「エニグマって聞いたことあるけど、何のこと?」
映画「イミテーション・ゲーム」で話題になったエニグマ。実はこれ、第二次世界大戦の勝敗を左右したと言われる、伝説の暗号機なんです。
今回は、歴史を変えた暗号機「エニグマ」とは何なのか、どんな仕組みで動いていたのか、そしてなぜ「解読不可能」と言われていたのに解読されてしまったのかを、初心者の方にも分かりやすく解説していきます。
エニグマとは?基本を知ろう

エニグマ(Enigma)とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが使用した暗号機のことです。
名前の由来は、ギリシャ語の「αἴνιγμα(アイニグマ)」で、意味は「謎」。その名の通り、当時は「絶対に解読できない」と信じられていた暗号機でした。
エニグマの基本情報
- 発明者:アルトゥール・シェルビウス(ドイツ人発明家)
- 発明年:1918年
- ドイツ軍採用:1925年
- 生産台数:3万台以上
- 使用期間:第二次世界大戦を通じて使用
- 目的:軍事機密の暗号化通信
エニグマの外見
エニグマは、見た目は大きなタイプライターのような機械でした。
主な部品:
- キーボード(26個のキー、AからZまで)
- ランプボード(26個のランプ、暗号化された文字が光る)
- ローター(回転する円盤、通常3〜5個)
- リフレクター(反射板)
- プラグボード(ケーブルで文字を入れ替える)
木製またはアルミ製のケースに入っており、重さは約10〜12キログラム。持ち運び可能な大きさでしたが、決して軽くはありませんでした。
エニグマの仕組みを分かりやすく解説
「暗号機って、どうやって文字を暗号化するの?」
エニグマの仕組みは、一見複雑ですが、基本原理はシンプルです。順を追って説明しましょう。
基本的な暗号化の流れ
- 入力:オペレーターがキーボードで「A」を押す
- 電気信号:電流がプラグボードを通過
- ローター通過:電流が3つ(または4つ)のローターを通過
- 反射:リフレクターで電流が折り返される
- 逆戻り:同じローターを逆方向に通過
- 出力:ランプボードで暗号化された文字(例えば「K」)が光る
つまり、「A」と押したら「K」が光る、という具合です。
ローター(回転子)の仕組み
エニグマの暗号化の核となるのが「ローター」です。
ローターとは:
- 内部に複雑な配線が施された円盤
- 26個の入力端子と26個の出力端子がある
- 文字を別の文字に置き換える役割
重要なポイント:
キーを1回押すごとに、ローターが1つ回転します。つまり、同じ「A」を2回押しても、1回目は「K」、2回目は「Z」のように、毎回違う文字に暗号化されるんです。
これが、エニグマを「解読不可能」にしていた大きな理由の一つです。
プラグボード(接続盤)の複雑さ
プラグボードは、さらに暗号を複雑にする装置です。
仕組み:
- ケーブルで文字のペアを入れ替える
- 例:「A」と「N」をケーブルで接続すると、「A」は「N」に、「N」は「A」に入れ替わる
- 通常、10本のケーブルを使用(20文字が入れ替わる)
これにより、暗号の複雑さがさらに何千倍にもなります。
設定の組み合わせ数
エニグマの暗号が「解読不可能」と言われた最大の理由は、その設定の組み合わせ数の多さです。
標準的なエニグマ(3つのローター使用)の場合:
- ローターの選択と配置:60通り(5つのローターから3つを選んで配置)
- ローターの初期位置:17,576通り(26×26×26)
- プラグボードの設定:約150兆通り
合計:約15京通り以上
これは、15の後ろに0が18個も並ぶ途方もない数字です。当時の技術では、人間が手作業で全ての組み合わせを試すのは不可能でした。
海軍版エニグマ(M4型)はさらに複雑
ドイツ海軍のUボート(潜水艦)が使っていたM4型エニグマは、ローターが4つもあり、設定の組み合わせ数は約4,134×10^18通り(4,134京通り)にもなりました。
エニグマの歴史:誕生から終戦まで

エニグマの歴史を、時系列で見ていきましょう。
1918年:エニグマの誕生
第一次世界大戦が終わった直後、ドイツの発明家アルトゥール・シェルビウスが、商業用の暗号機としてエニグマを発明しました。
当初は、銀行や企業が機密情報を守るための商品として販売されていたんです。
1925年:ドイツ軍が正式採用
ドイツ軍がエニグマの軍事利用価値に気づき、正式に採用しました。
その後、ドイツ政府や国営鉄道も採用し、3万台以上が製造・販売されました。
1932年:ポーランドが最初の解読に成功
意外なことに、エニグマを最初に解読したのは、イギリスでもアメリカでもなく、ポーランドでした。
解読の立役者:
- マリアン・レイェフスキ(数学者)
- ポーランド暗号局のチーム
解読できた理由:
- フランスのスパイが入手したエニグマの設計図
- 数学の「置換群理論」を応用
- レプリカ機械「ボンバ」を製作
ポーランドのチームは、「ドイツに対する恐怖感からのモチベーションが違う」と語っていました。隣国ドイツの脅威を肌で感じていたからこその執念だったんですね。
1939年:ドイツが暗号の複雑化、ポーランドが情報を共有
第二次世界大戦が始まると、ドイツは暗号の設定を毎日変更するようにし、セキュリティを大幅に強化しました。
ポーランドがドイツに占領される直前、彼らはイギリスとフランスに解読技術とレプリカ機械を引き渡しました。この情報共有が、後の連合国の勝利につながります。
1939年〜1945年:イギリスのブレッチリー・パークでの戦い
イギリスは、ブレッチリー・パークという秘密施設で、エニグマ解読チームを編成しました。
ここで活躍したのが、天才数学者アラン・チューリングです。
アラン・チューリング:エニグマ解読の天才

アラン・チューリング(1912〜1954年)は、イギリスの数学者・論理学者で、「コンピュータの父」とも呼ばれる人物です。
チューリングの経歴
- 1912年:ロンドンで生まれる
- 学歴:ケンブリッジ大学、プリンストン大学で数学を学ぶ
- 1938年頃:イギリス政府の暗号解読部門で働き始める
- 1939年:ブレッチリー・パークに配属(27歳)
チューリングの功績①:「ボンブ(Bombe)」の発明
チューリングは、ポーランドの「ボンバ」を改良した、より高性能な解読機械「ボンブ」を開発しました。
ボンブの特徴:
- 電気機械式の装置
- 36台のエニグマを同時にシミュレーション
- エニグマの設定を自動的に探し出す
- 解読時間を20分以下に短縮
最初のボンブ「アグネス」
- 1940年8月に稼働開始
- その後、200台以上のボンブが製造された
チューリングの功績②:「クリブ(Crib)」の活用
クリブとは、暗号文の中に含まれている可能性が高い既知の単語やフレーズのことです。
チューリングの発見:
ドイツ軍の暗号通信を分析した結果、ドイツ語で「1」を意味する「EINS(アインス)」という単語が、90%以上のメッセージに含まれていることが分かりました。
このような「決まり文句」を手がかりに、暗号の設定を絞り込んでいったのです。
他のクリブの例:
- 「WETTER」(天気):毎朝決まった時間に天気予報が送信される
- 「FORT」(続き):前のメッセージの続きを示す
- 受信者の名前や階級
チューリングの功績③:エニグマの弱点を見抜く
エニグマには、いくつかの重要な弱点がありました。チューリングはこれを巧みに利用したんです。
エニグマの主な弱点:
- 文字は自分自身に暗号化されない
- 「A」を押しても、絶対に「A」のランプは点灯しない
- この性質により、可能性を大幅に減らせる
- 反転暗号の性質
- 暗号文を同じ設定で再度暗号化すると、元の平文に戻る
- 数学的に予測可能な性質
- オペレーターのミス
- 同じ設定を連続使用
- 誕生日や恋人の名前など、推測しやすい設定を使う
- 「AAAA」のような安易な初期設定
ブレッチリー・パークの解読体制
ブレッチリー・パークには、最盛期で約1万人もの人々が働いていました。
チームメンバー:
- 数学者
- 言語学者
- チェスの名人
- クロスワードパズルの達人
- 女性オペレーター(多数)
チューリングは「Hut 8(第8小屋)」というチームを率い、特にドイツ海軍の暗号解読を担当しました。
エニグマ解読の戦争への影響
エニグマの解読は、第二次世界大戦の勝敗を大きく左右しました。
暗号解読情報「ウルトラ」
ブレッチリー・パークで解読された情報は、「ウルトラ(Ultra)」というコードネームで呼ばれ、最高機密として扱われました。
ウルトラ情報の活用例:
- 大西洋の戦い
- ドイツのUボートの位置を事前に把握
- 連合国の輸送船を安全なルートに誘導
- Uボートの攻撃を回避
- ノルマンディー上陸作戦(D-Day)
- ドイツ軍の配置や動きを把握
- 奇襲攻撃の成功に貢献
- 北アフリカ戦線
- ロンメル将軍の作戦を事前に察知
- 連合国軍の勝利に貢献
戦争が2年短縮された
歴史家の推計によると、エニグマの解読により、第二次世界大戦の終結が2年早まったとされています。
これにより、数百万人もの命が救われたと考えられています。
徹底した機密保持
連合国は、エニグマを解読したことを徹底的に秘密にしました。
機密保持の理由:
ドイツ軍に「エニグマが破られている」と気づかれると、もっと強力な暗号に切り替えられてしまうから。
驚くべき事実:
- 解読した情報でドイツ軍の攻撃を事前に知っていても、わざと防がないこともあった
- ドイツに疑われないよう、「偵察機が発見した」などと嘘の情報源をでっち上げた
- 終戦後も長年秘密にされ、1970年代まで公表されなかった
ドイツ軍は、終戦まで「エニグマは安全」だと信じ続けていました。
アラン・チューリングの悲劇

エニグマ解読で歴史を変えたチューリングですが、戦後の人生は悲劇的でした。
戦後の功績
- 1945年:大英帝国勲章(OBE)を受章(ただし解読の功績は秘密)
- コンピュータ科学の父:現代コンピュータの理論的基礎を築く
- 人工知能の先駆者:「チューリング・テスト」を提唱
悲劇的な最期
当時のイギリスでは、同性愛が違法でした。
- 1952年:同性愛を理由に有罪判決を受ける
- 罰として:投獄か化学的去勢かを選ばされ、去勢を選択
- 1954年:青酸カリ中毒で死去(41歳)
- 公式には自殺とされているが、事故説もある
名誉回復
- 2009年:イギリス政府が正式に謝罪
- 2013年:エリザベス女王が恩赦を与える
- 2014年:映画「イミテーション・ゲーム」が公開され、世界中に功績が知られる
- 2021年:イギリスの50ポンド紙幣にチューリングの肖像が採用される
現在では、チューリングは「戦争の英雄」「コンピュータの父」として広く尊敬されています。
エニグマが現代に残した影響
エニグマと、それを解読したチューリングの業績は、現代社会に大きな影響を与えています。
①コンピュータの誕生
チューリングは、エニグマ解読のための「ボンブ」を開発する過程で、現代のコンピュータの基礎となる概念を確立しました。
チューリングの功績:
- 「チューリング・マシン」:コンピュータの理論的モデル
- プログラム内蔵方式の提唱
- 人工知能の概念
私たちが今使っているスマホやパソコンは、すべてチューリングの理論がベースになっているんです。
②暗号技術の進化
エニグマの解読は、現代の暗号学の基礎を築きました。
現代の暗号技術:
- インターネットのSSL/TLS暗号化
- クレジットカードの決済
- 仮想通貨(ブロックチェーン)
- オンラインバンキング
私たちが安全にインターネットを使えるのも、エニグマから始まった暗号技術の進化のおかげです。
③AI(人工知能)の発展
チューリングが提唱した「チューリング・テスト」は、今でもAIの知能を測る基準として使われています。
チューリング・テストとは:
人間とAIが会話をして、人間がAIだと見抜けなければ、そのAIは「知能を持っている」と判断する、というテスト。
現代のChatGPTなどの生成AIも、チューリングの理論の延長線上にあるものなんです。
④現代AIがエニグマを解読すると?
2025年の最新研究によると、現代のAI技術を使えば、エニグマ暗号をわずか13分で解読できるそうです。
当時、チューリングらが苦労して解読していたものが、今では一瞬で解けてしまう。テクノロジーの進化の速さを実感しますね。
エニグマの実物は今どこに?
エニグマの実物は、世界中の博物館やコレクションに残されています。
展示されている主な場所
イギリス:
- ブレッチリー・パーク博物館(実際に解読作業が行われた場所)
- 大英図書館(アラン・チューリング研究所)
- 帝国戦争博物館
ドイツ:
- ドイツ博物館(ミュンヘン)
- 技術博物館(ベルリン)
アメリカ:
- 国立暗号博物館(メリーランド州)
海底からも発見されている
2020年には、バルト海の海底から、ドイツ海軍のエニグマM4型が発見されました。Uボートとともに沈んでいたものです。
現在も、世界中でエニグマの実物が大切に保管され、展示されています。
エニグマを題材にした作品
エニグマとチューリングの物語は、多くの作品の題材になっています。
映画
『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)
- アラン・チューリングを主人公にした映画
- ベネディクト・カンバーバッチが主演
- アカデミー賞8部門にノミネート、脚色賞を受賞
ドキュメンタリー
- 「Station X: The Codebreakers of Bletchley Park」
- 「The Story of Enigma」
書籍
- 『エニグマ・コード』(ロバート・ハリス著)
- 『暗号解読』(サイモン・シン著)
ゲーム
一部の戦争ゲームでは、エニグマの仕組みがゲームシステムに組み込まれています。
よくある質問(FAQ)
Q1:エニグマは本当に「解読不可能」だったんですか?
理論的には、設定の組み合わせが膨大すぎて、総当たりで解読するのは不可能でした。
ただし、次の理由で解読されました:
- エニグマ自体の構造的な弱点
- ドイツ軍のオペレーターのミス
- チューリングら天才数学者の活躍
- 捕獲したエニグマ機やコードブックの情報
完璧な暗号機ではなく、人間が使う以上、必ずミスや弱点が生まれるということですね。
Q2:なぜドイツ軍は、解読されていることに気づかなかったんですか?
連合国の徹底した機密保持のおかげです。
具体的な対策:
- 解読情報を使う際は、必ず「偵察機が発見した」などの偽の情報源を用意
- ドイツ軍に疑われそうな時は、わざと情報を使わない
- ブレッチリー・パークで働く全員に、生涯の守秘義務
また、ドイツ軍は「エニグマは数学的に完璧」という自信を持っていたため、疑うことがなかったようです。
Q3:エニグマは何台くらい残っているんですか?
正確な台数は不明ですが、全世界で数百台程度が現存していると推定されています。
終戦後、多くのエニグマが破壊されたり、海に捨てられたりしたため、現存する機械は貴重です。
Q4:エニグマを個人で買えますか?
オークションで購入可能ですが、非常に高価です。
- 状態の良いエニグマ:2,000万円〜5,000万円
- 海軍版(M4型):さらに高額
レプリカなら、数万円〜数十万円で購入できます。
Q5:現代の暗号は、エニグマより強力ですか?
はい、比較にならないほど強力です。
現代の暗号(RSA暗号、AES暗号など)は、
- 256ビットの鍵長で、2の256乗通りの組み合わせ
- これは、エニグマの数京倍以上の複雑さ
- 量子コンピュータでも簡単には解読できない
ただし、量子コンピュータの発展により、将来的には現在の暗号も破られる可能性があります。暗号技術も日々進化しているんです。
まとめ:エニグマが教えてくれること
エニグマの物語から、私たちは多くのことを学べます。
エニグマから学べること:
- 「絶対に安全」なものは存在しない
- どんなに複雑なシステムも、必ず弱点がある
- セキュリティは常に進化し続ける必要がある
- 人間の創造性と粘り強さの力
- 当時の技術では「不可能」と思われていたことも、創意工夫で可能になる
- チューリングらの努力が、数百万人の命を救った
- 科学技術の二面性
- エニグマは戦争の道具だったが、その解読がコンピュータの発展につながった
- 技術そのものに善悪はなく、使い方次第
- 秘密の重要性
- 情報戦において、秘密を守ることの重要性
- ブレッチリー・パークの人々は、30年以上も沈黙を守った
- 多様性の力
- ポーランド、フランス、イギリスの協力
- 数学者、言語学者、技術者など多様な人材の集結
- 異なる視点が、突破口を開く
現代への警鐘:
エニグマが13分で解読される現代、私たちの個人情報やプライバシーは、かつてないほど脆弱かもしれません。
セキュリティ技術の進化とともに、私たち一人ひとりがセキュリティ意識を持つことが、ますます重要になっています。
アラン・チューリングの遺産:
チューリングは、生前は十分に評価されず、悲劇的な最期を遂げました。しかし今、彼の功績は世界中で認められています。
私たちが毎日使うスマホもパソコンも、インターネットも、すべてチューリングの理論がベースになっている。エニグマ解読は、ただの歴史の出来事ではなく、現代社会の基盤を作った偉業なんです。
「謎(エニグマ)」を解いた天才たちの物語は、これからも語り継がれていくでしょう。


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