ヤリク|古代カナンの月神とニッカルとの神聖な結婚

夜空を照らす月の光。その神秘的な輝きは、古代の人々にとって神聖な存在でした。古代シリアの都市ウガリットでは、月の神ヤリクが崇められ、その結婚物語は粘土板に刻まれて現代まで伝えられています。この記事では、古代近東を代表する月神ヤリクの神話、信仰、そして現代に残る痕跡について詳しく解説します。

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ヤリクとは

ヤリク(Yarikh)は、古代近東で崇拝された月の神です。ウガリット語では「𐎊𐎗𐎃」(YRḪ)と表記され、「月」を意味します。この名前は天体としての月だけでなく、「月(の周期)」つまり「ひと月」という意味も持っていました。

ヤリクに関する最も豊富な資料は、現在のシリア北部に位置していた古代都市ウガリット(現ラス・シャムラ遺跡)から出土した粘土板文書群です。これらの文書から、ヤリクがウガリット神殿の主要な神々の一柱として崇められていたことがわかっています。

基本情報

項目内容
名前ヤリク(Yarikh)、ヤラフム(Yaraḫum)
ウガリット語表記𐎊𐎗𐎃(YRḪ)
神格月神
主な崇拝地ウガリット(現シリア)、ラルガドゥ(エブラ近郊)
神話上の聖地アビルマ
配偶神ニッカル(Nikkal)/ニッカル・ワ・イブ
関連する神々クシュフ(フリ族)、シン(メソポタミア)

名前の語源と意味

「ヤリク」という名前は、セム諸語に広く見られる語根に由来しています。ヘブライ語の「ירח」(yareah、月)、フェニキア語の「𐤉𐤓𐤇」(YRḤ)、アッカド語の「warḫum」(月、まれに月)などが同じ語源を持ちます。

興味深いことに、この名前は文法的に男性名詞です。古代近東では、月の神は男性、太陽の神は女性として描かれることが一般的でした。これはギリシャ神話で月が女神セレーネーとして描かれるのとは対照的です。ウガリット神話でも、太陽は女神シャパシュ(Shapash)として描かれ、ヤリクとペアで言及されることがありました。

研究者ダニエル・シュヴェマーは、ヤリクが嵐の神ハダド(バアル)と並んで、アモリ人が居住した地域全体で最も重要な神の一柱だったと述べています。ヤリクは特に家族の守護神として崇拝されていました。

ウガリット神話における位置づけ

ウガリットで発見された神々のリストにおいて、ヤリクは出産と結婚を司る女神群「コタラト」の後に、聖なる山サフォン(ゼフォン山)の前に記載されています。別のリストでは、海神ヤムと嵐神バアルの後、工匠神コタル・ワ・ハシスの前に位置しています。

ヤリクには複数の称号が与えられていました。

主な称号

「天の灯火」(nyr šmm) – 夜空を照らす者としての役割を示す称号です。これはメソポタミアの月神シンの称号「天と地を照らす者」(munawwir šamê u ersetim)と類似しています。

「王子」(zbl) – 高い地位を示す称号で、嵐神バアルや冥界神レシェフなど他の主要神にも用いられました。

「神々の中で最も麗しき者」(n’mn ‘ilm) – ヤリクの身体的な美しさを称える称号です。

「鎌の主」 – 三日月の形状が鎌に似ていることに由来するとされる称号です。

研究者デニス・パーディーによれば、ヤリクは昼間は冥界で過ごすと信じられていた可能性があります。また、冥界の門番としての役割を果たしていた可能性も指摘されています。蛇咬みに対する呪文では、ヤリクは冥界神レシェフとペアで言及されています。

主要神話「ニッカルとヤリクの結婚」

ヤリクが主役として登場する最も重要な神話テキストは、ウガリット文書KTU 1.24として知られる「ニッカルとヤリクの結婚」です。この粘土板は紀元前1400年頃のものとされ、現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されています。

神話のあらすじ

物語は、月神ヤリクが女神ニッカル・ワ・イブ(「偉大なる女神、実り豊かなる者」の意)との結婚を望むところから始まります。ニッカルは果樹園と豊穣を司る女神で、メソポタミアの月神シンの妻である女神ニンガルに由来しています。

ヤリクは、ニッカルの父(または仲介者)とされるヒリヒビ(Ḫiriḫibi、「夏の王」という称号を持つ)との交渉に臨みます。ヤリクは豪華な花嫁代金を申し出ます。

粘土板には、千シェケルの銀、一万シェケルの金、輝くラピスラズリの宝石を捧げると記されています。さらにヤリクは「彼女の畑を葡萄園に、愛の野を果樹園にする」と約束します。これは文字通りの意味と、子孫繁栄を暗示する比喩の両方として解釈されています。

しかしヒリヒビは最初、別の花嫁候補を提案します。嵐神バアルの娘ピドライと、アッタルの娘(または姉妹)イブルドミです。ヒリヒビはヤリクを「バアルの婿」と呼んでいますが、これがピドライを選んだ場合の将来を指すのか、すでに別のバアルの娘と結婚していることを示すのか、あるいは単なる敬称なのかは不明です。

ヤリクはこれらの提案をすべて退け、ニッカルとの結婚のみを望むと宣言します。最終的に交渉は成立し、二人は結婚します。物語には出産と結婚を司る女神群「コタラト」も登場し、花嫁に祝福を与えます。

神話の背景

この神話の背景にはフリ族(フルリ人)の影響があるとされています。フリ族の原典をウガリット語に翻訳したもの、あるいはフリ族神話のモチーフを借用した作品である可能性が指摘されています。仲介者ヒリヒビはフリ族起源の神とされ、ニッカル自身もフリ族を通じてウガリットに伝わった可能性があります。

この神話は、結婚式で朗唱され、新婚夫婦の幸福と子宝を祈願するために用いられたと考えられています。

その他の神話における登場

神々の宴会(KTU 1.114)

ヤリクは別の神話テキストKTU 1.114にも登場します。この文書は保存状態は良いものの、翻訳が難しいとされています。

物語では、最高神エルが主催する宴会において、ヤリクはなぜか犬のように振る舞い、テーブルの下を這い回ります。彼と親しい女神アシュタルトとアナトは上等な肉を与えますが、彼を知らない者たちは棒で突きます。「エルの館の門番」がこの二女神を叱責し、犬に食べ物を与えていると非難します。

物語の後半はエルが酩酊し、二日酔いに苦しむ様子が描かれ、ヤリクへの言及はなくなります。しかし末尾には犬の毛を使った二日酔いの治療法が記されており、これがヤリクの役割と関連している可能性があります。ヤリクがなぜ犬のように振る舞うのかは不明ですが、飲酒というテーマと関連しているのかもしれません。

その他の言及

神話KTU2 1.12では、ヤリクの侍女タリシュ(Talish)という小女神が登場します。彼女は女神アシラトの侍女ディムガイとペアで言及され、二人とも産みの苦しみを経験しています。メソポタミアの月神シンは出産を助ける神としての役割を持っていたため、ヤリクがこの神話の失われた部分に登場していた可能性も指摘されています。

また、神話KTU 1.92では、女神アシュタルトが狩りから帰還した際、獲物を分け与える神々の一柱としてヤリクの名が挙げられています。

祭祀と供物

ウガリットで発見された祭祀文書から、ヤリクへの崇拝の具体的な姿が明らかになっています。

満月の時期に行われた祭祀では、ヤリクに2頭の雄牛が捧げられました。別の供物リストによれば、ウガリットのバアルとアレッポのバアルへの供物の後、サフォン山のアナトへの供物の前に、ヤリクには雄羊が捧げられました。また別のリストでは、コタラト女神群とアッタル神の間に位置する供物受領者として記載されています。

ヤリクは妻ニッカルと共に供物を受けることもありました。ウガリット暦の最終月「ラアシュ・イェニ」(「初めての葡萄酒」の意)には、ヤリクへの供物の直後にニッカルに牝牛が捧げられました。

興味深いことに、儀式文書KTU3 1.111では、ヤリクとフリ族の月神クシュフがニッカルを間に挟んで別々の神として供物を受けています。この文書の指示はヤリクに言及する際はウガリット語、クシュフとニッカルに言及する際はフリ語で書かれており、書記が両言語に通じていたことを示唆しています。

関連する神々

ニッカル(Nikkal)

ニッカルはヤリクの妻とされる女神で、果樹園と豊穣を司ります。その名前は「偉大なる女神」を意味するシュメール語「ニンガル」に由来し、メソポタミアの月神シン(ナンナ)の妻でした。フリ族を通じてウガリットに伝わったと考えられています。

ウガリットからは、ニッカルに捧げられた讃歌(RS 15.30 + 15.49 + 17.387)も発見されています。この讃歌には音楽記譜が付されており、世界最古の楽譜の一つとして知られています。

シャパシュ(Shapash)

シャパシュはウガリット神話の太陽女神で、「神々の松明」と呼ばれました。ヤリクが「天の灯火」と呼ばれるのに対し、シャパシュは昼間の光を、ヤリクは夜間の光をもたらす存在として対をなしていました。

クシュフ(Kušuḫ)

クシュフはフリ族の月神で、しばしばヤリクと同一視されます。しかし前述の儀式文書KTU3 1.111では、両者が別々の神として供物を受けており、完全な同一視は行われていなかったことがわかります。ウガリットでは、フリ族の神々とウガリット固有の神々が並存して崇拝されていたのです。

シン(Sin)

シンはメソポタミア(特にウルとハラン)で崇拝された月神で、ヤリクと同じ役割を持っていました。アモリ人の間では、ヤリクとシンが同一神の異なる名称として理解されていた可能性もありますが、マリの文献ではこの二柱は別々に記載されています。

地名に残る月神の痕跡

エリコ(Jericho)

ヘブライ語で「イェリホ」(יְרִיחוֹ)と表記されるエリコの名は、「月」を意味するカナン語「ヤラフ」、あるいは月神ヤリクの名に由来する可能性があります。この説によれば、エリコは古代において月の崇拝の中心地だったことになります。

エリコは世界最古の都市の一つとされ、紀元前9000年頃まで遡る居住の痕跡が発見されています。カナン人が多神教を信仰し、バアルやアシェラなどとともに月神を崇拝していたことを考えると、この都市が月神崇拝と結びついていた可能性は十分にあります。

ただし、エリコの名には別の語源説もあります。「香り」を意味するカナン語「レーフ」(rēḥ)に由来し、この地で栽培されていた香油植物(バルサム)にちなむという説です。アラビア語の地名「アリーハー」(Arīḥā)は「香り高い」を意味し、この説を支持しています。

ベト・イェラフ(Beth Yerah)

ヘブライ語で「月(の神)の家」を意味するベト・イェラフは、現在のイスラエル北部、ガリラヤ湖南岸に位置する遺跡です。アラビア語では「ヒルベト・ケラク」(城塞の廃墟)と呼ばれています。

この遺跡は50エーカー以上に及ぶレヴァント地方最大級のテル(遺丘)の一つで、紀元前3000年頃から紀元前2000年頃の初期青銅器時代、そしてペルシャ時代(紀元前450年頃)から初期イスラム時代(紀元1000年頃)までの居住跡が発見されています。

ベト・イェラフという名前は、ウガリット文書に記載されているカナン語の地名「アブルム・ベト・ヤリフ」(「陛下ヤリクの町/砦」)の一部を保存している可能性があります。紀元前14世紀の「アクハトの物語」にはアブルム(ヘブライ語のアベルに相当)という地名が言及されており、これがこの遺跡を指していると考えられています。

青銅器時代崩壊後の信仰

紀元前1200年頃の青銅器時代崩壊により、ウガリットは「海の民」の活動などによって滅亡しました。しかしヤリクへの崇拝は、レヴァント地方やヨルダン川東岸で紀元前1千年紀にも続いていました。

フェニキア・カルタゴ

フェニキアの碑文にはヤリクへの直接的な言及は見られませんが、これは資料の希少性によるものかもしれません。フェニキア宗教では、各都市の守護神(ビュブロスのバアラト・ゲバル、シドンのエシュムン、ティルスのメルカルト)が中心的な役割を果たし、月神のような天体神は海上交易との関連が薄かったため、重要性が低かったと考えられています。

カルタゴ(プニク)の資料では、ヤリクは碑文には登場しませんが、「ヤリクの僕」を意味する「アブディヤリフ」(’bdyrḥ)などの神名を含む人名が確認されています。

アンモン・モアブ

ヨルダン川東岸のアンモン王国では、紀元前700年頃の王像台座の碑文に「イェラへアザル」(yrḥ’zr、「ヤリクは我が助け」)という王名が確認されています。これは現時点でトランスヨルダン地域から確認されている唯一の確実なヤリク信仰の証拠です。

紀元前7世紀のアンモン人の印章には三日月のモチーフが見られますが、これは新アッシリア時代に広まったハランの月神シンの崇拝と関連している可能性もあります。

モアブ王国からは、月の三日月を描いた芸術作品が発見されていますが、文献資料にはヤリクもシンも登場しません。モアブの民族神ケモシュが月神的な性格を帯びていた可能性も指摘されています。

古代イスラエル

ヘブライ聖書には、月を神として崇拝することへの警告や禁止が複数含まれています。例えばヨブ記31章26-28節や列王記下23章5節(ヨシヤ王が月や太陽、星々、バアルに香を焚く祭司を廃したという記述)などです。

エリコやベト・イェラフという地名、そして一部の研究者によればヤリクを含む人名の存在から、古代イスラエル人の間でも月神崇拝が行われていたと推測されています。ただし、これらの聖書の警告が在来のヤリク信仰に対するものなのか、それともバビロン捕囚期以降に脅威となったハランを中心とするメソポタミアの月神信仰に対するものなのかは、議論が分かれています。

まとめ

ヤリクは古代近東を代表する月神の一柱であり、特にウガリットで豊富な資料が残されています。

  • ウガリット語で「月」を意味する「ヤリク」は、古代シリアの主要都市ウガリットで崇拝された
  • 「天の灯火」「神々の中で最も麗しき者」などの称号を持ち、夜の光と豊穣を司った
  • 神話「ニッカルとヤリクの結婚」(KTU 1.24)はヤリクが主役となる唯一の物語として現存する
  • 満月の祭祀では雄牛が捧げられ、妻ニッカルと共に崇拝された
  • エリコやベト・イェラフなどの地名に、その信仰の痕跡が残されている可能性がある
  • 青銅器時代崩壊後もフェニキア、アンモン、古代イスラエルなどで信仰が続いた

月を見上げるとき、古代の人々がそこに神の姿を見出していたことを思い出してみてください。ヤリクの物語は、3000年以上の時を超えて、私たちに古代近東の豊かな宗教世界を伝えてくれているのです。

参考情報

この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。

一次資料(原典)

ヤリクに関する一次資料は、主にウガリット(ラス・シャムラ)遺跡から出土した粘土板文書群です。

  • KTU 1.24(RS 5.194)「ニッカルとヤリクの結婚」 – ルーヴル美術館所蔵。ヤリクが主役となる唯一の神話テキスト
  • KTU 1.114「神々の宴会」 – エルの宴会でのヤリクの振る舞いを描く
  • KTU3 1.111 – ヤリク、クシュフ、ニッカルへの供物を記した儀式文書
  • ウガリット神々リスト – 神殿の神々の序列を示す文書

学術資料

参考書籍

  • Pardee, Dennis (2002). Ritual and cult at Ugarit. Society of Biblical Literature – ウガリットの儀式とヤリク崇拝の詳細
  • Theuer, Gabriele (2000). “Der Mondgott in den Religionen Syrien-Palästinas” – シリア・パレスチナ地域の月神研究
  • Wiggins, Steve A. (1998). “What’s in a name? Yarih at Ugarit”. Ugarit-Forschungen 30: 761–780 – ヤリクの神話的役割の分析
  • Schmidt, Brian B. (1999). “Moon”. Dictionary of Deities and Demons in the Bible. Eerdmans – 古代近東の月神についての辞典項目

二次資料(編纂物・一般向け解説)

以下は学術的な一次資料ではなく、一般向けに再構成された情報源です。

注意事項

ヤリクに関する神話の詳細は、主に紀元前14-13世紀のウガリット粘土板文書に基づいています。これらの文書は断片的であり、解釈が分かれる箇所も多くあります。後世の著作や一般向け解説では、学術的に確認されていない内容が含まれている場合があるため、本記事では可能な限り一次資料と学術文献に基づく情報を記載しました。

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