カテキル(Catequil)は、インカ帝国時代にペルー北部高地で崇拝された雷と稲妻の神です。
単なる天候神にとどまらず、神託を授ける存在として、また文化的英雄や始祖として、ワマチュコ地方の人々にとって極めて重要な存在でした。
この記事では、カテキルの起源、役割、神話、そしてスペイン征服によって破壊されながらも生き延びた信仰の歴史について、学術研究に基づいて詳しく解説します。
概要
カテキルは、ペルー北部のワマチュコ地方を中心に崇拝された雷神で、アポカテキル(Apocatequil)やアプ・カテキル(Apu Catequil)とも呼ばれます。
イッチャル山(Cerro Icchal)を聖地とし、その麓のナマンチュゴ遺跡に神殿が築かれました。
カテキルは神託を授ける存在として広く知られ、その影響力はキトからクスコまで及んだとされています。
1532年頃、インカ皇帝アタワルパによって神殿は破壊されましたが、信仰はその後も密かに続きました。
名前の意味と表記
カテキルの名前には、いくつかの表記と呼び方があります。
主な表記:
- カテキル(Catequil)
- アポカテキル(Apocatequil)
- アプ・カテキル(Apu Catequil)
「アプ(Apu)」はケチュア語で「偉大な」「聖なる」を意味する尊称で、山や精霊に対して使われる言葉です。
アポカテキルとカテキルが同一の存在なのか、あるいは別の側面を表すのかについては、研究者の間でも議論があります。
一部の伝承では双子の兄弟として描かれることもあり、カテキルが複数の神格の融合である可能性も指摘されています。
カテキルの役割と性格
カテキルは、単一の機能に限定されない多面的な神格でした。
雷と稲妻の神
カテキルの最も基本的な役割は、雷と稲妻を支配する天候神です。
伝承によれば、カテキルは聖なる槍や棍棒で雲を打ち、雷鳴を響かせたとされています。
雷は農業社会にとって雨をもたらす重要な現象であり、カテキルは豊穣をもたらす存在としても崇められました。
インカ帝国全域で崇拝された雷神イリャパ(Illapa)との関係も注目されます。
カテキルは、汎アンデス的な雷神信仰の地域的な変異形、つまりワマチュコ地方における独自の姿だったと考えられています。
神託の神
カテキルのもう一つの重要な役割は、神託を授ける存在としての機能でした。
イッチャル山の神殿には神官が仕え、人々の質問に対してカテキルの託宣を伝えました。
この神託の影響力は非常に大きく、政治的な決断にも関わったとされています。
特に有名なエピソードは、インカ皇帝アタワルパとの関わりです。
1532年頃、アタワルパがカテキルの神託を求めたところ、不吉な予言が下されました。
激怒したアタワルパは軍を派遣してカテキルの神殿を破壊し、神官を殺害し、神像を焼き払ったと記録されています。
皮肉なことに、この直後にスペイン人征服者がペルーに到来し、アタワルパ自身が捕らえられることになります。
文化的英雄と始祖
カテキルは、ワマチュコの人々にとって単なる神以上の存在でした。
創造神話の中で、カテキルは人々をパカリナ(起源の地)から導き出した文化的英雄として描かれています。
また、カテキルはワマチュコの人々の始祖としても崇められました。
このような多層的な性格は、カテキルがワマチュコのアイデンティティそのものを象徴する存在だったことを示しています。
カテキルの創造神話
カテキルの起源を語る神話は、アンデス地方の創造神話と深く結びついています。
創造主アタグチュと双子の誕生
伝承によれば、世界の創造主アタグチュ(Ataguchu)には息子グアマンスリ(Guamansuri)がいました。
グアマンスリは人間の女性カウタグアン(Cautaguan)と結ばれ、彼女は双子の卵を産みました。
この卵から生まれたのが、カテキルとその双子の兄弟ピゲラオ(Piguerao)だとされています。
双子の誕生は、アンデス地方の伝承において特別な意味を持ちます。
カテキルは稲妻と結びつけられ、稲妻が人間の営みに関わることで双子が生まれるという信仰が、このエピソードに反映されていると考えられています。
ワマチュコの人々の起源
カテキルは、ワマチュコ南部のワカテ山(Cerro Huacate)にあるパカリナから人々を導き出したとされています。
さらに、先住民グアチェミネスを高地から追い出し、ユンガ(低地)に追いやったという征服神話も伝えられています。
これらの神話は、ワマチュコ地方の民族形成の歴史を反映していると考えられています。
崇拝の中心:イッチャル山とナマンチュゴ遺跡
カテキル信仰の中心地は、ワマチュコ地方のイッチャル山でした。
イッチャル山の聖性
イッチャル山がカテキルの聖地として選ばれた理由は、おそらく山が雷を引き寄せる性質にあったと考えられています。
高い山は稲妻が落ちやすく、雷神の住処として認識されやすかったのです。
山そのものがカテキルの化身とみなされ、山頂付近の三つの岩がカテキルを象徴する聖なる存在とされました。
ナマンチュゴ遺跡
イッチャル山の麓にあるナマンチュゴ遺跡は、カテキル神殿の考古学的遺跡として知られています。
カナダのトレント大学の考古学者ジョン・R・トピック(John R. Topic)とテレサ・L・トピック(Theresa L. Topic)夫妻は、40年以上にわたってワマチュコ地方で発掘調査を行い、ナマンチュゴ遺跡がカテキルの主要な神殿だったことを明らかにしました。
発掘調査により、この遺跡が小規模な儀礼の中心から、影響力を持つ大規模な宗教施設へと発展していった過程が明らかになっています。
特にインカ帝国時代には、カテキルの神託の名声が高まり、遠方からも巡礼者が訪れるようになったとされています。
アタワルパによる破壊
カテキル信仰の歴史において、最も劇的な出来事は1532年頃に起きました。
不吉な神託
インカ皇帝アタワルパは、カテキルの神託に自身の運命を尋ねました。
しかし、カテキルが下した神託は、アタワルパにとって不吉なものでした。
激怒したアタワルパは、カテキルの神殿を破壊するよう命じました。
神殿の破壊
アタワルパの軍勢はイッチャル山に進軍し、カテキルの神殿を徹底的に破壊しました。
神官たちは殺害され、神像は焼き払われ、神殿の壁は崩されました。
16世紀のアウグスティヌス会の記録によれば、この破壊は非常に徹底的で、構造物はほとんど認識できないほどになったとされています。
皮肉な結末
しかし、カテキルの予言は的中しました。
神殿破壊の直後、スペイン人征服者フランシスコ・ピサロがペルーに到来し、アタワルパは捕らえられ、1533年に処刑されることになります。
このため、地元の人々の間では、カテキルの神託の正しさが改めて証明されたと信じられました。
スペイン征服後の信仰
カテキルの神殿はアタワルパによって破壊されましたが、信仰は完全には消滅しませんでした。
密かに続いた崇拝
アタワルパの死後、ワマチュコの人々は神像の破片を集め、新しい神殿や家屋に安置して密かに崇拝を続けたとされています。
イッチャル山の聖なる岩そのものも、引き続き信仰の対象となりました。
アウグスティヌス会による弾圧
スペイン征服後、キリスト教化を進めるアウグスティヌス会の修道士たちは、「偶像崇拝の撲滅」を掲げてカテキル信仰の根絶を試みました。
1551年にワマチュコを訪れたアウグスティヌス会の修道士たちは、カテキルの神殿の残骸をさらに破壊し、信仰の痕跡を消し去ろうとしました。
トピック夫妻の研究によれば、アウグスティヌス会の修道士たちは数回にわたって神殿跡を訪れ、壁を崩すなど徹底的な破壊を行ったとされています。
信仰の拡散
興味深いことに、カテキルの信仰は破壊と弾圧を受けながらも、エクアドル、ボリビア、チリ、コロンビア、パナマ、ベネズエラ、アルゼンチンなど周辺地域に広がっていきました。
1560年までには、カテキルは文化的英雄としての地位を確立していたと考えられています。
考古学的研究の成果
カテキルに関する現代の理解は、主にトピック夫妻の考古学的研究によるものです。
トピック夫妻の発掘調査
ジョン・R・トピックとテレサ・L・トピックは、1980年代から2000年代にかけて、ワマチュコ地方で大規模な考古学調査を実施しました。
彼らの研究成果は、2002年にSpringer社から出版された「Catequil: The Archaeology, Ethnohistory, and Ethnography of a Major Provincial Huaca」や、2020年にペルー・カトリック大学出版局から刊行された「En la tierra del oráculo de Catequil」にまとめられています。
多面的なアプローチ
トピック夫妻の研究は、考古学的証拠、16世紀のスペイン植民地時代の文献記録、そして現代の民族誌的調査を組み合わせた学際的なものです。
このアプローチにより、カテキルが単なる地方の神ではなく、パチャカマック(Pachacamac)などの主要な神託所に匹敵する重要性を持っていたことが明らかになりました。
ワカの概念
カテキルの神殿は、インカの宗教概念である「ワカ(huaca)」の重要な例です。
ワカとは、聖なる力が宿る場所や物を指し、神殿、山、岩、泉など多様な形態を取りました。
クスコには350のワカがあり、それらは放射線状に配置されたセケ(ceque)と呼ばれる想像上の線に沿って整然と配置されていたとされています。
カテキルは、地方の主要なワカとして、地域のアイデンティティと政治的権威の象徴でもありました。
カテキルとイリャパ:地域信仰と帝国信仰の関係
カテキルとイリャパの関係は、インカ帝国における地域信仰と帝国レベルの信仰の相互作用を示す興味深い事例です。
イリャパとは
イリャパは、インカ帝国全域で崇拝された雷と稲妻の神です。
太陽神インティ(Inti)や月神ママキリャ(Mama Quilla)と並ぶ重要な天体神であり、農業に欠かせない雨をもたらす存在として崇められました。
地域変異としてのカテキル
カテキルは、イリャパの地域的な変異形、あるいはワマチュコ地方におけるイリャパの別名だったと考えられています。
インカ帝国は征服した地域の神々を完全に排除するのではなく、既存の信仰を帝国の宗教体系に組み込む政策を取りました。
カテキルのような地域の雷神は、イリャパと同一視されながらも、独自の神話や儀礼を保持し続けたのです。
まとめ
カテキルは、インカ帝国時代のペルー北部高地で崇拝された多面的な神格でした。
雷と稲妻を支配する天候神であると同時に、神託を授ける存在、文化的英雄、そしてワマチュコの人々の始祖として、地域のアイデンティティの中核を担っていました。
1532年のアタワルパによる破壊、そしてスペイン征服後のキリスト教化による弾圧にもかかわらず、カテキル信仰は完全には消滅せず、周辺地域に広がっていきました。
現代の考古学的研究、特にトピック夫妻の学際的なアプローチにより、カテキルが地方の神としてだけでなく、アンデス世界全体において重要な位置を占めていたことが明らかになっています。
カテキルの物語は、帝国の興亡と宗教弾圧の中でも生き延びた信仰の力強さを示す、貴重な歴史の証言なのです。
参考情報
この記事で参照した情報源
学術資料・研究論文
- Topic, John R., Theresa Lange Topic, and Alfredo Melly Cava. “Catequil: The Archaeology, Ethnohistory, and Ethnography of a Major Provincial Huaca.” In Andean Archaeology I: Variations in Sociopolitical Organization, edited by William H. Isbell and Helaine Silverman, pp. 303-336. Springer, 2002.
- トレント大学(カナダ)のトピック夫妻による40年以上の発掘調査に基づく学術的研究
- Topic, John R., and Theresa Lange Topic. En la tierra del oráculo de Catequil. Fondo Editorial de la Pontificia Universidad Católica del Perú, 2020.
- カテキルの神託と地域史に関する包括的研究
一次資料(植民地時代の記録)
- Relación de los agustinos de Huamachuco(1551年)
- アウグスティヌス会修道士によるワマチュコ地方の報告書
参考になる外部サイト
- Wikipedia「Inca mythology」 – インカ神話の概要(英語)
- Wikipedia「インカ神話」 – インカ神話の基本情報(日本語)


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