毎朝、東の空から昇る太陽。古代ギリシャの人々は、この輝く天体を単なる自然現象ではなく、神そのものの姿だと考えていました。その名はヘリオス(Ἥλιος / Helios)──黄金の戦車で天空を駆け抜ける太陽の神です。
オリュンポスの主神ゼウスほど有名ではないかもしれませんが、ヘリオスは古代ギリシャ人の日常に深く根付いた存在でした。哲学者ソクラテスも毎朝太陽に祈りを捧げていたと伝えられています。また、世界七不思議の一つ「ロードス島の巨像」は、まさにこのヘリオスを象った巨大な像でした。
この記事では、ヘリオスの起源から主要な神話、そして古代における信仰まで、一次資料(原典)を中心に詳しく解説していきます。
ヘリオスとは?名前の意味と基本情報
ヘリオス(Ἥλιος / Hḗlios)は、ギリシャ神話に登場する太陽の神です。その名前は古代ギリシャ語で「太陽」を意味する一般名詞そのもので、まさに太陽の化身といえる存在でした。
日本語では長母音を省略して「ヘリオス」と表記されることが多いですが、古代ギリシャ語の発音に近い「ヘーリオス」と表記されることもあります。
ローマ神話における対応神は「ソル(Sol)」で、後にローマ帝国では「ソル・インウィクトゥス(無敵の太陽)」として広く崇拝されるようになりました。
ヘリオスの系譜と家族
両親と兄妹
ヘリオスの系譜について、最も古い記述はヘシオドスの叙事詩『神統記』(紀元前8〜7世紀頃)に見られます。
『神統記』によると、ヘリオスはティタン神族の光明神ヒュペリオン(Ὑπερίων / Hyperion)と、その姉妹であるテイア(Θεία / Theia)の息子として生まれました。ヒュペリオンの名は「上にあるもの」「高き者」を意味し、天空を行く太陽の性質をよく表しています。
ヘリオスには二人の姉妹がいます。
- セレネ(Σελήνη / Selene):月の女神。夜空を銀の戦車で駆け抜けるとされる
- エオス(Ἠώς / Eos):曙(あけぼの)の女神。毎朝、東の空に現れて夜明けを告げる
この三柱の神々は、天空の光を分担して司る存在として捉えられていました。エオスが曙をもたらし、ヘリオスが昼の光を運び、セレネが夜を照らす──という具合に、彼らは一日のサイクルを象徴する神々だったのです。
なお、『ホメロス讃歌』第31番(ヘリオス讃歌)では、ヘリオスの母親を「エウリュパエッサ(Euryphaessa)」と呼んでいます。この名は「広く輝く者」を意味し、テイアの別名または異説と考えられています。
ヘリオスの子供たち
ヘリオスは複数の女神やニンフとの間に多くの子供をもうけました。主な子供たちを紹介します。
海神オケアノスの娘ペルセイス(ペルセ)との間の子供
ペルセイスはヘリオスの正妻とされることが多く、彼女との間には以下の子供たちが生まれました。
- キルケ(Κίρκη / Circe):アイアイエ島に住む強力な魔女。『オデュッセイア』ではオデュッセウスの部下たちを豚に変える
- アイエテス(Αἰήτης / Aeetes):黒海沿岸のコルキス王。金羊毛を守護していた
- パシパエ(Πασιφάη / Pasiphae):クレタ王ミノスの妻。後にミノタウロスを産む
- ペルセス(Πέρσης / Perses):アイエテスの後を継いでコルキスを治めた
ニンフのクリュメネとの間の子供
- パエトーン(Φαέθων / Phaethon):「輝く者」の意。太陽の戦車を駆けようとして命を落とす
- ヘリアデス(Ἡλιάδες / Heliades):パエトーンの姉妹たち。弟の死を嘆いてポプラの木に変身した
その他の子供たち
- ロドス(Ῥόδος / Rhodes):ニンフのロデとの間に生まれた娘。ロードス島の守護神となった
- ホーラ(Ὥρα / Hora):時間・季節の女神たち(一説では月の女神セレネとの間の子供とも)
太陽の戦車:ヘリオスの日課
古代ギリシャ人は、毎日東から昇り西に沈む太陽を、ヘリオスが4頭の馬に引かせた黄金の戦車で天空を横断する姿だと考えていました。
『ホメロス讃歌』第31番には、ヘリオスが戦車で天空を駆ける様子が美しく描かれています。ヘリオスは黄金の兜から光り輝く冠をまとい、その姿は人間にも不死なる神々にも等しく光を与えると詠われています。
太陽の馬たち
ヘリオスの戦車を引く馬たちについては、古代の文献によって名前や数が異なります。一般的には4頭とされ、その名前は太陽の属性を表すものばかりです。
- アイトーン(Αἴθων / Aethon):「燃える者」「炎」の意
- ピュロエイス(Πυρόεις / Pyrois):「火のような者」の意
- エオウス(Ἠῶος / Eous):「曙の」「東方の」の意
- プレゴン(Φλέγων / Phlegon):「燃え盛る者」の意
これらの馬たちは翼を持ち、火を吹くとも伝えられています。彼らを御することは至難の業で、熟練の御者であるヘリオス以外には制御できないとされていました。
一日の旅路
ヘリオスの一日は、世界の東の果てにある黄金の宮殿から始まります。毎朝、姉妹のエオスが夜明けの扉を開くと、ヘリオスは戦車に乗り込んで天空への急な登り坂を駆け上がります。
正午には天空の最も高いところを通過し、午後には西に向かって下り始めます。そして夕暮れ時に、世界を取り囲む外洋オケアノスの西端に到達します。
では、夜の間ヘリオスはどうしているのでしょうか?後世の詩人たちによると、ヘリオスは西の果てで沐浴した後、巨大な黄金の杯(または船、寝台とも)に乗り込み、オケアノスの流れに乗って世界の北側を通り、東の宮殿に戻るとされています。こうして翌朝、再び天空への旅を始めるのです。
「万物を見通す目」:ヘリオスの特性
天空から地上を照らすヘリオスは、当然ながら地上で起こるすべてのことを見ることができます。この「万物を見通す目」という特性は、神話の中で非常に重要な役割を果たしました。
誓いの証人として
ヘリオスはすべてを見渡せることから、古代ギリシャでは最も厳粛な誓いの証人として呼び出されました。ヘリオスの名にかけて誓うということは、「この誓いに嘘偽りはない」と宣言することを意味していたのです。
なぜなら、もし誓いを破れば、すべてを見通すヘリオスがその違反を発見し、罰する神々に報告できるからです。
視力の神として
万物を見通す力から派生して、ヘリオスは視力の神としても崇められました。後述しますが、神話の中では盲目になった巨人オリオンの目を癒したというエピソードも伝えられています。
ヘリオスが登場する主要な神話
ヘリオスは数多くの神話に登場しますが、その多くは脇役としての「証人」や「密告者」としての役割です。しかし、いくつかの神話では主要な役割を担っています。
アフロディテとアレスの不倫を密告
ホメロスの『オデュッセイア』第8巻に語られる有名なエピソードです。
美と愛の女神アフロディテは、鍛冶神ヘパイストスの妻でしたが、戦神アレスと密かに逢瀬を重ねていました。しかし、天空を駆けるヘリオスが二人の密会を目撃し、すぐさまヘパイストスに報告したのです。
この知らせを聞いたヘパイストスは、怒りに燃えながらも冷静に復讐を計画しました。彼は目に見えないほど細い、しかし決して壊れない金属の網を作り上げ、自らの寝台に仕掛けました。
そしてヘパイストスがレムノス島へ出かけたと見せかけると、案の定アレスとアフロディテは寝台で逢瀬を楽しもうとしました。その瞬間、網が落下して二人を捕らえ、身動きが取れなくなったのです。
ヘパイストスはオリュンポスの男神たちを呼び寄せ、この醜態をさらし者にしました。神々は笑いながらこの光景を眺め、ヘルメスは「三重の網に縛られても、アフロディテの隣で寝られるなら喜んで」と冗談を言ったほどです。
最終的に海神ポセイドンの仲介で二人は解放されました。アレスは故郷のトラキアへ、アフロディテはキプロスのパポスへ逃げ帰ったといいます。
ペルセポネ誘拐の目撃
冥界神ハデスが豊穣の女神デメテルの娘ペルセポネを誘拐した際、この一部始終を目撃していたのがヘリオスでした。
娘の行方を探し求めて世界中をさまよっていたデメテルに、最終的にペルセポネの居場所を教えたのもヘリオスだったと『ホメロス讃歌』(デメテル讃歌)に記されています。
オリオンの目を癒す
盲目になった巨人の狩人オリオンを癒したという伝承も残っています。
ヘシオドスの『天文学』断片(偽エラトステネス『星座物語』に引用)によると、オリオンはキオス島でオイノピオン王の娘メロペを酔った勢いで辱めたため、怒った王によって目を潰されて追放されました。オリオンはレムノス島で鍛冶神ヘパイストスと出会い、彼の従者ケダリオンを案内役として東へ向かいました。そこでヘリオスと出会い、太陽の光によって視力を取り戻したとされています。
オデュッセウスと聖なる牛
『オデュッセイア』第12巻には、ヘリオスの聖なる牛をめぐる悲劇的なエピソードが描かれています。
トロイア戦争からの帰途、オデュッセウスと部下たちはトリナキア島に漂着しました。この島はヘリオスの聖地で、彼の娘パエトゥサとランペティエが7群350頭の不死の牛を守っていました。
事前に予言者テイレシアスと魔女キルケから「この牛には絶対に手を出すな」と厳しく警告されていたオデュッセウスは、部下たちにも固く禁じていました。
しかし、嵐のために一ヶ月も足止めされ、食料が底をついたとき、部下のエウリュロコスが皆を説得しました。「飢え死にするくらいなら、神々の怒りを買って死ぬ方がましだ」と。オデュッセウスが祈りに出かけている間に、部下たちは牛を屠って食べてしまったのです。
娘のランペティエからこの報告を受けたヘリオスは激怒しました。彼はゼウスに訴え、もし罪人たちに罰を与えないなら、冥界に行って死者のために太陽を輝かせる(つまり地上には二度と昇らない)と脅しました。
ゼウスはヘリオスの怒りを宥め、罰を約束しました。オデュッセウスたちが島を離れて出航した直後、ゼウスは嵐を起こし、船に雷を落としました。オデュッセウスただ一人を除いて、すべての部下が命を落としたのです。
パエトーンの悲劇
ヘリオスにまつわる神話の中で最も有名なのが、息子パエトーンの悲劇でしょう。この物語は紀元後1世紀のローマ詩人オウィディウスの『変身物語』第2巻に最も詳しく描かれています。
パエトーンはヘリオスとニンフのクリュメネの息子でした。しかし、母と継父メロプスのもとで育ったパエトーンは、自分が本当に太陽神の息子なのか疑いを持っていました。友人のエパポス(ゼウスとイオの息子)から「お前が太陽神の息子だなんて嘘だろう」とからかわれたことが、彼の運命を決定づけました。
真実を確かめるため、パエトーンは世界の東の果てにあるヘリオスの宮殿を訪れました。父は喜んで息子を迎え入れ、パエトーンの願いをなんでも叶えると、ステュクスの河の名にかけて誓いました。神々がステュクスの名で誓うと、その誓いは絶対に破れないものとなります。
パエトーンが願ったのは、一日だけ太陽の戦車を御させてほしいということでした。
ヘリオスは顔色を変えました。オウィディウスの描写によれば、ヘリオスは息子を必死に説得しようとしました。「この戦車を御せるのは私だけだ。神々の王ゼウスでさえ御すことはできない」「天空の道は険しく、恐ろしい獣(星座)が待ち構えている」「願いを撤回してくれ」──しかし、パエトーンは聞き入れませんでした。
誓いを破れないヘリオスは、泣く泣く手綱を息子に渡しました。
戦車が天空に昇ると、馬たちはすぐに異変を感じ取りました。御者が軽すぎる──経験の浅い若者だと見抜いたのです。馬たちは制御を離れ、暴走を始めました。
戦車は天空の定められた軌道を外れました。高く昇りすぎれば天空を焦がし、低く降りれば地上を焼いてしまいます。アフリカの大地は焼け焦げて砂漠となり、川は干上がり、山々は炎に包まれました。
この大惨事を見たゼウスは、やむを得ず雷霆を放ちました。パエトーンは戦車から投げ出され、燃えながら地上へ落下していきました。彼の体はエリダノス川(現在のポー川とされる)に落ち、川の精霊たちがその遺体を葬ったといいます。
パエトーンの姉妹たち(ヘリアデス)は、弟の死を嘆いてエリダノス川のほとりで泣き続けました。何ヶ月も泣き続けた彼女たちは、やがてポプラの木に姿を変えてしまいました。そして彼女たちの涙は、琥珀(エレクトロン)となって今も流れ続けているのだと伝えられています。
なお、この神話はパエトーンの「傲慢(ヒュブリス)」と「自分の限界を知らないことの危険」を戒める物語として解釈されてきました。
ヘリオスとアポロン:二人の「太陽神」
ギリシャ神話には、ヘリオスとは別にアポロンという有名な神がいます。現代では「アポロン=太陽神」というイメージが広く浸透していますが、実はこれは後世の混同によるものです。
本来のアポロン
本来、アポロンは太陽神ではありませんでした。ホメロスの『イリアス』(紀元前8世紀頃)の時代には、アポロンは弓の神、予言の神、音楽の神、疫病の神(そしてその治癒者)として描かれています。「ポイボス・アポロン(輝くアポロン)」という呼び名がありますが、これは彼の「光明神」としての側面を表すもので、物理的な太陽を指すものではありませんでした。
同一視の始まり
紀元前5世紀頃から、アポロンとヘリオスを同一視する傾向が現れ始めました。その理由としては、アポロンの「光」や「輝き」という性質が、太陽の光と結びつけられやすかったことが挙げられます。
紀元前4世紀頃になると、この同一視はさらに進み、ヘレニズム時代(アレクサンドロス大王以降)にはほぼ完全にアポロンとヘリオスが混同されるようになりました。ローマ時代には、アポロン/ヘリオスはローマの太陽神ソルとも習合し、「ソル・アポロ」として崇拝されました。
このため、後世の美術や文学では、太陽の戦車を駆る神がアポロンとして描かれることが多くなりました。有名な例として、アメリカの「アポロ計画」の名称は、太陽の戦車で天空を駆け巡る姿に由来していますが、古典文献においてこの姿は本来ヘリオスのものでした。
原典における区別
ただし、オウィディウスの『変身物語』のようなローマ時代の文献でも、パエトーンの父は「ヒュペリオンの息子」として描かれており、アポロンとは明確に区別されています。両者の完全な同一視は、主に古典古代以降の解釈によるものといえます。
ロードス島:ヘリオス崇拝の中心地
古代ギリシャにおいて、ヘリオスは広く崇拝される神ではありませんでした。プラトンの『饗宴』などに記されているように、ソクラテスを含む多くのギリシャ人は毎日太陽に挨拶と祈りを捧げていましたが、これは特定の神殿や祭儀を伴う組織的な崇拝とは異なるものでした。
しかし、例外的にヘリオスが主神として崇められた場所があります。それがエーゲ海南東に浮かぶロードス島です。
ロードス島とヘリオスの伝説
ピンダロスの『オリュンピア祝勝歌』第7番(紀元前5世紀)に、ロードス島がヘリオスの領土となった経緯が語られています。
神々が世界を分け合ったとき、ヘリオスは天空を駆けていたため、分配の場にいませんでした。そのため、彼には土地が与えられませんでした。ヘリオスがゼウスに訴えると、ゼウスは分配をやり直そうと申し出ました。
しかしヘリオスは断りました。彼は海の深みから新しい島が浮かび上がってくるのを見ていたからです。豊かで、人々と家畜にとって良い土地となるであろうその島──ヘリオスはこの島を自分のものにしたいと願い出ました。ゼウスはこれを認め、運命の女神ラケシスが手を挙げてこの誓いを確認しました。
こうしてロードス島はヘリオスの聖地となり、島の名前はヘリオスとニンフの間に生まれた娘ロデ(ロドス)に由来するとされています。
ロードス島の巨像(コロッソス)
ロードス島におけるヘリオス崇拝を象徴する最も有名な存在が、世界七不思議の一つに数えられる「ロードス島の巨像」です。
紀元前305年、マケドニアのデメトリオス1世(攻城王デメトリオス)がロードス島を包囲しました。しかし、一年に及ぶ攻囲戦の末、デメトリオスは撤退を余儀なくされました。ロードスの人々はこの勝利を記念し、守護神ヘリオスの巨像を建造することを決めました。
デメトリオスが残していった攻城兵器を売却して得た資金(300タラントとされる)を元手に、リンドス出身の彫刻家カレスが建造を指揮しました。カレスの師匠は、タレントゥムで22メートルのゼウス像を造ったリュシッポスでした。
建造は紀元前292年頃に始まり、約12年の歳月をかけて紀元前280年頃に完成しました。
巨像の高さは約30〜33メートル(70キュビトとも記録される)で、青銅板を鉄の骨組みに固定し、内部を石材で充填する構造でした。像は15メートルの白い大理石の台座の上に立っていたとされています。
なお、港の入り口をまたいで立っていたという有名なイメージは、中世以降に広まった伝説で、実際の像の姿とは異なると考えられています。近年の研究では、ヘリオスが片手を額にかざして目を覆う(太陽から目を守るような)ポーズだった可能性が指摘されています。
巨像の倒壊とその後
しかし、この壮大な像は長くは立っていませんでした。紀元前226年または225年頃、ロードス島を襲った大地震によって、巨像は膝の部分で折れて倒壊しました。
エジプトのプトレマイオス3世が再建費用を申し出ましたが、ロードスの人々はこれを断りました。デルポイの神託が「ヘリオスを怒らせた」と警告したためです。
倒れた像はそのまま800年以上もの間、港の近くに横たわっていました。ローマの博物学者プリニウス(紀元後1世紀)は、倒れた像を見て「親指を両腕で抱えきれる人はほとんどおらず、指は大半の彫像より大きい」と記録しています。
紀元後654年、アラブ軍がロードス島を占領した際、像の残骸は解体されて売却されたと伝えられています。年代記作者テオファネスによれば、その青銅は900頭のラクダで運ばれたとされています(ただし、この記録の正確性には議論があります)。
巨像の遺産
ロードス島の巨像は、19世紀末にフランスの彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディがニューヨークの自由の女神像を設計する際に、インスピレーションを与えたともいわれています。
また、元素番号2のヘリウム(Helium)は、1868年の皆既日食の分光観測で発見された元素で、その名前はヘリオスに由来しています。こちらは現代における「ヘリオス」の名の遺産といえるでしょう。
ヘリオスの象徴と表現
古代の美術品や文献において、ヘリオスは以下のような特徴で表現されました。
外見
- 光り輝く光輪(後光)をまとった若く美しい男性
- 金色の髪と金色の瞳
- 紫色の衣をまとうこともある
- 頭には光線を放つ冠(光冠)
象徴・持物
- 4頭立ての黄金の戦車:最も有名な象徴
- 鞭:馬を御するため
- 光輪(ニンブス):頭部を取り囲む光の輪
聖獣・供物
- 聖鳥:雄鶏(朝を告げる鳥として)
- 供物:白い馬、白い羊、牛、猪、蜂蜜
なお、「ヘリオス」という言葉自体が「太陽」を意味するため、太陽をモチーフにしたあらゆる図像がヘリオスと結びつけられることがあります。
まとめ
ヘリオスは、古代ギリシャ人にとって毎日目にする太陽そのものであり、世界の秩序を司る神でした。
彼の神話は、単なる自然現象の説明にとどまらず、誓いを守ることの重要性(聖なる牛の神話)、傲慢の戒め(パエトーンの悲劇)、不義への報い(アフロディテとアレス)といった道徳的教訓を伝えるものでもありました。
後世にアポロンと混同されたことで、独自の存在感は薄れてしまった面もありますが、原典に立ち返れば、ヘリオスは光と真実、誓いの守護者として、独自の重要な役割を担っていた神だったことがわかります。
ロードス島の巨像は失われましたが、毎朝昇る太陽を見るとき、古代ギリシャ人がその光に神の姿を見ていたことを思い出してみてください。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
一次資料(原典)
- ヘシオドス『神統記』(Theogony) – ヘリオスの系譜に関する最古の記述。Perseus Digital Libraryで英訳テキスト参照可能
- ホメロス『オデュッセイア』(Odyssey) – 第8巻にアフロディテとアレスの逸話、第12巻にヘリオスの聖なる牛の神話。Poetry in Translationで英訳参照可能
- 『ホメロス讃歌』第31番(Homeric Hymn to Helios) – ヘリオスの姿と日課を詠んだ讃歌
- オウィディウス『変身物語』(Metamorphoses)第1-2巻 – パエトーンの神話の最も詳細な記述。Ovid Collection, Univ. of Virginiaで英訳参照可能
- ピンダロス『オリュンピア祝勝歌』第7番 – ロードス島とヘリオスの伝説
学術資料・参考文献
- Theoi Greek Mythology – Helios – 古典文献の引用を多数収録したギリシャ神話データベース
- World History Encyclopedia – Helios – 学術的な概説
- World History Encyclopedia – Colossus of Rhodes – ロードス島の巨像についての詳細
- Britannica – Colossus of Rhodes – 百科事典による解説
- National Geographic – Rise of the Colossus – ロードス島の巨像の歴史
二次資料(参考)
- Wikipedia「ヘーリオス」 – 基本情報の確認
- Wikipedia “Helios”(英語版) – より詳細な情報
- Wikipedia “Phaethon” – パエトーン神話の詳細
- Wikipedia “Cattle of Helios” – 聖なる牛の神話
※この記事は神話・伝承を解説するものであり、歴史的事実として断定するものではありません。古代の文献には複数の異説が存在し、記述が矛盾する場合もあります。


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