「おにぎりと柿の種を交換しよう」——この一言から始まる、ちょっぴり残酷で痛快な仇討ちの物語。
それが「さるかに合戦」です。
『桃太郎』や『カチカチ山』と並ぶ日本五大昔話の一つとして、江戸時代から現代まで長く愛されてきました。
この記事では、さるかに合戦のあらすじから、地域ごとの違い、物語に込められた教訓、そして近代文学での展開まで、たっぷりと解説します。
概要
さるかに合戦は、ずる賢い猿が蟹を騙して傷つけ、その子供たちが仲間と力を合わせて仇を討つという日本の民話です。
「さるとかに」「かにむかし」「さるかにばなし」「蟹の仇討ち」など、地域や時代によってさまざまな名前で呼ばれてきました。
江戸時代には草双紙の一種である「赤本」にも記録されており、古くから庶民に親しまれていたことがわかります。
さるかに合戦のあらすじ
おにぎりと柿の種の交換
ある日、蟹がおにぎりを持って歩いていると、猿がやってきて「自分の拾った柿の種と交換しないか」と持ちかけます。
蟹は最初断りますが、猿は「おにぎりは食べたら終わりだけど、柿の種を植えれば実がたくさんなるから、ずっとお得だよ」と口のうまいことを言いました。
蟹はこの言葉に納得し、大切なおにぎりと柿の種を交換してしまいます。
柿の木の成長と猿の裏切り
蟹は家に帰ると、さっそく柿の種を植えました。
「早く芽を出せ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながら世話をすると、柿の木はぐんぐん育ち、やがてたくさんの赤い実をつけます。
ところが、蟹は木に登ることができません。
そこへ猿がやってきて「自分が代わりに採ってやろう」と言います。
しかし、木に登った猿は甘く熟した柿を自分ばかり食べ、蟹が催促すると、まだ青くて硬い実を投げつけました。
硬い柿をぶつけられた蟹はそのショックで子蟹を産み落とし、そのまま命を落としてしまったのです。
仲間たちの結集と仇討ち
残された子蟹たちは親の仇を討つことを決意します。
猿の横暴に困っていた栗・蜂・臼・牛の糞が協力を申し出て、一同は猿の家へ向かいました。
猿の留守中に家へ忍び込み、それぞれが持ち場について待ち伏せします。
猿が帰宅して囲炉裏で暖まろうとすると、灰の中に隠れていた栗が弾け飛んで猿に体当たり。
猿は火傷を負い、慌てて水桶に駆け寄ると、今度は中に隠れていた蜂に刺されます。
驚いて逃げ出そうとした猿は、出入り口で待ち構えていた牛の糞で足を滑らせて転倒。
そして最後に、屋根の上から臼がどっしんと落ちてきて猿を押しつぶし、子蟹たちは見事に親の仇を討ったのでした。
登場キャラクターと役割
さるかに合戦のユニークな点は、仇討ちに加わる仲間たちの個性的な顔ぶれにあります。
蟹(親蟹と子蟹) ── 物語の主人公。勤勉で素直な性格として描かれ、柿を育てるところまでは順調だったものの、猿の横暴により命を落とします。
子蟹たちは親の仇を討つ中心人物です。
猿 ── 物語の悪役。口がうまく、ずる賢い存在として描かれています。
おにぎりを巧みに手に入れ、柿を独り占めし、蟹に暴力をふるうという典型的なトリックスターです。
栗 ── 囲炉裏の灰の中に隠れ、焼けて熱くなった体で猿に体当たりする役割を担います。
小さいけれど勇敢な助っ人です。
蜂 ── 水桶の中に潜み、火傷をした猿が水で冷やそうとしたところを刺します。
絶妙なタイミングで攻撃する知恵者として描かれています。
牛の糞 ── 土間や出入り口に隠れ、猿を滑らせて転倒させます。
一見役に立たなさそうな存在が大活躍するという、昔話ならではのユーモアが光るキャラクターといえるでしょう。
臼 ── 屋根の上から猿の上に落下し、とどめを刺す最終兵器。
重量感のある頼もしい存在です。
物語の起源と歴史
五大昔話としての地位
さるかに合戦は、『桃太郎』『カチカチ山』『舌切り雀』『花咲か爺』と並ぶ「日本五大昔話」の一つに数えられています。
江戸時代の草双紙の一種「赤本」にも記録が残っており、享保年間(1716〜1736年)ごろには既に広く知られていたと考えられています。
赤本とは、江戸中期に子供向けに刊行された絵入りの冊子のことです。
表紙が丹色(赤色)であったことからこの名がつきました。
題材として昔話や御伽草子が多く取り上げられ、さるかに合戦もその一つとして人気を博していたようです。
猿蟹合戦絵巻
江戸時代には『猿蟹合戦絵巻』という絵巻物も制作されました。
古典の絵巻で「さるかに合戦」を題材にした作品は他に例がなく、非常に珍しいものとされています。
この絵巻では、仇討ちの仲間として臼・蛇・蜂・荒布・包丁が登場しており、現在広く知られているバージョンとは異なる顔ぶれが描かれている点も興味深いところです。
物語の構造と類話
民俗学的に見ると、さるかに合戦は大きく「前半部(食物をめぐる争い)」と「後半部(仇討ち)」の二つのパートに分かれています。
民俗学者の関敬吾らの研究によれば、前半部はもともと猿と蟹の「餅争い」だったものが、柿をめぐる話へと変化したと考えられています。
「猿蟹餅競争」「猿と蟇の餅泥棒」など、食物を奪い合う類話が各地に残っていることがその根拠とされています。
後半の仇討ちパートは、中国・韓国・モンゴル・アイヌなど東アジアに広く見られる説話形式です。
さらにヨーロッパにも、グリム童話の『ブレーメンの音楽隊』系の昔話として、卵や針、糞、臼などが力を合わせて敵をやっつけるという類似の物語が存在しています。
インドネシアのセラン島にも同様の展開を持つ昔話が確認されており、この仇討ちモチーフが世界的に広く分布していることがわかります。
地域による違い(バリエーション)
さるかに合戦は口承文学であるため、語られる地域や時代によって細かい違いがあります。
仲間キャラクターの入れ替わり
最もよく知られているのは栗・蜂・臼・牛の糞という組み合わせですが、地方によってメンバーが異なります。
- 関西地方 ── 油が登場するバージョンがある
- 1887年の教科書版 ── 栗の代わりに卵が登場し、爆発して猿を攻撃する。牛の糞の代わりに昆布が仲間に加わり、猿を滑らせる
- 一部地方 ── 蜂の代わりに針が登場する
- 江戸時代の絵巻版 ── 蛇・荒布・包丁が仲間に加わっている
このように、物語の骨格は共通しながらも、登場するキャラクターは柔軟に入れ替わっているのが面白い点です。
前半部のバリエーション
「おにぎりと柿の種の交換」で始まるのが一般的ですが、前半部が「猿と蟹の寄り合い田」になっている類話も多く報告されています。
このバージョンでは、猿と蟹が共同で稲を作りますが、猿は協力せず、稲が実って餅に搗くと一人で持って逃げるという筋書きになっています。
また、茨城県の伝承では、猿とカニが一緒に村松詣りに行き、猿がお弁当鉢を、カニが柿の種を拾うところから始まるなど、導入部分にも地域差が見られます。
時代とともに変わる物語
古典版(原型に近いバージョン)
もともとの物語では、蟹は猿に殺され、最後に猿も臼に潰されて死亡するという、はっきりとした勧善懲悪の仇討ち物語でした。
楠山正雄の再話版(青空文庫で公開中)は、この古典的なバージョンに近い形を保っています。
現代版(改作バージョン)
昭和末期以降、子供向けの教育的配慮から、物語の内容が大きく改変されるようになりました。
現代版の主な変更点は以下の通りです。
- 親蟹は死なず、大怪我で済むことが多い
- 猿も死なず、散々な目に遭った末に反省する
- 最後は猿が謝罪し、蟹たちと和解して終わる
- タイトルも「さるかに話」「かにむかし」などに変えられている場合がある
この改変については賛否があり、「死や暴力の描写は子供に不適切」という立場と、「原作のメッセージが薄れてしまう」という立場で意見が分かれています。
さるかに合戦に込められた教訓
因果応報・勧善懲悪
最も分かりやすい教訓は「悪いことをすれば報いを受ける」という因果応報の考え方でしょう。
猿のずる賢さと暴力は、最終的にすべて自分に跳ね返ってきます。
弱者の連帯
蟹単体では猿に敵いませんが、栗・蜂・臼・牛の糞がそれぞれの特性を活かして協力することで、強者を倒すことができました。
小さな存在でも力を合わせれば大きな力になるという、協力の大切さを伝えています。
農民の思いの投影
蟹が苦労して育てた柿を猿に奪われるという展開は、必死に収穫した米を権力者に取り上げられていた当時の農民たちの姿を反映しているという解釈もあります。
理不尽な仕打ちに対する抵抗への願いが、この物語の勧善懲悪の爽快さにつながっているのかもしれません。
芥川龍之介と『猿蟹合戦』
シニカルな後日談
近代文学の名作として、芥川龍之介が1923年(大正12年)に発表した掌編『猿蟹合戦』は特筆に値します。
この作品は、お伽噺では語られなかった「仇討ちの後」を描いたパロディ作品です。
見事に猿を仕留めた蟹たちですが、仇討ちの後に待っていたのは逮捕と裁判でした。
主犯の蟹は死刑、共犯の臼・蜂・卵は無期懲役の判決を受けます。
世間の「識者」たちも蟹に同情せず、復讐は善ではないとか、危険思想にかぶれたのだろうとか、好き勝手な批評を並べるばかりです。
「君たちもたいてい蟹なんですよ」
作品の最後、蟹の三男が握り飯を拾うと、柿の木の梢には猿が一匹。
芥川は「とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である」と述べ、「君たちもたいてい蟹なんですよ」という一文で締めくくります。
この作品は、弱者が正当な抗議をしても権力の前では潰されるという社会風刺であり、大正期の日本社会に対する鋭い批判が込められていると解釈されています。
さるかに合戦の文化的影響
日本アニメーション史との関わり
さるかに合戦は、日本のアニメーション黎明期にも重要な題材となりました。
1917年に北山清太郎が制作した短編アニメ『猿蟹合戦』は、日本最初期のアニメーション作品の一つとされています(現在はフィルムが散逸し、現存が確認されていません)。
その後も1927年に村田安司による『猿蟹合戦』、1939年には政岡憲三による『新猿蟹合戦』が制作されるなど、繰り返し映像化されてきました。
テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』でも複数回にわたって取り上げられ、1975年の放送開始初期と1990年のリメイク版では内容に変化が見られます。
初期版は原作に近い仇討ち物語ですが、リメイク版では蟹は死なず、友情物語としてアレンジされています。
海外への紹介
さるかに合戦は明治時代から海外にも紹介されてきました。
1885年には、デイヴィッド・トムソン牧師による英訳が長谷川武次郎の「Japanese Fairy Tale Series(ちりめん本)」の第3巻として出版されています。
また、1903年にはアンドリュー・ラングの『紅色の童話集(The Crimson Fairy Book)』に収録され、1908年には小泉八雲の妻であるセツの姪にあたる尾崎英子が『Japanese Fairy Tales』に含めるなど、西洋世界にも広く知られるようになりました。
まとめ
さるかに合戦は、シンプルなストーリーの中に多層的な意味が込められた日本の代表的な民話です。
- 江戸時代から「日本五大昔話」の一つとして親しまれてきた
- 「食物の争い」と「仇討ち」の二つのパートから構成される
- 仇討ちモチーフは東アジアやヨーロッパにも類話が存在する
- 登場キャラクターは地域によって異なり、多くのバリエーションがある
- 昭和末期以降、教育的配慮から和解エンドに改変される傾向が見られる
- 芥川龍之介による後日談パロディは、社会風刺の名作として知られる
- 日本アニメーション史の黎明期から映像化され続けてきた
「悪いことをすれば報いを受ける」「弱くても力を合わせれば勝てる」という普遍的なメッセージを持ちながらも、時代や語り手によって柔軟に形を変えてきたこの物語。
その懐の深さこそが、何百年にもわたって語り継がれてきた理由なのでしょう。
参考情報
この記事で参照した情報源
信頼できる二次資料(専門家による研究・編纂)
- 野村純一ほか編『昔話・伝説小事典』みずうみ書房、1987年 ── 猿蟹合戦の類話分布や物語構造に関する学術的な解説
- 関敬吾著『日本昔話大成』角川書店、1978〜1980年 ── 日本の昔話を体系的に分類・収録した基本文献
- 楠山正雄再話「猿かに合戦」── 青空文庫で公開中。古典的なバージョンに近い再話
一次資料(近代文学作品)
- 芥川龍之介「猿蟹合戦」(1923年、『婦人公論』3月号初出)── 青空文庫で公開中
百科事典・辞典
- コトバンク「猿蟹合戦」 ── ブリタニカ国際大百科事典・日本大百科全書による解説
- Wikipedia「さるかに合戦」 ── 物語の概要・バリエーション・歴史的背景


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