夏の夜、比叡山の麓で不思議な火の玉を見たことはありませんか?
その火の中に、お坊さんの姿が見えたとしたら、それは「油坊(あぶらぼう)」かもしれません。
平安時代から語り継がれるこの怪火は、お寺の灯油を盗んだ僧侶の執念が生み出した、哀しくも恐ろしい妖怪なんです。
この記事では、滋賀県や京都府に伝わる怪火「油坊」の正体と、その背後にある僧侶たちの悲しい物語について詳しくご紹介します。
概要

油坊(あぶらぼう)は、滋賀県や京都府に伝わる怪火の妖怪です。
主に比叡山周辺で目撃され、晩春から夏にかけての夜に現れるとされています。最大の特徴は、ただの火の玉ではなく、火炎の中に多くの僧侶の姿が見えるという点なんですね。
名前の由来は、比叡山延暦寺の灯油を盗んだ僧侶の亡霊が化けたものという伝承から来ています。お寺では仏前に灯りを絶やさないために大量の灯油が必要でしたが、その貴重な油を横領した罪深い僧侶たちの魂が、死後も油への執着から離れられずに怪火となって彷徨っているというわけです。
江戸時代の文献『諸国里人談』や『古今百物語評判』にも記録が残っており、当時から広く知られた怪異現象だったことが分かります。
伝承
油坊にまつわる伝承は、地域によって少しずつ違いがありますが、どれも油への執着が共通のテーマになっています。
滋賀県野洲郡の油坊伝説
現在の滋賀県守山市欲賀町にあたる地域では、こんな話が伝わっています。
比叡山の僧侶が寺の灯油を盗んで横流しし、そのお金で遊興にふけっていました。しかし、その僧侶は急病で亡くなってしまいます。すると、晩春から夏の夜になると、黒雲の中に光る物体が現れ、その火炎の中に多くの僧侶の姿が見えるようになったんです。
ある時、若者たちが「油坊を退治してやる」と弓矢や鉄砲を持って待ち構えていました。すると、黒雲が立ちこめる中に光る物体が現れ、あっという間に若者たちの頭上まで飛んできたそうです。あまりの恐ろしさに、誰も手出しができなかったといいます。
比叡山中堂の油料にまつわる話
『古今百物語評判』には、もう少し複雑な背景を持つ話が載っています。
比叡山延暦寺の最盛期、根本中堂(延暦寺の中心的な建物)の灯油料として一万石もの知行がありました。東江の住人がこの油料の管理を任され、大変裕福に暮らしていたんです。
しかし時代が変わり、その知行がなくなってしまいます。富を失った東江の住人は、不本意な思いを抱えたまま亡くなりました。それ以来、その家から毎晩、僧侶のように光る物体が飛び出し、中堂の方へ向かっていくようになったといいます。
人々はこれを「油坊」や「油盗人(あぶらぬすっと)」と呼びました。実際に油を盗むわけではありませんが、死んでもなお油への執念から離れられない魂が、かつての職場である中堂へ向かっているのだと解釈されたんですね。
愛知郡の金剛寺の伝承
滋賀県愛知郡愛荘町の金剛寺にも、似たような話があります。
ここでは、寺に灯油を届ける役目を持つ僧侶が登場します。この僧侶は遊ぶお金が欲しくて灯油を横流しし、お金を作りました。しかし、遊びに行く前に急病で命を落としてしまい、それ以来、寺の山門に霊となって現れるようになったというんです。
類似の怪異現象
油にまつわる怪火は、実は各地に存在します。
兵庫県伊丹市の「油返し(あぶらかえし)」も有名です。中山寺から油を盗んだ者の魂が怪火となり、初夏や冬の夜に昆陽池のそばの墓から現れ、天神川を通って中山寺へ登っていくといいます。
新潟県三条市には「油なせ(あぶらなせ)」という妖怪の伝承があります。これは怪火ではありませんが、滝沢家という旧家で灯油を粗末に扱うと「油を返せ」と言いながら現れる妖怪で、病死した家の次男が化けて出たものだと噂されていました。
まとめ
油坊は、仏教寺院の灯油をめぐる人間の欲望と罪の意識が生み出した、日本独特の妖怪です。
重要なポイント
- 晩春から夏の夜に現れる怪火で、火炎の中に僧侶の姿が見える
- 比叡山延暦寺の灯油を盗んだ僧侶の亡霊が正体とされる
- 滋賀県や京都府を中心に、油にまつわる類似の怪異が各地に存在
- 死後も油への執着から離れられない魂の悲しい物語
- 江戸時代の文献にも記録が残る、歴史ある妖怪伝承
お寺の灯りは、仏様への大切なお供えです。その神聖な油を盗むという罪の重さと、死んでもなお執着から解放されない魂の苦しみ。油坊の伝承は、人間の欲望がもたらす悲劇を今に伝える、戒めの物語なのかもしれませんね。


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