中国の時代一覧|4000年の歴史を王朝順にわかりやすく解説

神話・歴史・伝承

「三国志」や「キングダム」で中国の歴史に興味を持ったけど、時代が多すぎてよくわからない……。

そんな経験はありませんか?

中国の歴史は約4000年にわたり、数多くの王朝が興亡を繰り返してきました。夏王朝に始まり、清王朝の滅亡まで、その間には統一と分裂を何度も経験しています。「秦」「漢」「唐」「宋」「明」「清」といった名前は聞いたことがあっても、それぞれがどんな時代だったのか、どういう順番で並んでいるのかは意外と知らない方も多いでしょう。

この記事では、中国の歴史を時代順に整理し、それぞれの特徴をわかりやすく解説していきます。


スポンサーリンク

中国の時代区分の基本

なぜ「王朝」で時代を分けるの?

中国の歴史は、王朝(dynasty) という単位で区分されるのが一般的です。

王朝とは、ひとつの家系が皇帝の位を代々受け継いで国を治める政権のことを指します。新しい勢力が古い王朝を倒すと、新しい王朝が始まるという形で歴史が刻まれてきました。

中国では、この王朝交代を「天命が移る」と表現していました。つまり、天(神)から国を治める権利を与えられた者が皇帝になるという考え方です。

この考えを天命思想または易姓革命と呼びます。

統一王朝と分裂時代

中国史を理解する上で重要なのは、統一王朝の時代分裂の時代を区別することです。

秦や漢、唐、宋、明、清などは中国全土(または大部分)を支配した統一王朝でした。一方、三国時代や南北朝時代、五代十国時代などは、複数の国が同時に存在した分裂期にあたります。

分裂期は複雑で覚えにくいのですが、逆に言えば統一王朝の流れさえ押さえておけば、中国史の大きな骨格は理解できるということでもあります。


古代中国──文明の始まり

夏(か)王朝|紀元前2070年頃〜紀元前1600年頃

中国最古の王朝とされるのが夏王朝です。

伝説によれば、治水に成功した禹(う) という人物が開いたとされています。禹は黄河の洪水を治め、人々を救ったことで王に推されました。ただし、夏王朝については考古学的な証拠が十分ではなく、実在を疑問視する研究者もいます。

中国では夏王朝の始まりを紀元前2070年頃としており、これが「中国4000年の歴史」の根拠となっています。

殷(いん)/商(しょう)王朝|紀元前1600年頃〜紀元前1046年頃

殷王朝は、考古学的に実在が確認されている最古の王朝です。

「殷」は後世の呼び名で、当時は「商」と呼ばれていたため、殷商または単にとも表記されます。

この時代の最大の特徴は甲骨文字の使用でした。亀の甲羅や牛の骨に刻まれた文字で占いを行い、その記録が現代まで残っています。これが漢字の原型となり、現在使われている漢字へとつながっていったのです。

また、青銅器の製造技術が高度に発達し、精巧な祭器が数多く作られました。

周(しゅう)王朝|紀元前1046年〜紀元前256年

周王朝は約800年続いた、中国史上最も長い王朝です。

創始者の武王が殷の紂王を倒して建国しました。周は封建制度を採用し、一族や功臣に土地を与えて諸侯として統治させる仕組みを作り上げています。

周王朝は大きく2つの時期に分けられます。

西周(紀元前1046年〜紀元前771年) は、都を鎬京(こうけい、現在の西安付近)に置いた時代です。王室の権威が強く、諸侯を統率していました。

東周(紀元前770年〜紀元前256年) は、異民族の侵入により都を洛邑(らくゆう、現在の洛陽付近)に移した後の時代です。この時期、王室の権威は衰え、諸侯が力を持つようになりました。

東周時代はさらに春秋時代戦国時代に分けられます。


春秋戦国時代──群雄割拠の時代

春秋時代|紀元前770年〜紀元前476年頃

春秋時代の名前は、孔子が編纂したとされる歴史書『春秋』に由来しています。

この時代は、周王室の権威が名目上は残りながらも、有力な諸侯が覇権を争った時代でした。特に力を持った5人の諸侯は春秋五覇と呼ばれています(斉の桓公、晋の文公など)。

また、この時代には孔子が登場し、後に中国思想の根幹となる儒教の基礎を築きました。

戦国時代|紀元前475年〜紀元前221年

春秋時代の終わりには、多くの小国が淘汰され、7つの大国が残りました。これが戦国七雄と呼ばれる秦・楚・燕・韓・魏・趙・斉です。

戦国時代は文字通り「戦争の時代」でした。諸国は富国強兵に励み、激しい合戦を繰り返します。同時に、諸子百家と呼ばれる多様な思想家たちが活躍し、儒家、道家、法家、墨家などの学派が競い合いました。

最終的に、法家思想を採用して国力を高めたが他の6国を滅ぼし、中国統一を果たすことになります。

漫画『キングダム』の舞台となっているのが、まさにこの戦国時代です。


秦漢時代──最初の統一帝国

秦(しん)王朝|紀元前221年〜紀元前206年

紀元前221年、秦王の嬴政(えいせい)が中国を統一し、始皇帝を名乗りました。

「皇帝」という称号はこのとき初めて作られたもので、それまでの「王」よりも上位の存在であることを示しています。

始皇帝は中央集権体制を確立し、郡県制を導入しました。また、度量衡(ものさしや重さの単位)や文字、貨幣の統一を行い、万里の長城の建設も進めています。

しかし、厳しい法治主義と過酷な労役、焚書坑儒などの弾圧政策により民衆の不満が高まりました。始皇帝の死後わずか4年で秦は滅亡し、統一王朝としては15年ほどの短命に終わっています。

漢(かん)王朝|紀元前206年〜紀元220年

秦の滅亡後、劉邦項羽が天下を争い、最終的に劉邦が勝利して漢王朝を建国しました。

漢王朝は約400年続き、中国の基礎を築いた王朝として非常に重要です。現在の中国の主要民族を「漢民族」、中国語の文字を「漢字」と呼ぶのは、この漢王朝に由来しています。

漢王朝は途中で一度中断しており、前後で分けられます。

前漢(紀元前206年〜紀元8年) は、都を長安(現在の西安)に置いた時代です。武帝の時代には領土を大きく拡大し、シルクロードを通じて西域との交易も始まりました。儒教が国家の正統思想として採用されたのもこの時代です。

新(紀元8年〜23年) は、外戚の王莽が前漢を滅ぼして建てた王朝です。復古主義的な政策を行いましたが、混乱を招いて短命に終わりました。

後漢(紀元25年〜220年) は、劉秀(光武帝)が漢を再興した時代で、都を洛陽に置きました。後漢末期には宦官と外戚の権力争い、黄巾の乱などにより国力が衰退し、最終的に三国時代へと移行していきます。


魏晋南北朝時代──約370年の分裂期

後漢の滅亡から隋による再統一まで、中国は約370年にわたる分裂の時代を迎えました。この時期を総称して魏晋南北朝時代と呼びます。

複雑な時代ですが、大きく4つの段階に分けると理解しやすくなります。

三国時代|220年〜280年

後漢末期の混乱の中から、3つの国が生まれました。

国名建国者地域
魏(ぎ)曹操→曹丕洛陽華北
蜀(しょく)劉備成都四川
呉(ご)孫権建業江南

この時代を描いた『三国志演義』は、中国四大名著のひとつとして現在も広く親しまれています。諸葛亮の知略、関羽や張飛の武勇、曹操の英雄性など、魅力的な人物が数多く登場する時代です。

なお、日本の邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を送ったのも、この三国時代のことです。

晋(しん)王朝|265年〜420年

魏の重臣だった司馬氏が魏を乗っ取り、を建国しました。280年には呉を滅ぼして中国を統一しています。

西晋(265年〜316年) の統一は短く、皇族同士の争い(八王の乱)をきっかけに北方異民族が侵入し、316年に滅亡しました。

東晋(317年〜420年) は、西晋の皇族が南方に逃れて建てた王朝です。以後、中国は南北に分裂した状態が続くことになります。

五胡十六国時代|304年〜439年

西晋の滅亡後、華北では五胡と呼ばれる北方民族が次々と国を建てました。

五胡とは、匈奴(きょうど)・鮮卑(せんぴ)・羯(けつ)・氐(てい)・羌(きょう) の5つの民族を指します。これらの民族が建てた国々と漢民族の国を合わせて16の主要な国があったことから、五胡十六国時代と呼ばれています。

この時代は非常に複雑で、国が次々と興亡を繰り返しました。最終的に鮮卑族の北魏が439年に華北を統一し、五胡十六国時代は終わりを迎えます。

南北朝時代|439年〜589年

五胡十六国時代の終結後、中国は南北に分かれた状態が続きました。

北朝は華北を支配した王朝群で、北魏から始まり、東魏・西魏、北斉・北周へと変遷しました。

南朝は江南を支配した漢民族の王朝群で、宋→斉→梁→陳と4つの王朝が交代しました。これらの王朝はすべて建康(現在の南京)を都としたため、三国時代の呉と東晋を合わせて六朝とも呼ばれます。

南北朝時代には仏教が大いに広まり、雲岡石窟や龍門石窟などの仏教遺跡が造られました。


隋唐時代──中華帝国の黄金期

隋(ずい)王朝|581年〜618年

589年、北周の外戚だった楊堅(文帝) が南朝の陳を滅ぼし、約370年ぶりに中国を統一しました。

隋は短命な王朝でしたが、後の中国に大きな影響を与える制度を整備しています。科挙制度(官僚登用試験)の原型を作り、大運河の建設を進めました。

しかし、2代目の煬帝が高句麗遠征の失敗や過度な土木事業で民衆を疲弊させ、各地で反乱が起きて滅亡しました。

唐(とう)王朝|618年〜907年

隋の武将だった李淵が反乱を起こし、唐王朝を建国しました。

唐は約290年続いた大帝国で、中国史上最も国際色豊かな時代として知られています。都の長安は人口100万を超える世界最大級の都市となり、シルクロードを通じてペルシアやアラビアの商人も訪れていました。

特に2代目皇帝太宗(李世民) の治世は「貞観の治」と呼ばれ、中国史上最も優れた統治のひとつとして評価されています。

また、唐の時代には中国史上唯一の女帝武則天が登場しました。彼女は国号を「周」と改め、一時的に唐を中断させています。

唐代には李白や杜甫といった詩人が活躍し、唐詩は中国文学の最高峰とされています。日本との関係も深く、遣唐使を通じて多くの文化が日本に伝わりました。


五代十国から宋へ──分裂と再統一

五代十国時代|907年〜960年

唐の滅亡後、中国は再び分裂の時代を迎えます。

華北では後梁・後唐・後晋・後漢・後周の5つの王朝が短期間で交代し、これを五代と呼びます。同時期に、華北以外の地域では十国と呼ばれる10の国が割拠していました。

この時代は約50年と比較的短いものでしたが、印刷技術の発達や火薬の軍事利用など、技術面での進歩がありました。

宋(そう)王朝|960年〜1279年

後周の武将趙匡胤(太祖) がクーデターで皇帝となり、宋王朝を建国しました。

宋は軍事的には弱く、北方民族に圧迫され続けた王朝でしたが、経済と文化の面では中国史上最も繁栄した時代のひとつです。

北宋(960年〜1127年) は、都を開封に置いた時代です。科挙制度が完成し、士大夫(文人官僚)が政治の中心となりました。商業が発達し、世界初の紙幣も発行されています。

しかし、北方の(女真族の王朝)に攻められ、皇帝が捕虜となる「靖康の変」が起きて北宋は滅亡しました。

南宋(1127年〜1279年) は、皇族が南に逃れて杭州(臨安)で再建した王朝です。南宋は経済的に繁栄しましたが、最終的にモンゴル帝国(元)に滅ぼされました。

遼・金・西夏──北方民族の王朝

宋と同時期に、北方では異民族の王朝が並立していました。

遼(916年〜1125年) は、契丹族が建てた王朝です。現在の中国東北部とモンゴル高原を支配し、北宋から毎年多額の歳幣(銀と絹)を受け取っていました。

金(1115年〜1234年) は、女真族が建てた王朝です。遼を滅ぼし、さらに北宋も滅ぼして華北を支配しました。

西夏(1038年〜1227年) は、タングート族が建てた王朝です。現在の甘粛省・寧夏回族自治区あたりを支配し、独自の文字を持っていました。


元明清時代──大帝国の時代

元(げん)王朝|1271年〜1368年

モンゴル帝国のフビライ・ハンが国号を「大元」と定め、1279年に南宋を滅ぼして中国を統一しました。

元は、北方民族が中国全土を支配した最初の王朝です。モンゴル人を頂点とする民族差別政策を行い、漢民族は被支配階層に置かれました。

一方で、東西交流が活発化し、マルコ・ポーロがフビライに仕えたのもこの時代です。紙幣(交鈔)の使用が進み、『水滸伝』や『三国志演義』の原型となる物語も生まれました。

しかし、後期には政治が乱れ、紅巾の乱などの反乱が各地で発生して滅亡しました。

明(みん)王朝|1368年〜1644年

紅巾の乱から身を起こした朱元璋(洪武帝) が元を北方に追いやり、明王朝を建国しました。

明は漢民族による王朝の復興であり、約270年続きました。都は当初南京に置かれましたが、3代目の永楽帝の時代に北京に遷都されています。

永楽帝は鄭和の大艦隊をアフリカ東岸まで派遣させ、中国の国威を示しました。また、『永楽大典』という大百科事典の編纂も行っています。

明代後期には、日本との間で朱印船貿易が行われ、また豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で明軍と戦うこともありました。

清(しん)王朝|1644年〜1912年

明末の混乱に乗じて、満洲族(女真族の後裔)が中国に侵入し、清王朝を建国しました。

清は中国最後の王朝であり、約270年続いています。最盛期には現在の中国領土に加え、モンゴル、チベット、新疆、台湾も支配する大帝国でした。

康熙帝・雍正帝・乾隆帝の3代約130年間は「康煕・雍正・乾隆の盛世」と呼ばれ、政治が安定して文化も栄えました。

しかし、19世紀に入ると西洋列強の進出を受けるようになります。アヘン戦争(1840年〜1842年)で敗北して以降、清は不平等条約を次々と結ばされ、半植民地化が進んでいきました。

1911年の辛亥革命により清朝は倒され、1912年に最後の皇帝・溥儀が退位して、中国の王朝時代は終わりを迎えました。


近現代中国──共和制への移行

中華民国|1912年〜1949年

辛亥革命の結果、アジア初の共和国として中華民国が成立しました。

初代臨時大総統には孫文が就任しましたが、すぐに袁世凱に実権を奪われます。その後、軍閥の割拠、国民党と共産党の対立、日中戦争など、混乱の時代が続きました。

1949年、国共内戦に敗れた国民党政府は台湾に撤退し、大陸での中華民国の統治は終わりました。

中華人民共和国|1949年〜現在

1949年10月1日、毛沢東が北京で中華人民共和国の成立を宣言しました。

社会主義国家として出発した中華人民共和国は、大躍進政策や文化大革命など激動の時代を経て、1978年以降は鄧小平のもとで改革開放政策を推進。市場経済を導入して急速な経済成長を遂げました。

現在の中国は世界第2位の経済大国となり、国際社会で大きな影響力を持つ存在となっています。


中国の時代 完全一覧表

主要王朝一覧

時代区分王朝名期間建国者/特記事項
古代紀元前2070年頃〜紀元前1600年頃不明禹が建国(伝説)
殷(商)紀元前1600年頃〜紀元前1046年頃甲骨文字の使用
周(西周)紀元前1046年〜紀元前771年鎬京武王が建国
周(東周)紀元前770年〜紀元前256年洛邑春秋・戦国時代
統一帝国紀元前221年〜紀元前206年咸陽始皇帝が統一
前漢紀元前206年〜紀元8年長安劉邦が建国
紀元8年〜23年長安王莽が簒奪
後漢紀元25年〜220年洛陽光武帝が再興
分裂期三国(魏・蜀・呉)220年〜280年各都三国志の時代
西晋265年〜316年洛陽司馬炎が建国
東晋317年〜420年建康南方に移転
五胡十六国304年〜439年各都北方異民族の時代
南北朝439年〜589年各都南北分裂
再統一581年〜618年大興→洛陽楊堅が統一
618年〜907年長安李淵が建国
分裂期五代十国907年〜960年各都約50年の分裂
統一北宋960年〜1127年開封趙匡胤が建国
南宋1127年〜1279年臨安南方に移転
征服王朝1271年〜1368年大都フビライが建国
漢民族王朝1368年〜1644年南京→北京朱元璋が建国
征服王朝1644年〜1912年北京満洲族の王朝
近現代中華民国1912年〜1949年(大陸)南京など孫文が建国
中華人民共和国1949年〜現在北京毛沢東が建国

覚え方のコツ

中国の王朝を覚えるには、日本で広く知られている語呂合わせが便利です。

殷周秦漢三国晋、南北朝隋唐五代、宋元明清

このリズムで主要王朝を順番に覚えることができます。「うさぎとかめ」のメロディーに合わせて歌う方法も人気があります。


まとめ

中国の歴史は約4000年にわたり、数多くの王朝が興亡を繰り返してきました。

統一と分裂を繰り返しながらも、漢字や儒教といった文化は途切れることなく受け継がれ、現代の中国へとつながっています。

この記事のポイントを整理すると、以下のようになります。

  • 古代三王朝(夏・殷・周)で中国文明の基礎が形成された
  • が初めて中国を統一し、がその基盤を固めた
  • 魏晋南北朝の約370年は分裂と異民族流入の時代
  • 隋唐で再統一され、中華帝国の黄金期を迎えた
  • は文化・経済が発展するも、北方民族に圧迫された
  • はモンゴル族、は満洲族による征服王朝
  • 1912年に清が滅び、約2000年続いた皇帝制度が終焉した

中国の歴史を知ることは、東アジアの文化や国際関係を理解する上でとても重要です。三国志や水滸伝といった物語、あるいは漢詩や書道といった文化芸術も、それぞれの時代背景を知ることでより深く味わえるようになるでしょう。

興味を持った時代があれば、ぜひさらに詳しく調べてみてください。きっと新しい発見があるはずです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました