貧乏神とは?日本の民間信仰に伝わる「貧困をもたらす神」の正体と意外な一面

貧乏神(びんぼうがみ)は、日本の民間伝承に登場する、人の家に取り憑いて貧困をもたらすとされる神です。
やせ細った老人の姿で描かれることが多く、怖いというよりもどこか哀愁を感じさせる存在です。
しかし、単なる「厄介者」ではなく、丁寧にもてなすと福の神に変わるという不思議な言い伝えも残されています。
この記事では、貧乏神の起源や特徴、各地に伝わる追い出し方、そして現代における文化的な広がりまで詳しくご紹介していきます。

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概要

貧乏神は、日本各地の民間伝承に登場する神の一種です。
その名が示す通り、取り憑かれた家に貧困をもたらすと信じられてきました。
しかし、その一方で「貧乏を福に転じる神」としての側面も持ち合わせており、日本人の信仰や価値観を反映する興味深い存在でもあります。
古くは鎌倉時代の文献に記録が見られ、江戸時代には落語や随筆の題材として広く親しまれるようになりました。

貧乏神の起源と歴史

中国由来の「窮鬼」

貧乏神のルーツは、中国の伝承に登場する「窮鬼」(きゅうき)にあるとされています。
中国では古くから、貧困をもたらす鬼神の概念が存在しました。

曲亭馬琴が編纂した『兎園小説』(1825年)では、貧乏神を「窮鬼」と記しています。
この「窮鬼」の概念が日本に伝わり、日本独自の民間信仰と融合して「貧乏神」という存在が生まれたと考えられています。

日本における最古の記録

日本の文献における最も古い記録のひとつは、鎌倉時代に編纂された仏教説話集『沙石集』(1283年)です。
同書の巻八第十四話には「貧窮殿」(ひんきゅうどの)という表現で、貧乏神に相当する存在が登場します。

「貧乏神」という言葉そのものが文献に現れるのは、室町時代の1481年が最も古い記録とされています。
以降、江戸時代にかけて貧乏神にまつわる説話や逸話が数多く生まれました。

江戸時代の文学作品に見る貧乏神

江戸時代には、貧乏神は文学作品の重要な題材となりました。

井原西鶴の『日本永代蔵』(1688年)では、貧乏神が登場する興味深い話が収められています。
この作品では、貧乏神は単なる災いの象徴ではなく、「貧乏を福に転じる神」として描かれており、勤勉に働くことの大切さを説く教訓的な役割を担っています。

また、津村淙庵の随筆『譚海』にも貧乏神にまつわる逸話が記録されており、江戸時代の人々が貧乏神をどのように認識していたかをうかがい知ることができます。

貧乏神の姿と特徴

外見

貧乏神は、伝承において以下のような姿で描かれることが一般的です。

やせ細った老人の姿をしており、顔色は青白いとされています。
手には破れた渋団扇(しぶうちわ)を持ち、どこか寂しげな表情を浮かべているのが特徴的です。
全体的に「みすぼらしい」「哀れっぽい」という印象を与える姿として伝えられています。

行動と習性

貧乏神にはいくつかの特徴的な習性があるとされています。

家の中では押入れや物陰に潜んでいることが多いとされ、怠け者や散財する人間のいる家に好んで住み着くと言われています。
反対に、勤勉な人間のいる家には居づらくなり、自ら出ていくという話も数多く伝わっています。

好物は味噌

興味深いことに、貧乏神の好物は味噌であるという言い伝えがあります。
江戸時代の詩人・中村光行は、貧乏神が焼いた味噌を好むと詠んでおり、この「味噌好き」という設定は、後述する貧乏神の追い出し方にも深く関わっています。

貧乏神の追い出し方(各地の風習)

日本各地には、貧乏神を追い出すためのさまざまな風習が伝えられています。
地域によって方法が異なるのが面白いところです。

新潟県の風習

新潟県では、大晦日に囲炉裏の奥で火を焚いて貧乏神を追い出すという習慣がありました。
炎の熱によって、家に住み着いた貧乏神を追い払うことができると信じられていたのです。

大阪の風習(明治時代)

大阪の船場では明治10年(1877年)頃まで、毎月末に味噌を焼いて貧乏神を追い出す風習が行われていたとされています。
貧乏神の好物である味噌を焼くことで、その香りにつられた貧乏神が家の外に出ていくと考えられていました。

尾張地方の風習

尾張地方(現在の愛知県西部)では、桃の枝を用いて呪文を唱えながら貧乏神を追い出す方法が伝えられています。
桃は古くから邪気を払う力があるとされており、『古事記』のイザナギの黄泉の国の逸話にも桃が登場します。

貧乏神の意外な一面:福の神への変身

追い出すと去り、もてなすと福をもたらす

貧乏神にまつわる民話の中で最も興味深いのは、「貧乏神を丁寧にもてなすと福の神に変わる」という話です。

代表的な民話では、ある貧しいが勤勉な夫婦の家に貧乏神が住み着いていました。
夫婦は貧しさを嘆くことなく真面目に働き続け、ある日、家の中から出てきた貧乏神に対しても邪険にせず、温かくもてなしました。
すると貧乏神は感謝し、福の神に姿を変えたという結末です。

貧乏神が立ち去る話

もうひとつの典型的なパターンは、家の住人が非常に勤勉で、貧乏神が居づらくなって自ら出ていくという話です。
貧乏神が家を出る際に「この家は居心地が悪い」「もう出ていく」と告げ、その直後から家に福が訪れるという展開になっています。

これらの物語は、勤勉さや感謝の心が幸福をもたらすという、日本の伝統的な価値観を反映しているといえるでしょう。

仏教的な教えとのつながり

『沙石集』が仏教説話集であることからも分かるように、貧乏神の物語には仏教的な教えが色濃く反映されています。
困難を受け入れ、不運に対しても感謝や誠実さで向き合うことで、状況が好転するという考え方は、仏教の因果応報の思想と通じるものがあります。

座敷童が家に幸運をもたらす「福の神」的な妖怪であるのに対し、貧乏神は一見その正反対の存在です。
しかし、もてなし方次第で福をもたらすという点では、両者は表裏一体の関係にあるともいえるでしょう。

貧乏神を祀る場所

貧乏神は忌み嫌われる存在でありながら、逆説的にも祀られている場所がいくつか存在します。

太田神社(牛天神北野神社内・東京)

東京都文京区にある牛天神北野神社の境内には、太田神社という貧乏神を祀った社があります。
ここでは貧乏神を丁重に送り出すことで、貧困から解放されるという信仰が伝えられています。

妙泉寺(東京)

東京都台東区谷中にある妙泉寺には、2003年(平成15年)に貧乏神の石像が設置されました。
この像は『桃太郎電鉄』のキャラクターをモチーフにしたもので、除幕式にはゲームデザイナーのさくまあきら氏も参加しています。
貧乏神を祀ることで、逆に貧乏を遠ざけるという逆転の発想に基づく信仰です。

駅舎の像(桃太郎電鉄モチーフ)

鬼無駅(香川県高松市)、佐世保駅(長崎県佐世保市)、仲ノ町駅(銚子電気鉄道・千葉県)にも、妙泉寺と同型の貧乏神像が設置されています。
これらはいずれもゲーム『桃太郎電鉄』のキャラクターをモチーフにしたもので、頭に猿が乗った「貧乏が猿(去る)」というダジャレが込められた像です。

さらに銚子電鉄では、笠上黒生駅に「貧乏を取り(鳥)」としてキジが乗った像、犬吠駅に「貧乏が去ぬ(犬)」として犬が乗った像も追加されており、地域の観光資源として親しまれています。

現代文化における貧乏神

桃太郎電鉄シリーズ

貧乏神を現代の日本人に最も広く知らしめたのは、ボードゲーム型テレビゲーム『桃太郎電鉄』シリーズでしょう。
同作品に登場する貧乏神は、プレイヤーに取り憑いて所持金を減らしたり不利な行動をとったりする厄介なキャラクターとして描かれています。
このゲームの影響で、若い世代にとっても貧乏神は馴染みのある存在となっています。

水木しげるロードの銅像

鳥取県境港市の水木しげるロードには、妖怪研究の第一人者・水木しげるがデザインした貧乏神の銅像が設置されています。
世界の妖怪一覧にも含まれるように、貧乏神は日本を代表する妖怪・神霊のひとつとして広く認知されています。

落語

江戸時代から続く伝統芸能の落語にも、貧乏神を題材とした演目があります。
貧乏神が家の住人とやりとりする滑稽な展開は、落語の笑いとの相性が良く、現在でも演じられることがあります。

アニメ・漫画

2012年には貧乏神をテーマにした漫画・アニメ作品も制作されており、伝統的な民間信仰のキャラクターが現代のエンターテインメントにも取り入れられています。

貧乏神と関連する存在

貧乏神は日本の民間信仰において、他の神霊や妖怪との関係の中で理解されます。

福の神が家に富と幸運をもたらす存在であるのに対し、貧乏神はその対極に位置します。
しかし前述のように、貧乏神が福の神に変わるという伝承は、この二つの存在が本質的につながっていることを示唆しています。

また、七福神のえびすをはじめとする福の神の信仰が盛んになるにつれて、貧乏神を追い出す風習も各地で発展していきました。

日本の妖怪や神霊には、笈の化物狂骨のように、恐ろしくもどこか人間味のある存在が数多く伝えられています。
貧乏神もまた、そうした日本独特の「畏れと親しみが同居する」信仰の一例といえるでしょう。

まとめ

  • 貧乏神は、人の家に取り憑いて貧困をもたらすとされる日本の民間信仰上の神
  • 中国の「窮鬼」をルーツとし、日本では鎌倉時代の『沙石集』(1283年)に最古級の記録が残る
  • やせ細った老人の姿で描かれ、押入れに潜み、味噌を好むとされる
  • 各地に追い出しの風習が伝わるが、もてなすと福の神に変わるという逆説的な伝承も存在する
  • 『桃太郎電鉄』などを通じて現代でも広く親しまれている

貧乏神は、単なる「災いの神」として恐れるだけの存在ではありません。
困難に誠実に向き合えば、やがて福がもたらされるという日本人の知恵と信仰が込められた、奥深い存在なのです。

参考情報

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この記事で参照した情報源

一次資料(原典)

  • 無住『沙石集』(1283年)巻八第十四話 – 「貧窮殿」として貧乏神に相当する存在が登場する仏教説話集
  • 井原西鶴『日本永代蔵』(1688年) – 貧乏神を「貧乏を福に転じる神」として描いた町人文学の代表作
  • 曲亭馬琴 編『兎園小説』(1825年) – 貧乏神を「窮鬼」と記録した江戸時代の随筆集
  • 津村淙庵『譚海』- 江戸時代の貧乏神にまつわる逸話を記録した随筆

信頼できる二次資料

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