「宇宙のすべてを説明できる究極の理論はあるのか?」この問いに答えようとする物理学者たちが注目しているのが、M理論です。
1995年にエドワード・ウィッテンによって提唱されたM理論は、それまでバラバラに存在していた5つの超弦理論を統合し、万物の理論(Theory of Everything)の最有力候補として期待されています。
この記事では、M理論とは何か、どのように誕生したのか、そして現在どのような状況にあるのかを、物理学に興味がある方に向けて詳しく解説していきます。
M理論とは
M理論(M-theory)は、5つの超弦理論を統合するとされる11次元の仮説理論です。
時間1次元と空間10次元、合わせて11次元の時空で記述される理論なんですね。
超弦理論からM理論へ
M理論を理解するには、まず超弦理論について知る必要があります。
超弦理論は、宇宙の最小単位を点粒子ではなく、1次元の「弦」として捉える理論です。
弦の振動モードによって、電子やクォーク、光子といった様々な素粒子が生まれると考えます。
超弦理論が登場した背景には、一般相対性理論と量子力学という現代物理学の2つの柱を統一したいという物理学者の願望がありました。
一般相対性理論は重力を時空の歪みとして記述しますが、量子力学の枠組みで重力を扱おうとすると、計算結果が無限大になってしまう問題が生じていたんです。
超弦理論は、この問題を解決できる可能性を持つ理論として注目されました。
5つの超弦理論
1980年代に研究が進むと、超弦理論には5つの異なるバージョンがあることが分かりました。
それぞれType I、Type IIA、Type IIB、ヘテロSO(32)、ヘテロE8×E8と呼ばれます。
これら5つの超弦理論は、いずれも理論の整合性のために10次元時空(時間1次元+空間9次元)を必要とします。
私たちが認識している4次元(空間3次元+時間1次元)以外の余剰6次元は、カラビ・ヤウ多様体という特殊な形状にコンパクト化(丸め込まれて)いるため、日常スケールでは観測できないと考えられているんですね。
当初、これら5つの理論は互いに異なる独立した理論だと思われていました。
しかし、研究が進むにつれて、これらの理論が様々な「双対性」によって互いに結びついていることが明らかになります。
M理論の誕生
M理論は、1995年3月にカリフォルニア大学サンタバーバラ校で開催されたStrings ’95会議で、エドワード・ウィッテンによって提唱されました。
エドワード・ウィッテンという天才
エドワード・ウィッテン(Edward Witten)は1951年8月26日にメリーランド州ボルチモアで生まれた理論物理学者です。
父親のルイス・ウィッテンも重力と一般相対性理論を専門とする物理学者という学術的な家庭で育ちました。
当初はジャーナリズムや政治に興味を持ち、1972年にはジョージ・マクガバンの大統領選挙キャンペーンで働いていたこともあります。
その後、プリンストン大学で応用数学を学び始めましたが、物理学科に転科し、1976年にデヴィッド・グロスの指導の下で博士号を取得しました。
1990年、ウィッテンは物理学者として史上唯一、数学のノーベル賞とも呼ばれるフィールズ賞を受賞します。
これは、物理学における彼の数学的洞察力が、純粋数学にも大きな影響を与えたことを示すものでした。
現在はプリンストン高等研究所の名誉教授として研究を続けています。
第二次超弦理論革命
1995年の発表は、「第二次超弦理論革命」と呼ばれる大きな転換点となりました。
ウィッテンは、5つの超弦理論がすべて、より深遠な11次元の理論の異なる側面に過ぎないことを示唆したんです。
これまでライバル候補だと思われていた5つの理論が、実は単一の根源的理論の異なる極限状態だったというわけですね。
この発表を聞いた物理学者たちは大きな興奮に包まれ、世界中で研究が活発化しました。
当時MITのポスドクだった物理学者たちも、会議から戻ってきた人々の興奮ぶりについて語っています。
双対性による統合
5つの超弦理論を結びつけているのが、「双対性」と呼ばれる数学的等価性です。
主な双対性には以下のものがあります。
S双対性(S-duality)は、弦の強結合領域と弱結合領域を関係付けます。
ある理論の強結合極限が、別の理論の弱結合極限に対応するという関係性ですね。
T双対性(T-duality)は、空間の極大領域と極小領域を関係付けます。
特に、弦理論特有の性質として、小さい領域に巻きつくという弦の振動モードと、大きい領域での振動モードが対応するんです。
U双対性(U-duality)は、S双対性とT双対性を統一したものです。
これらの双対性により、一見異なる5つの超弦理論が、実は同じ物理を異なる視点から記述していることが明らかになりました。
M理論の構造
M理論がどのような構造を持っているのか、詳しく見ていきましょう。
11次元時空
M理論の最も重要な特徴は、11次元の時空を必要とすることです。
超弦理論の10次元に対して、M理論は1次元多い11次元で定式化されます。
この追加された1次元が、5つの超弦理論を統一する鍵となっているんですね。
例えば、Type IIA超弦理論の強結合極限を取ると、11次元目が現れてM理論になります。
この11次元目の大きさは、弦の結合定数に関係しているんです。
膜(ブレーン)という基本要素
超弦理論では基本的な物体は1次元の弦でしたが、M理論では2次元の膜(メンブレーン)が基本要素だと提唱されています。
実際には、M理論には様々な次元を持つブレーンが存在します。
Dブレーン(D-branes)と呼ばれるこれらの膜は、弦理論においてソリトン解として現れることが1995年にジョセフ・ポルチンスキーによって示されました。
Dブレーンは、開いた弦が端点を持ちうる空間として定義されています。
興味深いことに、重力子のような閉じた弦はブレーン間を自由に往来できるのに対し、他の粒子はブレーン上に束縛されているんですね。
11次元超重力理論
M理論の低エネルギー有効理論は、11次元超重力理論となります。
11次元超重力理論に登場する場は、重力場(グラビトン場)、グラビティーノ場、3形式場の3つだけです。
これは超弦理論の低エネルギー有効理論である10次元超重力理論よりも単純な構造をしています。
実は、11次元超重力理論は超弦理論が登場する以前の1978年に、ウェルナー・ナームによって理論的に研究されていました。
同年、エウジェーヌ・クレメール、ベルナール・ジュリア、ジョエル・シェルクが、超重力理論は11次元で最も美しい形を取ることを示していたんです。
当時は究極理論の候補として注目されましたが、繰り込み不可能であることや、カイラルな理論が作れないといった問題から、一時期は無視されていました。
M理論の登場により、これらの難点を克服できる可能性が示され、11次元超重力理論は再び脚光を浴びることになります。
「M」の意味
M理論の「M」が何を意味するのか、実は明確には定義されていません。
ウィッテン自身は、2003年のヒストリーチャンネルのドキュメンタリー番組『美しき大宇宙』の中で、いたずらっぽく次のように語っています。
「Mは、マジック(Magic)、ミステリー(Mystery)、メンブレーン(Membrane;膜)など、その人の好きなものを意味します」
また、1996年にペトル・ホジャヴァとウィッテンが共同執筆した論文では、次のように述べられています。
「11次元理論が超膜理論であるという提案もあるが、その解釈を疑う理由もいくつかある。したがって、我々はそれを無責任にM理論と呼び、Mと膜の関係は将来に委ねることにする」
このように、「M」の意味は意図的に曖昧にされており、この謎めいた命名がM理論の魅力の一つとなっているんですね。
他にも、母(Mother)理論、マトリックス(Matrix)理論など、様々な解釈が提案されています。
M理論の研究手法
M理論は現時点では完全には定式化されていません。
では、物理学者たちはどのようにM理論を研究しているのでしょうか。
行列模型による定式化
M理論を定式化する試みの一つが、行列模型です。
Type IIA超弦理論におけるD0-ブレーンを自由度として、M理論を記述しようとするアプローチですね。
平坦な時空を背景とするBFSS行列模型や、pp-wave時空を背景とするBMN行列模型などが提案されています。
これらのモデルでは、行列の非可換性が時空の量子的性質を表現すると考えられているんです。
AdS/CFT対応
1997年にフアン・マルダセナが提唱したAdS/CFT対応は、M理論研究の強力なツールとなっています。
これは、重力を含む理論(AdS空間での理論)と、境界上のゲージ理論(CFT)が等価であるという驚くべき対応関係です。
例えば、11次元のM理論をAdS₄×S⁷空間上で考えると、3次元のABJM理論(チャーン・サイモンズ理論)と対応します。
この対応により、強結合のゲージ理論の問題を、弱結合の重力理論で計算できるようになるんですね。
ホジャヴァ・ウィッテン理論
1996年、ウィッテンとペトル・ホジャヴァは、M理論の特殊な時空幾何学での性質を研究しました。
彼らは、11次元時空を持ち、2つの10次元境界を持つ構造を考えたんです。
この構造では、11次元時空をS¹/Z₂という特殊な形状にコンパクト化すると、2つの10次元境界上にそれぞれE8×E8のゲージ理論が現れます。
これは、ヘテロティック弦理論とM理論の関係を明らかにする重要な成果でした。
M理論の未解決問題
M理論は万物の理論の最有力候補とされていますが、多くの課題が残されています。
完全な定式化が不明
最も根本的な問題は、M理論の完全な定式化がまだ分かっていないことです。
超弦理論のハミルトニアンは書き下せますが、M理論のハミルトニアンは現時点では超弦理論のある極限として間接的に定義されているに過ぎません。
したがって、M理論は極限を通して間接的に研究されることが多いんですね。
この意味で、M理論はかなり未完成だと言えます。
2次元膜の量子化
特に大きな問題の一つが、2次元の膜を量子化する方法が分かっていないことです。
1次元の弦の量子化は確立されていますが、2次元の膜を量子化するための一般的な手法はまだ開発されていません。
この問題を解決することが、M理論の完全な定式化への重要なステップとなるでしょう。
現実世界との対応
M理論が物理的に意味のある理論であるためには、観測される4次元の世界を説明できなければなりません。
11次元から4次元への次元縮約(コンパクト化)の方法は無数に存在し、どの方法が正しいのか分かっていないんです。
この問題は「ランドスケープ問題」とも呼ばれます。
1998年に宇宙の加速膨張が発見されて以降、余剰次元をコンパクト化する方法が膨大な数存在することが明らかになりました。
これにより、M理論から現実の物理法則を導出することが非常に困難になっています。
実験的検証の困難さ
M理論が想定する弦やブレーンの大きさは、プランク長程度(約10⁻³⁵メートル)と考えられています。
これは、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)のような現代の実験装置で到達できるスケールの10兆分の1以下です。
直接的な実験検証が極めて困難なため、M理論は現時点では数学的仮説の段階にあると言えるでしょう。
超対称性粒子の発見や宇宙ひもの観測といった、M理論から予想される現象も、今のところ観測されていません。
M理論の意義と将来
未解決問題が多いにもかかわらず、M理論が万物の理論の最有力候補とされているのはなぜでしょうか。
数学的整合性
M理論(および超弦理論)の最大の強みは、数学的に整合性の取れた量子重力理論であることです。
重力子同士の散乱計算において、他の量子重力理論候補では現れる無限大が、弦理論では相殺されて有限の結果が得られます。
この種の計算をクリアできているのは、現時点でM理論だけなんです。
数学への影響
M理論の研究は、純粋数学にも大きな影響を与えています。
ミラー対称性、量子コホモロジー、結び目理論など、様々な数学分野に新しい洞察をもたらしてきました。
ウィッテンがフィールズ賞を受賞したのも、物理学から数学への貢献が認められたからです。
物理理論が数学的に豊かな構造を持つことは、その理論が何か深い真理を捉えている可能性を示唆しています。
ブレーンワールド仮説
M理論から派生した興味深いアイデアの一つが、ブレーンワールド仮説です。
これは、私たちの4次元時空が、より高次元空間に浮かぶDブレーンの表面に過ぎないという考え方ですね。
この仮説では、重力以外の力(電磁気力、弱い力、強い力)はブレーン上に閉じ込められているのに対し、重力だけが余剰次元を伝播できると考えます。
これにより、重力が他の力に比べて極端に弱い理由を説明できる可能性があるんです。
今後の展望
M理論の研究は、以下のような方向で進められています。
非摂動的定式化の確立に向けた理論的研究が続けられています。
AdS/CFT対応をさらに深く理解し、より一般的な状況に拡張する試みも行われているんですね。
また、LHCでの超対称性粒子探索や、重力波観測による間接的な検証の可能性も探られています。
ブラックホール物理学や宇宙論への応用も、重要な研究テーマとなっています。
完全な定式化にはまだ時間がかかるでしょうが、M理論は現代物理学における最も野心的で魅力的な研究分野の一つであり続けています。
まとめ
M理論は、5つの超弦理論を統合する11次元の仮説理論です。
1995年にエドワード・ウィッテンによって提唱されて以降、第二次超弦理論革命と呼ばれる大きな研究の進展がありました。
重力を含む万物の理論の最有力候補として期待されていますが、完全な定式化はまだ得られていません。
実験的検証も極めて困難であり、現時点では数学的仮説の段階にあると言えるでしょう。
しかし、数学的整合性の高さや、純粋数学への貢献の大きさから、M理論は物理学と数学の両分野で重要な研究対象となっています。
「M」の意味が明確にされていないという謎めいた側面も、この理論の魅力の一つですね。
宇宙の根本原理を探求するM理論の研究は、今後も物理学の最前線であり続けるでしょう。

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