日本の「因幡の白兎」で、ウサギがワニの背中を飛び渡って海を渡ったエピソード、覚えていますか?
実はこの物語、日本だけのものではないんです。インドではジャッカルがワニを騙し、東南アジアではネズミジカがワニの背を踏み、アフリカではウサギがワニを出し抜く——驚くほど似た物語が、世界各地で語り継がれています。
民俗学の世界では、こうした類似する物語を「話型」として分類しています。今回ご紹介するのは、ATU 58型「ワニがジャッカルを運ぶ(The Crocodile Carries the Jackal)」と呼ばれる話型です。
この記事では、世界各地に広がる「ワニ渡り」の民話について、その構造や分布、そして日本の「因幡の白兎」との関係まで詳しく解説します。
ATU分類とは?——昔話の世界地図
昔話を分類する試み
ATU分類(Aarne-Thompson-Uther Index)は、世界各地に伝わる昔話を類型ごとに整理した国際的なカタログです。
この分類システムは、100年以上かけて三人の民俗学者によって構築されてきました。
ATU分類の歴史
| 年代 | 編者 | 主な業績 |
|---|---|---|
| 1910年 | アンティ・アールネ(フィンランド) | 約800の昔話を分類した初版を発表 |
| 1928年 | スティス・トンプソン(アメリカ) | 英訳・拡張版を刊行、AT番号の確立 |
| 2004年 | ハンス=イェルク・ウター(ドイツ) | 大幅改訂版ATU分類を発表 |
三人の頭文字を取って「ATU」と呼ばれており、2016年には日本語版『国際昔話話型カタログ』も出版されています。
番号で昔話を探す
ATU分類では、昔話に番号が振り当てられています。
例えば、「シンデレラ」はATU 510A、「赤ずきん」はATU 333、「白雪姫」はATU 709といった具合です。研究者はこの番号を使うことで、世界中の類話を体系的に比較できるようになりました。
ATU番号の大分類
- 1〜299番:動物昔話
- 300〜749番:本格昔話(魔法の話)
- 750〜849番:宗教的な話
- 850〜999番:現実的な話
- 1000〜2399番:笑い話
ATU 58型は「動物昔話」に分類されます。動物が主人公となり、知恵比べや騙し合いを繰り広げる物語群ですね。
ATU 58型の基本構造
「ワニがジャッカルを運ぶ」とは
ATU 58型の正式名称は「The Crocodile Carries the Jackal」——直訳すれば「ワニがジャッカルを運ぶ」となります。
この話型の基本的なあらすじは、次のようなものです。
基本プロット
- ウサギ(またはジャッカル、猿など)が川や海を渡りたいと思う
- 対岸においしい食べ物がある、どこかに招待されているなどの理由がある
- 泳げない主人公は、ワニを説得して背中に乗せてもらう
- 渡る途中、あるいは渡った後で主人公がワニを侮辱する
- 怒ったワニが主人公を溺れさせようとする
- 主人公は機転を利かせて逃げ延びる
重要なバリエーション
話型研究者ウターの記述によると、この話型にはいくつかの重要なパターンがあります。
- 騙して並ばせる型:主人公がワニたちを「数を数えるから」と騙して一列に並ばせ、その背を踏んで渡る
- 約束を破る型:主人公が「結婚の約束」や「報酬の約束」をしてワニに運ばせ、渡った後で約束を破る
- 侮辱する型:渡っている途中で「お前は臭い」などと侮辱し、怒ったワニに報復される
世界各地の類話
インド——パンチャタントラの「猿とワニ」
インドの古典説話集『パンチャタントラ』(紀元前4世紀頃成立)には、ATU 58型と密接に関連する物語が収録されています。
物語のあらすじ
川辺のジャンブー(ブラックベリー)の木に住む猿のラクタムカと、川に住むワニのカララムカは友達になりました。猿は毎日おいしい果物をワニに分けてやり、ワニはそれを妻に持ち帰ります。
しかしワニの妻は嫉妬深く、こう言いました。「こんなにおいしい果物を毎日食べている猿の心臓は、さぞかしおいしいでしょう。私に猿の心臓を持ってきて」
ワニは苦悩しましたが、妻の脅しに負けて猿を騙すことにします。「妻が会いたがっている。背中に乗って我が家においで」
川の真ん中でワニは本当のことを打ち明けます。猿は青ざめましたが、すぐに機転を利かせました。「ああ、それなら先に言ってくれればよかったのに! 僕の心臓は木の洞に置いてあるんだ。取りに戻ろう」
愚かなワニはそれを信じて引き返し、猿は木に飛び移って逃げ延びたのです。
この「心臓を木に置いてきた」というトリックは、ATU 91型「猿の心臓」として独立した話型にもなっており、日本の「クラゲの骨なし」の原型とも言われています。
東南アジア——ネズミジカのサン・カンチル
マレーシアとインドネシアでは、サン・カンチル(Sang Kancil)——ネズミジカの民話が非常に人気です。
ネズミジカは体長30〜40センチほどの小さな有蹄類で、東南アジアの熱帯雨林に生息しています。この小さな動物が、体の大きな捕食者を知恵で出し抜く物語が、何百年も語り継がれてきました。
物語のあらすじ
ある日、カンチルは川の向こう岸においしいランブータンの木を見つけました。しかし川にはブアヤ(ワニ)がうようよしています。
カンチルは策を練りました。「やあ、ブアヤさん! 王様がパーティーを開くことになったんだ。ワニの数を数えてくるよう命じられたんだけど、君たちの家族を一列に並べてくれないかな?」
ワニたちは王様の名前を聞いて大喜びで一列に並びました。カンチルは「1、2、3……」と数えながらワニの背中を渡っていき、向こう岸に着くと大笑いしました。
「ありがとう! おかげで川を渡れたよ!」
東南アジアには「Cerdik macam Kancil(カンチルのように賢い)」ということわざがあり、ネズミジカは知恵の象徴として親しまれています。
インド・パンジャーブ地方——ジャッカルとワニ
フローラ・アニー・スティールが1917年に編纂した『パンジャーブの昔話』には、ATU 58型の名称そのものの物語が収録されています。
物語のあらすじ
ある日、ジャッカル氏は川の向こう岸に実ったプラムの木を見つけました。泳げないジャッカル氏は、川を流れてきた美しいワニ嬢に甘い言葉をかけます。
「なんて美しい泳ぎでしょう! 私たち二人で向こう岸に行って、プラムを一緒に食べませんか?」
ワニ嬢は「結婚の約束をしてくれるなら」と言い、ジャッカル氏は「もちろん! 帰ったらすぐ理髪師を呼んで結婚の準備をしよう」と約束しました。
しかしプラムをたらふく食べたジャッカル氏は、岸に着くや否や逃げ出してしまいます。怒ったワニ嬢は復讐を誓い、ジャッカル氏の住処で待ち伏せしますが、賢いジャッカル氏は「死体は尻尾を振るはずだ」と叫び、ワニ嬢が尻尾を振ったのを見て罠だと気づいて逃げ延びました。
日本——因幡の白兎
日本で最もよく知られているATU 58型の類話が、『古事記』に記された「因幡の白兎(稲羽の素兎)」です。
物語のあらすじ
隠岐の島に住んでいた兎は、因幡の国に渡りたいと思っていました。そこで海にいるワニ(和邇)を騙して一列に並ばせます。
「私とあなたたちの一族、どちらが多いか数えよう。気多の岬まで並んでくれ」
兎はワニの背を踏んで渡り、最後の一匹の上で「お前たちは騙されたのさ」と嘲りました。怒ったワニは兎を捕まえ、毛皮を剥ぎ取ってしまいます。
泣いていた兎に、八十神たちは「海水で洗って風に当たれ」と意地悪を教え、兎はますます苦しみました。しかし最後にやってきた大国主命(大穴牟遅神)は「真水で体を洗い、蒲の穂の上に寝転がりなさい」と正しい治療法を教え、兎は回復しました。
「ワニ」はサメか爬虫類か?
因幡の白兎に登場する「和邇(ワニ)」が何を指すのかは、長年議論されてきました。
- サメ説:山陰地方では現在もサメを「ワニ」と呼ぶ方言があり、古代日本に爬虫類のワニは生息していなかったという合理的解釈
- 爬虫類説:東南アジアやインドの類話では明確に爬虫類のワニが登場しており、物語の伝播経路を考えると爬虫類が原型という見方
- 神話的存在説:江戸時代の絵画では龍のような怪物として描かれることもあり、実在の動物ではなく神話的な水の怪物を指すという解釈
歴史学者の喜田貞吉が戦前の教科書で「ワニザメ」と表記して以来、「ワニ=サメ」説が一般的になりましたが、決着はついていません。
アフリカの類話
アフリカにもATU 58型の類話があります。
ウサギがワニを騙す話
湖を迂回するのを面倒がったウサギが、ワニたちを挑発して一列に並ばせ、その背を踏んで渡ります。しかし最後のワニに尻尾を噛みちぎられてしまいました。だから今のウサギには短い尻尾しかないのだ——という「起源説話」として語られています。
なぜ同じ物語が世界中にあるのか
伝播説と多元発生説
世界各地に類似した民話が存在する理由については、大きく分けて二つの考え方があります。
伝播説
一つの地域で生まれた物語が、交易や人の移動によって各地に広まったという考え方です。ATU 58型の場合、インドを起源とし、シルクロードや海上交易路を通じて東南アジアや日本、アフリカに伝わったと考える研究者もいます。
多元発生説
異なる地域で、似たような環境や発想から独立に同じような物語が生まれたという考え方です。川や海を渡るという普遍的な願望と、「知恵で強者を出し抜く」という人間共通のテーマが、各地で独自に物語化されたとも考えられます。
南方起源説
因幡の白兎については、南方起源説が有力視されています。
この説によれば、ATU 58型の物語は東南アジアで発生し、海洋民族の移動とともに日本に伝わったとされます。特に「ワニを騙して渡る」というモチーフは、熱帯地方に生息する爬虫類のワニを前提としており、もともとサメのいない川の話だったのではないかと考えられています。
日本に伝わる過程で、舞台が川から海に変わり、登場人物もウサギになり、「ワニ」が方言のサメと混同されるようになった——というわけです。
物語に込められた教訓
トリックスターの知恵
ATU 58型に登場するウサギ、ジャッカル、ネズミジカ、猿などは、いずれもトリックスターと呼ばれるキャラクター類型です。
トリックスターとは、知恵や策略で強者を出し抜く「いたずら者」のこと。体が小さく力が弱い存在が、頭の良さで危機を切り抜ける姿は、世界中の人々に愛されてきました。
約束と報復
多くのバージョンで、主人公は約束を破ったり相手を侮辱したりして、報復を受けています。
- 因幡の白兎は毛皮を剥がれる
- アフリカのウサギは尻尾を噛みちぎられる
- パンジャーブのジャッカルはワニの執拗な追跡を受ける
これは「口先だけで人を騙してはいけない」「約束は守るべきだ」という道徳的な教訓を含んでいるとも解釈できます。ただし、物語の結末では主人公が最終的に勝利することが多く、「知恵で生き延びる」ことへの肯定的な評価も見られます。
ATU 58型の類話一覧
世界各地に分布するATU 58型の類話を、地域別にまとめました。
アジア
| 地域 | 話名 | 主人公 | 相手 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|
| 日本 | 因幡の白兎 | ウサギ | ワニ(和邇) | 毛皮を剥がれる |
| インド(パンチャタントラ) | 猿とワニ | 猿 | ワニ | 心臓トリック |
| インド(パンジャーブ) | ジャッカルとワニ | ジャッカル | ワニ | 結婚の約束 |
| マレーシア | サン・カンチル | ネズミジカ | ワニ | 王様の宴会 |
| インドネシア | シ・カンチル | ネズミジカ | ワニ | 数を数える |
| タイ | 鹿とワニ | 鹿 | ワニ | 洪水で川を渡る |
| フィリピン | 猿とワニ | 猿 | ワニ | 心臓トリック |
| ベトナム | ウサギとワニ | ウサギ | ワニ | 家族の数比べ |
アフリカ
| 地域 | 話名 | 主人公 | 相手 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|
| スワヒリ | 猿の心臓 | 猿 | ワニ | 心臓を取りに戻る |
| 西アフリカ | ウサギとワニ | ウサギ | ワニ | 尻尾を失う起源説話 |
| コートジボワール | 人とワニ | 人間・ウサギ | ワニ | ウサギが裁判官 |
関連する話型
ATU 58型と関連の深い話型もご紹介します。
ATU 91型「猿の心臓」
パンチャタントラの「猿とワニ」のように、「心臓を木に置いてきた」と騙すトリックが中心の話型。日本では「クラゲの骨なし」として知られています。
ATU 155型「恩知らずのワニ」
助けてもらったワニが恩人を食べようとするが、ジャッカルなど第三者の機転で助かる話。インドやパキスタンに多く見られます。
ATU 5型「根っこを噛む」
ジャッカルがワニに足を噛まれた際、「それは根っこだよ」と騙して逃げる話。ATU 58型の一部として組み込まれることもあります。
現代への影響
絵本・児童文学
ATU 58型の物語は、世界各地で絵本や児童書として出版されています。
- 日本では「因幡の白兎」が小学校の教科書に掲載
- マレーシアでは「サン・カンチル」シリーズが国民的な児童文学
- インドでは「パンチャタントラ」が道徳教育の教材として使用
ゲーム・アニメ
「因幡の白兎」は日本のゲームやアニメにもよく登場します。『東方Project』のキャラクター「因幡てゐ」は、この神話に由来する地上の兎です。また、神社めぐりブームとともに、鳥取県の白兎神社が「恋愛成就のパワースポット」として人気を集めています。
マラッカの紋章
マレーシアのマラッカ州の紋章には、二匹のネズミジカが描かれています。これはマラッカ王国建国の伝説に登場するサン・カンチルに由来しており、小さな動物の知恵が国のシンボルとなっている珍しい例です。
まとめ
ATU 58型「ワニがジャッカルを運ぶ」は、世界各地に広がる普遍的な民話のパターンです。
重要なポイント
- ATU分類は、世界の昔話を体系的に整理した国際的なカタログ
- ATU 58型の基本構造は「小動物がワニを騙して水を渡る」というもの
- インド、東南アジア、日本、アフリカなど広範囲に類話が分布
- 日本の「因幡の白兎」もATU 58型に分類される
- 「ワニ」がサメか爬虫類かは今も議論が続いている
- トリックスター(いたずら者)の知恵を讃える物語群
- 現代でも絵本やゲーム、文化シンボルとして親しまれている
遠く離れた国々で、なぜこれほど似た物語が語り継がれているのでしょうか。それは、「知恵で困難を乗り越えたい」という人類共通の願いが、どこでも同じように物語として結晶化したからかもしれません。
次に「因幡の白兎」の絵本を手に取ったとき、ぜひ東南アジアのネズミジカや、インドの賢い猿のことを思い出してみてください。一つの昔話の向こうに、世界中の物語がつながっていることに気づくはずです。


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