小学4年生の国語の教科書に60年以上掲載され続けている「ごんぎつね」。
一人ぼっちの小狐と、母を亡くした青年のすれ違いを描いた、日本人の心に深く刻まれた物語です。
この記事では、作品の成立背景から作者・新美南吉の生涯、物語のテーマまで、「ごんぎつね」の全てを詳しく解説します。
概要
「ごんぎつね」は、新美南吉が1930年(昭和5年)、わずか17歳の時に執筆した児童文学作品です。
1932年(昭和7年)に雑誌『赤い鳥』で発表され、1956年(昭和31年)から小学校の国語教科書に採用されて以来、「国民的童話」として親しまれています。
孤独な小狐ごんが、自分のいたずらを償おうと努力するものの、最後は誤解から撃たれてしまうという切ない結末が、多くの人の心に残る名作です。
作品の基本情報
作品名: ごんぎつね(原題は「権狐」)
作者: 新美南吉(にいみ なんきち、本名:新美正八)
初出: 雑誌『赤い鳥』1932年(昭和7年)1月号
執筆年: 1930年(昭和5年)、南吉17歳の時
ジャンル: 児童文学、童話
単行本初収録: 1943年(昭和18年)9月『花のき村と盗人たち』(帝国教育会出版部)
作者・新美南吉について
新美南吉は、1913年(大正2年)7月30日、愛知県知多郡半田町(現在の半田市)に生まれました。
本名は新美正八(にいみ しょうはち)といいます。
わずか29歳で結核によりこの世を去りましたが、短い生涯の中で多くの心温まる童話を残しました。
南吉は4歳で母を亡くし、8歳の時に母方の新美家の養子に出されるなど、複雑で孤独な幼少期を過ごしました。
この経験が、「ごんぎつね」の孤独な小狐の姿に反映されているとされています。
半田中学校卒業後、岡崎師範学校を受験しましたが、体格検査で不合格となります。
その後、母校の半田第二尋常小学校で代用教員を務めながら、「ごんぎつね」の原型となる「権狐」を執筆しました。
この時期に、幼少期に聞いた口承伝承を物語としてまとめたのです。
1932年(昭和7年)、東京外国語学校英語部文科に入学。
北原白秋や鈴木三重吉の知遇を得て、文学への情熱を深めていきます。
しかし、20歳の時に初めて喀血し、以後結核に苦しみながらも創作活動を続けました。
1938年(昭和13年)、24歳の時に愛知県立安城高等女学校に教師として赴任。
安城時代は、経済的にも精神的にも安定し、教え子や同僚との交流の中で多くの作品を書き残しました。
1942年(昭和17年)には初の童話集『おぢいさんのランプ』を刊行します。
1943年(昭和18年)3月22日、咽頭結核により29歳7ヵ月の若さで死去。
初の童話集を出した翌年のことでした。
南吉の命日は、彼が1934年に書いた詩『貝殻』にちなみ「貝殻忌」と命名され、新美南吉記念館では毎年講演会や朗読劇などのイベントが開催されています。
代表作: 「ごんぎつね」「手袋を買いに」「でんでんむしのかなしみ」「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」「花のき村と盗人たち」など
作品の成立過程
「ごんぎつね」には、大きく分けて3つのバージョンが存在します。
1. 口承伝承としての『権狐』
南吉が幼少期に聞いた、元猟師の茂助(もすけ)という老人からの口伝です。
若衆倉の前で幼い南吉に語られたこの話が、物語の原型となりました。
岩滑地区には、六蔵狐(ろくぞうぎつね)という村人から親しまれていた狐がいて、弁当を分けてやった村人が忘れ物をすると届けてくれたという伝承も残っています。
2. 南吉が書いた草稿の『権狐』
1930年(昭和5年)、17歳の南吉が半田第二尋常小学校の代用教員として勤務していた時に執筆されました。
南吉のノートに残された草稿には、彼の出身地である半田市岩滑地区を流れる矢勝川の現地名「背戸川」が登場しています。
また、冒頭部分では茂助について詳しく語られており、口伝の伝承者を明示していました。
3. 鈴木三重吉が編集した『ごん狐』
1932年(昭和7年)、南吉が雑誌『赤い鳥』に投稿した『権狐』を、主宰者の鈴木三重吉が子供向けに加筆修正を加えたものです。
茂助に関する表現が削除・変更され、作品中の方言が標準語に置き換えられました。
現在、学校の国語教科書や絵本で一般に親しまれているのは、この鈴木三重吉版の『ごん狐』です。
南吉は子どもたちにこの物語を語って聞かせており、その反応を見ながら物語を練り上げていったと考えられています。
あらすじ
物語は、「私が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話」という体裁で始まります。
時代は「徳川様が世をお治めになっていられた頃」とされています。
ごんのいたずら
中山という場所の近くの山に、「ごんぎつね」という一人ぼっちの小狐が住んでいました。
ごんは、しだの茂った森の穴で一人暮らしをしており、昼も夜も村に出てきてはいたずらばかりしていました。
ある秋の日、大雨の後に川へ出かけたごんは、兵十(ひょうじゅう)という男が魚を捕っているのを見つけます。
兵十が捕まえたうなぎや魚を、ごんはいたずら心からすべて川に逃がしてしまいました。
兵十の母の死
十日ほど後、ごんは村で葬列を見かけます。
それは兵十の母の葬列でした。
ごんは、兵十が病気の母のためにうなぎを捕っていたこと、そして母がうなぎを食べられないまま亡くなったことを知ります。
自分のいたずらのせいで兵十の母にうなぎを食べさせられなかったと、ごんは深く後悔しました。
兵十は貧しい暮らしをしており、母と二人きりで生きていました。
母を亡くした兵十を見て、ごんは思います。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
償いの始まり
母を失った兵十に同情したごんは、うなぎを逃がした償いをしようと決心します。
最初に、いわし売りから盗んだいわしを兵十の家に投げ込みました。
しかし翌日、いわし屋に泥棒と間違われた兵十が殴られているのを見て、ごんは「しまった」と反省します。
それからごんは、自分の力で償いを始めます。
毎日、山で拾った栗や松茸を兵十の家にこっそり届けるようになりました。
神様のおかげ
兵十は毎日届けられる栗や松茸の意味が分からず、知り合いの加助に相談します。
加助は「神様が兵十を気の毒がって恵んでくださっているのだ」と考え、兵十に神様へお礼を言うよう助言しました。
ごんは加助との会話を聞いて「つまらないな」とぼやきますが、それでも届け物を続けます。
悲劇の結末
その翌日、ごんが栗を届けに家に入った気配に気づいた兵十は、「またいたずらをしに来たな」と思い込みます。
戸口を出ようとするごんを、兵十は火縄銃で撃ってしまいました。
ごんはばたりと倒れます。
兵十が駆け寄ると、土間に栗が固めて置いてあるのが目に留まりました。
「おや」と、兵十はびっくりしてごんに目を落とします。
「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと取り落としました。
青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
こうして物語は終わります。
登場人物
ごん
物語の主人公である一人ぼっちの小狐です。
しだの茂った森に穴を掘って一人で住んでいます。
いたずら好きで、畑の芋を掘り散らしたり、干してある菜種がらに火をつけたりと、村人を困らせていました。
しかし、兵十の母が死んだことを知ってから、償いをしようと毎日栗や松茸を届ける優しさも持っています。
孤独で、人間とつながりたいという気持ちが感じられる存在です。
南吉自身が4歳で母を亡くし、孤独な幼少期を過ごした経験が、ごんの姿に投影されているとされています。
兵十(ひょうじゅう)
病気の母と二人暮らしをしている貧しい青年です。
母のためにうなぎを捕ろうとしますが、ごんのいたずらで逃がされてしまいます。
母の死後は一人ぼっちとなり、ごんと同じ境遇になります。
真面目で働き者ですが、ごんの善意に気づくことができず、最後に悲劇を引き起こしてしまいます。
モデルとなったのは、岩滑新田の江端兵重(えばたひょうじゅう)という人物とされています。
彼ははりきり網で魚を捕ったり、鉄砲で鳥を撃つことが好きだったそうです。
加助(かすけ)
兵十の知り合いの百姓です。
兵十から栗や松茸の相談を受け、「神様のおかげ」だと助言します。
この助言により、兵十はごんの善意に気づけなくなってしまいました。
物語の舞台
物語の舞台は、作者・新美南吉の出身地である愛知県半田市の岩滑(やなべ)地区です。
矢勝川
物語の中で兵十がうなぎを捕っていた川のモデルです。
南吉の草稿には現地名「背戸川」として登場します。
秋になると、川の堤には300万本もの真っ赤な彼岸花が咲き、物語の世界を再現しています。
この彼岸花は、半田市岩滑出身の小栗大造さんという一人の人の想いで始まり、地元のボランティアの手によって大切に守られています。
権現山(ごんげんやま)
ごんが住んでいた山のモデルとされています。
岩滑地区の北に位置し、「ごん」という名前も権現山から取られたのではないかと考えられています。
南吉のノートに残された草稿が「権狐」という漢字を使っていること、南吉が小学生の頃まで権現山の辺りに実際に狐が住んでいたことなどが根拠です。
また、「権太(ごんた)」という言葉には「手に負えないいたずらっ子」「腕白小僧」という意味があり、いたずら好きな狐という意味も込められているかもしれません。
新美南吉記念館
1994年(平成6年)6月、半田市に開館しました。
記念館の隣には「ごんの森」と呼ばれる小さな森があり、南吉の作品に登場する花や樹、虫たちに出会えます。
記念館では、南吉の生涯や作品を紹介する展示のほか、彼の命日「貝殻忌」(3月22日)を中心に様々なイベントが開催されています。
作品のテーマと魅力
孤独と疎外からの脱出
南吉が「ごんぎつね」を通して描きたかったテーマは、「孤独と疎外からの脱出」だとされています。
一人ぼっちのごんと、母を亡くして一人ぼっちになった兵十。
同じ境遇の二人が、本来なら通じ合えるはずなのに、最後まですれ違ってしまう悲劇が描かれています。
すれ違いの悲しさ
ごんは毎日栗や松茸を届けて償いをしようとしますが、兵十は「神様のおかげ」だと思い込んでしまいます。
ごんの気持ちが兵十に伝わらないまま、最後に悲劇が訪れます。
通じ合いたいのに通じ合えない、分かり合いたいのに分かり合えない、人間の根源的な孤独が描かれています。
母と子の絆への憧れ
兵十が病気の母のためにうなぎを捕る場面は、南吉自身が失った「母と子の絆」への憧れを表しているとされています。
4歳で母を亡くした南吉にとって、母親との思い出は限られたものでした。
物語の中で兵十の母が死に、二人が同じ「一人ぼっち」になる展開は、南吉の個人的な喪失体験と深く結びついています。
日本の秋の美しさ
物語には、日本の山里の秋が美しく描かれています。
もずの声、すすきの穂に光る雨のしずく、萩の葉、いちじくの木、彼岸花、月夜の松虫の鳴き声。
そしてごんが届ける栗と松茸。
これらの季節感あふれる描写が、切ない物語の舞台として読者の心に残ります。
素朴で詩情豊かな文体
南吉の文章は、素朴でありながら詩情に満ちています。
「民芸品的な美しさと親しみ深さ」と評されるその文体は、多くの読者に愛されてきました。
口承文学の体裁をとり、「私が小さいときに聞いたお話」として語られることで、物語に温かみと懐かしさが生まれています。
教科書採用の歴史
「ごんぎつね」が国語の教科書に初めて採用されたのは、1956年(昭和31年)の大日本図書『国語4年(上巻)』です。
その後、採用する教科書会社が徐々に増えていきました。
- 1961年(昭和36年): 中教出版(小学校3年)
- 1968年(昭和43年): 日本書籍、東京書籍
- 1971年(昭和46年): 光村図書
- 1977年(昭和52年): 教育出版
- 1980年(昭和55年): 学校図書
そして1980年(昭和55年)以降、全ての小学校国語教科書に採用されるようになりました。
以来45年以上にわたって全社採用が続いており、2020年代現在も小学4年生の教材として定着しています。
親子二代、三代にわたって読まれており、まさに「国民的童話」「国民教材」と呼ぶにふさわしい作品です。
比較的短く登場人物も少ないことから、学芸会などでの上演演目にもよく用いられています。
教科書に採用されるにあたり、表記に一部修正が加えられています。
特に初期の教科書ではテキストが改作されていましたが、現在は原作により忠実な形で掲載されています。
文化的影響と展開
特別住民票の交付
2011年(平成23年)10月、新美南吉の故郷である愛知県半田市から、「ごん」に特別住民票が交付されました。
生年月日は、執筆が完成した1931年10月6日とされています。
矢勝川の彼岸花
ごんぎつねの舞台となった矢勝川の堤には、現在300万本もの彼岸花が植えられています。
毎年9月下旬から10月上旬にかけて、真っ赤な彼岸花が一斉に咲き誇り、物語の世界を再現しています。
この景観は、地元のボランティアの方々によって大切に守られています。
ミュージカル化
1993年(平成5年)、南吉生誕80年を記念して、中日劇場で創作ミュージカル「ごんぎつね」が上演されました。
絵本化・映像化
「ごんぎつね」は多くの絵本として出版されています。
黒井健、いもとようこ、ささめやゆきなど、様々な絵本作家が独自の解釈で絵を描いています。
紙芝居や演劇台本も数多く作られ、ラストシーンで兵十がごんを抱き起こして泣く、といった脚色も行われています。
新美南吉文学賞
南吉の功績を讃え、半田市では「新美南吉文学賞」が設けられています。
なぜ「ごんぎつね」は愛され続けるのか
「ごんぎつね」が60年以上も教科書に掲載され、多くの人に愛され続けている理由はいくつか考えられます。
普遍的なテーマ
孤独、すれ違い、償い、分かり合えないもどかしさ。
これらは時代を超えて人間が抱える普遍的な問題です。
子どもから大人まで、それぞれの年齢や経験に応じて異なる読み方ができる深さがあります。
日本人の感性に合った世界観
しみじみとした切なさ、余韻のある結末、季節感あふれる描写。
これらは日本人の美意識や感性に深く響きます。
派手な展開や明快なハッピーエンドではなく、静かで深い感動を与える物語です。
子どもの心理への深い理解
南吉は子どもの内面を的確に描く才能がありました。
教師としての経験も活かし、子どもの目線で世界を見る描写が随所に見られます。
読者は物語の中で、かつての自分の感覚を思い出すことができます。
短さと読みやすさ
比較的短く、登場人物も少ないため、小学4年生でも理解しやすい長さです。
それでいて深いテーマを含んでおり、教材として優れています。
新美南吉の他の代表作
「ごんぎつね」以外にも、新美南吉は多くの名作を残しています。
手袋を買いに
子狐が母狐に頼まれて人間の町へ手袋を買いに行く話。
人間への恐怖と優しさが描かれた、温かい物語です。
教科書にも採用されています。
でんでんむしのかなしみ
でんでんむしが背中の殻に悲しみが詰まっていると知り、他のでんでんむしに相談する話。
「みんな、かなしみをもっているのです」という結末は、美智子上皇后の胸に深く刻まれたことでも知られています。
おじいさんのランプ
ランプ売りのおじいさんが電気の時代に直面し、変化を受け入れていく物語。
南吉の初の童話集のタイトルにもなりました。
牛をつないだ椿の木
短編童話集として戦後に出版されました。
花のき村と盗人たち
南吉の第3童話集。
「ごんぎつね」が初めて単行本に収録された作品集です。
これらの作品も、それぞれに南吉らしい優しさと哀愁が込められています。
まとめ
「ごんぎつね」は、新美南吉が17歳という若さで執筆し、60年以上も教科書に掲載され続けている不朽の名作です。
一人ぼっちの小狐ごんと、母を亡くした兵十のすれ違いの悲劇を通して、孤独、償い、通じ合うことの難しさといった普遍的なテーマが描かれています。
- わずか17歳で執筆された傑作
- 幼少期に聞いた口承伝承をもとに創作
- 1956年から60年以上教科書に掲載
- 親子三代で読み継がれる「国民的童話」
- 愛知県半田市が舞台
- 秋の美しい情景描写
- すれ違いの切ない結末
物語は悲しい結末で終わりますが、読者の心には深い余韻が残ります。
ごんと兵十が最後の瞬間に通じ合えたことは、小さな救いであり、希望でもあります。
南吉は29歳という若さでこの世を去りましたが、「ごん�giつね」をはじめとする数々の作品は、今も多くの人に読み継がれています。
病床で南吉が残した「私は池に向かって小石を投げた。水の波紋が大きく広がったのを見てから死にたかったのに」という言葉は、彼の作品が時代を超えて広がり続けていることを考えると、実現されたと言えるでしょう。
「ごんぎつね」は、これからも日本人の心に寄り添い、読み継がれていく物語です。
参考情報
関連記事
(※以下は想定される関連記事です。実際のリンクはサイト管理者が設定してください)
- 新美南吉「手袋を買いに」完全ガイド(内部リンク)
- 日本の名作童話一覧(内部リンク)
- 愛知県半田市観光ガイド(内部リンク)
この記事で参照した情報源
一次資料
- 新美南吉『ごん狐』青空文庫で公開されている原作テキスト
- 『校定 新美南吉全集』(全12巻、大日本図書、1980年) – 最も信頼できる全集
信頼できる二次資料・公式情報
- 新美南吉記念館公式サイト – 南吉の生涯、作品、年譜
- 半田市観光協会公式サイト – 物語の舞台、矢勝川の彼岸花
- 安城市図書情報館 – 安城時代の南吉
学術資料
- 井上修治・近藤章「新美南吉『ごんぎつね』の研究」豊岡短期大学論集第13号別冊、2016年
- 国立国会図書館 国際児童文学館 – 南吉関連資料
- 鶴田清司『なぜ日本人は「ごんぎつね」に惹かれるのか』明治図書、2005年
参考になる外部サイト
- Wikipedia「ごん狐」 – 基本情報、教科書採用の歴史
- Wikipedia「新美南吉」 – 作者の詳細な生涯
- EDUPEDIA – 教育現場での活用事例

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