江戸時代、深川の沖に浮かぶ巨大な船が、ある日突然、自分の意思で動き出したとしたら?
「伊豆へ帰りたい、伊豆へ帰りたい」と泣き叫びながら、誰も操縦していないのに江戸湾を走り回る船があったんです。
それが、徳川家光の愛船で、船霊(ふなだま)が宿ったといわれる「安宅丸(あたけまる)」でした。
この記事では、江戸時代最大級の軍船でありながら、まるで生き物のような意思を持った不思議な船「安宅丸」の伝承と真実について、詳しくご紹介します。
概要

安宅丸(あたけまる)は、江戸時代初期に徳川幕府が建造した日本最大級の軍船です。
三代将軍・徳川家光の命令で造られたこの船は、単なる軍船ではありませんでした。船自体に魂が宿り、自分の意思を持つようになったという、日本の船舶史上でも特異な存在として語り継がれているんです。
「阿宅丸」「阿武丸」とも書かれることがあり、その巨大さと豪華さから「天下丸」という別名でも呼ばれていました。
面白いのは、この船が持つ二つの顔です。
安宅丸の二面性
- 幕府の威光を示す豪華絢爛な御座船
- 意思を持ち、人を選ぶ不思議な妖怪船
つまり、政治的な象徴でありながら、超自然的な存在でもあったんですね。
姿・見た目
安宅丸の姿は、とにかく圧倒的な巨大さが特徴でした。
船体の規模
史料によって数値は異なりますが、主な記録では:
- 全長:約68メートル(別の記録では約47.4メートル)
- 横幅:約16.2メートル
- 排水量:推定約1,700トン
当時の一般的な船と比べると、まさに海に浮かぶ城といった感じだったんです。
豪華な装飾と構造
特徴的な外観
- 船首には長さ約5.5メートルの竜頭(りゅうとう)
- 2層構造の総櫓(そうやぐら)
- 船首側に2層の天守を設置
- 船体全体を厚さ約3mmの銅板で覆う
この銅板は、単なる装飾じゃありません。船底はフナクイムシから守るため、側面は火矢などの攻撃から守るための防火対策だったんです。つまり、鉄壁の防御力を持った船でした。
推進力
安宅丸を動かすには、なんと100挺(ちょう)の櫓(ろ)が必要でした。一つの櫓を2人で漕ぐので、200人の漕ぎ手が必要だったということになります。
特徴

安宅丸の最大の特徴は、船霊(ふなだま)が宿った船として知られることです。
人を選ぶ船
最も有名な特徴が、乗る人を選んだということ。
「志の低き者、罪人が甲板を踏もうとすると、咆哮の声をあげて乗船を拒否した」
という伝承があります。まるで船が人の心を見透かすように、ふさわしくない人物を寄せ付けなかったんですね。
自らの意思で動く
船霊とは本来、航海の安全を守る守護霊のようなものです。でも安宅丸の場合は、それを超えて船自体が自我を持つレベルまで達していました。
安宅丸が見せた意思
- 勝手に係留地を離れて移動する
- 人の声で「伊豆へ行こう」と叫ぶ
- 解体後も船材に魂が宿り続ける
これは、単なる船霊の域を超えた、まさに妖怪船といえる存在だったんです。
伝承
安宅丸には、いくつもの不思議な伝承が残されています。
大嵐の夜の脱走事件
最も有名な伝承が、ある大嵐の日に起きた事件です。
深川沖に係留されていた安宅丸が、誰も操縦していないのに勝手に動き出したんです。そして、「伊豆へ行こう、伊豆へ行こう」と泣き叫びながら、江戸湾を走り回ったといいます。
伊豆は安宅丸が建造された場所。つまり、故郷に帰りたがったんですね。
結局、三浦半島で捕まえられましたが、この事件がきっかけで「もう二度とこんなことがあってはならない」と、廃船が決定されたそうです。
解体後の怪異
天和2年(1682年)に解体された後も、安宅丸の魂は消えませんでした。
船材の怪異譚
解体された船材を買い取った酒屋の市兵衛が、その板を穴蔵の蓋として使ったところ:
- 雇いの女性に何かが憑依
- 女性が精神に異常をきたす
- 「安宅丸の魂が許さない」と叫ぶ
- 蓋を取り除いて丁重に扱うと正常に戻る
つまり、解体されても船の誇りは失われなかったということなんです。
塚による供養
あまりにも怪異が続いたため、安宅丸の魂を鎮めるために、本所深川の安宅町(現在の江東区)に塚を築いて供養したという記録もあります。残念ながら、現在はその面影すらありませんが、それだけ人々が安宅丸の魂を恐れ、敬っていたことがわかります。
起源

安宅丸が建造された背景には、江戸幕府の威光を示すという目的がありました。
建造の経緯
建造データ
- 命令者:徳川家光(三代将軍)
- 建造地:伊豆国の伊東(諸説あり)
- 建造期間:寛永9年(1632年)命令~寛永11年(1634年)完成
- 試乗:寛永12年(1635年)品川沖で家光が試乗
なぜ船霊が宿ったのか
普通の船と違い、安宅丸に強力な船霊が宿った理由として考えられるのは:
船霊が宿った要因
- 巨大さ:当時としては規格外の大きさ
- 豪華さ:将軍の威光を込めた装飾
- 建造時の祈願:航海安全の強い願い
- 多くの人々の思い:200人以上の乗組員の念
特に、伊豆の伊東市の春日神社には、安宅丸建造時に伐採された楠(くすのき)の跡地が今も残っているそうです。
神聖な木を使ったことも、船に特別な力が宿った理由かもしれませんね。
廃船の真の理由
表向きは「維持費用が莫大だったから」とされていますが、伝承を見ると:
- 自分の意思で動き回る船は危険
- 統制が効かない存在は幕府にとって脅威
- 船霊の力が強すぎて手に負えなくなった
こうした超自然的な理由も、廃船決定に影響したのかもしれません。
まとめ
安宅丸は、江戸時代の技術力と精神世界が融合した、唯一無二の存在でした。
重要なポイント
歴史的側面
- 江戸幕府が建造した日本最大級の軍船
- 徳川家光の威光を示す豪華絢爛な御座船
- 全長約68メートル、銅板で覆われた鉄壁の防御
伝承的側面
- 船霊が宿り、自我を持った妖怪船
- 乗る人を選び、罪人を拒否した
- 勝手に動いて故郷の伊豆に帰ろうとした
- 解体後も船材に魂が宿り続けた
安宅丸の物語は、単なる船の歴史ではありません。それは、人間が込めた思いや願いが、物に魂を宿らせるという日本人の精神世界を表現した、貴重な伝承なんです。
現代の東京湾には、安宅丸を模した観光船も運航されていました。
時代を超えて、この不思議な船の物語は、今も私たちの心を惹きつけ続けているんですね。


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