パチャカマック(Pachacamac)とは? インカ以前から崇拝された大地の創造神

神話・歴史・文化

パチャカマック(Pachacamac)は、インカ帝国以前からペルー沿岸部で崇拝されていた創造神なんです。
ケチュア語で「大地の創造者」を意味するこの神は、地震を引き起こす力を持つとされ、広大な聖域を持つ巡礼地の中心でもありました。
スペイン人年代記者たちの記録や考古学的発見により、その崇拝の歴史は紀元200年頃まで遡ることが明らかになっています。

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概要

パチャカマックは、ペルー中央海岸部で古くから信仰されてきた創造神です。
インカ帝国が15世紀に沿岸部を征服した際も、この神への信仰は抑圧されることなく、むしろインカの宗教体系に組み込まれました。
リマの南東約40kmに位置するパチャカマック遺跡は、約1300年にわたって巡礼者を集め続けた聖地として知られています。

パチャカマックの名前の意味

パチャカマックという名前は、ケチュア語の「pacha」(大地・世界・時間・宇宙)と「kamaq」(創造者・生命を与える者)を組み合わせた言葉です。
直訳すると「大地の創造者」「世界の創造者」という意味になります。

スペイン人年代記者のペドロ・シエサ・デ・レオンは、カマック(camac)を「創造者」と解釈し、パチャ(pacha)を「世界」としています。
一方、インカ貴族の血を引くガルシラーソ・デ・ラ・ベーガは、カマックを「活気を与える人」「生命を与える人」と説明しました。

ガルシラーソは次のように記しています。
「もし今日、私の言語で神の名前は何かと問われたら、『パチャカマック』と答えるだろう。なぜなら、ペルーの一般的な言語において、神の概念をこれほどよく表現する言葉は他にないからだ」

パチャカマックの神格と役割

創造神としての役割

パチャカマックは、アンデスの神話において創造神として位置づけられています。
世界を創造し、人間や動植物に生命を与える存在とされました。

リマ文化、チャンカイ文化、イチマ文化、ワリ文化、チンチャ文化など、複数の文化圏でパチャカマックは「創造者」として崇拝されていました。
これは、この神が特定の民族や地域に限定されない、広域的な信仰の対象だったことを示しています。

地震の神

パチャカマックは地震を引き起こす力を持つとされました。
ペルー沿岸部は地震の多い地域であり、人々はパチャカマックの怒りが大地を揺らすと信じていたんです。

地震を防ぐため、あるいは怒りを鎮めるため、人々はパチャカマックに供物を捧げました。
考古学的調査により、パチャカマック遺跡では人間を含む多くの供物が捧げられていたことが明らかになっています。

予言の神・神託の神

パチャカマックは未来を予見する力を持つとされ、その神殿は重要な神託の場でした。
遠方から訪れる巡礼者たちは、農業、戦争、健康、家族の問題などについてパチャカマックの神託を求めました。

神託は大神官によって解釈され、巡礼者は何週間もの断食と清めの儀式を経てから神託を受ける資格を得ました。
巡礼者は食料、コカの葉、織物など、持てる限りの供物を捧げることが求められたんです。

多様な属性

スペイン語版Wikipediaによれば、パチャカマックは火、天空、夜、大地、地震など、複数の属性を持つ多面的な神でした。
このような多様性は、アンデスの神々に共通する特徴で、パチャカマックが単純な創造神ではなく、自然の様々な側面を司る存在だったことを示しています。

研究者マリア・ロストロウスキによれば、パチャカマックは二元的な神である可能性が指摘されています。
天上のパチャカマック(天空神)と地下のパチャカマック(地下の神・地震の神)が、本質的には一つの絶対的な存在を形成していたという説です。

パチャカマックの神話

パチャカマックに関する神話は複数のバリエーションがあり、統一された物語は存在しません。
これは、異なる文化圏や時代において、パチャカマックの物語が独自に発展したためと考えられます。

コン神を倒した創造神話

沿岸部の神話では、パチャカマックは以前の創造神コン(Kon)を倒したとされています。

コンは太陽と月の息子(あるいは太陽と月そのもの)とされ、最初の人類を創造しました。
しかし人間たちの邪悪さに怒ったコンは、すべての雨を止めてしまいました。
このため大地は不毛となり、人々は苦しみました。

パチャカマックはコンを倒し、コンが創造した人類を動物(あるいは猿)に変えてしまいました。
そして新たな人類を創造し、豊かな土地を与えたと伝えられています。

最初の人間と食糧の神話

ある神話では、パチャカマックが最初の男女を土から創造しましたが、食糧を与えることを忘れてしまいました。
男は飢え死にし、女は一人で木や草の根を食べて生き延びました。

太陽神が女の寂しい暮らしを見かねて男の子を授けましたが、パチャカマックはその子を殺してしまいました。
しかし殺された男の子の遺体から、歯からはトウモロコシ、体からは食用植物が生え出たとされています。
こうして人類は食糧を得ることができるようになったという物語です。

月の女神との結婚神話

別の神話では、パチャカマックは月の女神と結婚し、息子と娘をもうけました。
この兄妹は、土から創られた人間たちに農業、家の建て方、織物の技術を教えました。

兄妹はチチカカ湖のほとりに住むようになり、兄はインカ(帝)と呼ばれ、妹は彼の后となりました。
この神話では、インカの支配者たちの起源がパチャカマックの子孫とされているんです。

インティとの争いの神話

さらに別の神話では、パチャカマックが最初の男女を創造しましたが、マンコ・カパックが食糧を与えるのを忘れ、男が飢え死にしました。
最初の女は太陽神インティに祈り、地球上すべての民族の母となることを願いました。

パチャカマックはこれに怒り、女の子供たちを殺そうとしましたが、女の息子ウィチャカ(Wichama)によって海に追放されたとされています。
最終的にパチャカマックは海の神となり、魚を司るようになったという物語です。

インカ帝国での位置づけ

インカ帝国の神話では、パチャカマックは太陽神インティの息子の一人とされることがあります。
マンコ・カパック、ビラコチャとともに、インティの三人の息子とする説もありました。

ただしこれはインカ帝国がパチャカマック信仰を自らの宗教体系に組み込む過程で生まれた解釈で、元々の沿岸部の神話とは異なる可能性が高いと考えられています。

パチャカマック遺跡の歴史

初期の歴史(紀元200年頃〜)

パチャカマック遺跡は、現在のペルー・リマ郡ルリン地区の海岸近くに位置しています。
リマ中心部から南東に約40km、ルリン川の谷に広がる約600ヘクタールの広大な遺跡です。

紀元200年頃、リマ文化の人々がこの地に最初の定住を始めました。
彼らは大地の創造神パチャカマックにちなんでこの場所を名付け、神殿を建設しました。

リマ文化期(紀元後200年〜600年)には、テンプロ・ビエホ(古い神殿)、ウルピワチャック神殿(パチャカマックの妻とされる女神の神殿)などが建設されています。
この時期、パチャカマックは主に地元の信仰対象でした。

ワリ文化期(650年〜1000年頃)

7世紀半ば、ワリ文化がこの地域に進出し、パチャカマックは中央アンデス全体に影響を持つ聖地となりました。
ワリ文化は質の高い土器を残しており、黒く縁取られたデザインが特徴的です。

1938年に発見された木製のパチャカマック偶像は、炭素14年代測定により西暦760年〜876年頃のものとされています。
これはワリ文化期に制作されたもので、インカ時代よりも約700年前のものなんです。

この偶像は長さ約2.34メートル、直径約13センチメートルで、両面に顔が彫られた双面像でした。
アンデス思想における二元性の概念を象徴しています。

イチマ文化期(1200年〜1470年頃)

ワリ文化の衰退後、イチマ(Ichma/Ychsma)文化の人々がパチャカマックを支配しました。
この時期、遺跡は最盛期を迎え、ランプ付きピラミッド、南北通り、儀式用神殿、巡礼者の広場などが建設されました。

イチマ文化は、パチャカマックを宗教的・政治的・行政的な中心地として発展させ、広範囲から巡礼者が訪れるようになりました。
歴史家アルデン・メイソンは、パチャカマックを「ペルーのメッカ」と表現しています。

遺跡からは、ランバイエケ文化、ナスカ文化、ワリ文化、ティアワナコ文化、チムー文化など、様々な文化圏の陶器や織物が発見されており、広域から巡礼者が集まっていたことが裏付けられています。

インカ帝国期(1470年〜1533年)

1470年頃、インカ帝国のトゥパック・インカ・ユパンキの治世下で、インカはパチャカマックを征服しました。

インカは征服した地域の信仰を抑圧するのではなく、自らの宗教体系に組み込む政策を取りました。
パチャカマックも同様で、インカの太陽神インティと同格の地位を与えられるという異例の扱いを受けたんです。

インカはパチャカマックに太陽神殿(インティ神殿)を建設しました。
6層の土台の上に建てられたこの神殿は赤く塗られ、2つの平行な長方形の建物(52m×23m、高さ7.3m)から成っていました。

また、アクリャワシ(選ばれた女性たちの家)も建設されました。
ここでは帝国各地から選ばれた女性たちが、神官のための織物を作り、インカの祭礼で使用されるトウモロコシの酒を醸造していました。
彼女たちは最高位の儀式において犠牲として捧げられることもあり、太陽神殿の入口付近では20人の若い女性の埋葬跡が発見されています。

パチャカマックの神託は、インカ帝国でも引き続き重要視されました。
しかし1526年から1532年にかけてのワスカルとアタワルパの内戦において、神託が「ワスカルが勝利する」と誤った予言をしてしまいます。
これにより、勝利したアタワルパからの信頼を失いました。

スペイン征服期(1533年〜)

1533年1月5日、カハマルカの戦いの後、フランシスコ・ピサロは弟のエルナンド・ピサロと14人の騎兵をパチャカマックに派遣し、黄金を略奪させました。

しかしスペイン人が到着する前に、太陽神殿の神官たちは、400荷(1荷=約27kg)以上の黄金を運び出し、埋蔵しました。
中心的な木製のパチャカマック偶像も、この時に埋められたと考えられています。

アタワルパは、パチャカマック神託への不信から、エルナンドにパチャカマックの偶像を破壊する許可を与えました。
スペイン人は神殿を破壊し、略奪を行いました。

その後も、パチャカマック遺跡は略奪と環境要因によって損傷を受け続け、元の姿を確立することが困難になっています。

パチャカマックの偶像

パチャカマックは、木製の偶像として表現されていました。
スペイン人年代記者フライ・ベルナベ・コボの記録によれば、偶像は木製で、恐ろしい姿をしていましたが、それでも非常に崇拝されていたとのことです。

1938年に発見された偶像は、両面に人間の顔が彫られた双面像で、アンデス思想における二元性を象徴していました。
偶像は暗い部屋に安置され、壁には陸上と海洋の生物の絵が描かれていました。

2012年、ペルーのパチャカマック遺跡博物館が、この偶像に対して非破壊・非侵襲的な分析を実施しました。
その結果、以下のことが明らかになりました。

頭飾り部分には黄色の顔料が使用されていました。
歯は白く塗られていました。
赤い顔料が発見されましたが、これは当初、供物の血痕と考えられていました。
しかし分析の結果、水銀を含む顔料であることが判明しました。
この水銀は辰砂(cinnabar)由来のもので、意図的に塗られたものと結論づけられています。

辰砂はペルー高地でしか入手できない貴重な鉱物であり、偶像の重要性を示すものです。

パチャカマックの神は不可視の存在とされ、芸術作品で描かれることはありませんでした。
そのため、偶像は象徴的な表現であり、神そのものの姿を表したものではないと考えられています。

インカ帝国におけるパチャカマックの位置づけ

インカ帝国がパチャカマック信仰をどのように扱ったかは、インカの宗教政策を理解する上で重要です。

ビラコチャとの関係

パチャカマックは、インカ帝国において最高神ビラコチャと同一視されることがありました。
両者とも創造神としての性格を持ち、類似する属性があったためです。

インカのトゥパック・ユパンキは、太陽神インティの覇権に疑問を呈したと伝えられています。
「多くの者は太陽が生きており、万物の創造者であると言う。しかし太陽は多くのことを不在のまま行わせる。もし太陽が創造者であるならば、自らが創造したものに常に付き添うべきである。また、太陽が生きているならば、疲れるはずだ。しかし太陽は決して疲れることなく回り続ける。もし太陽が自由であるならば、空の他の場所を訪れるはずだが、決してそうしない」

この発言は、インカのエリート層が、太陽神よりも上位の創造神の存在を認識していたことを示唆しています。

二元性の概念

アンデスの世界観では、すべての存在は二元的であり、完全に善でも悪でもありませんでした。
この概念は、パチャカマックにも適用されています。

スペイン征服者たちは、キリスト教の「善と悪の対立」という思想をアンデスの人々に教えるため、悪の象徴となる存在を必要としました。
しかしアンデス神話には完全に邪悪な神が存在しなかったため、征服者たちはスパイ(Supay、死と地下世界に関連する神)を悪魔として位置づけたとされています。

一方、パチャカマックはスペイン人によってキリスト教の神と同一視されました。
ペドロ・シエサ・デ・レオンやフライ・ヘロニモ・ロマンは、「スペイン人が説く神とパチャカマックは同じである」と記録しています。

パチャカマック信仰の現代への影響

スペイン征服後、パチャカマック信仰は公式には抑圧されましたが、その影響は現代まで残っています。

研究者ルイス・ミジョネスによれば、パチャカマック信仰は植民地時代の信仰撲滅運動にもかかわらず、現代まで生き延びているとされています。

地震を支配する神としてのパチャカマックは、カトリックの民間信仰と融合しました。
ペルーのリマにおける「奇跡の主(セニョール・デ・ロス・ミラグロス)」や、クスコにおける「地震の主(セニョール・デ・テンブロレス)」は、パチャカマック信仰の影響を受けていると指摘されています。

ペルーの作家ホセ・マリア・アルゲダスは、小説『深い河』において、この信仰の連続性を描いています。

パチャカマック遺跡の現在

現在、パチャカマック遺跡は考古学遺跡保護区として管理されており、ペルー文化省パチャカマック遺跡博物館が研究と保全を行っています。

遺跡には、リマ文化、ワリ文化、イチマ文化、インカ文化の各時代の建造物が残されており、ペルーで最初に考古学的調査が行われた遺跡でもあります。

訪問者は、古い神殿、太陽神殿、アクリャワシ、巡礼者の広場など、複数の建造物を見学することができます。
また博物館には、遺跡から出土した陶器、織物、ミイラなどが展示されています。

リマ中心部からパンアメリカン・ハイウェイを利用して約30分でアクセスできるため、ペルーを訪れる観光客にとって重要な観光地の一つとなっています。

まとめ

パチャカマックは、インカ帝国以前からペルー沿岸部で崇拝されていた創造神であり、大地と地震を司る存在でした。
紀元200年頃から始まる長い信仰の歴史は、リマ文化、ワリ文化、イチマ文化、そしてインカ帝国へと受け継がれていきました。
スペイン人年代記者たちの記録や考古学的発見により、パチャカマックが広域的な巡礼の中心地であり、重要な神託の場だったことが明らかになっています。
スペイン征服によって公式の信仰は失われましたが、その影響は現代のペルー文化にも残り続けているんです。

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