなかった」

項羽は虞美人の美しい容姿を見て心を動かされ、婚姻を約束して宝剣を渡していったん別れました。その後、吉日を選んで婚姻を結んだとされています。

ただし、これは小説の記述であり、史実かどうかは定かではありません。

4. 姿・見た目

虞美人の具体的な容姿については、『史記』や『漢書』には詳しい記述がありません。

しかし、その名前自体が「美人」であることから、並外れた美貌の持ち主だったことは間違いないでしょう。

後世の描写

清代の『百美新詠図伝』では、中国歴朝で最も名高い美人百人の一人に選ばれています。

京劇『覇王別姫』での虞美人は、美しい衣装をまとい、剣舞を披露する優雅な女性として描かれます。その姿は、武人の妻としての凛々しさと、女性らしい優美さを兼ね備えた存在として表現されているんですね。

虞美人草との関係

虞美人が自殺した場所から美しい花が咲いたという伝説があり、その花は「虞美人草」と呼ばれるようになりました。

この花はヒナゲシのことで、虞美人の美しさと悲しい運命を象徴するものとして、今も語り継がれています。

5. 特徴

虞美人の最大の特徴は、項羽への揺るぎない愛と忠誠です。

常に項羽と共にいた

史書には「常幸從」と記されており、虞美人は戦場であっても項羽のそばを離れませんでした

当時の戦乱の世で、女性が戦場に同行することは珍しいことでした。それでも虞美人は項羽と共に各地を転戦し、苦楽を共にしたのです。

返歌に込められた覚悟

垓下の戦いで項羽が「垓下の歌」を歌ったとき、虞美人も返歌を詠みました。

漢兵已略地,(漢の兵はすでに地を占領し、)
四方楚歌聲。(四方から楚の歌声が聞こえる。)
大王意氣盡,(大王の意気は尽き、)
賤妾何聊生。(この身がどうして生きていられようか。)

この歌からは、項羽の運命を共にする覚悟がはっきりと読み取れます。「大王の意気が尽きたのに、私だけが生きていることなどできない」という強い思いが込められているんですね。

6. 伝承

虞美人の最期については、実は複数の異なる伝承が存在します。

史書には記載なし

意外なことに、『史記』も『漢書』も、虞美人のその後については一切記していません

垓下の戦いで項羽が「垓下の歌」を歌い、虞美人が返歌したことまでは記録されていますが、その後どうなったのかは謎のままなのです。

自殺説

最も広く信じられているのが、虞美人が自殺したという説です。

北宋時代に編纂された『古文真宝』所収の『虞美人草』という作品では、虞美人は自殺したとされています。

明代の歌劇『千金記』では、さらに詳しく描かれています。項羽は虞美人に、劉邦に仕えて生き延びるよう勧めますが、虞美人は自殺を願い出ます。項羽は虞美人の決意を理解し、青峰という宝剣を渡しました。虞美人はその剣で命を絶ち、項羽は深く悲しんだというんですね。

『西漢通俗演義』では、男装して項羽に同行しようとした虞美人が、項羽から宝剣を借り受け、「項羽から受けた恩を返していない」と言って自刎(じふん:自分で首を切ること)したとされています。

京劇『覇王別姫』の描写

現代最も有名な虞美人像は、京劇『覇王別姫』で描かれるものでしょう。

ここでは、虞美人は項羽を酒で慰めて励まし、項羽を落ち延びさせるために、足手まといにならないよう自刎します。興味深いことに、この作品では虞美人の死の場面が項羽の最期よりも印象的で、観客は虞美人に魅了されてしまったそうです。

生存説

一方で、虞美人が生き延びたという説もあります。

五代十国時代の詩人たちの作品では、項羽の死後も虞美人は生きていて、愛する項羽をいつまでも思い続けている姿が描かれているんですね。

殺害説

北宋に編纂された『太平寰宇記』には、敗走する項羽が虞美人を殺して鍾離県に埋葬したという記録が残っています。

これは他の伝承とは大きく異なり、虞美人の意思ではなく項羽が殺したとする説です。

7. 出典・起源

虞美人に関する記録は、複数の古典文献に残されています。

主要な史料

『史記』(紀元前91年頃)
司馬遷が著した中国の正史。「項羽本紀」に虞美人が登場します。垓下の戦いでの項羽と虞美人のやりとりが記されていますが、虞美人のその後については記載がありません。

『漢書』(1世紀)
班固が著した前漢の正史。『史記』とほぼ同じ内容ですが、細部に若干の違いがあります。

『楚漢春秋』
前漢時代に陸賈が著したとされる歴史書。現在は散逸していますが、『史記』が引用した虞美人の返歌がこの書から採られたとされています。

後世の文学作品

虞美人は、時代を超えて多くの文学作品の題材となりました。

詩歌

  • 唐代:馮待征『虞姫怨』
  • 北宋:蘇轍『濠州七絶・虞姫墓』、張舜民『虞姫答覇王』、曾鞏『虞美人草』
  • 清代:何浦『虞美人草』、袁枚『過虞溝遊虞姫廟』

演劇

  • 明代:『千金記』(歌劇)
  • 清代:『覇王別姫』(京劇)

墓所伝承

虞美人の墓所については、複数の場所に伝承が残っています。

主な候補地

  • 安徽省滁州市定遠県東60里(『史記』注「括地志」)
  • 安徽省宿州市泗県北境(『宋会要輯稿』)
  • 安徽省滁州市定遠県永康鎮付近(「九域志」)

いずれも垓下の戦いがあった場所の周辺で、現在も定遠県には虞美人の墓と伝えられる遺跡があり、建物が建てられています。

歴史学者の佐竹靖彦氏は、「項羽亡きあとも項羽を慕いつづけた人びとの里、項羽神話をつくり出した人びとの住む地域」に虞美人の墓が残されていることは、決して根拠のないことではないと指摘しています。

8. まとめ

虞美人は、中国史上最も有名な悲恋のヒロインとして、2000年以上語り継がれてきました。

重要なポイント

  • 項羽の愛人として知られる紀元前3世紀の女性
  • 正確な名前や出自は不明
  • 垓下の戦いで項羽と共に最期を迎えた
  • 「垓下の歌」への返歌で、項羽への愛と覚悟を示した
  • 最期については自殺説が最も広く信じられている
  • 京劇『覇王別姫』で有名
  • ヒナゲシの異名「虞美人草」の由来となった
  • 忠義と愛の象徴として後世に影響を与えた

史実として確認できる情報は少ないものの、虞美人の物語は時代を超えて人々の心を打ち続けています。それは、愛する人のために命を捨てる究極の愛という普遍的なテーマが、私たちの心に深く響くからなのかもしれませんね。

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