「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
この有名な和歌を詠んだ藤原道長。平安時代に絶大な権力を握った彼の栄華を、当時の女性たちはどのように見つめていたのでしょうか?
その答えが詰まっているのが『栄花物語』です。
日本最古の「歴史物語」として知られるこの作品は、約200年にわたる平安貴族の歴史を、仮名文字で物語風に綴った画期的な書物でした。後宮の華やかさ、政治の駆け引き、そして人々の喜びや悲しみ——すべてが女性ならではの視点で生き生きと描かれています。
この記事では、『栄花物語』の成り立ちから内容、そして現代に伝わる意義まで、詳しくご紹介します。
栄花物語の基本情報
作品の概要
『栄花物語』(えいがものがたり)は、平安時代中期から後期にかけて成立した歴史物語です。
『栄華物語』と表記されることもあり、別名として『世継』(よつぎ)や『世継物語』とも呼ばれています。「世継」という名は、世代から世代へと受け継がれていく歴史を描いているためについた呼び名なんですね。
基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 歴史物語 |
| 形式 | 編年体(年代順に記述する方式) |
| 全体構成 | 全40巻(正編30巻+続編10巻) |
| 対象期間 | 宇多天皇(887年即位)~堀河天皇(1092年)まで |
| 扱う時代 | 約200年間、15代の天皇の治世 |
| 文体 | 仮名文(女性的でやわらかい文章) |
成立時期
正編と続編では成立時期が異なります。
正編(巻1~巻30)
- 成立時期:万寿5年(1028年)~長元7年(1034年)頃
- 内容:藤原道長の死(1028年)までを詳しく描く
続編(巻31~巻40)
- 成立時期:寛治6年(1092年)~嘉承2年(1107年)頃
- 内容:道長の死後から堀河天皇の治世までを記す
正編が完成してから約60年後に続編が書き加えられた形になっています。
作者は誰?赤染衛門説を中心に
正編の作者として有力視される赤染衛門
『栄花物語』の作者は明確にはわかっていません。ただし、正編30巻については赤染衛門(あかぞめえもん)が作者であるという説が古くから有力視されてきました。
赤染衛門は平安時代中期を代表する女流歌人で、百人一首にも歌が選ばれている人物です。
赤染衛門が作者と考えられる理由
まず、赤染衛門は藤原道長の正妻・源倫子とその娘の中宮彰子に長く仕えていました。道長一族の最も近くで、その栄華を見つめ続けた人物だったわけです。
また、彼女は80歳を超える長寿を保ち、道長の時代をリアルタイムで体験していました。作品に描かれた宮廷の出来事を直接見聞きできる立場にあったのです。
さらに、彼女の文才は当時から高く評価されており、和泉式部と並んで「二女流歌仙」と称されていました。紫式部も『紫式部日記』で赤染衛門の人柄と才能を褒めています。
鎌倉時代の僧侶・剣阿(けんあ)が書いた『日本紀私抄』にも赤染衛門が作者だと記されており、古くからこの説が信じられてきたことがわかります。
赤染衛門とはどんな人物だったのか
赤染衛門は、天徳年間(957~964年頃)に生まれたと推定されています。
父は大隅守・赤染時用(あかぞめのときもち)。「赤染衛門」という名前は、父が右衛門府(うえもんふ)の役人だったことに由来しています。
ただし、彼女の出生には面白い逸話が残っています。母親が前夫の歌人・平兼盛と離婚して赤染時用と再婚した直後に彼女を出産したため、「本当の父は平兼盛ではないか」という噂があったのです。平兼盛は娘を引き取ろうとして検非違使庁に訴えましたが、認められませんでした。
赤染衛門は文章博士・大江匡衡と結婚し、おしどり夫婦として知られました。夫婦仲があまりにも良かったため、「匡衡衛門」と呼ばれることもあったほどです。
紫式部、清少納言、和泉式部、伊勢大輔といった当代きっての才女たちとも親交がありました。良妻賢母としても有名で、息子の出世のために奔走したり、病気の息子のために神社に祈願したりしたエピソードも伝わっています。
続編の作者
続編10巻については、出羽弁(いでわのべん)という女房が書いたという説がありますが、詳しいことはわかっていません。複数の女性が分担して書いたという説もあり、少なくとも正編とは別の作者の手によるものと考えられています。
いずれにせよ、正編・続編ともに宮廷に仕えた女房たちによって書かれたことは間違いありません。女性の手による、女性のための歴史書だったのです。
栄花物語の構成と内容
全40巻の構成
『栄花物語』は全40巻で構成されており、各巻には『源氏物語』にならって優雅な巻名がつけられています。
正編30巻の主な内容
| 巻 | 巻名 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 巻1 | 月の宴 | 宇多天皇の時代から物語が始まる |
| 巻2 | 花山 | 花山天皇の出家事件 |
| 巻3 | さまざまのよろこび | 一条天皇の即位と藤原兼家の摂政就任 |
| 巻8 | はつはな | 敦成親王(後一条天皇)の誕生 |
| 巻15 | うたがひ | 道長と伊周の対立 |
| 巻30 | 鶴の林 | 藤原道長の死と葬儀 |
続編10巻の主な内容
| 巻 | 巻名 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 巻31 | 殿上の花見 | 道長死後の宮廷 |
| 巻35 | 暮まつほし | 後一条天皇の崩御 |
| 巻40 | 紫野 | 藤原忠実の春日大社参詣で締めくくる |
主人公・藤原道長の栄華
『栄花物語』の中心人物は、なんといっても藤原道長(ふじわらのみちなが、966~1028年)です。
道長は藤原兼家の五男として生まれました。本来であれば、兄たちがいるため出世は望めない立場でしたが、運命のいたずらで次々と兄たちが病没。さらに、姉の詮子が一条天皇の母として強い影響力を持っていたこともあり、道長は急速に出世していきます。
『栄花物語』では、道長がいかにして権力の頂点に上り詰めたか、そしてその栄華がどれほど輝かしいものだったかが、賛美的に描かれています。
特に有名なのは、道長が「一家三后」を実現した場面。道長の娘・彰子が中宮に、娘・妍子が皇太后に、娘・威子が中宮に立てられ、太皇太后・皇太后・中宮のすべてが道長の娘という空前絶後の事態が生まれたのです。
紫式部日記からの引用
興味深いのは、巻8「はつはな」に『紫式部日記』の記述がほぼそのまま引用されていることです。
敦成親王(のちの後一条天皇)の誕生を祝う場面では、『紫式部日記』に書かれた宴の様子や、道長が紫式部に和歌を詠みかけた場面などが取り入れられています。
ただし、完全な引用ではなく、若干の改変が加えられています。作者が『紫式部日記』を参照しながら、自分の作品に取り込んでいったことがわかりますね。
歴史物語としての特徴

日本最初の歴史物語
『栄花物語』は、日本最初の歴史物語として文学史上重要な位置を占めています。
それ以前の歴史書といえば、『日本書紀』から『日本三代実録』までの「六国史」がありました。これらはすべて漢文で書かれた公式の歴史書です。
ところが『日本三代実録』(901年完成)を最後に、朝廷による正式な歴史書の編纂は途絶えてしまいます。
そこに登場したのが『栄花物語』でした。漢文ではなく仮名文で、堅苦しい公式記録ではなく物語風に、歴史を綴るという新しいスタイルを生み出したのです。
編年体という形式
『栄花物語』は編年体という形式で書かれています。
編年体とは、出来事を年代順に記録していく方式のこと。「○○年にこんなことがありました。その翌年にはこんなことが…」というように、時間の流れに沿って歴史を追っていきます。
これに対して、『大鏡』などで使われる紀伝体は、特定の人物に焦点を当てて、その人物の事跡を追う方式です。
編年体のメリットは、時代の流れが把握しやすいこと。デメリットは、一つの出来事の原因と結果が離れた場所に記述されてしまい、因果関係がわかりにくくなることです。
六国史を意識した作品
『栄花物語』が宇多天皇から始まっているのには理由があります。
六国史の最後の作品『日本三代実録』は、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇の三代を扱っていました。その次の天皇が宇多天皇なのです。
つまり『栄花物語』は、六国史の続きを書こうという意識を持っていたと考えられています。公式の歴史書が途絶えたところを、民間の手で補おうとした試みだったわけですね。
栄花物語と大鏡の比較
同じ時代を描いた二つの作品
『栄花物語』とほぼ同時代に成立した歴史物語に『大鏡』があります。
どちらも藤原道長の栄華を中心に描いていますが、その描き方には大きな違いがあります。
| 項目 | 栄花物語 | 大鏡 |
|---|---|---|
| 形式 | 編年体 | 紀伝体 |
| 文体 | 仮名文 | 仮名文(やや漢文調) |
| 推定作者 | 女性(赤染衛門など) | 男性(公家関係者?) |
| 語り口 | 三人称の客観的叙述 | 老人二人の対話形式 |
| 道長への態度 | 賛美一色 | 賛美しつつも批判的視点あり |
| 歴史との整合性 | 史実との齟齬がやや多い | 史実との齟齬が少ない |
後宮に目を向けた栄花物語
『栄花物語』の大きな特徴は、後宮や女性たちにスポットを当てていることです。
政治的な事件や権力闘争よりも、結婚、妊娠、出産、死といった後宮の出来事が詳しく描かれています。これらは貴族の地位と運命を決める重要な出来事だったからです。
祭りや儀式、仏事、和歌の会、宮廷行事なども丁寧に記されており、平安貴族の日常生活を知る貴重な資料となっています。
一方、『大鏡』は政治的な駆け引きや人物の性格描写に重点を置いており、より「歴史書」としての性格が強いといえます。
道長礼賛と批判精神
『栄花物語』は道長を「限りなくめでたく」描いています。道長の行動はすべて肯定的に描かれ、批判的な視点はほとんど見られません。
これは作者が道長一族に仕えていたことを考えれば自然なことでしょう。主人の栄華を称えることは、女房としての立場からすれば当然のことだったのです。
一方、『大鏡』には時折、道長に対する皮肉や批判が挟まれています。花山天皇の出家に際して道長の父・兼家が策略を巡らせた話など、藤原氏の権謀術数も隠さず描いています。
相模女子大学の待井新一は、この違いについて「男性が書いたとされる『大鏡』よりも、女性が書いたとされる『栄花物語』の方が、政治批判を控えた穏やかな筆致になっている」と指摘しています。
源氏物語からの影響
物語文学の手法を歴史に応用
『栄花物語』には、『源氏物語』からの影響が随所に見られます。
まず、各巻に優雅な巻名がつけられているのは、『源氏物語』に倣ったものです。「はつはな」「かがやく藤壺」といった巻名は、物語文学の雰囲気を漂わせています。
また、文章のスタイルも『源氏物語』を模倣している箇所があります。人物の心情を細やかに描写したり、場面の雰囲気を情感豊かに綴ったりする手法は、物語文学から学んだものでしょう。
紫式部の物語論との関係
興味深いのは、『源氏物語』の「蛍」の巻で紫式部が展開した物語論との関係です。
紫式部は「日本紀などは片端に過ぎない。物語にこそ詳しいことは書かれている」と、物語の歴史書に対する優位性を主張しました。
この論を発展させれば、「歴史的事実を、物語の手法で書く」という新しい文学ジャンルが生まれます。まさに『栄花物語』はその実践だったと言えるでしょう。
ただし、この影響は良い面ばかりではありませんでした。物語性を重視するあまり、史実を改変したり、虚構を交えたりする傾向も生まれたのです。
栄花物語の評価と影響
当時の評価
『栄花物語』は成立当初から広く読まれ、続編が書き継がれるほど人気がありました。
ただし、後世の評価は必ずしも高くありませんでした。増淵勝一は「文章はたおやかで、あはれを旨としているが、冠婚葬祭を主に描き、藤原氏の栄華をただめでたく描いているだけ」と厳しい評価を下しています。
また、『大鏡』と比較すると、歴史書としても文学作品としても劣るという見方もあります。『大鏡』のような批判精神や、鋭い人物描写が欠けているというわけです。
再評価される価値
しかし近年では、『栄花物語』の独自の価値が見直されています。
相模女子大学の待井新一は「仮名で物語風に歴史を書き、女性にも読んでもらう史書を目指し、女性による女性のための歴史物語を完成させた点は画期的」と評価しています。
また、後宮や女性の視点から歴史を描いたことで、公式の歴史書では見落とされがちな側面——結婚政策、出産をめぐるドラマ、女性たちの喜びや悲しみ——が記録されることになりました。
これは平安時代の社会を理解する上で、『大鏡』にはない貴重な情報を提供してくれます。
歴史物語の先駆けとして
『栄花物語』は、その後に続く歴史物語の先駆けとなりました。
『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』という「四鏡」と呼ばれる作品群は、いずれも『栄花物語』の影響を受けながら、それぞれの時代の歴史を描いています。
歴史を仮名文で、物語風に描くという手法は、『栄花物語』によって確立され、日本文学の一つのジャンルとなったのです。
現存する写本と国宝
梅沢本(国宝)
『栄花物語』の最も重要な写本は、梅沢本(うめざわぼん)と呼ばれる国宝です。
現在は九州国立博物館に所蔵されており、もともとは三条西家に伝来したものでした。
この写本は鎌倉時代に書き写されたもので、現存する完本としては最古のものです。1935年に旧国宝、1955年に国宝に指定されました。
面白いのは、この写本が二種類の形態の本を組み合わせたものだということ。巻1から巻20までの大型本(10帖)と、巻21から巻40までの小型本(7帖)が合わさっています。なぜこのような取り合わせになったのかは不明ですが、室町時代の公卿・三条西実隆が入手した時点ではすでにこの形だったようです。
岩波文庫や日本古典文学大系などの現代の出版物は、この梅沢本を底本としています。
陽明文庫本
もう一つの重要な写本が、陽明文庫本です。
文明15年(1483年)に後土御門天皇の命で、関白・近衛政家らが書写したものです。流布本系統の代表的な伝本とされています。
現代への影響
研究資料としての価値
『栄花物語』は、平安時代中期の宮廷社会を知るための第一級の資料です。
『源氏物語』が虚構の物語であるのに対し、『栄花物語』は実在の人物と出来事を描いています。史実との齟齬はあるものの、当時の宮廷儀式、年中行事、服装、住居、人間関係などを知る上で欠かせない文献となっています。
英語圏でも“A Tale of Flowering Fortunes”(花咲く運命の物語)として翻訳され、平安時代研究の重要文献として読まれています。
文学作品への影響
現代の作家も『栄花物語』からインスピレーションを得ています。
作家の円地文子は、『栄花物語』を下敷きにした小説『なまみこ物語』(1965年)を発表しました。この作品は、架空の古文書を巧みに織り交ぜながら、平安時代の宮廷ロマンスを描いた傑作として高く評価されています。
大河ドラマとの関係
2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』では、紫式部を主人公に藤原道長の時代が描かれました。
このドラマの時代背景を理解する上で、『栄花物語』は最も重要な一次資料の一つです。ドラマに登場する赤染衛門(演:凰稀かなめ)は、まさに『栄花物語』の推定作者その人なのです。
まとめ
『栄花物語』は、日本最初の歴史物語として、平安時代の宮廷社会を生き生きと伝えてくれる貴重な作品です。
重要なポイント
- 平安時代中期から後期にかけて成立した、日本最古の歴史物語
- 全40巻(正編30巻+続編10巻)で、約200年間の歴史を描く
- 正編の作者として、女流歌人・赤染衛門が有力視される
- 編年体(年代順)で、仮名文によって書かれた
- 藤原道長の栄華を中心に、後宮の出来事を詳しく記述
- 『源氏物語』の影響を受けた物語風の文体が特徴
- 『大鏡』と比較すると、批判精神は薄いが女性的な視点が豊か
- 梅沢本(九州国立博物館蔵)が国宝に指定されている
- 歴史物語というジャンルの先駆けとなり、「四鏡」に影響を与えた
六国史という漢文の正史が途絶えた後、女性たちの手によって新しい歴史の記録方法が生み出されました。それは堅苦しい公式記録ではなく、人々の喜びや悲しみを織り込んだ「物語」としての歴史だったのです。
藤原道長の栄華を賛美する一方で、後宮の女性たちの生きざまも丁寧に描いた『栄花物語』。平安時代の輝かしくも儚い世界を知りたい方には、ぜひ一度触れていただきたい古典です。
現代語訳も出版されていますので、興味のある方はぜひ手に取ってみてください。千年前の宮廷の華やかさと、そこに生きた人々の息づかいが、今も鮮やかによみがえってきますよ。


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