インカ帝国の夜空を照らし、女性たちを守護する月の女神ママ・キリャ(Mama Killa)。
彼女は太陽神インティ(Inti)の姉であり妻という複雑な関係を持ち、インカ神話において3番目に重要な存在とされています。
月の満ち欠けを司り、暦を管理し、女性の生命のリズムを守る——古代インカの人々にとって、ママ・キリャは単なる神ではなく、日常生活に深く関わる守護者でした。
概要
ママ・キリャは、インカ神話における月の女神で、結婚と月経周期を司る女性の守護神として崇拝されました。
彼女は創造神ビラコチャ(Viracocha)の娘であり、太陽神インティの姉かつ妻という関係にあります。
インカの暦において極めて重要な役割を果たし、多くの儀式が月の満ち欠けに基づいて定められていました。
首都クスコ(Cusco)には彼女専用の神殿があり、献身的な巫女たちが仕えていました。
名前の意味
ママ・キリャという名前は、ケチュア語の「mama(母)」と「killa(月)」を組み合わせたもので、「母なる月」を意味します。
この名前は、彼女が単なる天体の神ではなく、母性的な保護と養育の力を持つ存在として理解されていたことを示しています。
スペイン語圏では「Mama Quilla」と綴られることもありますが、ケチュア語の発音に忠実な「Mama Killa」の表記も広く使われています。
系譜と家族関係
ママ・キリャの家族関係は、インカ神話の中心的な構造を形作っています。
両親
- 父:ビラコチャ(創造神)
- 母:ママ・コチャ(Mama Cocha、海の女神)
ただし、一部の伝承では母がパチャママ(Pachamama、大地母神)とされることもあります。
配偶者と兄弟
ママ・キリャは太陽神インティの姉であり、同時に妻でもありました。
この兄妹婚の関係は、インカの支配者階級においても重要な意味を持っていました。
インカの王族は神々の子孫とされ、血統の純潔を保つために兄弟姉妹間での結婚が行われていたのです。
子供たち
インティとの間に複数の子供をもうけたとされています。
最も有名なのは、インカ帝国の神話的な創始者とされる二人です。
- マンコ・カパック(Manco Cápac):インカ初代皇帝、火の神
- ママ・オクリョ(Mama Ocllo):織物の女神、マンコ・カパックの姉かつ妻
他の伝承では、以下の神々も彼女の子供とされることがあります。
- パチャカマック(Pachacamac):大地の創造神
- コン(Kon):雨と南風の神
姉妹
パチャママ(大地の女神)が姉妹とされることもあります。
役割と神性
ママ・キリャは、インカ神話において多面的な役割を担っていました。
月の女神としての役割
月の満ち欠けを司り、夜空を照らす存在として崇拝されました。
インカの人々は、月の周期を観察することで季節の変化を予測し、農作業や祭事の時期を決定していたのです。
女性の守護者
結婚と月経周期を司る女神として、女性たちから特別な信仰を集めました。
月の満ち欠けの周期が女性の生理周期と重なることから、ママ・キリャは女性の健康と出産を守る神として重要視されたのです。
暦の管理者
インカの暦は、太陽暦と太陰暦の両方を組み合わせた複雑なシステムでした。
ママ・キリャは太陰暦を管理する存在として、多くの祭りや儀式の日程を定める上で中心的な役割を果たしました。
神々の位階
インカ神話における位階では、ビラコチャ(創造神)、インティ(太陽神)、イリャパ(Illapu、雷神)に次ぐ第3位の神とされていました。
ただし、チムー(Chimú)族など一部の海岸地域では、インティよりもママ・キリャの方が重要視されることもありました。
神話とエピソード
ママ・キリャにまつわる神話は、月の不思議な現象を説明するものが多く伝えられています。
銀の涙
ママ・キリャが悲しむとき、銀の涙を流すという伝承があります。
このため、インカの人々は銀を月の涙と考え、神聖な金属として扱いました。
金が太陽神インティの象徴であったのに対し、銀はママ・キリャの象徴とされたのです。
月の暗い斑点の神話
月の表面に見える暗い斑点について、興味深い神話が伝えられています。
ある狐がママ・キリャの美しさに恋をしました。
狐は彼女に会いたい一心で空へと昇っていきました。
月に到達した狐を見たママ・キリャは、彼をぎゅっと抱きしめました。
このとき、狐の姿が月の表面に押しつけられ、今も見える暗い斑点になったと言われています。
月食の恐怖
インカの人々は、月食を非常に恐れていました。
月食が起きるとき、野生動物(ピューマや蛇)がママ・キリャを襲撃していると信じられていたのです。
月食が起きると、人々は彼女を助けるために大騒ぎしました。
武器を振り回し、叫び声を上げ、できる限りの騒音を立てて動物を追い払おうとしたのです。
もし動物が月を完全に飲み込んでしまえば、世界は永遠の闇に包まれると恐れられていました。
興味深いことに、この伝統はスペイン人によるキリスト教への改宗後も続きました。
スペイン人たちは月食の予測ができたため、原住民たちは彼らを畏敬の念を持って見るようになりました。
信仰と崇拝
ママ・キリャへの信仰は、インカ帝国全域で広く行われていました。
クスコの神殿
首都クスコには、ママ・キリャ専用の神殿がありました。
この神殿では、壁一面を覆う巨大な銀の円盤で彼女を表現していたと伝えられています。
神殿には男性の神官ではなく、女性の巫女たちが仕えていました。
月の巫女たち
ママ・キリャに仕える巫女たちは、クスコの貴族階級の女性たちから選ばれました。
彼女たちは長い銀灰色の衣服とマントを身につけ、銀の耳飾りを着けていました。
この耳飾りは金属的な音を発し、巫女の存在を男性たちに知らせる役割を果たしました。
男性たちは巫女を見てはならないという厳格な規則があったのです。
巫女たちは治療の知識、薬草の秘密、魔術の技に精通しており、「月の娘たち」として医療と魔術の母とみなされていました。
コヤ・ライミ祭
インカ暦の10月(9月に相当)には、ママ・キリャを祀る「コヤ・ライミ(Coya Raymi)」という祭りが行われました。
この祭りは雨季の始まり、春分の時期に行われ、女性と豊穣を讃えるものでした。
祭りの期間中、月に祈りを捧げ、小さな供え物を奉納し、断食が行われました。
この月は豊穣の月とされ、大地の実りを得るための第一歩と考えられていたのです。
太陽と月の関係
ママ・キリャは、夫であるインティと同等の地位を持つとされていました。
二人は天上の宮廷で共に君臨し、昼と夜、陽と陰のバランスを象徴する存在でした。
現代文化への影響
ママ・キリャの存在は、現代においても様々な形で受け継がれています。
ゲーム「Civilization VI」
人気戦略ゲーム「Civilization VI」では、インカ文明の固有能力の一つとして「ママ・キリャ」の名前が使用されています。
山岳地帯からの食料と生産力にボーナスを与える能力として実装されており、インカ文明の特徴を表現しています。
文学作品
イサベル・アジェンデの小説『精霊たちの家』では、霊能力を持つ登場人物クララが、儀式の中でママ・キリャの名を呼ぶ場面があります。
コミック「The Unwritten」
マイク・キャリーとピーター・グロスによるコミックシリーズ「The Unwritten」では、ママ・キリャがリヴァイアサンの一側面として登場します。
彼女は月光で作られた巨大な姿で描かれ、循環する永遠の物語を象徴する存在として表現されています。
南米の文化継承
現代のアンデス地域では、ママ・キリャへの直接的な信仰は薄れましたが、月と女性の関係、月の満ち欠けと農業の結びつきといった概念は、文化的な伝統として受け継がれています。
まとめ
ママ・キリャは、インカ神話における月の女神として、単なる天体の擬人化を超えた重要な役割を果たしていました。
彼女は女性の守護者、暦の管理者、そして夜を照らす光として、古代インカの人々の生活に深く関わっていたのです。
ママ・キリャの主な特徴
- インカ神話で3番目に重要な神
- 太陽神インティの姉かつ妻
- 結婚と月経周期を司る女性の守護神
- インカの暦において中心的な役割
- 銀の円盤として表現され、巫女たちに仕えられた
- 月食は動物に襲われる現象と解釈された
- 現代のゲームや文学作品にも登場
月の満ち欠けとともに生きた古代インカの人々にとって、ママ・キリャは決して遠い存在ではなく、毎晩空を見上げれば会える身近な守護者でした。
彼女の物語は、人間と自然、そして神々との深い結びつきを今に伝えています。


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