寿司屋でネタを注文すると、なぜかいつも2つセットで出てくる。
1個でも3個でもなく、きっかり2貫。
実はこの習慣、江戸時代にさかのぼる面白い理由があります。
諸説ありますが、有力な説をまとめて解説します。
そもそも昔の寿司はおにぎり大だった
握り寿司が誕生したのは、江戸時代の文政年間(1818〜1830年頃)のこと。
江戸・両国(現在の東京都墨田区)の料理人、華屋与兵衛(はなやよへい)が考案したとされています。
当時の握り寿司は、現代のものと比べると倍以上の大きさがありました。
おにぎりほどの大きさで、一口で食べるのが難しかったといいます。
屋台で立ち食いするファストフード的な食べ物だったため、大きすぎる寿司は食べにくく、見栄えも良くありませんでした。
そこで、職人が包丁で半分に切って提供するようになったのが、2貫セットの起源とされています。
2貫セットになった4つの理由
理由①「最初から2つ握ったほうが早い」(最有力説)
半分に切って出すうちに、「はじめから小さく2つ握ればいい」という発想が生まれました。
江戸時代の三都の風俗を記録した書物『守貞謾稿(もりさだまんこう)』には、華屋与兵衛の「与兵衛鮓」が江戸で名の知れた名店として記されており、当時の握り寿司が江戸っ子に広く親しまれていたことが確認できます。
この人気店が2貫ずつ出すスタイルを広めたとされており、2貫セットの定着に大きく貢献したと伝えられています。
これが現在の2貫セットの直接的なルーツとされています。
理由②「一膳飯」は縁起が悪かった
江戸時代の人々は、食べ物を1つだけ出すことを非常に嫌いました。
「一膳飯(いちぜんめし)」とは、もともと嫁入りや独立の際に「もう二度とここには戻らない」という意味を込めて出す「別れの食事」のことです。
この縁起の悪さから、葬儀でも死者への最後の食事として使われるようになりました。
つまり、1貫だけ出すのは縁起が悪いとされ、2貫で出すのが自然な流れになっていきました。
理由③「1つでは物足りない、3つではくどい」
神田の老舗寿司屋「鶴八」の初代・師岡幸夫氏は、著書『神田鶴八鮨ばなし』のなかでこう述べています。
「1つでは物足りない。2つめしあがっていただくと、ああ、マグロを食べたと満足する。でも3つでは少しくどい。だから2つがいいんじゃないか」
満足感という観点から、2貫がベストな数だという職人の経験則がここに表れています。
理由④「背身と腹身で1匹の味になる」
同じく「鶴八」三代目の石丸久尊氏は、著書『鮨12ヶ月』の中で2貫で出す理由をネタの観点からこう説明しています。
「カツオは背側と腹側で、アジは上身と下身で1匹の味になる。アナゴも頭の方と尾の方では味が違う。だから、できれば2貫食べてほしい」
背身と腹身では脂の乗り方や食感が異なります。
2貫食べることで、ネタ本来の味の全体像を楽しめるという考え方です。
「対になるもの」を好む日本人の美意識
2貫セットが定着した背景には、日本人の美意識も関係しています。
箸は「一膳・二膳」、着物の帯は「一本・二本」のように、日本には古くから2つで1組という感覚が根付いています。
1つの大きな寿司を2つに切り分けることが「対(つい)になっている」として縁起が良いと受け入れられ、2貫セットが広まっていきました。
現代では1貫で出す店も増えている
2貫セットは江戸時代から続く習慣ですが、現代では変化も起きています。
高級店やおまかせコースでは、1種類のネタをじっくり味わうために1貫ずつ提供するスタイルも増えています。
これは多くの種類を少しずつ楽しんでほしいという、現代の食スタイルに合わせた変化です。
回転寿司では1皿2貫が基本ですが、高級寿司店では1貫単位での提供も珍しくなくなっています。
まとめ
握り寿司が2貫セットで出てくる理由は、主に以下の流れで生まれました。
- 江戸時代の巨大な寿司を半分に切って出したのが起源
- 「一膳飯」の縁起の悪さを避けるため1つ出しは禁忌だった
- 満足感と食べやすさのバランスとして2貫がベストだった
- 背身と腹身の両方を食べることでネタの旨さを完全に味わえる
一見なんとなく続いているように見える習慣ですが、江戸時代から受け継がれた知恵と文化が詰まっていました。
次に寿司を食べるとき、2貫目を手にとりながらこの歴史を思い出してみてください。

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