マタイ受難曲とは?バッハの最高傑作と称される受難音楽を徹底解説

神話・歴史・文化

クラシック音楽の歴史において、「最高傑作」と呼ばれる作品は数多く存在します。
しかし、その中でもひときわ特別な地位を占めているのが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)の「マタイ受難曲」(Matthäus-Passion, BWV 244)です。

約3時間にも及ぶこの大作は、2つの合唱団と2つのオーケストラという壮大な編成で、イエス・キリストの受難を描きます。
バッハの死後、約100年もの間忘れ去られていたこの作品は、メンデルスゾーン(Mendelssohn)による復活上演をきっかけに再評価され、現在では西洋音楽史を代表する一曲として世界中で愛されています。

この記事では、マタイ受難曲の成立背景から音楽的構造、有名な楽曲、そしてメンデルスゾーンによる歴史的復活上演まで、この傑作の魅力を余すところなく解説します。

スポンサーリンク

概要

マタイ受難曲は、新約聖書「マタイによる福音書」の第26章と第27章に描かれたイエス・キリストの受難を題材とした、バロック時代の宗教音楽作品です。
作品番号はBWV 244で、台本はピカンダー(Picander)の筆名で知られるクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ(Christian Friedrich Henrici)が担当しました。
全2部・68曲から成り、聖句(聖書からの引用)、レチタティーヴォ(語りのような歌唱)、アリア(独唱曲)、コラール(讃美歌)が組み合わされた、壮大かつ精緻な音楽ドラマとなっています。

マタイ受難曲の基本情報

マタイ受難曲の基本的なデータを確認しておきましょう。

項目内容
正式名称福音史家聖マタイによる我らの主イェス・キリストの受難(Passio Domini nostri J.C. secundum Evangelistam Matthaeum)
作曲者ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685–1750)
作品番号BWV 244
台本ピカンダー(クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ)
初演1727年4月11日(聖金曜日)
初演場所ライプツィヒ、聖トーマス教会
編成二重合唱、二重オーケストラ、ソリスト
構成全2部・68曲(第1部29曲、第2部39曲)
演奏時間約3時間(第1部約80分、第2部約100分)
題材新約聖書「マタイによる福音書」第26章・第27章

「受難曲」とは何か

マタイ受難曲の内容に入る前に、まず「受難曲」というジャンルそのものについて理解しておく必要があります。

受難曲(Passion)とは、イエス・キリストが捕らえられ、裁判にかけられ、十字架上で処刑されるまでの一連の出来事——すなわち「受難」——を音楽で描いた作品を指します。
このジャンルの歴史は古く、中世の教会ではすでに聖金曜日の典礼の中で、司祭が受難の物語を朗唱する慣習がありました。

バッハの時代になると、福音史家(エヴァンゲリスト)による聖書の朗唱に加え、自由に作詞された合唱やアリア、レチタティーヴォ、そしてコラール(讃美歌)を組み合わせた「オラトリオ風受難曲」と呼ばれる大規模な形式が確立されていました。
バッハの受難曲はこの「オラトリオ風受難曲」の頂点に位置する作品であり、中でもマタイ受難曲は、規模・深さ・音楽的完成度のすべてにおいて比類ない高みに達しています。

なお、バッハが作曲したとされる受難曲は全部で4つ——マタイ受難曲(BWV 244)、ヨハネ受難曲(BWV 245、1724年)、マルコ受難曲(BWV 247、1731年)、ルカ受難曲(BWV 246)——が挙げられます。
ただし、ルカ受難曲はバッハの真作とは見なされておらず、マルコ受難曲は台本のみが現存し楽譜は失われているため、完全な形で現存するのはマタイ受難曲とヨハネ受難曲の2作のみです。

成立の背景

バッハとライプツィヒ

バッハは1723年からライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽監督)を務めていました。
カントルの職務は、教会の礼拝のための音楽を準備・指揮することであり、バッハはこの職に就いてから膨大な量の教会音楽を作曲し続けました。

聖金曜日の夕べの礼拝では、受難曲を演奏することが伝統とされており、マタイ受難曲はまさにこの典礼のために書かれたものです。

初演と改訂

マタイ受難曲の初演は、1727年4月11日(聖金曜日)にライプツィヒの聖トーマス教会で行われたとされています。
かつては1729年4月11日が初演日とする説が長く信じられていましたが、現在の研究ではこれは否定されています。

初演後、バッハは作品に改訂を加え、1736年に最終的な自筆浄書譜を完成させました。
現在広く知られているマタイ受難曲は、この1736年版(およびその後の微修正を含む版)に基づくものです。
バッハの自筆譜では、聖書からの引用部分が赤インクで記されており、聖書の言葉をいかに重視していたかがうかがえます。

台本作者ピカンダー

マタイ受難曲の台本を書いたピカンダーは、ライプツィヒの詩人であり郵便局員でもあった人物です。
「ピカンダー」(Picander)は「かささぎ男」を意味する筆名で、本名をクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィといいます。
彼はバッハの多くのカンタータにも台本を提供した、バッハの重要な協力者でした。

ピカンダーの台本は、聖書の物語と精神的な考察、そしてコラールの歌詞を巧みに組み合わせたもので、この理想的なバランスがバッハの無限の創造性を刺激したと考えられています。

音楽的構造と編成

二重合唱・二重オーケストラという革新

マタイ受難曲の最大の特徴は、2つの合唱団と2つのオーケストラという画期的な二重編成にあります。
当時の聖トーマス教会には2つのオルガンロフト(演奏席)があり、バッハはこの空間的な配置を最大限に活用しました。

この二重編成によって、空間的な広がりと対話的な音楽表現が可能となり、聴衆は音楽の中に包み込まれるような体験を得ることができました。
さらに、この構成は音楽的な効果だけでなく、イエスと人間、神と教会といった二元的な対話を象徴しているとも解釈されています。

編成の詳細:

  • 合唱I:SATB(ソプラノ・アルト・テノール・バス)合唱、ソプラノ・リピエーノ、ソリスト群
  • オーケストラI:フラウト・トラヴェルソ2、オーボエ2、オーボエ・ダモーレ2、オーボエ・ダ・カッチャ2、リュート、弦楽器群(ヴァイオリンI・II、ヴィオラ、チェロ)、通奏低音(オルガン)
  • 合唱II:SATB合唱、ソリスト群
  • オーケストラII:フラウト・トラヴェルソ2、オーボエ2(ダモーレ兼用)、弦楽器群(ヴァイオリンI・II、ヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロ)、通奏低音(オルガン)

テキストの三層構造

マタイ受難曲のテキストは、以下の3つの層から構成されています。

第1層:聖書のテキスト
マルティン・ルター(Martin Luther)によるドイツ語訳聖書の「マタイによる福音書」第26章・第27章が、福音史家(テノール)のレチタティーヴォとして歌われます。
イエスやペテロ、ユダ、ピラトなど登場人物の言葉は、それぞれのソリストが担当し、群衆の言葉は合唱によって表現されます。

第2層:ピカンダーによる自由詩
レチタティーヴォ・アコンパニャート(伴奏付きレチタティーヴォ)やアリアの歌詞として、聖書の出来事に対する感情的な反応や神学的な省察が表現されます。

第3層:コラール(讃美歌)
パウル・ゲルハルト(Paul Gerhardt)やヨハン・ヘールマン(Johann Heermann)らルター派の詩人が書いた既存のコラールの歌詞が用いられています。
当時の会衆にとってはなじみ深い讃美歌であり、聴衆が物語に参加する役割を果たしていました。

この三層構造によって、聖書の物語・個人の感情的反応・共同体の信仰的応答という3つの次元が交差する、奥行きのある音楽ドラマが生まれています。

楽曲の構成要素

マタイ受難曲を構成する主な音楽形式は以下の通りです。

レチタティーヴォ(セッコ)
福音史家が聖書の記述を歌い、物語を進行させます。
通奏低音(オルガンまたはチェンバロ)のみの簡素な伴奏で、話し言葉に近い自然なリズムで歌われるのが特徴です。

イエスの言葉(伴奏付きレチタティーヴォ)
イエスが発言する際には、常に弦楽器の長い和音による伴奏が付されます。
これはキリスト教美術に描かれる「後光(光背)」を音楽的に表現したものとされています。
ただし注目すべきことに、十字架上でイエスが叫んだ最後の言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか)」の箇所だけは、この弦楽器の後光が伴いません。
神への疑いを示すこの瞬間に後光を消すという演出は、バッハの深い神学的洞察を示すものといえるでしょう。

アリア
全曲中に14曲のアリアが含まれており、登場人物や信者の感情・省察を表現する独唱曲です。
物語の流れを一時停止させ、出来事への感情的な深みを加える役割を担っています。

コラール(讃美歌)
四声部合唱による讃美歌で、2つの合唱団が合同で歌います。
物語の要所に配置され、出来事を信仰の観点から省察する役割を果たしています。

トゥルバ合唱
群衆の言葉を表現する合唱で、物語の劇的な場面で用いられます。
「十字架につけろ!」と叫ぶ群衆の合唱など、強烈な緊張感をもたらす場面が印象的です。

マタイ受難曲のあらすじ

第1部:イエスの捕縛まで

第1部は全29曲で構成され、イエスが自らの受難を預言する場面から始まり、ゲッセマネの園での捕縛までを描きます。

冒頭合唱「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け」
全曲の幕開けを飾る壮大な合唱です。
合唱Iが「シオンの娘たち」を、合唱IIが「信じる者たち」を表し、「見よ」「何を?」「花婿を」という対話形式で受難の物語への導入が行われます。
さらにソプラノ・リピエーノ(少年合唱)がコラール「おお、罪なき神の子よ」を歌い加わり、壮大な三層構造が形成されます。

ベタニアでの塗油
イエスが重い皮膚病の人シモンの家にいるとき、ひとりの女が高価な香油をイエスの頭に注ぎます。
弟子たちは「もったいない」と非難しますが、イエスは女の行いを称えます。

ユダの裏切り
十二使徒のひとりユダが祭司長たちのもとを訪れ、銀貨30枚でイエスを引き渡すことを約束します。

最後の晩餐
過越の祭りの食事の席で、イエスは弟子たちの中に自分を裏切る者がいることを告げます。
パンを取り「これはわたしの体である」と言い、杯を取り「これはわたしの血である」と述べる場面は、深い感動をもたらします。

ゲッセマネの祈り
イエスはゲッセマネの園で苦悶し、「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と神に祈ります。
弟子たちは眠り込んでしまい、イエスの孤独が浮き彫りになる場面です。

イエスの捕縛
ユダが武装した群衆を連れてやって来て、接吻によってイエスを示し、イエスは捕らえられます。
弟子たちは皆、逃げ去ってしまいます。

第1部の最後を飾るのは、壮大なコラール・ファンタジア「おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け」です。

第2部:裁判から埋葬まで

第2部は全39曲で、イエスの裁判、十字架刑、死、そして埋葬までを描きます。

大祭司カイアファの尋問
捕らえられたイエスは大祭司カイアファのもとに連れて行かれ、尋問を受けます。
偽証人たちが次々と現れますが、決定的な証拠は見つかりません。
大祭司が「お前は神の子キリストなのか」と問うと、イエスは「あなたが言ったとおりです」と答え、冒瀆の罪で有罪とされます。

ペテロの否認
ペテロは下女たちに「あなたもイエスと一緒にいた」と指摘されますが、「そんな男は知らない」と三度にわたってイエスを否認します。
鶏が鳴き、イエスの予言の言葉を思い出したペテロは、外に出て激しく泣きます。
この場面の後に歌われるアルト・アリア「憐れみたまえ、わが神よ」(Erbarme dich, mein Gott)は、マタイ受難曲中でも最も有名な楽曲のひとつです。

ユダの後悔と死
イエスを裏切ったことを後悔したユダは、銀貨30枚を祭司長たちに返しますが相手にされず、自ら命を絶ちます。

ピラトの裁判
イエスはローマ総督ポンテオ・ピラトのもとに引き渡されます。
ピラトは群衆に対して、祭りの恩赦としてイエスとバラバのどちらを釈放するか問いますが、群衆は「バラバを!」と叫びます。
「ではイエスをどうするのか」と問うピラトに、群衆は「十字架につけろ!」(Lass ihn kreuzigen!)と叫び続けます。
この群衆の合唱は、激しい対位法で書かれた強烈な楽曲です。

鞭打ちと嘲り
イエスは鞭打たれ、兵士たちに嘲られます。

十字架刑と死
イエスはゴルゴタ(されこうべの場所)で十字架にかけられます。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫んだ後、息を引き取ります。
その瞬間、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こります。
この場面を目撃した百卒長と兵士たちは「まことに、この人は神の子であった」と告白します。
この短い合唱は、わずか20〜30秒ほどの短さでありながら、全曲中で最も感動的な瞬間のひとつとされています。

埋葬と終結合唱
アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取り、新しい墓に納めます。
全曲を締めくくるのは、両合唱団が一体となって歌う荘厳な終結合唱「われら涙流しつつひざまずき」(Wir setzen uns mit Tränen nieder)です。
イエスの安息を祈る穏やかで深い音楽が、全曲に静かな幕を下ろします。

特に有名な楽曲

マタイ受難曲には、単独でも演奏・録音される有名な楽曲が数多く含まれています。
ここでは特に広く知られている楽曲を紹介します。

第1曲:冒頭合唱「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け」

全曲の開始を告げる壮大な合唱で、二重合唱と二重オーケストラの全勢力が投入されます。
「シオンの娘たち」(合唱I)と「信じる者たち」(合唱II)の対話に、少年合唱によるコラール「おお、罪なき神の子よ」が加わる三層構造は、バッハの対位法的技巧の粋を集めたものです。

第39曲(旧版第47曲):アリア「憐れみたまえ、わが神よ」

ペテロがイエスを三度否認した後の場面で歌われるアルト・アリアです。
独奏ヴァイオリンの切々とした旋律とアルト(またはカウンターテナー)の歌声が対話し、深い悔恨と悲しみを表現しています。
マタイ受難曲中で最も有名な楽曲であり、バッハ研究者の中にはこれを「人類が生み出した最も美しい音楽のひとつ」と評する人もいます。

第49曲(旧版第58曲):アリア「愛ゆえにわが救い主は死にたもう」

ソプラノ独唱によるアリアで、イエスが愛のために死ぬことを歌います。
注目すべきは、このアリアには通奏低音のパートが欠けているという点です。
バッハは通奏低音を「すべての基礎、神の基礎」と見なしていたとされ、その基礎を欠いた状態は「罪」の状態を象徴していると解釈されています。
フルートとオーボエ・ダ・カッチャのみの繊細な伴奏の中で歌われるソプラノの声は、天上的な美しさを湛えています。

受難のコラール「おお御頭(みかしら)は血と涙にまみれ」

パウル・ゲルハルトの詞による「受難のコラール」は、全曲中に5回にわたって登場する最も重要なコラールです。
その旋律の原曲は、ハンス・レオ・ハスラー(Hans Leo Hassler)が1601年に出版した歌曲集に収められた恋の歌「わが心は千々に乱れ」でした。
荘厳な受難曲の中核をなすコラールの原曲が恋歌であるというのは、興味深い事実です。

5回の登場ごとに調性が変化し(ト長調→変ホ長調→ニ長調→ニ短調→イ短調)、物語の進行とともに音楽の色合いが暗くなっていくという巧みな構成が施されています。

第68曲:終結合唱「われら涙流しつつひざまずき」

全曲の最後を飾る荘厳な合唱で、二重合唱がイエスの安息を祈ります。
ダ・カーポ(反復)形式による穏やかで深い音楽が、長大な受難の物語に静かな終止符を打ちます。

バッハの音楽的工夫

音楽による聖書の表現

バッハは、聖書の言葉を音楽で描写する「語画法(ワード・ペインティング)」を随所に用いています。

たとえば、群衆がイエスに敵意を示す場面では、複雑な対位法による八声部の二重合唱が用いられ、混乱と悪意が音楽的に表現されます。
一方、真実は単純な旋律で描かれる傾向があり、群衆がイエスの言葉「私は神の子である」を引用する瞬間には、全声部がユニゾン(斉唱)となります。

また、「二人の偽証者」を表現する場面では二声部のカノンが用いられるなど、テキストの内容が精緻に音楽構造へ反映されています。

調性の象徴

十字架刑に言及される場面では、福音史家の音楽がフラット系の調からシャープ系の調へ移行することがしばしば見られます。
シャープ(♯)の記号が十字架の形に似ていることから、これは視覚的にも十字架を暗示するものと解釈されてきました。

イエスの死の後、音楽はシャープ系の調性からフラット系の調性へと完全に移行し、穏やかな安息の音楽へと変化していきます。

メンデルスゾーンによる歴史的復活上演

バッハの忘却

バッハが1750年に没した後、その音楽はしだいに忘れ去られていきました。
当時は「過去の音楽」を演奏する伝統がまだ確立されておらず、バッハだけでなく、同時代の多くの作曲家の作品も同様に埋もれていったのです。
バッハの作品は、せいぜい教育用の教材として細々と用いられる程度でした。

メンデルスゾーンとの出会い

転機は、フェリックス・メンデルスゾーン(1809–1847)の登場によって訪れます。
メンデルスゾーンは幼少期から師カール・フリードリヒ・ツェルター(Carl Friedrich Zelter)のもとでバッハの音楽を学んでいました。
ツェルターはベルリン・ジングアカデミー(市民合唱協会)の指揮者であり、バッハのモテットなどを練習に取り入れていた人物です。

1823年、14歳のメンデルスゾーンは母方の祖母ベラ・ザロモン(Bella Salomon)からクリスマスプレゼントとして、マタイ受難曲の筆写スコアを贈られます。
この出来事が、後の歴史的な復活上演へとつながっていくのです。

1829年3月11日の復活上演

1829年3月11日、当時20歳のメンデルスゾーンは、ベルリンのジングアカデミーのホールで、バッハの死後初となるマタイ受難曲の公開演奏を指揮しました。
俳優エドゥアルト・デフリーント(Eduard Devrient)の協力を得て実現したこの演奏会には、約900名の聴衆が詰めかけました。
チケットは2日前に完売し、入場できなかった人が1000人に及んだと伝えられています。

会場には、当時のプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世、哲学者ヘーゲル(Hegel)、詩人ハイネ(Heine)、神学者シュライアマハー(Schleiermacher)ら、錚々たる知識人が顔を揃えていました。

演奏は大成功を収め、10日後の3月21日にはバッハの誕生日を記念して第2回の演奏会が行われました。
メンデルスゾーンはこの演奏に際して、当時の聴衆に馴染みやすいよう大胆な短縮やテンポ・強弱の変更を加えており、現在一般的に演奏される原典版とは異なる部分もあります。

なお、メンデルスゾーン自身はルター派のキリスト教徒でしたが、ユダヤ系の家系であったため、この出来事は当時こう評されました——「世界で最も偉大なキリスト教音楽を復興させるのに、俳優とユダヤ人の息子が必要だった」と。
メンデルスゾーン自身もこの皮肉を認識しており、自嘲的に語ったと伝えられています。

復活上演の音楽史的意義

この復活上演は、単にマタイ受難曲を蘇らせただけにとどまりませんでした。
同年のうちにフランクフルトでも再演が行われ、翌年以降もブレスラウ、シュテッティン(現ポーランド)、ケーニヒスベルク(現ロシア)、ドレスデンなど各地で上演が続きました。

この一連の動きは、19世紀における「バッハ・ルネサンス」の出発点となり、バッハの他の作品——ヨハネ受難曲やロ短調ミサ曲、オルガン作品など——の再評価と出版にもつながっていきました。
現代において「音楽の父」と称されるバッハの名声は、メンデルスゾーンのこの功績なくしては成り立たなかったといっても過言ではありません。

マタイ受難曲の文化的影響と現代における位置づけ

西洋音楽史における位置

マタイ受難曲は、バロック宗教音楽の最高峰であるだけでなく、西洋音楽史全体を代表する作品のひとつとして広く認められています。
ブリタニカ百科事典は、この作品をバッハの全作品中で最も長大かつ精巧な作品であり、バッハの宗教音楽の、そしてバロック宗教音楽全体の到達点であると評しています。

オランダの「マタイ伝統」

オランダでは、毎年復活祭の前になると「マタイ熱」とも呼べる現象が起こります。
各都市でマタイ受難曲の演奏会が催され、国中がこの作品に沸き立つのです。
オランダにおけるマタイ受難曲の初演は1870年のロッテルダムで、1874年にはアムステルダムでも上演されました。
指揮者ヴィレム・メンゲルベルク(Willem Mengelberg)がコンセルトヘボウ管弦楽団と始めた受難曲演奏の伝統は今日まで続いており、1921年にはオランダ・バッハ協会が設立され、ナールデンでの毎年の演奏は国民的行事となっています。

日本における受容

日本でもマタイ受難曲は広く親しまれており、毎年の受難節(レント)の時期には全国各地で演奏されています。
指揮者・チェンバロ奏者の鈴木雅明が率いるバッハ・コレギウム・ジャパンによる演奏・録音は、国際的にも高く評価されています。

宗教を超えた普遍性

マタイ受難曲はキリスト教の典礼音楽として作曲されたものですが、その音楽の持つ深い感動は、宗教や信仰の有無を超えて多くの人の心に響きます。
ユダの裏切り、ペテロの否認、群衆の暴走、そしてイエスの孤独と死——これらの物語が描く人間の弱さ・罪・悔恨・赦しといったテーマは、時代や文化を超えた普遍的なものです。

バッハの音楽は、こうした「痛み」を外面的に描くのではなく、常に内面へ、そして赦しへと転化させていく点に特徴があります。
それゆえに、この音楽はキリスト教信者ではない聴衆にも深い感銘を与え続けているのでしょう。

まとめ

マタイ受難曲(BWV 244)は、バッハが1727年に聖トーマス教会の聖金曜日の礼拝のために作曲した、全2部・68曲から成る約3時間の大作です。

この作品の主な特徴をまとめると、以下の通りです。

  • 新約聖書「マタイによる福音書」第26章・第27章を題材とし、イエスの捕縛から十字架刑・埋葬までを描く
  • 二重合唱・二重オーケストラという革新的な編成により、空間的な広がりと対話的表現を実現
  • 聖書のテキスト、ピカンダーの自由詩、コラールという三層構造が、物語に奥行きと深みを与えている
  • イエスの言葉に弦楽器の「後光」を伴わせるなど、緻密な音楽的工夫が随所に見られる
  • アルト・アリア「憐れみたまえ、わが神よ」をはじめ、数々の名曲を含む
  • バッハの死後約100年間忘れられていたが、1829年のメンデルスゾーンによる復活上演を機に再評価された
  • 現在ではバロック宗教音楽の最高峰、そして西洋音楽史全体を代表する傑作として世界中で演奏されている

約300年前に書かれたこの音楽が、今なお世界中の人々の心を深く揺さぶり続けているという事実こそが、マタイ受難曲の偉大さを何よりも雄弁に物語っています。

参考情報

この記事で参照した情報源

一次資料(原典)

  • マタイ受難曲 BWV 244 自筆浄書譜 — バッハが自ら赤インクで聖句を記した最終稿(1736年/1743–1746年)。ベルリン州立図書館所蔵
  • IMSLP「Matthäuspassion, BWV 244」 — 楽譜のデジタル版

百科事典・学術的情報源

専門メディア・解説

コメント

タイトルとURLをコピーしました