「日本人ってなんで強いリーダーが生まれにくいんだろう?」
そんな素朴な疑問に、神話の構造から答えを出そうとした人がいます。
それが、臨床心理学者の河合隼雄です。
彼が提唱した「中空構造」という概念は、日本人の心の深層を理解する上で、とても興味深い視点を与えてくれます。
今回は、この「中空構造」について、古事記の具体例を交えながら、分かりやすく解説していきます。
中空構造とは何か?河合隼雄が見つけた日本神話の特徴
「中空構造」とは、日本の臨床心理学者・河合隼雄が1982年に発表した著書『中空構造日本の深層』で提唱した概念です。
簡単に言うと、「中心が空っぽ」という構造のこと。
ドーナツの真ん中に穴が空いているように、日本の神話や文化には、中心に何もない、または中心にいる存在が何もしないという特徴があるというんです。
河合隼雄は、スイスのユング研究所で学んだユング派の心理学者でした。
ヨーロッパで心理療法を学んで日本に帰ってきたとき、西洋の心理学をそのまま日本人に当てはめても、どうもしっくりこない。
日本人の心の在り方が、西洋人とは根本的に違うのではないか?
そんな疑問から、河合は日本神話の研究に入り込んでいきました。
そして、『古事記』の構造を分析する中で、この「中空構造」という特徴を見出したんです。
古事記に見る中空構造の具体例
では、実際に『古事記』のどこに中空構造が見られるのか、具体例を見ていきましょう。
例1:造化三神(ぞうかさんしん)
『古事記』の冒頭に登場する、最初の三柱の神々です。
- タカミムスビ
- アメノミナカヌシ
- カミムスヒ
この三柱の神のうち、真ん中に位置するアメノミナカヌシは、名前に「ミナカ(御中)」つまり「中心」という意味が入っているにもかかわらず、『古事記』の中でほとんど何もしません。
登場するだけで、その後の物語には関わってこないんです。
例2:三貴神(さんきしん)
イザナギが生んだ、最も貴い三柱の神々です。
- アマテラス(太陽の神)
- ツクヨミ(月の神)
- スサノオ(嵐の神)
アマテラスとスサノオは、『古事記』の中で大活躍します。
特にアマテラスは高天原(たかまがはら)を治める最高神として、スサノオは乱暴者として有名ですよね。
でも、真ん中に生まれたツクヨミは?
実は、『古事記』の中でほとんど活躍の場面がないんです。
例3:海幸彦と山幸彦の三兄弟
天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた三兄弟です。
- ホデリノミコト(火照命)=海幸彦
- ホスセリノミコト(火須勢理命)
- ホオリノミコト(火遠命)=山幸彦
「海幸彦と山幸彦」の物語は有名ですよね。
兄の海幸彦が弟の山幸彦に釣り針を借りたら無くしてしまい、それがきっかけで山幸彦が海の宮殿へ行く、というあのお話です。
でも、真ん中の兄弟ホスセリについては、『古事記』の中でほとんど語られていません。
中心が「無為」であることの意味
河合隼雄は、こうした三神の組み合わせが『古事記』の中で繰り返し登場し、そのたびに中心の神が「無為」であることに注目しました。
これを単なる偶然ではなく、日本神話の構造そのものの特徴だと考えたんです。
つまり、日本の神話は「中心は空である」「中心は無である」という構造を持っているということ。
これが「中空構造」です。
では、なぜ中心が空なのか?
河合は、これが日本人の心理構造のプロトタイプ(原型)になっていると考えました。
中心が空であるということは、何か一つの絶対的な原理が中心を占めることがない、ということです。
西洋のように「絶対的な神」が中心にいて、善と悪が対立し、善が悪を完全に打ち負かす、というような構造にはならないんです。
中空巡回形式:対立するものがバランスを保つ
河合隼雄は、中空構造に加えて「中空巡回形式」という概念も提唱しています。
これは、対立するもの同士が中心を占めようとせず、中空の周りをぐるぐると巡回するように、バランスを保つという構造です。
例えば、アマテラスとスサノオ。
二柱は対立していますが、どちらか一方が完全に中心を占めることはありません。
『古事記』では、最初にスサノオがアマテラスに誓約(うけい)で勝ちます。
でも、その後スサノオは乱暴を働いて高天原を追放されます。
ところが、追放されたスサノオは出雲の国で大活躍するんです。
つまり、どちらか一方が完全に勝つのではなく、優位と劣位が入れ替わりながら、全体としてバランスが保たれている。
これが「中空巡回形式」です。
西洋型の「中心統合構造」との違い
河合隼雄は、この日本型の「中空構造」を、西洋型の「中心統合構造」と対比させています。
西洋の神話や宗教、特にユダヤ教やキリスト教では、絶対的な神が中心にいます。
神は絶対的な善であり、悪魔(サタン)は絶対的な悪です。
そして、最終的には善が悪に勝利するという物語になっています。
これが「中心統合構造」。
強い中心があって、そこに向かって全てが統合されていく構造です。
一方、日本の神話には、そのような絶対的な善や悪はありません。
アマテラスとスサノオは対立していますが、スサノオが完全な悪というわけではない。
むしろ、スサノオは出雲で英雄的な活躍をします。
中心が空であるからこそ、対立するものが共存できる。
これが日本型の「中空構造」の特徴なんです。
中空構造が日本文化に与えた影響
河合隼雄は、この中空構造が日本神話だけでなく、日本文化全体に影響を与えていると指摘しています。
神社の構造
日本の神社は、中心に行けば行くほど、何もなくなっていきます。
本殿の奥には御神体がありますが、それは鏡だったり、石だったり、あるいは何も置かれていなかったり。
つまり、神社そのものが「中空構造」になっているんです。
日本社会のリーダーシップ
中心が空であるということは、強力なリーダーが不在である、ということでもあります。
日本社会では、トップに立つ人が絶対的な権力を持つのではなく、周囲がバランスを取りながら物事を進めていくことが多いですよね。
これも、中空構造の影響だと考えられます。
判官びいき
日本人は、勝者よりも敗者に同情する傾向があります。
源義経、真田幸村、新選組など、最終的には敗れた人物に人気が集まるのは、日本人特有の感覚ですよね。
これも、「どちらか一方が完全に勝つことを良しとしない」中空巡回形式の心理が関係していると言えそうです。
中空構造のメリットとデメリット
河合隼雄は、中空構造には良い面と悪い面があると指摘しています。
メリット:対立するものの共存
中心が空であることで、対立するものや矛盾するものを排除せず、共存させることができます。
これは、多様性を受け入れる柔軟な社会を作る上で、大きな長所です。
日本が海外から様々な文化を取り入れながら、独自の文化を作り上げてきたのも、この中空構造のおかげかもしれません。
デメリット:中心が弱いと全体が弱くなる
一方で、中空構造には弱点もあります。
中心が空であることが、本当に「空っぽ」になってしまうと、全体のシステムが極めて弱くなってしまうんです。
強いリーダーシップが必要な場面で、誰も決断できない「無責任体制」に陥る危険性があります。
これは、日本社会が抱える問題の一つでもありますよね。
河合隼雄は、日本が自身の中空構造に気づかず、無理に西洋型の父性原理(強い中心)を持ち込もうとすることに警鐘を鳴らしました。
日本には日本の構造があり、それを理解した上で社会を作っていく必要があるというわけです。
ロラン・バルトも指摘していた「東京の中心」
実は、河合隼雄より前に、フランスの思想家ロラン・バルトも、日本の中空性について言及しています。
バルトは1970年に発表した『表徴の帝国』という著書の中で、東京のど真ん中に皇居があることに注目しました。
東京の中心には天皇が住む皇居があるけれど、そこは立ち入り禁止で、一般の人は入れない。
つまり、東京の中心は「穿たれている」「空っぽである」と指摘したんです。
河合隼雄は、バルトに触発されたわけではないと述べていますが、日本文化の中空性という点では、似たような視点を持っていたことになります。
まとめ:日本人の心の深層を理解する鍵
「中空構造」という概念は、日本神話の構造分析から生まれたものですが、それは単なる神話研究にとどまりません。
日本人の心の在り方、社会の構造、文化の特徴を理解する上で、とても重要な視点を与えてくれます。
中心が空であること。
対立するものが共存すること。
どちらか一方が完全に勝つことを良しとしないこと。
これらは、良くも悪くも、日本人の特徴と言えるでしょう。
河合隼雄が1982年に提唱したこの概念は、40年以上経った今でも色褪せない説得力を持っています。
日本社会のリーダーシップ不在が問題になることもありますが、一方で、多様性を受け入れる柔軟さという長所もあるんです。
自分たちの文化の「構造」を知ることで、より良い社会を作っていくヒントが見えてくるかもしれませんね。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
書籍情報
- 河合隼雄『中空構造日本の深層』中央公論新社、1982年(中公叢書)、1999年(中公文庫)、2008年(増補新版)
- 河合隼雄『母性社会日本の病理』中央公論社、1976年
Web資料
- Wikipedia「河合隼雄」 – 河合隼雄の経歴と業績
- 松岡正剛の千夜千冊「中空構造日本の深層」 – 中空構造概念の詳しい解説
- 中央公論新社『中空構造日本の深層』 – 公式書籍情報
- Wikipedia「クロード・レヴィ=ストロース」 – 構造主義人類学の参考情報
- 講談社『レヴィ=ストロース 構造』 – 構造主義思想の背景
さらに詳しく知りたい方へ
中空構造について深く学びたい方は、河合隼雄の原著『中空構造日本の深層』をぜひ手に取ってみてください。
文庫版は手軽に読めますし、河合隼雄の他の著作も合わせて読むと、より理解が深まります。


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