ものぐさ太郎とは?御伽草子が描く怠け者の大出世物語を徹底解説

「ものぐさ太郎」という名前を聞いたことはありますか?
竹を4本立てただけの粗末な小屋で、ひたすら寝転がって暮らす究極の怠け者。
ところがこの男、都に上ると和歌の才能を発揮し、実は皇族の末裔だったことが判明して大出世を遂げるという、じつに痛快な物語なんです。
この記事では、御伽草子の名作『物くさ太郎』のあらすじから、作品の文学的な特徴、さらには現代に残る伝承地まで、詳しく解説していきます。

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概要

『物くさ太郎』は、日本の古典文学である『御伽草子』に収められた短編物語の一つです。
「物倦太郎」「懶太郎」とも表記され、作者・成立年代はともに不明とされています。
信濃国(現在の長野県)を舞台に、極端な怠け者がやがて都で才能を開花させ、皇族の血筋であることが明かされて出世するという、いわゆる立身出世譚として知られています。
単なるサクセスストーリーではなく、和歌の知識や謎解きの要素がふんだんに盛り込まれた、中世日本ならではの知的な娯楽作品です。

御伽草子とは

『物くさ太郎』を理解するうえで欠かせないのが、「御伽草子」という作品群の背景です。

御伽草子とは、鎌倉時代末から江戸時代にかけて成立した短編の絵入り物語の総称で、広義には400編以上が含まれるとされています。
平安時代の物語文学が貴族を中心としたものだったのに対し、御伽草子はもっと広い読者層、つまり庶民を対象としていたのが大きな特徴です。

狭義には、江戸時代中期に大阪の書肆(本屋)・渋川清右衛門が23編を選んで刊行した「御伽文庫」(渋川版)を指します。
『物くさ太郎』は、この渋川版23編の一つに含まれています。

御伽草子に登場する作品としては『一寸法師』や『浦島太郎』『酒呑童子』なども有名で、現代の日本昔話の源流ともいえる存在です。
『物くさ太郎』もまた、主人公が自らの才覚で立身出世を遂げるという点で『一寸法師』と共通しており、当時の下克上の世相を反映した作品と考えられています。

あらすじ

信濃国の怠け者

物語の舞台は、信濃国つるまの郡あたらしの郷(現在の長野県松本市付近と推定される場所)です。

ここに「物くさ太郎ひぢかす」という名の男が住んでいました。
竹を4本立てて薦(こも)をかけただけの粗末な小屋に暮らし、商売もせず田畑も耕えず、ただ一日中寝転がっているという筋金入りの怠け者です。

餅と地頭

ある日、太郎は人から餅を5つもらいました。
4つは一気に食べてしまいましたが、残りの1つを大事にとっておこうとします。
ところが、寝転がったまま餅をもてあそんでいるうちに、うっかり手から離れて道に転がってしまいました。

取りに行くのすら面倒な太郎は、竹の竿で烏や犬を追い払いながら3日も待ち続けます。
そこへ鷹狩に向かう地頭(じとう)の左衛門尉のぶよりが通りかかると、太郎は寝たまま「その餅を取ってくれ」と声をかけました。

のぶよりは太郎の度を超した怠けぶりに、怒りを通り越して興味を抱きます。
そして領民たちに「この男に毎日食事を2度、酒を1度与えよ。さもなければこの土地から追放する」というお触れを出しました。
理不尽に思いながらも、人々は仰せの通り、3年にわたって太郎を養いました。

都への旅立ち

3年目の春、信濃国の国司から「あたらしの郷」に長夫(ながぶ=公用の人夫)を一人出せとの命令が下ります。
誰もこの役目を嫌がったため、百姓たちは相談の結果、太郎に押しつけることにしました。
厄介払いもできて一石二鳥というわけです。

太郎は当然嫌がりましたが、「都に行けばきれいな女がいて妻にできるぞ」とおだてられると、「それなら行こう」とあっさり承知します。
こうして太郎は、一人で都へと旅立ちました。

都での働きぶりと嫁探し

都に着いた太郎は、まるで人が変わったように真面目に働きます。
その勤勉さを大納言も気に入り、3月までの予定が7月になり、さらに11月まで延びるほどでした。

ようやく信濃に帰ることになった太郎ですが、肝心の嫁がまだ見つかっていません。
宿屋の亭主に相談すると、「清水寺の門前で辻取りをすればよい」と助言されます。
辻取りとは、路上で気に入った女性を連れ去って妻にするという、現代の感覚ではとんでもない風習のことです。

清水寺の出会い

太郎は清水寺の門前に向かいました。
信濃にいた頃から一度も着替えていない真っ黒な着物に、腰に縄を巻いた姿で大手を広げて待ち構えます。

日暮れ近くなった頃、17~18歳ほどの美しい女房が通りかかりました。
太郎はこの女房に飛びつき、離しません。
女房は恐ろしがりながらも、謎かけの和歌を詠んで逃れようとします。

「思ふなら訪ひても来ませ我が宿は からたちばなの紫のかど」

太郎が歌の意味を考えている隙に、女房は裸足で駆け出して逃げ切りました。

和歌の才能と結ばれる二人

太郎は歌の謎を解き、七条にある豊前守の屋敷を見つけ出します。
縁の下に潜んで待ち、夜更けに女房を見つけると飛び出しました。

この女房は「侍従の局」と呼ばれる女性でした。
侍従は仕方なく太郎を一晩泊めますが、太郎が詠む和歌に次々と驚かされます。

たとえば侍従が栗・柿・梨を差し出すと、太郎はそれぞれの意味を和歌の教養に基づいて見事に読み解いてみせました。
さらに侍従が大切にしていた琴の上にうっかり座ってしまった太郎は、こう返歌します。

「ことわりなれば ものも言はれず」
(「ごもっとも(理/琴割り)なので、何とも申し上げられません」)

「琴が割れた」ことと「道理」をかけたこの見事な掛詞に、侍従は深く感動しました。
二人はついに結ばれ、侍従は下女に命じて太郎を7日間かけて風呂で磨き上げさせます。
すると別人かと見まごうばかりの美男子が現れたのです。

皇族の末裔と判明

太郎の和歌の才能は帝の耳にまで届き、参内を命じられます。
帝の前でも堂々と歌を詠んだ太郎に感心した帝は、太郎の素性を調べさせました。

すると驚くべきことに、太郎は仁明天皇(にんみょうてんのう)の第二皇子・二位の中将が信濃に流された後、善光寺如来に祈願して授かった子であることが判明します。
つまり太郎は仁明天皇の孫にあたる人物だったのです。
帝は太郎を「信濃の中将」に任じ、甲斐と信濃の両国を与えました。

神となった太郎

侍従とともに故郷のあたらしの郷に戻った太郎は、かつてとは打って変わった立派な暮らしを送ります。
多くの子にも恵まれ、120歳の長寿を全うしました。

死後、太郎は「おたかの大明神」、侍従の局は「あさいの権現」という神となって現れ、恋する人々の願いを叶えたと伝えられています。

「ものぐさ」の語源

『物くさ太郎』の名前に使われている「ものぐさ(物臭)」という言葉は、古くから日本語に存在していた表現です。

平安時代後期(11世紀末〜12世紀初頭)に成立した古辞書『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』には、「嬾」の字に「物クサシ」という訓が記されています。
何かをするのが面倒だ、億劫だという気持ちを表す言葉で、この「ものくさ」に「太郎」を加え、名は体を表す人物を主人公に据えたのがこの物語というわけです。

物語の文学的特徴

本地物としての構造

『物くさ太郎』は、「本地物(ほんじもの)」と呼ばれる説話の形式をとっています。

本地物とは、物語の主人公がさまざまな苦難を経た末に、最後は神となって祀られるという物語類型です。
つまり、神がまず人間としてこの世に現れ、やがてその「本地」(正体・本来の姿)を明かすという構造になっています。
太郎が最後に「おたかの大明神」になるのは、まさにこの本地物の定型に沿ったものです。

ただし、一般的な本地物は悲劇や苦難を描く深刻なものが多いのに対し、『物くさ太郎』は滑稽味にあふれています。
この点について、国文学者の信多純一(しだじゅんいち)氏は興味深い指摘をしています。

物語の巻末には「神は本地をあらはせば大きに喜びたまふ。凡夫は本地あらはせば、立つ事をかしさよ」という一文があります。
これは「神が本来の姿を現せばお喜びになるが、ただの人間が本性を現したら、腹が立つだけで笑い話にしかならない」という意味です。

信多氏は、このような近世的な表現は中世の本地物にはそぐわないものであり、『物くさ太郎』は近世になってから本地物のパロディとして成立した可能性があると論じています。

伝本の系統

『物くさ太郎』の伝本(伝わっている写本や刊本)は、本文の相違から大きく2つの系統に分けられます。

「古本系」には、大阪府立大学所蔵の『物草太郎絵巻』と国立国会図書館所蔵の『懶太郎物語』があります。
一方の「刊本系」は、丹緑本(たんろくぼん)や渋川版といった版本の系統です。

信多純一氏の研究によれば、これらは元は一つの源流から出たもので、もとは絵巻物の詞書であったとされています。
『物草太郎絵巻』はその絵巻から図様と本文を写したもの、「刊本系」は「古本系」の本文にさらに手を入れて成立したものと考えられています。

和歌文化の反映

『物くさ太郎』の大きな魅力の一つは、物語全体に散りばめられた和歌と掛詞(かけことば)の面白さです。

清水寺の場面では、侍従の局が「からたちばなの紫のかど」という謎かけの歌を詠み、太郎がそれを解いて屋敷を探し当てます。
また、栗・柿・梨の意味を読み解く場面や、「ことわり(道理/琴割り)」の掛詞など、中世の和歌文化に根差した知的な遊びがふんだんに盛り込まれています。

これは、当時の読者が和歌の教養を共有していたことを示すと同時に、「ただの怠け者に見えた太郎が実は教養人だった」という意外性を演出する重要な仕掛けでもあります。

「おたかの大明神」と穂高神社

物語の結末で太郎が「おたかの大明神」になったという記述については、実際の神社との関連が指摘されています。

「おたか」とは「ほだか(穂高)」のことともいわれ、長野県安曇野市にある穂高神社の祭神との結びつきを示す伝えがあります。
実際に、穂高神社の若宮相殿には「信濃中将」が祀られており、これが御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされています。

江戸時代に編纂された『信府統記(しんぷとうき)』には、文徳天皇の御代に「信濃中将」という人物が勅命で穂高神社を造営したと記されています。
同書はこの信濃中将について「仁明天皇三代ノ孫」と記し、俗に「物苦(ものぐさ)太郎」と称されたとしています。

なお、『信府統記』が「三代の孫」としているのに対し、御伽草子の物語本文では太郎は仁明天皇の第二皇子の子(つまり仁明天皇の孫)とされており、両者の系譜には食い違いがあります。

ただし、古本系の『懶太郎物語』では「おたかの大明神」ではなく「ひたかの大明神」と記されているなど、太郎の「本地」が具体的にどこのどういう神であるのかは、実ははっきりしていません。

三年寝太郎との関係

『物くさ太郎』と類似した民話に「三年寝太郎」があります。

三年寝太郎は日本各地に伝わる昔話で、特に山口県の厚狭(あさ)地方の伝承が有名です。
3年3月の間寝続けた怠け者の若者が突然起き上がり、知恵を使って村を救うという筋書きで、「怠け者に見えた人物が実は大きなことを成し遂げる」というモチーフは『物くさ太郎』と共通しています。

ただし、両者には明確な違いもあります。
『物くさ太郎』は和歌の才能と貴種であることが明かされる「貴種流離譚」的な要素が強いのに対し、「三年寝太郎」は知恵と実行力で困難を解決するという実務的なヒーロー像が描かれています。

歴史学者の保立道久氏は、『物語の中世』(東京大学出版会刊、講談社学術文庫再刊)において「ものぐさ太郎から三年寝太郎へ」と題した考察を行っており、中世から近世にかけて「怠け者」のイメージが物語の中でどのように変容していったかを論じています。

折口信夫が紹介した別の伝承

民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)は、御伽草子に記されたものとは異なる「物くさ太郎」の話を紹介しています。

それは江戸時代の信州に伝わった話で、物くさ太郎という男が田作りをしていると見知らぬ女が現れて手伝い、やがて夫婦になって子も生まれたが、女の正体は実は狐だったというものです。
正体を知られた女は姿を消しますが、その後太郎の家は富み栄えたと伝えられています。

これは「信太妻(しのだづま)」として知られる説話類型で、狐が女に化けて人間と暮らし、正体が知れて別れるという定型的な物語です。
折口は、男の名が「物くさ太郎」であることについて「すこぶる古い話の『ある人』にありあわせの、その地方一番の人の名をくっつけただけ」と述べています。

つまり、「物くさ太郎」という名前自体が、ある種の代名詞として地域に定着していたことがうかがえるわけです。

現代に残る伝承地

長野県松本市の新村地区には、物くさ太郎の生誕地と伝える場所と「太郎の腰掛桜」というものが残っています。

物語の冒頭に登場する「つるまの郡あたらしの郷」は、信濃国の筑摩郡(つかまぐん)の「あたらしの郷」と解釈されており、東筑摩郡の新村(にいむら=現在の松本市新村)にあたるとする説があります。

1989年に地区の文化祭で特別展が開かれたことをきっかけに”太郎熱”が再燃し、翌年には保存会が発足しました。
1991年(平成3年)には、洞澤今朝夫氏制作の物くさ太郎の銅像がこの地に建立されています。
桜の木の切り株に腰掛けた青年の姿をした銅像で、北アルプスを眺めながら思索にふけるような佇まいです。

以来、毎年9月には「物くさ太郎祭り」が開催されており、地域の人々にとって「物くさ太郎」は今も愛される存在となっています。

まとめ

『物くさ太郎』は、一見するとただの怠け者の滑稽な出世譚に見えますが、その奥には中世日本の文学的な豊かさが詰まっています。

  • 御伽草子の渋川版23編の一つで、作者・成立年代は不明
  • 信濃国の怠け者が都で和歌の才を発揮し、皇族の末裔と判明して大出世する物語
  • 「本地物」の形式をとりながらも滑稽味を重視しており、そのパロディ的性格が指摘されている
  • 和歌や掛詞を巧みに用いた知的な娯楽作品としての側面を持つ
  • 「おたかの大明神」と穂高神社の関連や、三年寝太郎との類似など、日本の説話史における重要な位置を占めている
  • 現在も長野県松本市新村に伝承地が残り、毎年祭りが行われている

怠け者の裏に隠された才能と血筋が明かされるという構造は、「見かけで人を判断してはいけない」という普遍的なメッセージを含んでいるともいえるでしょう。
室町時代の庶民たちが楽しんだこの物語は、数百年を経た現代でもなお、私たちに新鮮な驚きと面白さを与えてくれます。

参考情報

この記事で参照した情報源

一次資料(原典のデジタル公開)

学術資料・研究書

  • 市古貞次 校注『御伽草子』(『日本古典文学大系』38)岩波書店、1963年 – 渋川版23編を収めた定本
  • 信多純一『古本物くさ太郎』(『松陰国文資料叢刊』4)松陰国文資料叢刊刊行会、1978年 – 伝本の系統や成立時期に関する研究
  • 浅見和彦「『物くさ太郎』の歌より」(『日本文学研究資料叢書 お伽草子』所収、有精堂出版、1985年) – 物語中の和歌に関する考察
  • 美濃部重克「『物草太郎』の口承的仕組み小考」(『論纂 説話と説話文学』笠間書院、1979年) – 口承文学としての考察
  • 折口信夫「信太妻の話」(『折口信夫全集』第二巻、中央公論社、1965年) – 信州に伝わる別バージョンについての言及

京都大学貴重資料

百科事典・辞典

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