道教の祖師とは?老子から全真七子まで、道教の重要人物をわかりやすく解説

神話・歴史・文化

「道教の祖師」って、結局誰のことなんでしょうか?

実はこの質問、一言では答えられません。
道教は多神教で、宗派ごとに祀る祖師が違うんです。「老子が祖師」という人もいれば、「黄帝こそ始祖」という人もいる。「張道陵が本当の教祖だ」という意見もあります。

どれも間違いではありません。「祖師」という言葉自体が、道教では複数の意味を持っているからです。

この記事では、道教で重要とされる祖師たちを体系的に紹介します。神話上の最高神から、実際に教団を作った歴史上の人物まで、道教の伝承の流れが一目でわかるようになりますよ。


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道教の始祖と教祖

黄帝——道教の始祖

道教では伝統的に、黄帝を「始祖」として崇めています。

伝説によると、黄帝は仙人・広成子に道を問い、長生の術を修め、最後は龍に乗って天に昇ったとされています。
『荘子』には「黄帝は再拝稽首して天師と称し退いた」という記述があり、これが「天師」という言葉の最古の出典です。

ただし、黄帝は象徴的な存在という側面が強く、道教が理想とする太古の聖王のイメージを表しています。

老子——道教の教祖

老子は道家思想の創始者で、『道徳経』五千言の著者として知られています。この書物は道教の最高経典とされています。

道教の神学では、老子は「太上老君」として神格化され、三清尊神の一柱「道徳天尊」と同一視されています。道教の考えでは、老子は普通の人間ではなく、「道」そのものが姿を現したもの。時代ごとに世に降りて人々を導いてきたとされています。

つまり道教では「黄帝が道を開き、老子がその教えを述べた」と考えられているわけです。

張道陵——教団の創立者

では、道教を哲学思想から組織的な宗教に変えたのは誰でしょうか?
それは張道陵です。

張道陵(34年〜156年)は、字を輔漢といい、後漢時代の人物。漢の建国の功臣・張良の八世孫と伝えられています。

彼は蜀の地にある鶴鳴山で「五斗米道」を創立しました。入信者が五斗の米を納めたことからこの名がつきました。二十四治(教区)を設置し、道教初の本格的な教団組織を作り上げたのです。

伝説では、太上老君が張道陵に「正一盟威之道」を授け、「天師」の称号を与えたとされています。そのため張道陵は「祖天師」と呼ばれ、その子孫が天師の位を代々受け継ぎ、正一道の伝統を形成しました。


四大天師

道教には「四大天師」という概念があります。道教史上、特に重要な四人の真人(修行を極めた人)のことで、玉皇大帝の御前に仕える四柱の天神とされています。

張天師——張道陵

正一道の創始者で、「祖天師」「降魔護道天尊」「高明大帝」などの称号を持ちます。

青城山で妖魔を退治した伝説は有名で、今でも青城山には「擲筆槽」「降魔石」「洗心池」など、張天師ゆかりの名所が残っています。

葛天師——葛玄

葛玄(164年〜244年)は、字を孝先といい、三国時代の呉の方士(術者)です。道教の霊宝派の祖師とされています。

仙人・左慈に師事し、『九鼎丹経』『太清丹経』『金液丹経』などの秘伝を授かりました。口から吐いた米粒を蜂の群れに変えたり、石を歩かせたり、井戸から銭を取り出して客に酒を振る舞ったり……数々の神異が伝えられています。

葛玄は葛洪の大伯父(祖父の兄)にあたります。葛洪は後に『抱朴子』を著し、道教の発展に大きな影響を与えました。

許天師——許遜

許遜(239年〜374年)は、字を敬之といい、晋代の道士で浄明道の祖師です。

若い頃、狩りで身重の母鹿を射止めてしまったことがありました。母鹿は矢を受けながらも子鹿を産み落とし、その子を舐めながら息絶えました。これを見た許遜は深く心を動かされ、弓を折って道を求めるようになったと伝えられています。

後に旌陽県の県令となり、清廉な政治で民に慕われ「許旌陽」と呼ばれました。江西では蛟龍を斬って水害を除き、人々を救いました。136歳まで生き、一族42人と共に白昼に天に昇ったという伝説があります。

薩天師——薩守堅

薩守堅は、号を全陽子といい、宋代の著名な道士です。

元々は医者でしたが、腕が未熟で薬を間違え人を死なせてしまい、医業を捨てて道に入りました。第三十代天師の虚静先生、林霊素、王侍宸という三人の師から、それぞれ「呪棗術」(棗に呪をかけて病を治す術)、「雷法」(雷を操る術)、「五明降魔扇」(魔を降す扇)を授かりました。

これらの術で貧しい人を救い、悪を懲らしめ、冤罪を晴らし、名声を轟かせました。弟子の王霊官を収めたことでも知られていますが、民間では師匠より弟子の王霊官の方が有名だったりします。


全真五祖

全真道は金・元の時代に興った道教の重要な宗派で、「五祖七真」を伝承の祖師として崇めています。五祖には北五祖と南五祖の二系統があります。

北五祖

北五祖は全真道北宗が崇める五人の祖師で、師弟関係でつながっています。

東華帝君・王玄甫は五祖の筆頭。老子の直弟子とされ、4〜5世紀頃の人物と伝えられています。三年の修行で道を得て、後に剣を携えて天下を遊歴したといいます。

正陽帝君・鍾離権は五祖の二番目。後漢時代の大将軍でしたが、敗戦後に終南山に隠棲し、東華帝君から丹道の真訣を授かりました。「内薬」「火候」「採取」など、内丹学の基本概念を多く創出し、内丹道の先駆者とされています。

純陽帝君・呂洞賓は五祖の三番目で、民間での知名度は最も高い人物です。「八仙」の一人として有名ですね。鍾離権に師事し、道教思想に大きな改革をもたらしました。慈悲と世を救うことを重視し、外丹(丹薬の調合)から内丹(体内での気の練成)への転換を進め、剣術も「自らの貪・瞋・痴を断つ」という精神修養に置き換えました。

純佑帝君・劉海蟾は五祖の四番目。五代十国時代のある小国で宰相を務めていましたが、呂洞賓に出会って悟りを開き、丹道を授かって仙人になったと伝えられています。

輔極帝君・王重陽は五祖の五番目で、全真道の実質的な創立者です。王重陽(1113年〜1170年)は本名を王中孚といい、咸陽の豪族の出身。武挙に合格しましたが、抗金(女真族の金への抵抗)の志を果たせず、47歳の時に鍾離権と呂洞賓から金丹の口訣を授かって隠棲、その後全真教を創立しました。

南五祖

南五祖は金丹派南宗が崇める五人の祖師です。

紫陽真人・張伯端(984年〜1082年)は浙江天台の人で、南宗の開祖です。北宋の熙寧二年(1069年)、成都で劉海蟾に出会い、「金液還丹訣」を授かって修行を成就したと伝えられています。著書『悟真篇』は南宗最重要の経典です。

杏林翠玄真人・石泰(1022年〜1158年)は江蘇常州の人で、張伯端に師事しました。著書に『還源篇』があります。

道光紫賢真人・薛式(1078年〜1191年)は薛道光とも呼ばれ、四川の人。元は仏教の僧侶でしたが、後に道教に転じ、石泰に師事しました。著書に『還丹復命篇』があります。

泥丸翠虚真人・陳楠は広東恵州の人で、桶を作る職人でした。薛道光に師事し、泥に符水を混ぜて作った丸薬で人々の病を治したことから「陳泥丸」と呼ばれました。雷法にも通じ、内丹と符籙(お札を使った術)を結合させ始めた人物です。

瓊琯紫虚真人・白玉蟾(1134年〜1229年)は本姓を葛、名を長庚といい、福建閩清の出身で海南島に生まれました。陳楠に9年間師事し、丹法と雷法を授かりました。白玉蟾は南宗の単独伝承の伝統を破り、多くの弟子を取って教団組織を正式に創立したため、南宗の実質的な建立者とされています。

南五祖に張伯端の弟子・劉永年と白玉蟾の弟子・彭鶴林を加えると「南七真」と呼ばれます。


北七真(全真七子)

北七真は全真道の祖師・王重陽の七人の主要な弟子で、全真道の布教と発展に大きく貢献しました。七人はそれぞれ全真道の支派を創立し、中でも丘処機の龍門派が最大の勢力を持っています。

金庸の小説『射鵰英雄伝』『神鵰俠侶』で「全真七子」として登場し、日本でも知名度がありますね。ただし、小説の描写と史実にはかなりの違いがあります。

馬鈺——丹陽子

馬鈺(1123年〜1183年)は山東寧海の人で、元は地元の大富豪。「馬半州」(州の半分を持つ馬)と呼ばれるほどの財産家でした。

王重陽が寧海で布教を始めると、千金の家産を捨てて入門。王重陽は臨終の際、馬鈺を後継者に指名し、全真道の二代目掌教(教主)となりました。全真道遇仙派の祖です。

譚処端——長真子

譚処端(1123年〜1185年)は山東寧海の人で、全真道南無派の祖です。
元世祖から「長真雲水蘊徳真人」の称号を贈られました。

劉処玄——長生子

劉処玄(1147年〜1203年)は山東東萊の人で、全真道随山派の祖です。
元世祖から「長生輔化明徳真人」の称号を贈られました。

丘処機——長春子

丘処機(1148年〜1227年)は山東棲霞の人で、七真の中で最も名声が高い人物です。

1219年、70歳を超えた丘処機は、チンギス・ハンの招きに応じて弟子を率い、万里の道のりを経て西域まで赴きました。「天を敬い民を愛すること」「殺戮を減らすこと」「欲を慎むこと」などを説き、チンギス・ハンから大いに信頼されました。ハンは丘処機を「神仙」と呼び、金の虎符と璽書を与えて天下の道教を統括させました。

丘処機が創立した龍門派は全真道最大の支派で、現代でも中国道教の主要宗派の一つです。北京の白雲観が龍門派の祖庭(本山)となっています。

王処一——玉陽子

王処一(1142年〜1217年)は山東寧海の人で、全真道崳山派の祖です。
「鉄脚仙」(鉄の足を持つ仙人)の異名を持ち、金朝の皇帝の命で何度も雨乞いの儀式を行ったと伝えられています。

郝大通——広寧子

郝大通(1140年〜1212年)は山東寧海の人で、全真道華山派の祖です。
『易経』の原理を丹道の修行に応用した「卦爻周天」の丹法で知られています。

孫不二——清静散人

孫不二(1119年〜1182年)は山東寧海の人で、馬鈺の妻。七真の中で唯一の女性です。

王重陽に出家を勧められ、その後は静室にこもって面壁修行を行い、7年で功を成したと伝えられています。全真道清静派を創立し、女性の生理的特徴に配慮した「女丹功」の修行法を発展させました。


道教における祖師の階層

ここまで見てきたように、道教の「祖師」はいくつかの階層に分けられます。

神話レベルの最高神
三清尊神(元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊)が道教の最高神。道徳天尊は老子が神格化された太上老君と同一視されています。

伝説上の道統継承者
黄帝を始祖、老子を教祖とするのは、道教が自らのルーツをたどる際の伝統的な見解です。

歴史上の教団創立者
張道陵が五斗米道(正一道の前身)を創立したのは、史料で確認できる最古の道教教団の成立です。

各宗派の開祖
全真道の王重陽、浄明道の許遜、霊宝派の葛玄など、それぞれの宗派を開いた人物たちです。

各宗派の伝法祖師
北五祖、南五祖、北七真など、各宗派の伝承系統における重要人物です。

この階層構造を理解すれば、「道教の祖師は誰か」という問いに複数の答えがある理由がわかりますね。文脈によって、指す人物が違うのです。


まとめ

道教の祖師体系が複雑なのは、道教そのものが多元的だからです。

中国で生まれた土着の宗教として、道教は古代神話、老荘思想、神仙術、民間信仰など、さまざまな要素を取り込みながら発展してきました。時代・地域・宗派によって、異なる伝承系統が形成されたのは自然なことでしょう。

三清尊神から四大天師、全真五祖から北七真まで、これらの祖師たちが道教の豊かな神仙世界を形作っています。彼らを知ることは、道教信仰の核心を理解することにつながります。


道教の主要祖師一覧

分類人物主な事績・特徴
道教三祖黄帝始祖、広成子に道を問うたと伝わる
老子教祖、『道徳経』著者、太上老君として神格化
張道陵五斗米道創立、正一道の祖
四大天師張道陵正一道創始者、「祖天師」
葛玄霊宝派祖師、丹術・符呪に通じる
許遜浄明道祖師、一族で白昼昇天と伝わる
薩守堅雷法の達人、王霊官の師
北五祖王玄甫東華帝君、老子の弟子とされる
鍾離権正陽帝君、内丹道の先駆
呂洞賓純陽帝君、八仙の一人
劉海蟾純佑帝君
王重陽輔極帝君、全真道創立者
南五祖張伯端紫陽真人、『悟真篇』著者
石泰杏林翠玄真人
薛式道光紫賢真人
陳楠泥丸翠虚真人、「陳泥丸」
白玉蟾瓊琯紫虚真人、南宗の実質的建立者
北七真馬鈺丹陽子、遇仙派、全真二代掌教
譚処端長真子、南無派
劉処玄長生子、随山派
丘処機長春子、龍門派、チンギス・ハンに謁見
王処一玉陽子、崳山派
郝大通広寧子、華山派
孫不二清静散人、清静派、七真で唯一の女性

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