「♪しょ しょ しょうじょうじ しょうじょうじのにわは つ つ つきよだ♪」で始まる童謡「証城寺の狸囃子」。
誰もが一度は耳にしたことがあるこの楽しい歌には、実は千葉県木更津市に伝わる哀しい狸の伝説が元になっています。
この記事では、童謡の誕生秘話から元となった伝説、作詞・作曲者の野口雨情と中山晋平について、詳しく解説します。
日本三大狸伝説の一つとして知られるこの物語の全貌を、ぜひご覧ください。
概要
「証城寺の狸囃子」は、1924年に野口雨情が作詞し、1925年に中山晋平が作曲した日本の童謡です。
千葉県木更津市にある證誠寺に伝わる「狸囃子伝説」を元にしています。
明るくリズミカルな曲調で親しまれていますが、元の伝説は狸が腹を破って死んでしまうという悲しい結末を持っています。
童謡「証城寺の狸囃子」の誕生
作詞・作曲
童謡「証城寺の狸囃子」は、野口雨情(のぐち うじょう)と中山晋平(なかやま しんぺい)という、大正・昭和期を代表する童謡黄金コンビによって生み出されました。
野口雨情は、1882年(明治15年)茨城県北茨城市に生まれた詩人・童謡作詞家です。
「七つの子」「赤い靴」「シャボン玉」など、誰もが知る名作童謡を数多く残しました。
北原白秋、西條八十とともに「童謡界の三大詩人」と称されています。
中山晋平は、1887年(明治20年)長野県中野市に生まれた作曲家です。
童謡・流行歌・新民謡など、現在判明しているだけで1,805曲の作品を残しました。
独特の曲調は「晋平節」と呼ばれ、多くの人々に親しまれています。
この二人のコンビは、「証城寺の狸囃子」の他にも「兎のダンス」「雨降りお月さん」など、数多くの名曲を生み出しました。
誕生の経緯
1919年(大正8年)、野口雨情は木更津町(現・木更津市)と君津郡の教育委員会の招きで木更津の講演会に訪れました。
この時、雨情は地元の人々から證誠寺に伝わる「狸囃子伝説」を聞かされました。
雨情はこの伝説に着想を得て作詞し、まず1924年10月31日、木更津尋常高等小学校(現・木更津市立木更津第一小学校)発行の雑誌『きさらつ』第七号に「証誠寺の狸囃」として発表しました。
続いて同年12月1日、童謡・童話雑誌『金の星』(金の星社)の12月号に「証城寺の狸囃」として発表されました。
中山晋平はこの歌詞を読んで感銘を受け、曲を付けました。
曲譜は1925年1月1日発行の『金の星』1月号に掲載されました。
興味深いことに、当時野口雨情は旅行中で連絡がつかなかったため、『金の星』編集主幹の斎藤佐次郎が独断で掲載したというエピソードが残されています。
歌詞の意味
証城寺の狸囃子の歌詞は、月夜の晩に證誠寺の庭で狸たちが囃子を奏でる情景を描いています。
【歌詞】
証 証 証城寺
証城寺の庭は
つ つ 月夜だ
みんな出て 来い来い来い
おいらの友だちゃ
ぽんぽこ ぽんの ぽん
負けるな 負けるな
和尚さんに 負けるな
来い 来い 来い 来い 来い 来い
みんな出て 来い来い来い
証 証 証城寺
証城寺の萩は
つ つ 月夜に 花盛り
おいらは浮かれて
ぽんぽこ ぽんの ぽん
歌詞の中の「おいら」は狸の視点で語られており、月夜の庭で仲間の狸たちを呼び集め、和尚さんに負けじと腹鼓を叩く様子が生き生きと描かれています。
「証城寺の萩は月夜に花盛り」という一節は、実際に證誠寺の境内に萩が多く生えていたことに基づいています。
中山晋平の作曲は、出だしで同じ音の繰り返しを多用し、リズミカルで軽快な音楽になっています。
「しょ しょ しょうじょうじ」「つ つ つきよだ」というスタッカートの連続は、歌いにくくも印象的で、一度聴いたら忘れられないメロディーとなっています。
元となった狸囃子伝説
伝説の内容
證誠寺に伝わる「狸囃子伝説」は、童謡の明るい雰囲気とは対照的に、哀しい結末を持つ物語です。
昔々、證誠寺の一帯は「鈴森」と呼ばれ、鬱蒼と生い茂った竹やぶで昼なお暗く、薄気味悪い場所でした。
夜になると「一つ目小僧」や「ろくろ首」などの妖怪が現れるという噂が絶えず、誰も住職が定着しない荒れ寺でした。
ある時、一人の新しい和尚が赴任してきました。
この和尚は、どんな怪異が現れても一向に動じない、風変りな人物でした。
実は、これらの怪異は狸たちが化けたもので、人間を追い出すために脅かしていたのです。
困った狸たちは、ある秋の月夜の晩、別の作戦に出ました。
大狸を中心に、何十匹もの狸たちが庭に集まり、腹鼓を叩きながら楽しそうに踊り始めたのです。
和尚が庭を覗くと、月明かりの下で狸たちが楽しそうにお囃子をしている光景が広がっていました。
その様子に魅了された和尚は、負けじと三味線を手に庭へ出ました。
和尚の演奏に合わせて狸たちは一層盛り上がり、まるで音楽合戦のような光景が繰り広げられました。
こうして夜が明けるまで、和尚と狸たちは囃子を競い合いました。
翌日も、その翌日も、月夜の晩に同じように囃子合戦が続きました。
しかし、4日目の夜、狸たちは現れませんでした。
不思議に思った和尚が辺りを探すと、いつも調子を取っていた大狸が、腹の皮が裂けて死んでいるのを発見しました。
張り切りすぎて腹を破ってしまったのです。
和尚はこの哀れな大狸を不憫に思い、懇ろに弔って塚を築きました。
これが、今も證誠寺の境内に残る「狸塚」です。
この物語は、楽しい囃子合戦の裏に隠された悲しい結末を持っています。
童謡では明るく歌われていますが、元の伝説には狸の命がけの努力と、それを悼む和尚の優しさが込められているのです。
伝説の起源
狸囃子の伝説が文献に登場するのは、比較的新しい時期です。
明治38年(1905年)、松本斗吟という人物が地元の文芸誌『君不去』にこの話を紹介したのが最初とされています。
ただし、伝説そのものはそれ以前から口承で伝えられていた可能性があります。
海運業で栄えた木更津では、證誠寺が寺子屋として栄え、雅楽などを用いた法要が行われていました。
こうした法要の音が村人たちの耳に不思議に聞こえ、いつしか「狸囃子伝説」が生まれたのではないかと推測されています。
この伝説が全国的に知られるようになったのは、野口雨情が童謡として発表したことがきっかけです。
1929年、平井英子が歌った「証城寺の狸囃子」のレコード(日本ビクター蓄音器)がヒットし、戦後から1960年までにレコード売上は17万枚に達しました。
證誠寺について
童謡の舞台となった證誠寺(しょうじょうじ)は、千葉県木更津市富士見に実在する浄土真宗本願寺派の寺院です。
山号は護念山。
江戸時代初期の創建とされ、木更津では今なお唯一の浄土真宗の寺院です。
證誠寺はかつて寺子屋としても有名で、住職が庶民に読み書きを教えていました。
寺に伝わる「狸囃子伝説」は、「分福茶釜」(群馬県館林市)、「八百八狸物語」(愛媛県松山市)と並び、日本三大狸伝説の一つに数えられています。
境内には「狸塚」が残されており、伝説の大狸が弔われています。
また、昭和31年(1956年)には、野口雨情直筆の歌詞一節と中山晋平の楽譜の一節を刻んだ「狸ばやし童謡碑」が建立されました。
毎年秋には「證誠寺の狸まつり」が開催され、地域の人々や観光客で賑わいます。
「証城寺」と「證誠寺」の違い
童謡では「証城寺」、実在の寺は「證誠寺」と、漢字の表記が異なります。
この違いについては、いくつかの説があります。
説1: 参考文献の誤記
野口雨情が作詞の際に参考にした文献『君不去』で「証城寺」と誤って表記されており、それに気付かずそのまま使用したため。
説2: 檀家からの抗議
歌詞を読んだ寺の関係者から「住職が狸と一緒に踊るなんてことがあるはずがなく不敬である」という抗議があったため、架空の寺とするために漢字を変えた。
説3: 意図的な変更
最初から意図的に「城」の字を使うことで、歌に登場する寺を架空の場所と位置づけ、特定の地域の民謡ではなく全国の子供たちに歌ってほしいという願いを込めた。
どの説が正しいかは定かではありませんが、結果的にこの表記の違いが、実在の寺と童謡の世界を区別する役割を果たしています。
興味深いことに、童謡が広まると、證誠寺には「証城寺の狸囃子」の寺として多くの参拝者が訪れるようになり、地域の観光資源としても重要な存在となりました。
日本三大狸伝説
證誠寺の狸囃子伝説は、「分福茶釜」「八百八狸物語」と並んで、日本三大狸伝説の一つとされています。
分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)
群馬県館林市の茂林寺に伝わる伝説です。
狸が茶釜に化け、綱渡りなどの芸を披露して屑屋を助けるという物語です。
茂林寺には実際に「分福茶釜」が所蔵されています。
八百八狸物語(はっぴゃくやたぬきものがたり)
愛媛県松山市に伝わる伝説で、「隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)」という808匹の狸を統率する狸界の総帥が登場します。
松山藩のお家騒動に狸たちが関わったという壮大な物語です。
スタジオジブリの映画『平成狸合戦ぽんぽこ』にも登場します。
證誠寺の狸囃子
千葉県木更津市の證誠寺に伝わる伝説で、和尚と狸のお囃子合戦の物語です。
三つの中では最も新しく紹介された伝説ですが、童謡として全国的に知られるようになりました。
日本では古くから、狸は人を化かす身近な動物として親しまれてきました。
狐と並んで化ける動物の代表格ですが、狸は狐よりも愛嬌があり憎めないキャラクターとして描かれることが多いのが特徴です。
野口雨情と中山晋平
野口雨情(1882-1945)
野口雨情は、茨城県北茨城市(旧・磯原町)に廻船問屋を営む名家の長男として生まれました。
本名は野口英吉。
1901年、東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に師事しますが、1年余りで中退し詩作を始めます。
1904年、父の事業失敗と死により故郷に帰り家督を継ぎますが、その後北海道へ渡り、新聞記者として働きました。
1919年、詩集『都会と田園』により詩壇に復帰。
斎藤佐次郎により創刊された児童文芸誌『金の船』(後に『金の星』と改題)より童謡を次々と発表しました。
中山晋平や本居長世と組んで、多くの名作を残しました。
代表作は「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「シャボン玉」「証城寺の狸囃子」「波浮の港」など、枚挙にいとまがありません。
また、童謡とともに盛んとなった「新民謡」(創作民謡)にも力を注ぎ、1935年には日本民謡協会を再興し、理事長に就任しています。
日本各地を旅行し、その地の民謡を創作しました。
1924年から約20年間、東京都吉祥寺に居を構え、創作活動を行いました。
井の頭池をよく散策していたそうです。
1945年1月27日、疎開先の栃木県宇都宮市で62歳で亡くなりました。
中山晋平(1887-1952)
中山晋平は、長野県下高井郡新野村(現・中野市)に生まれました。
季節ごとに表情を変える美しい自然の中で、のびやかに育ちました。
1905年、ふるさとを後にして東京へ旅立ち、文芸評論家・島村抱月の書生となりながら、東京音楽学校予科に入学しました。
1912年に卒業後、小学校の音楽教員となります。
1914年、島村抱月が旗揚げした「芸術座」の劇中歌「カチューシャの唄」を作曲し、松井須磨子が歌って大ヒット。
作曲家として一躍有名になりました。
1922年、小学校教員を退職。
野口雨情との出会いにより、雨情の新しい童謡・民謡の創作に対する情熱に刺激を受け、数多くの名作を生み出しました。
1928年からは日本ビクターの専属となり、「波浮の港」「東京行進曲」など多くのヒット曲を生みました。
特に1929年、西條八十とのコンビで作った「東京行進曲」は佐藤千夜子の歌唱で25万枚のレコード売り上げを記録しました。
中山晋平の作品は、独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれています。
長調の曲はほとんどがヨナ抜き音階で書かれており、日本人の情緒感と原始的郷愁を踏まえた作品を多く残しました。
生涯で作曲した作品は、童謡824曲、新民謡292曲、流行歌467曲、その他学校の校歌・社歌等222曲あり、現在判明しているだけで1,805曲にのぼります。
1952年12月30日、熱海国立病院で65歳で亡くなりました。
死去の際、自ら作曲した「あの町この町」を口ずさんでいたといいます。
文化的影響
「証城寺の狸囃子」は、発表から100年近く経った現在でも、幼稚園や小学校で歌われ続けています。
その影響は日本国内にとどまらず、海外にも広がっています。
1955年、アメリカのエンターテイナー、アーサー・キット(Eartha Kitt)が『Sho-Jo-Ji (The Hungry Raccoon)』という題名でカバーし、日本でも洋楽として大ヒットしました。
この英語版では、狸が「アライグマ」(raccoon)に変更されています。
アサヒビールのCMにも使われました。
1952年、ジーン・クルーパ・ジャズ・トリオが『Badger’s Party』という題名でカバーしています。
台湾では同じ旋律を流用して、『小白兔愛跳舞』という童謡に改編されたほか、張琍敏によるカバー『喜歡你』もあります。
2003年、グレッグ・アーウィンがアルバム『Blue Eyes 〜Beautiful Songs of Japan〜』で『Shojoji』という題名でカバーしました。
国内では、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(2021年度後期)や『ブギウギ』(2023年度後期)にも登場しています。
木更津駅の発車メロディには「証城寺の狸囃子」が採用されており、木更津市のマンホールの蓋にも歌詞の一部が記載されています。
木更津市のイメージキャラクターも狸をモチーフにしており、地域のシンボルとして親しまれています。
1930年代初頭には、平井英子歌唱のレコードを使用したレコード・トーキー方式のアニメーション映画『證城寺の狸囃子』(製作:伴野文三郎商店、監督:大石郁雄)が制作されました。
また、1976年にはTBS系列の『まんが日本昔ばなし』で「しょじょ寺の狸ばやし」として放送され、元の伝説を多くの人に伝えています。
まとめ
「証城寺の狸囃子」は、明るく楽しい童謡として100年近く歌い継がれていますが、その背景には狸が命を落とすという哀しい伝説があります。
野口雨情と中山晋平という黄金コンビによって生み出されたこの歌は、日本の童謡文化を代表する作品の一つとなりました。
千葉県木更津市の證誠寺は、今も「狸囃子伝説」の地として多くの人々を迎え、狸塚や童謡碑が伝説を今に伝えています。
日本三大狸伝説の一つとして、また童謡として、これからも多くの人々に愛され続けることでしょう。
参考情報
この記事で参照した情報源
一次資料・信頼できる二次資料
- 野口雨情作詞、中山晋平作曲「証城寺の狸囃子」(1924-1925年発表)
- 松本斗吟『君不去』(1905年)- 狸囃子伝説を最初に文献で紹介
学術資料・百科事典
地域・文化関連の情報源
- 長野県中野市公式サイト「作曲家 中山晋平」 – 中山晋平記念館の情報
- 北茨城市歴史民俗資料館「詩人、野口雨情」 – 野口雨情記念館の情報
- ニッポン旅マガジン「日本三大狸伝説とは!?」 – 日本三大狸伝説の解説
音楽・童謡関連


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