戦場で飛んでくる矢が、まるで生き物のように避けていく鎧があったとしたら、信じられますか?
平安時代、そんな不思議な力を持つ鎧が実在したと伝えられています。
その名も「避来矢鎧(ひらいしのよろい)」。竜神から授かったという、まさに神話の世界から飛び出してきたような防具なんです。
この記事では、日本の武具史上最強とも言われる「避来矢鎧」について、その神秘的な特徴や竜神との関わり、そして波乱に満ちた歴史をわかりやすくご紹介します。
概要

避来矢鎧(ひらいしのよろい)は、平安時代中期の武将・藤原秀郷が竜神から授かったとされる伝説の大鎧です。
「避来矢」という名前の通り、飛んでくる矢が自然と避けていくという、まるで魔法のような力を持っていました。
別名「平石(ひらいし)」とも呼ばれ、神話と歴史が交わる日本の重要文化財として現在も大切に保存されています。
この鎧は単なる防具ではなく、竜神との約束、大百足退治の勇気、そして武士の誇りが込められた特別な存在なんですね。藤原秀郷から始まり、その子孫である足利家に代々受け継がれ、江戸時代の火災を経て、現在は栃木県の唐沢山神社で「避来矢大権現」として祀られています。
姿・見た目
避来矢鎧の見た目は、重厚感と威厳に満ちた大鎧です。
避来矢鎧の構造的特徴
- 鉄板の枚数:15枚もの鉄板を重ねて作られている
- 製作技法:平安後期特有の「空星(あきぼし)」という技法を使用
- 内部構造:鉄板を重ねた部分の内側は空洞になっている
- 重量:非常に重く、動きにくい構造
- 材質:主に鉄製で、当時の最高技術で作られた
特に注目すべきは「空星」という技法です。これは鉄板を何枚も重ねながらも、内部を空洞にすることで、強度を保ちつつ少しでも軽くしようとした工夫なんです。とはいえ、15枚もの鉄板を使っているので、相当な重さだったことは間違いありません。
現在残っている部分は、兜鉢(かぶとばち)、障子の板、壺板(つぼいた)などの金属部分のみ。それでも、当時の職人技術の高さを今に伝える貴重な資料となっています。
特徴
避来矢鎧の最大の特徴は、なんといってもその不思議な防御力にあります。
避来矢鎧の神秘的な力
この鎧を身につけると、敵が放った矢が自然と避けていくという信じがたい現象が起きたそうです。まるで矢自体が意思を持っているかのように、着用者には一本も当たることがなかったといいます。
実用面での特徴
- 防御力:矢を物理的に防ぐだけでなく、矢そのものを避ける力
- 重量の問題:非常に重いため、機動力は犠牲になる
- 威圧感:その重厚な見た目で、敵に心理的プレッシャーを与える
- 保護範囲:全身をしっかりと守る大鎧形式
面白いことに、この鎧にまつわる逸話では「石に変身する」という不思議な能力も語られています。足利忠綱が宇治川の戦いで鎧を置いて戦った時、戻ってみると鎧が平らな石に変わっていたとか。石を叩くと元の鎧に戻ったという話から、「平石」という別名がついたんです。
伝承
避来矢鎧にまつわる伝承の中心は、藤原秀郷の百足退治の物語です。
竜神からの依頼
ある日、藤原秀郷が琵琶湖のほとりを通りかかると、大蛇が横たわっていました。普通の人なら恐れて逃げるところですが、秀郷は恐れることなくその上を歩いて渡ったんです。
すると、その大蛇は実は琵琶湖に住む竜神の化身でした。竜神は秀郷の勇気に感動し、ある頼みごとをします。
「三上山に住む大百足が私の子供たちを食べてしまう。どうか退治してほしい」
大百足退治
秀郷は竜神の頼みを引き受け、三上山へ向かいました。現れた大百足は山を七巻き半するほどの巨大な化け物。秀郷は矢を次々と放ちましたが、硬い殻に弾かれてしまいます。
最後の一本の矢に、秀郷は唾をつけて放ちました。すると不思議なことに、その矢は大百足の急所である目を貫き、見事に退治することができたのです。
竜神からの褒美
大百足を退治した褒美として、竜神は秀郷に素晴らしい宝物を授けました。
竜神から授かった宝物
- 避来矢鎧(矢を避ける鎧)
- 太刀(切れ味抜群の刀)
- 兜(頭を守る兜)
- 尽きることのない米俵
これらの宝物の中でも、避来矢鎧は特に強力な守護の力を持っていたため、藤原家、そして後の足利家の家宝として大切に受け継がれていきました。
宇治川の奇跡
藤原秀郷の子孫である足利忠綱にまつわる伝承も興味深いものがあります。
以仁王の挙兵の際、忠綱は宇治川で敵と対峙することに。避来矢鎧はあまりにも重いため、機動力を重視した忠綱は軽い鎧に着替えて戦いました。
戦いに勝利して川辺に戻ると、置いていたはずの避来矢鎧が消えており、代わりに平らな石が置かれていたのです。家宝を失ったと嘆いた忠綱が、怒りのあまりその石を殴りつけると、なんと石は消えて元の避来矢鎧が現れたといいます。
起源
避来矢鎧の起源は、平安時代中期にさかのぼります。
藤原秀郷という人物
藤原秀郷(ふじわらのひでさと)は、平安時代中期の武将で、「俵藤太秀郷(たわらとうだひでさと)」の名前でも知られています。
秀郷の功績:
- 平将門の乱を鎮圧(天慶の乱)
- 従四位下の位を朝廷から授かる
- 坂田金時、渡辺綱、源頼光と並ぶ武勇の誉れ高い武将
神話から歴史へ
避来矢鎧は、もともと竜神という神話的存在から授かったものとされていますが、その後は実際の歴史の中で受け継がれていきました。
継承の流れ
- 藤原秀郷が竜神から拝領(平安時代中期)
- 秀郷の子孫である足利家へ継承
- 足利家の家宝として代々伝わる
- 江戸時代に浅草で火災に遭い、金属部分のみ残存
- 明治2年(1869年)に唐沢山神社へ移される
文化財としての価値
現在、避来矢鎧は国の重要文化財に指定されています。平安時代の大鎧の初期形式を今に伝える貴重な資料として、学術的にも非常に価値が高いんです。
甲冑師の名門・明珍家によって復元作業も行われ、失われた部分を補いながら、当時の姿を可能な限り再現する努力が続けられています。
まとめ
避来矢鎧は、神話と歴史が交差する日本の至宝です。
重要なポイント
- 平安時代の武将・藤原秀郷が竜神から授かった伝説の大鎧
- 飛んでくる矢が自然と避けていく不思議な防御力を持つ
- 15枚の鉄板を重ねた重厚な作りで、平安後期の技術の粋を集めた逸品
- 足利家に代々受け継がれ、江戸時代の火災を経て現存
- 現在は栃木県唐沢山神社の御神体「避来矢大権現」として祀られる
- 国の重要文化財として、日本の武具史を物語る貴重な存在
竜神の加護を受けた鎧という神話的な側面と、実際に武将たちが身につけて戦った歴史的な側面。この二つが融合した避来矢鎧は、まさに日本文化の奥深さを象徴する宝物といえるでしょう。
もし藤原秀郷が大百足を退治していなかったら、この素晴らしい鎧は生まれていなかったかもしれません。勇気ある行動が、時を超えて今も私たちに語りかけてくる。それが避来矢鎧の持つ本当の魅力なのかもしれませんね。


コメント