コヨルシャウキとは?アステカ神話の「鈴で飾られた女神」を徹底解説

アステカ神話には、ギリシャ神話や北欧神話に負けないほどドラマチックな物語がたくさんあります。その中でも特に衝撃的なのが、コヨルシャウキという女神の神話です。弟に殺され、バラバラにされて山から転がり落ちるという壮絶な最期を迎えた彼女は、1978年にメキシコシティで発見された巨大な石板によって、世界的に有名になりました。

この記事では、コヨルシャウキの神話、名前の意味、考古学的発見、そして「月の女神」という通説の真偽について、一次資料に基づいて詳しく解説していきます。


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コヨルシャウキの基本情報

コヨルシャウキ(Coyolxauhqui)は、アステカ神話(メシカ神話)に登場する女神です。まずは基本的な情報を整理してみましょう。

名前の意味

コヨルシャウキという名前は、ナワトル語で「鈴で飾られた者」あるいは「鈴で描かれた者」を意味します。「coyolli」が「鈴」、「xauhqui」が「飾られた・描かれた」という意味で、彼女の頬には金属製の鈴が描かれていたことに由来しています。英語では「Painted with Bells」(鈴で描かれた)や「Bells-Her-Cheeks」(頬に鈴を持つ者)と訳されることが多いです。

ナワトル語での発音は「コヨルシャウキ」([kojoɬˈʃaːʍki])で、英語圏では「Koy-ol-shauw-kee」と発音されることが多いです。

家族関係

コヨルシャウキの家族関係は以下の通りです。

  • 母親:コアトリクエ(大地と豊穣の女神、名前は「蛇のスカートの女」の意味)
  • 弟:ウィツィロポチトリ(戦争と太陽の神、メシカ人の守護神)
  • 兄弟姉妹:センツォン・ウィツナワ(「400人の南の者たち」、南天の星々を象徴)

図像的特徴

コヨルシャウキを描いた遺物から、彼女の特徴的な姿が分かっています。

  • 頬に金属製の鈴(コヨリ)をつけている
  • 耳には年を表す記号の形をした飾りをつけている
  • 鷲の羽毛を使った頭飾りをかぶっている
  • 腰帯の背中部分には髑髏がついている

これらの特徴は、かまどの女神チャンティコとの図像学的な共通点も指摘されています。


神話:ウィツィロポチトリ誕生譚

コヨルシャウキが登場するもっとも有名な神話は、弟ウィツィロポチトリの誕生にまつわる物語です。この神話は、16世紀にスペイン人宣教師ベルナルディーノ・デ・サアグンが編纂した『フィレンツェ絵文書』(フロレンティーノ絵文書)の第3書に詳しく記録されています。

物語のあらすじ

女神コアトリクエは、コアテペク(「蛇の山」の意味)の山頂にある神殿で掃除をしていました。すると天から美しい羽毛の玉が落ちてきたのです。コアトリクエはその羽毛を拾い、腰のあたりに入れておきました。

ところが掃除を終えて羽毛を探すと、どこにも見当たりません。不思議に思っていると、やがてコアトリクエは妊娠していることに気づきました。

娘のコヨルシャウキと400人の息子たち(センツォン・ウィツナワ)は、母親の謎の妊娠を知って激怒します。父親が誰かも分からない子を身ごもるとは不品行である、これは一族の恥だ、と考えたのです。コヨルシャウキは兄弟たちを率いて、母親を殺すことを決意しました。

武装して生まれた神

兄弟たちがコアテペクに向かって進軍する中、コアトリクエは恐怖に震えていました。しかし胎内の子が語りかけてきます。「心配しないでください。私が守ります」と。

コヨルシャウキたちがまさに母親を殺そうとした瞬間、ウィツィロポチトリが完全武装した戦士の姿で誕生しました。彼は「シウコアトル」(火の蛇)という強力な武器を手にしていました。これは太陽の光線を象徴する武器とされています。

ウィツィロポチトリはまずコヨルシャウキに攻撃を加えました。シウコアトルで彼女の体を貫き、首をはね、手足をバラバラに切り刻みました。そしてその体をコアテペクの斜面に投げ落としたのです。コヨルシャウキの体は山を転がり落ちながら、バラバラになっていきました。

その後、ウィツィロポチトリは400人の兄弟たちも打ち破りました。

神話の別バージョン

実は、コヨルシャウキには別の伝承も存在します。

『フィレンツェ絵文書』などの記録によると、別のバージョンでは、コヨルシャウキはウィツィロポチトリの「姉」ではなく「母」とされています。この伝承は、メシカ人がアストラン(伝説上の故郷)からメキシコ盆地へ移住する際の出来事として語られています。

この伝承では、メシカ人が旅の途中でコアテペクという理想郷に到着します。カエルや魚、水鳥があふれる素晴らしい場所でした。コヨルシャウキと400人の子どもたちはここに留まりたいと願いましたが、ウィツィロポチトリは「ここは目的地ではない」と主張して出発を促しました。

その夜、球戯場で騒ぎが起き、翌朝になるとウィツィロポチトリはコヨルシャウキの首をはね、心臓を食べていました。そしてコアテペクの水源を断ち、メシカ人を無理やり出発させたのです。


「月の女神」説の真相

コヨルシャウキは一般的に「月の女神」として紹介されることが多いです。しかし、この解釈には学術的な問題があることを知っておく必要があります。

ゼーラーの解釈

コヨルシャウキを「月の女神」と解釈したのは、19世紀末から20世紀初頭に活躍したドイツの人類学者エドゥアルト・ゼーラーです。彼は、ウィツィロポチトリが太陽を象徴するのであれば、対立するコヨルシャウキは月を象徴するのだろうと推測しました。

この解釈は、太陽(ウィツィロポチトリ)が月(コヨルシャウキ)と星々(400人の兄弟)に毎日勝利するという天体現象の寓話として、神話を説明するのに都合が良かったのです。

一次資料での確認状況

しかし、16世紀の一次資料(『フィレンツェ絵文書』など)を確認すると、コヨルシャウキが「月の女神である」と明言された記述は見つかっていません。

メソアメリカ考古学者のカール・タウベは、著書『The Gods and Symbols of Ancient Mexico and the Maya』(邦訳『図説マヤ・アステカ神話宗教事典』)の中で、コヨルシャウキの図像に月を象徴する要素が見られないことを指摘しています。

また、彼女の首が空に投げ上げられて月になったというエピソードも、一部の文献では言及されていますが、16世紀の一次資料で確認することは難しいとされています。

銀河の女神説

コヨルシャウキを「銀河の女神」とする説もありますが、こちらも明確な根拠は示されていません。現時点では、コヨルシャウキと天体との関係は学術的に確定していないのが実情です。

ただし、神話における役割や、ウィツィロポチトリ(太陽神的側面を持つ)との対立構造から、天文学的な象徴性を持っていた可能性は否定できません。この点については今後の研究に委ねられています。


考古学的発見:コヨルシャウキの石板

コヨルシャウキの名前を世界的に有名にしたのは、1978年に発見された巨大な石板です。この発見は、メキシコ考古学史上もっとも重要な出来事の一つとされています。

発見の経緯

1978年2月21日、メキシコシティ中心部で電力会社の作業員たちが地下ケーブル工事のために掘削作業を行っていました。彼らはある深さで、レリーフが刻まれた大きな石に遭遇したのです。

作業員たちは工事を中断し、国立人類学歴史研究所(INAH)に連絡しました。考古学者たちが調査に駆けつけ、この石が五体をバラバラにされた女性を描いた巨大なモノリス(一枚岩の彫刻)であることが判明します。

すぐに、これがアステカ神話のコヨルシャウキを描いたものであると特定されました。

石板の特徴

コヨルシャウキの石板には以下のような特徴があります。

物理的特徴

  • 素材:アンデサイト(安山岩の一種、ピンクがかった火山岩)
  • 直径:約3.25メートル
  • 厚さ:約30センチメートル
  • 重量:約8.5トン
  • 形状:盾のような円盤状
  • 技法:高浮き彫り(ハイレリーフ)

描写の内容

石板には、仰向けに倒れたコヨルシャウキが描かれています。彼女の体は首、腕、脚が胴体から切り離され、円形の構図の中にダイナミックに配置されています。切断面にはホタテ貝のような形の彫刻が施されています。

コヨルシャウキは蛇の腰帯以外はほぼ裸の姿で描かれています。アステカ社会において裸は恥辱と敗北を象徴するものでした。頬には特徴的な鈴の文様があり、髪には羽毛と綿毛の飾りがついています。

制作時期

石板は、アシャヤカトル王(在位1469年〜1481年)の治世に制作されたと考えられています。具体的には1473年頃とする説が有力です。テンプロ・マヨールの発掘調査では、この石板は「第IV期」と呼ばれる建設段階に属することが確認されました。

テンプロ・マヨール発掘プロジェクト

コヨルシャウキの石板の発見は、考古学者エドゥアルド・マトス・モクテスマが率いる大規模な発掘プロジェクトの契機となりました。

石板が発見された場所は、かつてのアステカ帝国の首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ中心部)のテンプロ・マヨール(「大神殿」の意味)の真下だったのです。石板は、ウィツィロポチトリに捧げられた神殿の階段の基部という、神話にふさわしい場所に置かれていました。

この発見を機に、テンプロ・マヨールの本格的な発掘が始まり、現在も調査は続いています。発掘によって、神殿の7つの建設段階や、数千点に及ぶ奉納品、2006年に発見された巨大なトラルテクトリ(大地の神)のモノリスなど、数多くの重要な遺物が出土しています。

現在の所蔵場所

コヨルシャウキの石板は現在、メキシコシティのテンプロ・マヨール博物館に展示されています。発見された場所からほど近いこの博物館で、訪れる人々はこの傑作を間近で見ることができます。


宗教的・政治的意味

コヨルシャウキの石板は、単なる芸術作品ではありませんでした。アステカ帝国において、深い宗教的・政治的意味を持っていたのです。

神話の再現装置としてのテンプロ・マヨール

考古学者マトス・モクテスマは、テンプロ・マヨールのウィツィロポチトリ神殿全体が神話に登場するコアテペク(蛇の山)を模して建設されたと指摘しています。

神殿の両脇には大きな蛇の頭部の彫刻が配置され、「蛇の山」であることを示しています。神殿の頂上にはウィツィロポチトリの祠があり、階段の基部にはバラバラにされたコヨルシャウキの石板が置かれていました。

つまり、神殿そのものが神話の舞台を立体的に再現していたのです。

人身御供の儀式

テンプロ・マヨールでは、ウィツィロポチトリに捧げる人身御供の儀式が行われていました。その儀式は、コヨルシャウキ神話の再現として執り行われました。

捕虜(戦争で捕らえた敵の戦士など)は神殿の頂上に連れて行かれ、ウィツィロポチトリの祠の前で心臓を抉り出されました。そしてその体は神殿の階段から投げ落とされ、基部に置かれたコヨルシャウキの石板の上に落下したのです。

落下した体はさらに斬首・四肢切断され、まさに神話でコヨルシャウキが受けた運命と同じ状態にされました。こうして神話の場面が繰り返し再現され、宇宙の秩序が維持されると考えられていたのです。

パンケツァリストリの祭り

アステカ暦の第15月には「パンケツァリストリ」(「旗を掲げる」の意味)という祭りが行われました。これはウィツィロポチトリに捧げられた祭りで、コヨルシャウキと400人の兄弟に対する勝利を記念するものでした。

この祭りの期間中、特に盛大な儀式と人身御供が行われたと記録されています。

敵への警告

コヨルシャウキの石板には、政治的なメッセージも込められていました。

石板に描かれた裸でバラバラにされた女神の姿は、アステカ帝国に逆らう者がどのような運命をたどるかを示す警告でした。アステカの歴史観では、コヨルシャウキのような女性の神々が最初に戦争で敗れた敵であったとされ、彼女は全ての被征服者を象徴する存在となっていたのです。

神殿に連れてこられた捕虜たちは、階段を上る前にこの石板を目にしました。自分がまもなくコヨルシャウキと同じ運命をたどることを、否応なく思い知らされたことでしょう。


現代における文化的影響

コヨルシャウキは、現代のメキシコ文化においても重要なシンボルとして生き続けています。

メキシコの貨幣

1982年から1984年にかけて、メキシコで発行された50ペソ硬貨にはコヨルシャウキの石板のデザインが採用されました。

チカーノ運動のシンボル

アメリカ合衆国のチカーノ(メキシコ系アメリカ人)コミュニティでは、コヨルシャウキは文化的アイデンティティの重要なシンボルとなっています。1978年の石板発見は、先住民の文化遺産への関心を高める契機となりました。

フェミニスト的解釈

一部の現代の研究者やアーティストは、コヨルシャウキを女性の力と抵抗の象徴として再解釈しています。彼女の物語は、家父長制的な権力構造への挑戦として読み解かれることもあります。


まとめ

コヨルシャウキについて、この記事で解説した主なポイントをまとめます。

  • コヨルシャウキはアステカ神話に登場する女神で、名前は「鈴で飾られた者」を意味する
  • 神話では、母コアトリクエの不品行を怒って殺そうとしたが、弟ウィツィロポチトリに返り討ちにされ、バラバラにされた
  • 「月の女神」という説は19世紀の学者ゼーラーの解釈であり、16世紀の一次資料では確認されていない
  • 1978年にメキシコシティで発見された直径3.25メートルの石板は、テンプロ・マヨール発掘のきっかけとなった
  • 石板は神話の再現装置であり、人身御供の儀式や敵への警告という宗教的・政治的機能を持っていた
  • 現代でもメキシコ文化の重要なシンボルとして親しまれている

アステカ神話の中でも特にドラマチックな物語を持つコヨルシャウキ。その神話は単なる伝説ではなく、アステカ社会の宗教観、宇宙観、政治構造を理解する上で欠かせない存在です。メキシコを訪れる機会があれば、ぜひテンプロ・マヨール博物館でこの壮大な石板を実際に見てみてください。


参考情報

この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。

一次資料(原典)

学術資料・研究機関

百科事典・データベース

ニュース・報道

注記

「月の女神」説について:エドゥアルト・ゼーラー(Eduard Seler, 1849-1922)による解釈は広く流布していますが、16世紀の一次資料で「コヨルシャウキが月の女神である」と明言された記述は確認されていません。カール・タウベをはじめとする現代の研究者の中には、この解釈に疑問を呈する者もいます。本記事では、この学術的な議論を踏まえた上で、両方の見解を紹介しています。

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