台湾で毎年のように報告される、山での不可解な失踪事件。行方不明になった人は数日後に遠く離れた場所で発見され、その間の記憶はほとんどない。口の中にはなぜか泥や虫、草の葉が詰まっている――。
台湾の人々はこうした現象を、ある存在の仕業だと考えてきました。その名は「魔神仔(モシナ)」。台湾全土で広く知られ、現代でも恐れられている山の精怪です。
この記事では、モシナの伝承の全貌、古典文献との関係、学術的な研究成果、そして現代の映画文化への影響まで、多角的に解説していきます。
モシナ(魔神仔)の基本情報
モシナは、台湾の民間伝説に登場する精怪(妖怪のような存在)です。台湾語(台湾閩南語)では「Mô͘-sîn-á(モォシィナァ)」と発音し、漢字では「魔神仔」と表記します。
まず押さえておきたいのは、モシナは「幽霊(鬼)」とは別の存在だということ。中央研究院民族学研究所の林美容教授は、著書の中でモシナと鬼を明確に区別しています。鬼が「人の死後に生まれる霊魂」であるのに対し、モシナは自然界に棲む精怪、いわゆる「山精水怪」に分類されるんです。
ただし、地域や時代によってはモシナと幽霊を混同する場合もあり、伝承には幅があります。
モシナの名前のバリエーション
「魔神仔」以外にも、地域や時代によってさまざまな名前で呼ばれてきました。
- 芒神仔(ボウシンナァ):ススキ(芒草)の茂みに出没することからこう呼ばれるという説があります。また、古代の迎春祭祀「句芒」の儀式が変化したものという説も存在します。
- 毛神仔(モウシンナァ):体毛に覆われた姿に由来するとされています。
- 摸神(ボシン)、魍神(モウシン)、魅神、無神、墓神など
これだけ多くの表記が存在すること自体が、モシナの伝承が台湾全土に広く浸透していることの証拠といえるでしょう。
モシナの外見と特徴
モシナの外見は、証言者によってかなりバラつきがあります。ただし、複数の証言や伝承から共通する特徴を抽出すると、おおよそ次のような姿が浮かび上がってきます。
体格と容姿
- 小柄な体格:子供くらいの身長(100cm前後)で、矮小な姿をしていると描写されることが多い
- 猿に似た顔:顔色が悪く、青みがかった灰色の肌をしている
- 体毛が濃い:深い色の体毛に覆われており、頭頂部には長い毛髪がある(ただし坊主頭だったという記述もあり)
- 二足歩行:人間のように直立して歩く
「赤」との結びつき
興味深いことに、モシナに関する目撃談や伝承では「赤」がキーワードとして頻繁に登場します。赤い帽子をかぶっている、赤い服を着ている、赤い髪をしている、目が赤いなど、姿はさまざまでも「赤」が含まれる点は共通しています。
日本統治時代の資料にも「赤い帽子を被つた幼児の亡魂」という記述が見られ、赤との結びつきは古くからあったようです。
変幻自在な姿
モシナの厄介なところは、姿を変える能力を持つとされている点です。子供の姿をとることもあれば、老婆や中年女性、あるいは登山者の姿に化けることもあります。
台湾語で「幻化(ホァンホア)」と呼ばれるこの能力のため、モシナに遭遇した人は最初それが異常な存在だと気づかないケースが多いとされています。
モシナは人間に何をするのか
モシナの行動パターンには、伝承を通じて驚くほど一貫した特徴が見られます。
人を「牽く(つれていく)」
台湾語では「牽去(カンキ)」あるいは「摸去(ボキ)」と表現されますが、モシナの最も代表的な行動は、人間を山奥や洞窟などの遠隔地に連れ去ることです。
被害に遭いやすいのは老人や子供だとされています。連れ去られた人は、本来の体力ではとうてい移動できないような遠い場所で発見されることがあり、まさに「神隠し」としか言いようのない状況になるわけです。
記憶の喪失
モシナに連れ去られた人は、ほぼ例外なく失踪期間中の記憶を失っています。発見時には意識が朦朧としており、なぜ自分がその場所にいるのか分からない状態であることがほとんどです。
「ごちそう」を食べさせる
これはモシナ伝承の中でもとりわけ奇妙な要素です。発見された人の口の中には、泥、ミミズ、昆蟲、木の葉、牛の糞などが詰まっていることがあります。本人は「親切な誰かにおいしい食事をごちそうされた」と思い込んでいて、モシナに騙されてそうした物を食べさせられたと解釈されています。
台湾語で「鶏のモモ肉だと思って食べたら、バッタの脚だった」という言い回しがあるほど、このエピソードは広く知られています。
その他の行動
- 同じ場所をぐるぐる回らせる:いわゆる「鬼打牆(きだしょう)」と呼ばれる現象。通行人が前に進めなくなり、同じ場所に閉じ込められてしまう
- 木の上に吊るす:高い木の枝に人を乗せてしまうケースもある
- 衣服を要求する:モシナが人に衣服を求めるという伝承もあり、着ているものを渡すと解放されたという証言も存在する
古典文献に見るモシナの起源
モシナの起源を辿ると、中国大陸の古典文献にまで遡ることができます。
『山海経』と『抱朴子』
秦の時代に編纂されたとされる『山海経』や、東晋の道士・葛洪が著した『抱朴子』には、モシナと特徴が類似する山の妖怪が記されています。
特に重要なのが「山魈(さんしょう)」という精怪です。『抱朴子』によれば、山魈は一本足で、子供くらいの体型をしており、夜に人をからかうことを好むとされています。この特徴はモシナと多くの点で一致しています。
閩南地方からの伝承
台湾のモシナ伝承は、中国南方の閩南地方(福建省)から移民とともに持ち込まれたと考えられています。閩南地方にも「迷魂仔」「無神阿鬼」などと呼ばれる類似の精怪伝承が存在し、人を山中に迷い込ませるという基本的な性質はモシナと共通しています。
ただし、閩南と台湾のモシナ伝承には細かな違いもあります。福建では魔神仔に性別があり、オスに遭うと破産し、メスに遭うと財を得るとされているのに対し、台湾では外見的な矮小さが強調され、性別にはあまり言及されません。
台湾での文字記録
台湾における魔神仔の最も古い文字記録は、日本統治時代の1899年に遡ります。『台湾日日新報』に、人が失踪した後に帰宅したが精神状態や衣服が異常だったという記事が掲載され、「果たして世に言う魔神か?」と記されています。当時すでに「世に言う」と表現されていたことから、19世紀末の時点でモシナの伝説はかなり広く流布していたことが分かります。
2000年代以降はインターネットやテレビの普及により、モシナに関する報道が爆発的に増加しました。
台湾原住民との接点
モシナの伝承は漢民族だけのものではありません。台湾原住民(先住民族)にも、驚くほど類似した精怪の伝承が存在します。
小矮人(黒い小人)の伝説
賽夏族(サイシャット族)、泰雅族(タイヤル族)、布農族(ブヌン族)、鄒族(ツォウ族)、邵族(サオ族)、排灣族(パイワン族)など、多くの原住民族が「小矮人」あるいは「黒い小人」と呼ばれる存在の伝説を持っています。
小矮人は身長が約60~90cmで、肌の色が黒く、身のこなしが敏捷で、草むらに潜み、巫術(呪術)で人をからかうとされています。
サイシャット族のパスタアイ(矮霊祭)
特に興味深いのが、サイシャット族が2年に一度開催する「パスタアイ(矮霊祭)」です。これは小矮人(矮霊)を鎮めるための祭祀で、サイシャット族と小矮人の間に起きた悲劇的な出来事の記憶を伝えるものとされています。
モシナと原住民の小矮人伝承の関連性は、複数の研究者によって指摘されています。漢民族が持ち込んだ山魈の伝承と、原住民が古くから持っていた小矮人の伝説が、台湾という土地の中で融合・混交し、現在のモシナ像を形作ったと考えられているのです。
ケタガラン族とサンシャオ
台北近郊の陽明山周辺に居住していたケタガラン族の間では、「サンシャオ」という災いをもたらす妖怪の存在が古くから信じられてきました。サンシャオの特徴はモシナと一致する点が多く、同一の存在だとする見方もあります。
現代の「モシナ事件」
驚くべきことに、モシナに関連する失踪事件は現代でも報告されています。以下に、報道された代表的な事例をいくつか紹介します。
1972年:奇莱山の大学生失踪事件
花蓮県の奇莱主山で大学生3人が行方不明になった事件です。大規模な捜索活動にもかかわらず、3人は発見されず、遺体も見つかりませんでした。ただし、3人のものと思われる3組の箸が地面に突き刺さっている状態で捜索隊に発見されたとされ、この不可解な状況がモシナの仕業として語り継がれています。
2008年:恆春の老婦人事件
屏東県恆春鎮で、台風の後にキノコ採りに出かけた83歳の女性が失踪し、5日後に数キロ離れた場所で発見されました。女性は「背の高い赤い髪の女性に衣服を求められ、対峙した」と語ったとされています。
2013年:日本人観光客の事件
台湾観光に訪れた78歳の日本人男性が、新北市の金瓜石黄金博物館付近で行方不明になりました。4日後に約15km離れた場所で発見されましたが、失踪期間中の記憶は全くなかったとされ、現地では「モシナに連れ去られたのでは」と話題になりました。
科学的な見方
こうした事件に対して、医学的には高齢者の認知症や脱水症状による幻覚、精神錯乱状態などが原因として考えられています。特に高齢者や子供が被害に遭いやすい点は、体力や判断力の低下と整合します。
ただし、台湾の人々にとってモシナは単なる迷信ではなく、山で失踪した人を捜索する際に鍋を叩いて大きな音を出す(モシナは臆病なので大きな音で逃げるとされる)、失踪者の名前を大声で叫ぶなど、実際の捜索活動にも影響を与えている文化的な存在です。
学術研究:林美容教授の人類学的アプローチ
モシナ研究において最も重要な学術的成果を挙げたのが、中央研究院民族学研究所の兼任研究員であり、慈済大学教授でもある林美容氏です。
『魔神仔的人類學想像』
林美容教授は李家愷氏と共著で、2014年に『魔神仔的人類學想像』(五南図書出版)を刊行しました。約5年間にわたる田野調査(フィールドワーク)を通じて207のモシナに関する伝説・物語を収集し、さらにモシナに実際に遭遇したとされる当事者11名へのインタビューも行っています。
「集合的無意識」としてのモシナ
林美容教授の研究で特に注目すべきは、モシナの物語に含まれる「母題(モチーフ)」を分析した結果、人類の太古の叢林(ジャングル)生活の記憶と深く結びついているという指摘です。
具体的には、次のような解釈が示されています。
- モシナが人を洞窟や樹上に連れて行く → 初期人類が洞窟や樹上で暮らしていた記憶
- モシナが生の虫や草を食べさせる → 人類が「生食」から「熟食(火を使った調理)」へ移行した記憶
- モシナが衣服を要求する → 人類が羞恥心を獲得した文明化の過程の記憶
- 失踪者の名前を叫ぶと帰ってくる → 言語を持ち、名前を持ち、社会を形成した人類の文明化の記憶
つまりモシナの伝承は、民族や地域を超えた人類共通の集合的無意識の表れだという解釈です。
モシナと鬼の違い
林美容教授はまた、台湾の民間信仰における超自然的存在の体系化にも取り組みました。「台灣鬼仔關係譜(台湾の鬼の関係図)」を作成し、モシナと鬼を以下のように区別しています。
- モシナ:山精水怪。自然界に棲み、人をからかう存在。出自は人間の死とは無関係
- 鬼(グイ):人が死んで生じる霊魂。祭祀の有無や死に方によって、公媽(先祖霊)、陰神、孤魂野鬼などに分類される
この区別は一般の人々の間では曖昧になりがちで、モシナと幽霊を混同するケースも多いと指摘されています。
紅衣小女孩:モシナが社会現象になった瞬間
モシナを台湾全土で知らない人がいないほどの存在にした出来事があります。それが1998年の「紅衣小女孩(紅い服の少女)」事件です。
事件の概要
1998年3月頃、台中郊外の山中でハイキングを楽しむ一家が撮影したビデオ映像が、台湾の人気心霊番組『神出鬼没』に投稿されました。映像には家族のメンバーでない、赤い民族服を着た少女のような存在が映り込んでいたのです。
その少女は身長140cmほどで、老婆のような顔をしており、肌が青みがかった灰色で、眼球が紺色一色に覆われていたとされています。そしてこの映像が放送された後、一家に不幸な出来事が相次いだと伝えられました。
この「紅い服の少女」の正体こそモシナではないかという解釈が一定の支持を得て、台湾中で大きな話題となりました。
映画『紅衣小女孩(The Tag-Along)』
この事件を基に、2015年に台湾ホラー映画『紅衣小女孩(邦題:紅い服の少女 第一章 神隠し)』が制作されました。監督はチェン・ウェイハオ、脚本はジェン・シーゲンです。
作品は大ヒットし、続編『紅衣小女孩2(紅い服の少女 第二章 真実)』は2017年の台湾映画年間興行成績第1位を記録しました。日本でも2022年に劇場公開されています。
映画では、モシナは「伐採された木々の数だけ人をさらって山に植える」存在として描かれ、台湾の急速な近代化・都市化によって居場所を失った伝統的な存在が引き起こす恐怖として物語が構成されています。
世界の類似伝承との比較
モシナのような「人を山中に迷い込ませる精怪」の伝承は、実は世界各地に存在します。
日本の「神隠し」
日本でもっとも近い概念は「神隠し」です。天狗や山姥、狐などが人間を連れ去るという伝承は日本各地にあり、モシナの行動パターンとよく似ています。特に天狗は山中に棲み、人を惑わせるという点で共通点が多いです。
中国南方の山魈
前述のとおり、中国南方には古くから山魈の伝承があり、これがモシナの直接的な祖先にあたると考えられています。
フィリピンのディワタ
フィリピンの原住民族にも、山や水辺を守護する自然精霊「ディワタ」の伝承があります。ディワタは特定の時間帯に人に害をなすとされ、モシナとの類似性が指摘されています。
ブラジルのクルピラ
南米ブラジルには「クルピラ」という森の精霊の伝承があります。小柄で赤い髪を持ち、森を荒らす者を迷わせるという特徴があり、モシナとの驚くべき類似が見られます。足が前後逆に付いていて足跡で追跡できないという独自の特徴もあります。
こうした世界各地の類似伝承の存在は、人間が自然の中で感じる畏怖や未知への恐れが、文化を超えた普遍的なものであることを示唆しています。
現代のモシナ文化
近年、台湾では「妖怪ブーム」の中で、モシナが文化コンテンツとして再び注目を集めています。
書籍
- 『魔神仔的人類學想像』(林美容・李家愷著、五南図書出版、2014年):モシナの学術的研究の集大成
- 『妖怪台灣(Yaoguai Taiwan)』(何敬堯著):台湾の超自然的存在229件を収録した大著。1624年から1945年までの歴史文献から収集
- 『臺灣妖怪研究室報告』:台湾の妖怪を生物学的観点からユーモラスに図鑑化した書籍
- 『[図説] 台湾の妖怪伝説』(何敬堯著、日本語版あり):京極夏彦氏推薦の妖怪図鑑
映画・アニメ
- 『紅衣小女孩』シリーズ(2015年・2017年):モシナを題材にした台湾ホラー映画の金字塔
- 『魔神仔(Spirit)』(2013年):景文科技大学の卒業制作アニメーション
漫画
- 『芒神』(奕辰作、台湾角川出版):モシナを題材にした台湾漫画
台湾の研究者の間では、日本で河童が恐怖の対象からキャラクター化され、文化コンテンツとして発展したように、モシナも台湾独自の文化資産として活用すべきだという声が上がっています。
まとめ
モシナ(魔神仔)は、単なる「怖い妖怪」にとどまらない、非常に奥深い存在です。
中国大陸の古典文献に遡る山魈の伝承、台湾原住民の小矮人伝説、閩南からの移民が持ち込んだ民間信仰――こうした複数の文化的水脈が合流して、現在の台湾におけるモシナの姿が形作られてきました。
人類学者の林美容教授が指摘するように、モシナの物語には人類共通の太古の記憶が投影されているという見方もあります。自然と共に暮らしていた時代の記憶が、文明化が進む現代社会において「モシナ」という形で立ち現れるのだとすれば、モシナ事件が現代でも起き続けていることには深い意味があるのかもしれません。
台湾を訪れる機会があれば、山々を眺めながら、この島に棲む小さな精怪の存在に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。ただし、山中で見知らぬ人物に「おいしい食事」を勧められたら、丁重にお断りすることをおすすめします。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
学術資料・研究機関
- 中央研究院「魔神仔、鬼故事,看見人們的悲歡離合」 – 林美容教授の研究紹介(中央研究院 研之有物)
- BIOS monthly「魔神仔人類學」 – 林美容教授インタビュー
- 台灣文學虛擬博物館 Chronicle of Taiwanese Paranormal Literature – 台湾の怪異文学年表
百科事典・辞典
- Wikipedia(中国語版)「魔神仔」 – 魔神仔の包括的な解説
- Wikipedia(英語版)「Mo-sin-a」 – 英語圏向けの基本情報
- pixiv百科事典「魔神仔」 – 日本語での解説
新聞・メディア記事
- The News Lens Japan「台湾の妖怪ブーム」 – 台湾の妖怪ブームにおけるモシナの変遷
- 香港01「誘人在深山失蹤的鬼怪」 – モシナ伝説と山林恐怖の文化的背景
- webムー「台湾妖怪 魔神仔の正体を民俗学の視点で探る」 – モシナの民俗学的考察
- webムー「紅い服の少女は妖怪・魔神仔か?」 – 紅衣小女孩事件の詳細な解説
- 環境資訊中心「撞見魔神仔、小矮人?」 – モシナと自然精霊の比較
- 城市學「新北平溪 魔神仔の真面目?」 – 平溪の魔神仔伝説と観光への活用
- Island Folklore「In the Shadows」 – 英語による台湾の魔神仔伝承の紹介
書籍
- 『魔神仔的人類學想像』林美容・李家愷著、五南図書出版、2014年(博客來で詳細確認可能)
- 『臺灣鬼仔古』林美容著、月熊出版
- 『妖怪台灣』何敬堯著
- 『[図説] 台湾の妖怪伝説』何敬堯著、甄易言画
映画
- 『紅衣小女孩(紅い服の少女 第一章 神隠し)』2015年、監督:チェン・ウェイハオ
- 『紅衣小女孩2(紅い服の少女 第二章 真実)』2017年、監督:チェン・ウェイハオ


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