【世界を征服した不敗の王】アレクサンドロス大王とは?その偉業・伝説・逸話をやさしく解説!

神話・歴史・伝承

わずか20歳で王となり、32歳で亡くなるまでの約10年間で、ギリシャからエジプト、ペルシャ、そしてインドの入り口まで征服した男がいます。

その名はアレクサンドロス3世

生涯で一度も戦に負けなかったことから「大王」と呼ばれ、2300年以上経った今でも「史上最高の軍事指導者」として語り継がれています。

この記事では、世界史に燦然と輝く英雄「アレクサンドロス大王」について、その偉業や伝説、知られざる人物像を分かりやすくご紹介します。


スポンサーリンク

1. 概要

アレクサンドロス3世は、古代ギリシャ北部にあったマケドニア王国の王です。

一般的には「アレキサンダー大王」という呼び名でも知られていますね。

項目内容
生没年紀元前356年7月20日〜紀元前323年6月10日(32歳没)
在位紀元前336年〜紀元前323年(約13年間)
出身マケドニア王国・ペラ
別称アレキサンダー大王、アレクサンダー、イスカンダル
地位マケドニア王、ペルシャ王、エジプトのファラオ

20歳で即位してから亡くなるまでのほぼ全期間を遠征に費やし、当時の世界で最も広大な帝国を築き上げました。

現代のギリシャでも国家的英雄として尊敬されており、その名は今なお世界中で語り継がれています。


2. 偉業・功績

アレクサンドロス大王の功績は、とにかくスケールが桁違いなんです。

空前絶後の大遠征

紀元前334年、アレクサンドロスは父の悲願であった東方遠征を開始します。

主な戦いと征服の流れは以下の通りです。

  • グラニコス河畔の戦い(前334年):小アジアのペルシャ軍を撃破
  • イッソスの戦い(前333年):ペルシャ王ダレイオス3世を破る
  • ティロス攻囲戦(前332年):難攻不落の島を7ヶ月かけて陥落
  • エジプト征服(前332年):解放者として歓迎され、ファラオとなる
  • ガウガメラの戦い(前331年):ペルシャ帝国に決定的な勝利
  • インド遠征(前326年):ヒュダスペス河畔の戦いでポロス王を破る

生涯不敗の記録

驚くべきことに、アレクサンドロスは生涯を通じて一度も戦に敗れていません

常に数で劣る軍を率いながら、革新的な戦術「ファランクス(密集歩兵陣形)」を駆使して、はるかに大きな敵軍を次々と打ち破りました。

帝国の規模

30歳になる前に、アレクサンドロスは約520万平方キロメートルに及ぶ帝国を築きます。

これはギリシャからエジプト、ペルシャ、中央アジア、そしてインド北西部にまで広がる、当時としては史上最大の領土でした。

ヘレニズム文化の礎

アレクサンドロスの征服によって、ギリシャ文化と東方文化が融合した「ヘレニズム文化」が生まれました。

彼が建設した20以上の都市(多くが「アレクサンドリア」と命名)は、東西文明の交流拠点となり、学問・芸術・科学の発展に大きく貢献しています。

特にエジプトのアレクサンドリアは、古代世界最大の図書館を擁する学術都市として栄えました。


3. 系譜・出生

アレクサンドロスの家系は、神話と深く結びついているんです。

両親

  • :マケドニア王フィリッポス2世
  • :エペイロス王女オリュンピアス

父フィリッポス2世は、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスを祖先に持つとされる名門の血筋でした。

神の子という伝説

母オリュンピアスは、息子が最高神ゼウスの子であると主張していました。

古代の伝記作家プルタルコスによれば、結婚前夜にオリュンピアスは雷に打たれる夢を見たといいます。また、フィリッポス2世も、妻の胎内にライオンの刻印を押す夢を見たとか。

これらの神秘的な逸話は、アレクサンドロスが「神に選ばれた存在」であることを示すものとして語り継がれました。

複雑な家庭環境

実は、アレクサンドロスと父フィリッポス2世の関係は良好とは言えませんでした。

父が新しい妻を娶り、その子を正統な後継者にしようとしたとき、アレクサンドロスの王位継承は危うくなります。しかし紀元前336年、フィリッポス2世は暗殺され、アレクサンドロスが王位を継ぎました。

暗殺の黒幕については諸説あり、母オリュンピアスの関与を疑う声もありますが、真相は謎に包まれています。


4. 姿・見た目

アレクサンドロスの外見については、複数の古代文献に記録が残っています。

身体的特徴

古代の記録によると、アレクサンドロスの外見はこのように描かれています。

  • :金髪または栗色
  • :深くくぼんだ目(左右で色が違ったという説も)
  • 顔立ち:まっすぐな鼻、やや突き出た顎、厚い唇
  • 体格:当時としては小柄だった可能性がある
  • 特徴的な癖:首をわずかに左に傾けて話す

芸術作品での描写

生前のアレクサンドロスは、彫刻家リュシッポス、画家アペレス、宝石彫刻師ピュルゴテレスという3人の芸術家にのみ、自分の肖像を作らせることを許可していました。

ポンペイ遺跡から発掘された「イッソスの戦いのモザイク画」は、大王の死から300年以上後の作品ですが、勇ましいアレクサンドロスの姿を今に伝える貴重な資料として知られています。

香りの伝説

プルタルコスは興味深い記録を残しています。

アレクサンドロスの肌からは非常に心地よい香りが漂い、その香りは衣服にまで染み付いていたというのです。

古代ギリシャでは、良い香りは神々や英雄の特徴とされていたため、これも彼の神性を示す証拠として語られました。


5. 特徴

アレクサンドロスには、英雄にふさわしい様々な特質がありました。

軍事的才能

アレクサンドロスが「大王」と呼ばれる最大の理由は、その卓越した軍事的才能にあります。

戦術面での特徴

  • 革新的な「ファランクス隊列」の活用
  • 地形を巧みに利用した戦略
  • 常に自ら先頭に立って戦う勇敢さ
  • 部下の忠誠心を引き出すカリスマ性

学識と教養

アレクサンドロスは、13歳から16歳まで哲学者アリストテレスに師事しました。

医学、哲学、道徳、宗教、論理学、芸術など幅広い分野を学び、特に詩人ホメロスの『イリアス』を愛読。遠征にもアリストテレスが注釈を付けた写本を携帯していたといいます。

彼が憧れた英雄は、トロイア戦争で活躍したアキレウスでした。

性格の二面性

アレクサンドロスの性格には、光と影の両面がありました。

長所

  • 知的好奇心が旺盛
  • 部下を大切にする
  • 論理的な思考力
  • 異文化への寛容さ

短所

  • 激しい気性
  • 酒癖の悪さ
  • 衝動的な判断をすることも

酔った勢いで親友を殺してしまい、後で深く後悔したという逸話も残っています。


6. 伝承

アレクサンドロスには、数々の伝説的なエピソードが語り継がれています。

ゴルディアスの結び目

小アジアのゴルディオンという都市に、ゼウス神殿がありました。

そこには複雑に結ばれた縄があり、「この結び目をほどいた者がアジアの王となる」という予言が伝わっていました。

アレクサンドロスはこの神殿を訪れると、縄を解こうとせず、剣で一刀両断にしてしまいます。

すると雷鳴が鳴り響き、「ゼウスが彼を祝福した」と宣言されたのです。

この逸話は現代でも「ゴルディアスの結び目を断つ」という慣用句として使われ、「難問を大胆な方法で解決する」という意味を持っています。

愛馬ブケファラス

アレクサンドロスが13歳のとき、誰も手懐けられない暴れ馬がいました。

少年アレクサンドロスは、馬が自分の影を恐れていることに気づき、太陽に向かって馬を走らせることで見事に乗りこなします。

父フィリッポス2世は感動のあまり涙を流し、「お前にはマケドニアは狭すぎる。もっと大きな王国を見つけなさい」と言ったとされています。

この馬は「ブケファラス(牛の頭)」と名付けられ、インド遠征まで主人とともに戦い続けました。馬が死んだとき、アレクサンドロスはその名を冠した都市を建設したほどです。

「勝利を盗まない」

ガウガメラの戦いの前夜、部下から夜襲を提案されたアレクサンドロスは、こう言って断りました。

私は勝利を盗まない

結果、ペルシャ軍は一晩中夜襲を警戒して疲弊し、十分に休んだマケドニア軍が勝利を収めたのです。

シワの神託

エジプトを征服したアレクサンドロスは、リビア砂漠にあるアモン・ラー神殿(シワのオアシス)を訪れます。

そこで神官から「神の子」と宣言され、以後アレクサンドロスは自らを「ゼウス=アモンの息子」と称するようになりました。

死後に鋳造された貨幣には、アモン神の象徴である角を生やしたアレクサンドロスの姿が描かれています。


7. 出典・起源

アレクサンドロスの物語は、時代と地域を超えて語り継がれてきました。

歴史文献

アレクサンドロスについて書かれた同時代の文献は失われていますが、後世の歴史家たちが残した記録が現存しています。

主な古代文献

  • アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』(1〜2世紀)
  • プルタルコス『対比列伝』(1〜2世紀)
  • ディオドロス・シクルス『歴史叢書』(1世紀)
  • クルティウス・ルフス『アレクサンドロス大王伝』(1世紀)

アレクサンドロス・ロマンス

3世紀頃に書かれた『アレクサンドロス大王物語』(偽カリステネス著)を起点として、空想を交えた伝奇物語が各地で生まれました。

これらは総称して「アレクサンドロス・ロマンス」と呼ばれ、ヨーロッパ、中東、インド、エチオピアなど広大な地域に広まっています。

中世ヨーロッパでは聖書に次いで読まれた文学作品とも言われ、25以上の言語に翻訳されました。

イスラム世界での受容

イスラム世界では「イスカンダル」として知られ、コーランに登場する「ズル・カルナイン(二本の角を持つ者)」と同一視されることもあります。

ペルシャの叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』では、正統なペルシャ王の系譜に組み込まれ、「不老不死の泉」を求めて世界の果てまで旅した英雄として描かれています。

トランプのキング

現代でも意外なところにアレクサンドロスの影響は残っています。

トランプの4人のキングにはそれぞれモデルとなった人物がいるとされ、クラブのキングがアレクサンドロス大王だという説があります。


8. まとめ

アレクサンドロス大王は、わずか32年の生涯で世界史の流れを変えた稀代の英雄です。

重要なポイント

  • マケドニア王国の王として20歳で即位し、約10年で史上最大の帝国を築いた
  • 生涯不敗の軍事的天才であり、革新的な戦術で数々の大軍を撃破
  • ゼウスの息子を自称し、神話的な存在として崇められた
  • ヘレニズム文化の礎を築き、東西文明の融合に貢献
  • 「ゴルディアスの結び目」「愛馬ブケファラス」など数々の伝説を残す
  • 死後も「アレクサンドロス・ロマンス」として世界中で語り継がれる

紀元前323年、バビロンで高熱に倒れたアレクサンドロスは、「最強の者が帝国を継承せよ」という言葉を残してこの世を去りました。

その死因はマラリアや腸チフスなど諸説ありますが、真相は今も謎に包まれています。

2300年以上経った今でも、「征服王」「大王」として世界中で語り継がれるアレクサンドロス。その短くも激しい生涯は、人類の歴史において永遠に輝き続ける伝説となっているのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました