アニメやゲーム、中国のドラマなどで「后羿」「嫦娥」という名前を聞いたことはありませんか?
后羿(こうげい)は、中国神話に登場する最大の英雄の一人です。
弓の達人として知られ、10個の太陽のうち9つを射落として世界を救った伝説を持っています。
「名前は聞いたことあるけど、どんな英雄なの?」「嫦娥との関係って?」という方も多いのではないでしょうか。
実は羿の物語は、単なる英雄譚ではありません。
世界を救った偉業を成し遂げながらも、妻に裏切られ、弟子に殺されるという悲劇的な結末を迎える、非常に奥深い神話なんです。
この記事では、中国神話に登場する弓の英雄・羿について、その生い立ちから壮絶な最期まで詳しく解説していきます。
羿(ゲイ)とは?基本情報

名前と読み方
羿には複数の呼び名があります。
| 名称 | 読み方 | 備考 |
|---|---|---|
| 羿 | ゲイ(中国語:イー) | 最も基本的な名前 |
| 后羿 | コウゲイ(中国語:ホウイー) | 「后」は君主の意味 |
| 大羿 | ダイゲイ | 神話上の英雄を指す呼び名 |
| 夷羿 | イゲイ | 夏王朝時代の人物を指す |
「羿」という漢字は、この英雄だけに使われる特別な文字です。
弓の名手を意味する称号のようなものと考えられています。
どんな存在だったのか
羿は中国神話において、以下のような役割を持つ存在でした。
- 天帝に仕える弓の名手
- 災厄から民を救う英雄神
- 月の女神・嫦娥の夫
- 五帝の一人・帝堯に仕えた射師
ギリシャ神話のヘラクレスや、北欧神話のシグルズと比較されることもあります。
怪物退治や偉大な功績を残しながらも、悲劇的な最期を迎えるという点で共通しているんです。
羿の生い立ち──捨てられた子供から英雄へ
不幸な幼少期
羿の生い立ちは決して幸福なものではありませんでした。
伝承によれば、羿は生まれつき左腕が右腕より長く、生来の射術の才能を持っていたとされています。
しかし5歳の時、両親は薬草採りで山に入った際、羿を森の中に置き去りにしてしまいます。
蝉が一斉に鳴いたため、両親は羿を見つけることができませんでした。
こうして羿は山中で一人、森羅万象に養われながら成長することになったのです。
弓の修行
山中を彷徨っていた羿は、楚弧父(そこほ) という狩人に保護されます。
楚弧父が病死するまでの間、羿は弓の使い方を徹底的に学びました。
その後、弓の名手として知られる呉賀(ごが) からも技術を学び取ります。
二人の師匠から受け継いだ技術によって、羿の弓の腕は神業の域に達したのです。
伝承には、羿が20歳で成人した時のエピソードがあります。
天を仰いで「四方に放った矢は必ず我が門に届く」と言い、実際に矢は地面すれすれを飛んで羿の家の門に届いたそうです。
射日神話──10の太陽を射落とした英雄
10の太陽が世界を焼いた
羿の最も有名な神話は、10の太陽を射落とした「射日神話」 です。
古代中国の神話では、天帝(または玉皇大帝)には10人の息子がいました。
彼らは太陽に姿を変え、交代で地上を照らす役目を担っていたのです。
ところがある日、10人の太陽が一斉に空に昇るという事態が起こります。
その結果、地上は灼熱地獄と化しました。
- 草木は燃え尽きた
- 川や海は干上がった
- 作物は枯れ果てた
- 人々は飢え、倒れていった
民衆は10個の太陽を見上げながら、ただ嘆くことしかできませんでした。
天帝の命を受けて
この危機を救うため、天帝は羿を地上に遣わしました。
羿には天帝から特別な武器が授けられています。
- 彤弓(とうきゅう):赤い色の神弓
- 素矰(そそう):白い羽の矢
一説では、弓は虎の骨から、矢は龍の腱から作られていたともいわれています。
この弓を引けるのは羿だけで、人間離れした怪力の持ち主だったことがわかります。
太陽を次々と射落とす
羿はまず、太陽たちに説得を試みました。
しかし効果がなかったため、弓を取り出して威嚇射撃を行います。
それでも太陽たちが従わなかったため、羿は本気で矢を放ち始めました。
崑崙山に登った羿が渾身の力で弓を引くと、矢は三千尺の彼方まで飛び、太陽のど真ん中を射抜きます。
太陽たちは驚きあわてて東へ西へと逃げまどいましたが、羿は容赦なく次々と射落としていきました。
落ちてきた太陽を調べると、そこには三足烏(さんそくう) という3本足のカラスがいたといいます。
これは太陽に宿る神霊で、古代中国では太陽の象徴とされていました。
最後の1つが残った理由
羿は9つの太陽を射落としましたが、最後の1つは残されました。
なぜ全部射落とさなかったのでしょうか?
伝承によっていくつかの説があります。
- 帝堯が止めた説:地上には太陽が必要だと気づいた帝堯が、最後の矢を隠した
- 太陽の母・羲和が懇願した説:最後の息子だけは助けてほしいと頼んだ
- 勇敢な少年が矢を盗んだ説:完全な闘を防ぐため、誰かが介入した
いずれにせよ、こうして世界にはたった1つの太陽が残ることになったのです。
辛うじて生き残った太陽は恐れをなして縮こまり、それ以来おとなしく地上を照らすようになりました。
怪物退治──羿が倒した6体の魔獣

太陽を射落としただけでは終わりません。
羿は帝堯の命を受け、地上で暴れ回る6体の怪物を次々と退治しています。
羿が退治した怪物一覧
| 怪物名 | 読み方 | 特徴 | 退治方法 |
|---|---|---|---|
| 猰貐 | ヤユ | 人を食らう恐ろしい獣 | 弓で射殺 |
| 鑿歯 | サクシ | 鑿(たがね)のような鋭い牙を持つ | 心臓を射抜く |
| 九嬰 | キュウエイ | 水と火の怪、9つの頭を持つ | 弓で射殺 |
| 大風 | タイフウ | 嵐を起こす巨大な鳥 | 弓で翼を射抜く |
| 封豨 | フウキ | 巨大な猪の怪物 | 矢で射殺し、肉を帝堯に献上 |
| 修蛇 | シュウダ | 巨大な蛇、象をも飲み込む | 洞庭湖で退治 |
特に封豨と修蛇は「封豨修蛇」という四字熟語として現代でも使われています。
貪欲や暴力の象徴として、悪人を形容する言葉になっているんです。
鑿歯との戦い
鑿歯は南方に住んでいた怪物で、鑿のような鋭い歯を持っていました。
羿は最初、剣と盾を持って鑿歯に斬りかかります。
しかしその鋭い歯で盾を真っ二つにされてしまいました。
そこで羿は弓を取り出し、鑿歯の心臓めがけて矢を放ちます。
矢は見事に心臓を射抜き、鑿歯は絶命したのです。
これらの功績により、人々は羿を「大羿」 と呼んで称えるようになりました。
嫦娥との悲恋──月に逃げた妻
美しき妻・嫦娥
羿には嫦娥(じょうが) という美しい妻がいました。
嫦娥は帝嚳(ていこく)の娘とも、優しく心の清い女性ともいわれています。
羿と嫦娥は仲睦まじい夫婦で、人々から理想のカップルとして羨ましがられていました。
不老不死の薬
太陽を射落とし、怪物を退治した羿の功績は天界にも伝わります。
西王母(せいおうぼ)は羿の偉業を称え、不老不死の霊薬を授けました。
この薬を飲めば、羿は再び天界に戻って神となることができるのです。
しかし羿は悩みます。
薬は一人分しかなく、飲めば愛する嫦娥を地上に残して一人で天に昇ることになるからです。
羿は薬を飲む決断ができず、しばらく家に隠しておくことにしました。
嫦娥が薬を飲んだ理由
ここから先は、伝承によって大きく異なります。
説1:嫦娥が自ら飲んだ
嫦娥は羿が留守の間に薬を見つけ、好奇心から飲んでしまいます。
体が軽くなり、ふわふわと空に浮かび上がった嫦娥は、天界に行くことをためらい月に身を隠しました。
説2:弟子から薬を守るため
羿の弟子・逢蒙(ほうもう)が薬を奪おうとしました。
嫦娥は悪人の手に薬を渡すまいと、自ら飲み込んで月へと逃れたのです。
説3:羿の暴政から逃れるため
一部の伝承では、羿は英雄から暴君へと変貌したとされています。
嫦娥は民を永遠に苦しめないよう、不死の薬を夫に渡さない道を選んだのです。
月の女神となった嫦娥
薬を飲んだ嫦娥は月へと昇り、月の女神となりました。
しかし羿を裏切った報いか、嫦娥の姿はヒキガエルに変わってしまったともいわれています。
月には玉兎(ぎょくと)と呉剛(ごこう)という存在もおり、嫦娥は今も月の宮殿「広寒宮」で暮らしているとされています。
羿は妻を失った悲しみから、嫦娥の好きだった果物や菓子を毎晩月に向かって供えるようになりました。
この習慣が、現代の中秋節(ちゅうしゅうせつ) で月餅を供える風習の起源になったといわれています。
悲劇の最期──弟子に殺された英雄
弟子・逢蒙の裏切り
嫦娥が月に去った後、羿は狩りをしながら暮らしていました。
この頃、羿は逢蒙(ほうもう) という弟子を取ります。
逢蒙は熱心に修行し、羿の弓の技をすべて習得しました。
しかし技を極めた逢蒙は、次第に邪な考えを抱くようになります。
「羿を殺してしまえば、自分が天下一の弓の達人になれる」
桃の棒で打ち殺される
逢蒙は羿を殺すことを決意しますが、弓では羿に勝てないことを知っていました。
そこで逢蒙が選んだ武器は桃棓(とうぼう)、つまり桃の木で作った棒でした。
なぜ桃の棒だったのでしょうか?
弓の達人である羿は、飛んでくる矢をすべて打ち落とすことができました。
しかし棒で殴られることは想定していなかったのです。
こうして羿は、自らが育てた弟子によって撲殺されてしまいました。
「逢蒙殺羿」の教訓
この出来事は「逢蒙殺羿(ほうもうさつげい)」 という故事成語として後世に伝えられています。
意味は「身内に裏切られること」「恩を仇で返されること」です。
また、羿の死はもう一つの教訓も残しました。
- 桃に死した羿
- 剣に死した剣士・慶忌
- 弁舌に死した論客・蘇秦
これら三人は、自分の長所を信じすぎたがゆえに、よく知るものによって破滅を招いた例とされています。
桃が魔除けになった理由
羿の死は、中国の民間信仰にも影響を与えました。
鬼(死霊)でさえ恐れる英雄・羿が桃の木に敗れたことから、すべての鬼は桃を恐れるようになったとされています。
これが、桃の木が邪気を払う力を持つという中国の民間信仰の起源となりました。
日本でも桃太郎伝説や桃の節句など、桃には魔除けの力があると信じられていますよね。
「大羿」と「夷羿(后羿)」──二人の羿問題
実は、中国の古典には二人の羿が登場します。
これが長年、研究者を悩ませてきた問題なんです。
神話の英雄「大羿」
一人目は、ここまで解説してきた神話上の英雄・羿です。
- 帝堯の時代に活躍
- 10の太陽を射落とした
- 怪物を退治した
- 嫦娥の夫
この羿を「大羿」 と呼んで区別することがあります。
夏王朝の覇者「夷羿(后羿)」
二人目は、夏王朝時代に実在したとされる人物です。
こちらの羿は、夏の第3代帝・太康の時代に反乱を起こし、王朝を乗っ取った軍閥の長でした。
- 弓の名手として知られていた
- 夏王朝に反乱を起こし、太康を追放
- 諸侯を支配下に置いて王となった
- しかし政治を省みず狩猟に熱中
- 最後は奸臣・寒浞と妻・玄妻によって殺された
この羿を「夷羿」 または「有窮の后羿」 と呼びます。
同一人物なのか、別人なのか
学者の間では、二人の羿の関係について議論が続いています。
別人説
名前が同じなだけで、時代も性格も異なる別人である。
「大羿」は神話の英雄、「夷羿」は歴史上の暴君という位置づけ。
同一人物説
もともとは一人の人物だったが、伝承が分化するうちに複数の人物として語られるようになった。
神話学者・茅盾は「神性の羿が歴史化されて人性の羿となった」と主張しています。
最古の文献である『楚辞』天問篇では、両方の特徴を併せ持つ羿が描かれており、結論は出ていません。
羿にまつわる文化と影響
中秋節との関係
羿と嫦娥の物語は、中国の伝統行事中秋節(Mid-Autumn Festival) と深く結びついています。
毎年旧暦8月15日の満月の夜、人々は月を見上げながら月餅を食べます。
これは羿が嫦娥のために供え物をした故事に由来するといわれています。
また、満月の夜には羿と嫦娥が再会するという伝説もあります。
現代のゲーム・創作での登場
羿と嫦娥は、現代のエンターテイメントでも人気のキャラクターです。
ゲーム
- SMITE(后羿がプレイアブルキャラクター)
- 原神(嫦娥をモチーフにしたキャラクター)
- 魔道祖師(「射日」をモチーフにした設定)
- 東方Project(嫦娥が登場)
映画・ドラマ
- 「嫦娥奔月」をテーマにした多数の作品
- 中国ドラマ「Moon Fairy」など
日本への影響
実は日本にも、射日神話の痕跡が残っています。
岡山市の民話では、天邪鬼(あまんじゃく) が7つの太陽のうち6つを射落としたとされています。
また埼玉県狭山市の民話では、天子が派遣した弓の名人が2つの太陽のうち1つを射抜いたと伝えられています。
落下した太陽は白い三足烏に変化したというのも、中国神話との共通点ですね。
まとめ
羿は、中国神話における最大の英雄の一人です。
羿の偉業
- 10の太陽のうち9つを射落とし、世界を救った
- 6体の怪物を退治し、民を守った
- 弓の腕は神業と称えられた
羿の悲劇
- 天帝の子を殺したことで天界に戻れなくなった
- 妻・嫦娥に不老不死の薬を持ち逃げされた
- 弟子・逢蒙に裏切られて殺された
世界を救った英雄が、身内の裏切りによって滅ぶ──この構図は、東西を問わず多くの神話に見られるテーマです。
羿の物語は、人間の欲望や嫉妬、そして英雄の孤独を描いた、非常に奥深い神話といえるでしょう。
中秋節の夜、月を見上げる時、ぜひ羿と嫦娥の物語を思い出してみてください。
千年以上の時を超えて語り継がれる二人の悲恋が、きっと月の光に重なって見えるはずです。


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