吾妻鏡は誰が作った?作者不明の謎と有力な編纂者候補をわかりやすく解説

「吾妻鏡」という歴史書の名前を聞いたことはありますか?

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の原作としても知られる、鎌倉時代を代表する歴史書です。
源頼朝の挙兵から鎌倉幕府の歴史を詳しく記録した、とても重要な文献なんですよ。

でも、「こんなに有名な本なのに、誰が書いたの?」と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。

実は、吾妻鏡の作者は今も明確にはわかっていません

この記事では、吾妻鏡がどのように作られたのか、誰が関わったと考えられているのかを詳しく解説していきます。

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吾妻鏡とは?基本情報をおさえよう

吾妻鏡の概要

まずは吾妻鏡がどんな本なのか、基本的な情報を確認しましょう。

項目内容
正式名称吾妻鏡(あずまかがみ)
別名東鑑(あずまかがみ)
記録期間1180年〜1266年(約87年間)
巻数全52巻(45巻は欠損)
成立時期1300年頃(鎌倉時代末期)
文体和風漢文(吾妻鏡体)

吾妻鏡は、1180年の源頼政・以仁王の挙兵から始まり、1266年に6代将軍・宗尊親王が京都に戻るまでの出来事を記録しています。

日記のような形式で書かれていますが、実際にはリアルタイムで書かれたものではなく、後から様々な資料を集めて編纂されたものなんです。

「吾妻」ってどういう意味?

「吾妻」という言葉には興味深い由来があります。

日本神話の英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国遠征をしたときのこと。
航海中に暴風に見舞われ、妃の弟橘媛が海に身を投げて嵐を鎮めました。

後に日本武尊は山の上から東の空を見渡し、亡き妻を想って「吾妻はや」(我が妻よ)と呟いたそうです。

これがきっかけで、東日本のことを「吾妻」「東」と呼ぶようになりました。
つまり吾妻鏡とは、「東国(関東・鎌倉)の歴史を映す鏡」という意味なんですね。

吾妻鏡の作者は誰?謎に包まれた編纂者

作者が不明である理由

吾妻鏡は鎌倉幕府の公式記録ともいえる重要な歴史書です。
にもかかわらず、具体的な作者の名前は一切記されていません

なぜ作者が不明なのでしょうか?

主な理由として、以下のことが考えられています。

  • 編纂当時の原本が残っていない
  • 室町時代にはすでに散逸が始まっていた
  • 複数の人物が関わって作られた可能性が高い
  • 個人の著作ではなく、幕府の事業として編纂された

現在私たちが読める吾妻鏡は、江戸時代に復元・収集された写本がもとになっています。
そのため、最初に誰が書いたのかを特定するのが非常に難しいのです。

有力な編纂者候補

作者は不明ですが、研究者たちの長年の調査によって、いくつかの有力な説が提唱されています。

鎌倉幕府の奉行人たちが編纂したとする説

現在最も支持されているのは、鎌倉幕府の実務を担った奉行人たちが編纂に関わったという説です。

歴史学者の八代国治(やしろくにじ)は、以下の人物たちが中心になったのではないかと推測しました。

  • 三善康信の子孫(大田氏・町野氏):問注所執事の家系
  • 大江広元の子孫(毛利氏・長井氏):政所執事の家系
  • 二階堂行政の子孫:政所・問注所に関わった家系

これらの家は、幕府の文書管理や裁判事務を担当していました。
だからこそ、様々な記録にアクセスできたと考えられているんです。

太田時連を中心とする説

歴史学者の五味文彦は、さらに踏み込んだ見解を示しています。

五味文彦の研究によると、14世紀初頭に問注所執事であった太田時連(おおたときつら)が編纂の中心人物だった可能性が高いとのこと。

そこに、幕府の中枢にいた金沢氏(北条氏の一門)や、政所執事の二階堂氏が協力したと考えられています。

北条得宗家の関与

編纂が行われた1300年頃は、北条氏の得宗(とくそう)家が幕府の実権を握っていた時代です。

得宗とは、北条氏の嫡流当主のこと。
この時期の執権や得宗の意向が、編纂に大きく影響したと考えるのが自然でしょう。

実際、吾妻鏡には北条氏に有利な記述が多く見られます。
これは「北条バイアス」とも呼ばれ、編纂者が北条氏に配慮していたことを示しているんです。

吾妻鏡はいつ、どうやって作られた?

成立時期について

吾妻鏡がいつ完成したかについては、主に2つの説があります。

内容
一括成立説14世紀初頭(1300年頃)にまとめて編纂された
二段階成立説源氏3代の部分は文永年間(1264〜1275年)、それ以降は14世紀初頭

現在は、14世紀初頭に一括して編纂されたとする説が有力です。

1977年に歴史学者の益田宗が八代国治の二段階説を詳細に検証し、根拠が不十分であることを明らかにしました。
それ以降、一括成立説が主流となっています。

編纂に使われた資料

吾妻鏡は、様々な資料を集めて編纂されました。
使われたとされる主な資料は以下の通りです。

公家の日記

  • 九条兼実の『玉葉』
  • 藤原定家の『明月記』
  • 飛鳥井教定の日記

寺社の記録

  • 『天台座主記』(延暦寺の記録)
  • 高野山・東大寺・鶴岡八幡宮などの文書

文学作品

  • 『平家物語』
  • 『源平盛衰記』
  • 『金槐和歌集』(源実朝の歌集)

幕府の公文書

  • 政所・問注所などの記録
  • 御家人の家に伝わる古文書

これらの膨大な資料を、日付順に整理して「日記」のような形式にまとめたのが吾妻鏡なんです。

吾妻鏡の特徴と注意点

北条氏寄りの記述

吾妻鏡を読むときに注意すべき点があります。

それは、北条氏に有利な内容が多いということ。

具体的には、以下のような傾向が見られます。

  • 2代将軍・源頼家と3代将軍・源実朝に対して厳しい評価
  • 初代将軍・源頼朝についても「非情な人物」というイメージが強調される
  • 2代執権・北条義時や3代執権・北条泰時への評価が非常に高い

編纂された時期がすでに北条得宗家の専制期だったため、北条氏への配慮があったと考えられています。

欠けている記録

吾妻鏡には、いくつかの期間の記録が欠落しています。

特に注目されるのは、源頼朝が亡くなる前後の約3年間(1196年〜1199年頃)が記録されていないこと。

この時期に何か北条氏にとって都合の悪いことがあったのでは?と推測する研究者もいます。
ただし、これは意図的に削除されたのではなく、最初から編纂されなかった可能性が高いとも言われています。

それでも重要な歴史資料

欠点はあるものの、吾妻鏡は鎌倉時代を知るうえで欠かせない一級史料です。

古事記や日本書紀が朝廷中心の歴史書だったのに対し、吾妻鏡は東国の武家社会の歴史を詳細に記録した画期的な文献でした。

日記文化を持たなかった東国において、これほど詳しい記録は他に存在しません。
そのため、鎌倉幕府や武家社会の研究には不可欠なのです。

吾妻鏡と徳川家康

家康が愛読した理由

吾妻鏡が広く知られるようになったのは、実は徳川家康のおかげでもあります。

家康は吾妻鏡を愛読書として手元に置き、武士の心得や政治のあり方を学んだといわれています。

家康がこの本を重視した理由は何でしょうか?

  • 鎌倉幕府という最初の武家政権の成功例が学べる
  • 北条氏の政治手法が参考になる
  • 武家の礼儀作法や故実がわかる

家康は「歴史の知恵」がつまった本として、吾妻鏡を高く評価していたんです。

写本の収集と出版

家康は吾妻鏡の収集にも熱心でした。

1590年の小田原攻めの際、北条氏から黒田官兵衛に贈られた「北条本」と呼ばれる写本があります。
これが1604年に黒田長政から徳川秀忠に献上されました。

家康はこの北条本を底本として、不足部分を各地の大名から集め、51冊にまで増補
1605年には古活字版として出版し、普及に努めたのです。

さらに1626年には、読みやすい訓読付きの版が刊行され、広く読まれるようになりました。

現在に伝わる吾妻鏡の写本

主な写本の種類

現在に伝わる吾妻鏡は、すべて写本(手書きで複製されたもの)です。
編纂当時の原本は残念ながら現存していません。

主な写本には以下のものがあります。

写本名特徴
北条本徳川家康が収集・増補。国史大系の底本。重要文化財
吉川本毛利家の武将・右田弘詮が20年かけて復元した写本
島津本島津家に伝来。北条本にない記事も含む

これらの写本は、それぞれ別々のルートで収集・復元されたものです。
そのため、写本によって記載内容に違いがあることもあります。

研究の発展

明治時代以降、吾妻鏡の本格的な研究が進みました。

特に重要な研究者として、以下の人物が挙げられます。

  • 八代国治:編纂者や成立過程を詳しく分析
  • 益田宗:二段階成立説を否定し、14世紀初頭成立説を確立
  • 五味文彦:編纂の方法や使われた資料を詳細に解明

現在も吾妻鏡の研究は続けられており、新たな発見が期待されています。

まとめ

吾妻鏡は、鎌倉幕府の歴史を知るうえで最も重要な歴史書です。

押さえておきたいポイント

  • 作者は不明だが、鎌倉幕府の奉行人たちが編纂したとされる
  • 有力な編纂者候補は、太田時連を中心に、金沢氏二階堂氏が協力
  • 成立時期は1300年頃(鎌倉時代末期)
  • 北条氏に有利な記述が多いため、注意して読む必要がある
  • 徳川家康が愛読し、収集・出版に尽力した

作者がはっきりわからないというのは、現代の私たちからするともどかしいことかもしれません。
しかし、それだけ多くの人の手を経て、大切に伝えられてきた証でもあるんです。

吾妻鏡に興味を持った方は、ぜひ現代語訳版を手に取ってみてください。
鎌倉時代の武士たちの息づかいが感じられる、興味深い一冊ですよ。

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