ビラコチャ(Viracocha)とは?インカ神話の最高創造神を徹底解説

神話・歴史・文化

インカ帝国といえば太陽神インティの信仰が有名ですが、実はインカの神々の中で最も重要とされていたのは、世界そのものを創り出した創造神ビラコチャ(Viracocha)なんです。
チチカカ湖から出現して闇の世界に光をもたらし、人類に文明を授けたあと、太平洋の彼方へと姿を消したこの神秘的な神は、インカ以前の時代から南米アンデス地域で広く崇拝されていました。
この記事では、ビラコチャの神話や名前の由来、創世の物語、そして歴史的な信仰の実態まで、詳しく解説していきます。

スポンサーリンク

概要

ビラコチャ(Viracocha)は、南米アンデス地域のプレ・インカ(インカ以前)およびインカ神話における最高神にして創造神です。
正式名称はアプ・コン・ティキ・ウイラ・コチャ(Apu Qun Tiqsi Wiraqutra)で、ウィラコチャ(Wiraqocha)やウイラコチャ(Huiracocha)とも表記されます。
万物の創造者として宇宙・太陽・月・星・時間・人類・文明のすべてを生み出したとされ、インカの宗教においては太陽神インティ(Inti)よりも上位に位置づけられていました。

ビラコチャの名前の由来

ビラコチャという名前の語源には、いくつかの説が存在します。

最も広く知られているのは「海の泡」という意味だとする説です。
ケチュア語で「ビラ(wira)」は「脂肪」を、「コチャ(qucha)」は「湖」や「海」を意味するため、「海の脂肪」つまり「海の泡」と解釈されてきました。
16世紀のスペイン人年代記作者ペドロ・シエサ・デ・レオン(Pedro Cieza de León)は、ビラコチャが海岸に到達したあとマントを広げて波の上を歩き去ったことから、人々がこの人物を「海の泡」と呼ぶようになったと記録しています。

ただし、この「海の泡」という語源解釈には異論もあります。
ドイツの考古学者マックス・ウーレ(Max Uhle)は「泡の湖」では意味が通じないと指摘し、「ビラ(wira)」はケチュア語の「フイラ(huyra)」、すなわち「すべてのものの終わり」に由来する可能性を提唱しました。
この解釈によると、「ティクシ・ビラコチャ(Tiqsi Viracocha)」は「起源とすべてのものの終わりの湖」という意味になります。

さらに、一部の言語学者はアイマラ語の「ウィラ・クタ(Wila Quta)」(「ウィラ」は「血」、「クタ」は「湖」)からの借用語ではないかとも指摘しています。
これはプレ・インカ時代にチチカカ湖畔でアイマラ語を話す人々がラクダ科の動物を生贄として捧げていた習慣に由来するとされています。

ビラコチャには数多くの称号があり、「ティクシ・ビラコチャ(T’iqsi Wiraqocha)」(ティクシは「起源」や「始まり」の意味)、「コンティキ・ビラコチャ(Kon-Tiki Viracocha)」(ノルウェーの探検家トール・ヘイエルダールの筏の名前の由来)、「パチャヤチャチック(Pachayachachic)」(「世界の教師」の意味)などが知られています。
また、「イリャ(Ilya)」(光)や「ティクシ(Ticci)」(始まり)といった代替名でも呼ばれ、その名があまりに神聖であるため、口にすることが禁じられていたともいわれています。

創世神話:闇から光へ

ビラコチャの創世神話は、16世紀のスペイン人年代記作者ホアン・デ・ベタンソス(Juan de Betanzos)が1551年に記録した内容が最も詳細です。
それによると、世界がまだ闇に包まれていた時代、ビラコチャはチチカカ湖(一説ではパカリタンボの洞窟)から出現して光をもたらしたとされています。

巨人の創造と大洪水

ビラコチャはまず石に息を吹きかけて人類を創り出しましたが、この最初の創造物は知性を持たない巨人たちでした。
巨人たちは手に負えない存在となり、暗闇の時代に混乱を引き起こしたため、ビラコチャは「ウヌ・パチャクチ(Unu Pachakuti)」と呼ばれる大洪水を起こして彼らを滅ぼしたと伝えられています。
巨人たちの多くは元の石の姿に戻され、後の時代にもティワナク(Tiwanaku)やプカラ(Pukará)といった遺跡で、巨大な石像として見ることができたとされています。

人類の再創造と太陽の誕生

大洪水の後、ビラコチャはチチカカ湖近くのティワナクで、今度は粘土を使って人間と動物を創造しました。
人々に衣服の模様を描き、言語・農業・技術・芸術といった文明の基礎を授けたのです。
さらにチチカカ湖の島々から太陽・月・星を創り出し、暗闇だった世界に光をもたらしました。

ブリタニカ百科事典によると、ビラコチャはチチカカ湖で太陽と月を創造したあと、残りの天界と大地も形成したとされています。

大地を旅する創造神

世界の創造を終えたビラコチャは、乞食の姿に身をやつして大地を放浪し、自らが創った人々に文明の基礎を教えて回ったと伝えられています。
農業の方法、灌漑水路の作り方、トウモロコシの栽培法、家畜の飼い方を教え、行く先々で病人を治す医師としての一面も持っていたとされています。

しかし、すべての人々がビラコチャの教えに従ったわけではありませんでした。
戦いや非行に走る者もおり、ビラコチャは自分が創った存在の姿を見て涙を流したといいます。
この「泣く神」としてのイメージは、ビラコチャの重要な特徴のひとつです。

2人の息子たちとの旅

別の伝承では、ビラコチャには2人の息子がいたとされています。
イマーマナ・ビラコチャ(Imaymana Viracocha)とトカポ・ビラコチャ(Tocapo Viracocha)です。

大洪水と天地創造の後、ビラコチャは人々が自分の戒律に従っているかを確認するため、息子たちを北東と北西の部族のもとへそれぞれ派遣しました。
ビラコチャ自身は北部へ向かいました。
その旅の途中で、イマーマナとトカポはすべての樹木・花・果物・薬草に名前を付け、食用に適するもの、薬効のあるもの、毒となるものを人々に教えたと伝えられています。

やがて3人はクスコの近くで合流し、湖岸から水の上を渡って姿を消しました。

ビラコチャの姿と消失

ビラコチャの外見について、スペイン人年代記作者ペドロ・サルミエント・デ・ガンボア(Pedro Sarmiento de Gamboa)は「中背の白い男で、白いローブを身にまとい、腰を帯で締め、杖と書物を手に持っていた」と記録しています。
顎鬚をたくわえた大柄な人物だったとする伝承も多く、この「白い肌に髭を持つ」という描写は、後にスペイン人征服者がアンデスに到来した際に、先住民が彼らを「ビラコチャ」と呼んだ理由のひとつとされています。

伝承によると、ビラコチャは各地を旅した末に現在のエクアドルのマンタ(Manta)にたどり着き、そこからマントを広げて太平洋の波の上を歩いて西へ去っていったとされています。
別の伝承ではイカダに乗って去ったともいわれています。
去り際に「いつか必ず戻ってくる」と約束したとされ、この帰還の予言は後のインカの人々にとって重要な信仰の柱となりました。

ビラコチャの家族

ビラコチャの家族構成については、複数の異なる伝承が残っています。

ある伝承では、ビラコチャは1男2女の父であったとされ、息子がインティ(Inti、太陽神)、娘がママ・キリャ(Mama Quilla、月の女神)とパチャママ(Pachamama、大地母神)であったとされています。
この伝承によると、インティの息子(ビラコチャの孫、一説では息子)であるマンコ・カパック(Manqu Qhapaq)とママ・オクリョ(Mama Ocllo)がインカ文明を創始しました。
2人はビラコチャから授けられたタパク・ヤウリ(Tapac Yauri)という金の杖を持ってクスコに向かい、杖が地面に沈む場所を都と定めたと伝えられています。

別の伝承では、ビラコチャの妻はママ・コチャ(Mama Cocha、海の女神)であり、また8人の最初の文明的な人間たちの父であったともいわれています。

太陽神インティとの関係

インカ帝国の国教は太陽神インティへの信仰を中心としていましたが、宗教的な位階としてはビラコチャのほうが上位に位置づけられていました。
Encyclopedia.comの記述によれば、インティは帝国の守護神として祭祀を受けていたものの、太陽への祈りは最終的にインティを通じてその創造者であるビラコチャに届けられるものと考えられていたとされています。

興味深いのは、ビラコチャ信仰と太陽神信仰の歴史的な関係です。
ビラコチャは万物を創造した至高の存在でありながら、日常の世界の運営は自分が創った太陽や月などの神々に委ね、自らは遠くから見守るという「超越的な神」としての性格を持っていました。
そのため一般庶民はビラコチャよりも、自分たちの生活に直接影響を与える太陽や雷・大地の神々を崇拝する傾向がありました。
ビラコチャへの崇拝は主に貴族や支配階級の間で行われていたとされています。

ティワナクの「泣く神」

ビラコチャ信仰の起源はインカ帝国よりもはるかに古いと考えられています。
ブリタニカ百科事典によると、チチカカ湖畔のティワナク(Tiwanaku)遺跡の巨石建造物に彫刻された「泣く神」の像がビラコチャの最も古い表現である可能性があるとされています。

ティワナク遺跡の「太陽の門(Gateway of the Sun)」と呼ばれる巨大な門のまぐさ石には、両手に雷の杖を持ち、頭に太陽光線の冠を戴き、目から涙を流す神の姿が彫られています。
この涙は雨を象徴しているとされ、嵐と太陽の両方の性質を併せ持つ創造神のイメージを表現しています。
ティワナク文化は紀元前1500年頃から紀元後1000年頃まで栄えた文明であり、インカ帝国(15世紀〜16世紀)よりもはるかに古い時代にさかのぼります。

ビラコチャがインカの公式な神々の体系に正式に組み込まれたのは比較的遅い時期で、おそらく第8代インカ皇帝ウィラコチャ(1438年頃没)がこの神の名を自らの名として取り入れた頃とされています。

インカ帝国におけるビラコチャ崇拝

クスコのビラコチャ神殿

インカ帝国の首都クスコ(Cusco)には、ビラコチャを祀る神殿が存在しました。
現在のクスコのアルマス広場に面したカテドラル(大聖堂)は、かつてビラコチャ神殿があった場所に建てられたもので、スペイン人による征服後、1550年から約100年をかけて完成したとされています。

また、クスコの太陽の神殿(コリカンチャ)の内部にも、ビラコチャの黄金像が安置されていました。
World History Encyclopediaの記述によれば、スペイン人たちはこの像を「白い肌に髭を持つ男性が長いローブを着た等身大の4分の3ほどの金像」と描写しています。

祭祀と生贄

ビラコチャ神殿の近くにはワカ(Huaca)と呼ばれる聖なる石が奉納されており、そこでは特に茶色のリャマが生贄として捧げられました。
Encyclopedia.comの記述によると、1月のカマイ(Camay)祭では、供物が川に投じられ、水の流れによってビラコチャのもとに届けられると信じられていたとされています。
さらに、カハ(Caha)やウルコス(Urcos)といった地方にもビラコチャの神殿と像が存在し、重要な機会には人間(子供を含む)やリャマが生贄として捧げられたと伝えられています。

パチャクテクとビラコチャ信仰

ビラコチャ信仰の歴史において重要な人物が、第9代インカ皇帝パチャクテク(Pachacuti、在位1438年頃〜1471年)です。
クリストバル・デ・モリーナ神父が征服直後に記録した伝説によると、パチャクテク(初名クシ・ユパンキ)は若き日に泉のほとりで不思議な水晶を発見し、その中に太陽のような光を放つ人物の姿を見たとされています。
この人物はビラコチャであり、ユパンキが将来多くの国を従えることを予言したといわれています。

パチャクテクはこの経験をもとにビラコチャの神殿を建築的に壮麗なものに整備するとともに、太陽神殿の改築も行い、インカ帝国の大拡張を開始しました。

海岸地方の創造神パチャカマックとの関係

ビラコチャとしばしば比較されるのが、ペルー海岸地方で信仰されていた創造神パチャカマック(Pachacamac)です。
Encyclopedia.comの記述によれば、両者はおそらく共通の祖先を持つ神であり、ビラコチャが高地(シエラ)の創造神、パチャカマックが海岸(コスタ)の創造神として、それぞれの地域で独自に発展したと考えられています。

一部の年代記作者は両者の区別が曖昧であることを指摘しており、「パチャカマック」と「ビラコチャ」はケチュア語の異なる呼び名にすぎず、同一の神の2つの側面である可能性も示唆されています。

スペイン人征服とビラコチャ

1532年、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン人がインカ帝国に到来した際、先住民の一部はスペイン人たちを「ビラコチャ」と呼びました。
白い肌を持つ存在が海の彼方からやって来たという状況が、「いつか帰還する」と約束して太平洋を渡っていった創造神の伝承と重なったためだと考えられています。

スペインの征服者と聖職者たちはビラコチャの概念をキリスト教の「神」に置き換える戦略を取りました。
バルトロメ・デ・ラス・カサス(Bartolomé de las Casas)は「ビラコチャは万物の創造者を意味する」と述べ、ホアン・デ・ベタンソスは「ビラコチャとは神のことだ」と記録しています。
「ビラコチャ」を「神(Dios)」に置き換えることはインカの人々の福音化(キリスト教化)の第一歩とみなされ、土着の神の概念をキリスト教神学で代替していく基盤となりました。

アンデスにおけるビラコチャ信仰の遺産

インカ帝国の崩壊後、国家的な祭祀とともにビラコチャの公式的な信仰は急速に失われていきました。
しかし、アンデス各地に根強く残っていた民間の信仰や儀礼は完全には消えませんでした。
山の神ワマニ(Wamani)や大地母神パチャママへの信仰は現在も先住民の間で続いており、ビラコチャに由来する世界観の断片は、アンデスの文化的伝統のなかに息づいています。

現在でも、ペルーのクスコで毎年6月に行われるインティライミ(Inti Raymi、太陽の祭り)では、インカ時代の祭祀が再現され、万物の創造者ビラコチャへの感謝が歌や踊りのなかで表現されています。

まとめ

  • ビラコチャ(Viracocha)は、プレ・インカおよびインカ神話における最高の創造神で、宇宙・太陽・月・星・人類・文明のすべてを創り出したとされる
  • 名前の由来は「海の泡」が最も有名だが、「すべてのものの起源と終わりの湖」やアイマラ語の「血の湖」に由来するなど複数の説がある
  • 石から巨人を創造したが失敗し、大洪水で滅ぼした後、粘土から人間を再創造した
  • 乞食の姿で大地を旅し、人々に文明を授けたのち、太平洋を渡って姿を消した
  • ティワナク遺跡の「泣く神」がビラコチャの最も古い表現とされ、インカ以前からの信仰の古さを示している
  • クスコにはビラコチャ神殿が存在し、太陽神インティよりも上位の創造神として崇拝されていた
  • スペイン人征服者はビラコチャの概念をキリスト教の「神」に置き換え、インカの福音化の基盤とした

参考情報

この記事で参照した情報源

一次資料(16世紀スペイン人年代記作者の記録)

  • ホアン・デ・ベタンソス(Juan de Betanzos)『Suma y Narración de los Incas』(1551年) – インカの伝承を最も詳細に記録した年代記のひとつ
  • ペドロ・シエサ・デ・レオン(Pedro Cieza de León)『Crónicas del Perú(ペルー年代記)』(1553年) – Project Gutenberg版で参照可能
  • ペドロ・サルミエント・デ・ガンボア(Pedro Sarmiento de Gamboa) – ビラコチャの容姿を記録
  • クリストバル・デ・モリーナ(Cristóbal de Molina)(1575年) – パチャクテクとビラコチャの伝説を記録

百科事典・学術資料

学術論文

  • 「El culto al dios Viracocha y al Sol en la formación del Tahuantinsuyu」 – ペルー・カトリカ大学(PUCP)学位論文。ベタンソス、シエサ・デ・レオン、カベリョ・デ・バルボアの3人の年代記作者によるビラコチャ崇拝の比較研究

参考になる外部サイト

コメント

タイトルとURLをコピーしました