ローマ教皇って、そもそも何人いるのか知っていますか?
答えは、初代の聖ペトロから現在のレオ14世まで、なんと267人。約2000年にわたって途切れることなく続いてきた、世界でも類を見ない長い歴史を持つ制度なんです。
この記事では、歴代ローマ教皇の一覧を時代ごとに整理しながら、知っておきたいエピソードや豆知識もたっぷり紹介していきます。
「教皇」と聞くと堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、その歴史をひも解いてみると、波乱万丈のドラマの連続で意外と面白いんですよ。
ローマ教皇とは?まず基本をおさらい
ローマ教皇は、世界に約14億人いるカトリック教会の最高指導者です。
正式な称号としては「ローマ司教」「イエス・キリストの代理者」「使徒の頭の後継者」「全カトリック教会の教皇」などがあり、とても長いことで知られています。ラテン語では「Romanus Pontifex(ロマヌス・ポンティフェクス)」と呼ばれ、これは古代ローマの最高神祇官「Pontifex Maximus(ポンティフェクス・マクシムス)」に由来する称号です。
一方で、普段よく耳にする「教皇(Papa=パパ)」という呼び名は、もともとは非公式な通称でした。この称号を初めて公式に使ったのは、第38代教皇シリキウス(在位:384~399年)だとされています。
教皇はカトリック教会の宗教的トップであると同時に、世界最小の独立国家であるバチカン市国の国家元首でもあります。この二重の役割が、教皇の歴史をより複雑で興味深いものにしているんです。
教皇の数え方に関する注意点
歴代教皇の一覧を見ていく前に、知っておいてほしい大事なポイントがあります。
バチカンが毎年発行する『教皇庁年鑑(Annuario Pontificio)』に掲載されている歴代教皇の数は267人です。ただし、一部の資料では268人としているものもあります。
この1人分のズレは、752年に教皇に選出されたものの、叙階される前に亡くなったステファヌス(2世)をカウントするかどうかの違いです。バチカンの公式リストではこの人物を正式な教皇には数えていません。
また、実際に教皇座についた「人数」という意味では、265人(または266人)になります。というのも、ベネディクトゥス9世が11世紀半ばに3回にわたって教皇位に就いているからです。
このあたりの複雑さも、教皇の歴史ならではの面白さと言えるでしょう。
初代~古代の教皇一覧(1世紀~5世紀)
初代教皇ペトロ
カトリック教会の伝承では、イエス・キリストの十二使徒の一人であるペトロ(ペテロ)が初代のローマ司教、すなわち初代教皇とされています。
新約聖書の『マタイによる福音書』16章18~19節には、イエスがペトロに対して「この岩の上に私の教会を建てる」「天の国の鍵を授ける」と語った場面が記されています。カトリック教会はこの言葉をもとに、ペトロとその後継者であるローマ司教に特別な権威があるとしてきました。
ただし、歴史的にはペトロ自身がローマの「司教」であったかどうかは明確ではありません。初期のローマ教会は一人のリーダーが率いる組織ではなく、複数の司教・司祭による集団指導体制だったと考えられています。
ローマ「司教」の最初のリストが作られたのは160~185年ごろのこと。220年ごろに、第16代カリクストゥス1世の時代になってから、ペトロを初代のローマ司教と位置づけるようになりました。
古代の主要教皇一覧
| 代 | 教皇名 | 在位期間 | 主な出来事・特徴 |
|---|---|---|---|
| 1 | 聖ペトロ | 30年頃~64/67年頃 | 初代教皇(伝承)。イエスの十二使徒の一人 |
| 2 | 聖リヌス | 67~76年頃 | ペトロの直接の後継者 |
| 3 | 聖アナクレトゥス | 76~88年頃 | クレトゥスとも呼ばれる |
| 4 | 聖クレメンス1世 | 88~97年頃 | 使徒教父の一人。『クレメンスの手紙』で知られる |
| 31 | 聖シルウェステル1世 | 314~335年 | コンスタンティヌス帝の治世に在位。第1ニカイア公会議の時代 |
| 38 | 聖シリキウス | 384~399年 | 「教皇(Papa)」の称号を初めて公式に使用 |
| 44 | 聖レオ1世(大教皇) | 440~461年 | フン族の王アッティラと交渉しローマを守った。「大教皇」の称号を持つ |
| 59 | 聖グレゴリウス1世(大教皇) | 590~604年 | もう一人の「大教皇」。グレゴリオ聖歌の基礎を築いたとされる |
古代の教皇たちの多くは、ローマ帝国によるキリスト教迫害の時代を生きていました。実際、初期の教皇には殉教者が数多くいます。
313年にコンスタンティヌス帝がミラノ勅令でキリスト教を公認したことが大きな転機となり、以後、教皇の政治的・宗教的な影響力は飛躍的に高まっていきました。
中世の教皇一覧(6世紀~15世紀)
中世は教皇の権威が最も高まった時代であると同時に、最も激しい争いと混乱の時代でもありました。
中世前期~盛期の主要教皇
| 代 | 教皇名 | 在位期間 | 主な出来事・特徴 |
|---|---|---|---|
| 92 | ステファヌス2世(3世) | 752~757年 | フランク王ピピンから領土の寄進を受け「教皇領」が成立 |
| 96 | ハドリアヌス1世 | 772~795年 | カール大帝と密接な関係を築く。在位約23年10か月 |
| 108 | レオ3世 | 795~816年 | 800年にカール大帝にローマ皇帝の冠を授けた |
| 167 | グレゴリウス7世 | 1073~1085年 | 「カノッサの屈辱」で有名。聖職叙任権闘争を展開 |
| 175 | ウルバヌス2世 | 1088~1099年 | 第1回十字軍を提唱(1095年、クレルモン公会議) |
| 176 | インノケンティウス3世 | 1198~1216年 | 教皇権の絶頂期。「教皇は太陽、皇帝は月」と唱えた |
教皇名の注意:ステファヌスの代数問題
ちょっとややこしい話ですが、ステファヌス2世には代数の問題があります。752年、教皇選出後に叙階前に亡くなったステファヌスを2世に数えるかどうかで、それ以降の同名の教皇の代数が1つずれてしまうんです。
日本語のWikipediaでは3世、英語版では2世とされていることもあり、書籍によって表記が異なるため注意が必要です。
アヴィニョン捕囚と教会大分裂
中世後期で特に重要なのが、教皇の権威が大きく揺らいだ2つの出来事です。
アヴィニョン捕囚(1309~1377年)は、フランス王フィリップ4世の圧力により、教皇庁がローマからフランスのアヴィニョンに移された出来事。約70年間にわたって7人の教皇がアヴィニョンで過ごしました。
さらにその後に起きた教会大分裂(大シスマ、1378~1417年)では、ローマとアヴィニョンに同時に教皇が並び立ち、一時はピサにまで第3の教皇が立つという前代未聞の混乱が起きました。
最終的に1417年のコンスタンツ公会議でマルティヌス5世が選出されたことで、ようやく分裂は収束しています。
教会大分裂期の教皇
| 教皇名 | 在位期間 | 備考 |
|---|---|---|
| ウルバヌス6世 | 1378~1389年 | ローマ側の正統教皇 |
| クレメンス7世 | 1378~1394年 | アヴィニョン側(対立教皇) |
| ボニファティウス9世 | 1389~1404年 | ローマ側 |
| ベネディクトゥス13世 | 1394~1417年 | アヴィニョン側(対立教皇) |
| ヨハネス23世 | 1410~1415年 | ピサ側(対立教皇) |
| マルティヌス5世 | 1417~1431年 | 大分裂を終結させた教皇 |
近世の教皇一覧(15世紀~18世紀)
ルネサンスと宗教改革の時代は、教皇にとってもう一つの激動の時代でした。
ルネサンス期の教皇
この時代の教皇の中には、芸術や学問のパトロンとして名を残した人物が多くいます。一方で、世俗化や腐敗が批判されることも少なくありませんでした。
| 代 | 教皇名 | 在位期間 | 主な出来事・特徴 |
|---|---|---|---|
| 214 | ユリウス2世 | 1503~1513年 | 「戦う教皇」。ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂天井画を依頼 |
| 217 | レオ10世 | 1513~1521年 | メディチ家出身。贖宥状(免罪符)の販売がルターの宗教改革のきっかけに |
| 220 | パウルス3世 | 1534~1549年 | トリエント公会議を召集し対抗宗教改革を開始。ミケランジェロに『最後の審判』を依頼 |
| 228 | ウルバヌス7世 | 1590年 | 在位13日間で死去。史上最短の教皇 |
| 235 | ウルバヌス8世 | 1623~1644年 | ガリレオ裁判を主導。芸術と科学の後援者でもあった |
宗教改革とカトリック改革
1517年のマルティン・ルターによる「95ヶ条の論題」をきっかけに始まった宗教改革は、カトリック教会に大きな衝撃を与えました。
これに対してカトリック教会側も自浄と改革を進め、トリエント公会議(1545~1563年)を開催。教義の再確認や聖職者の規律強化が行われました。この動きは「対抗宗教改革(カトリック改革)」と呼ばれています。
近代の教皇一覧(18世紀~20世紀前半)
近代に入ると、教皇はヨーロッパの政治的変動に大きく翻弄されることになります。
主要教皇一覧
| 代 | 教皇名 | 在位期間 | 主な出来事・特徴 |
|---|---|---|---|
| 250 | ピウス6世 | 1775~1799年 | フランス革命の混乱の中、ナポレオンの軍によりフランスに連行され客死 |
| 251 | ピウス7世 | 1800~1823年 | ナポレオンとの対立と和解。投獄も経験した |
| 255 | ピウス9世 | 1846~1878年 | 在位約31年7か月で史上最長(使徒時代を除く)。教皇不可謬性の教義を宣言 |
| 256 | レオ13世 | 1878~1903年 | 回勅『レールム・ノヴァールム』で労働者の権利を訴えた「社会教皇」 |
| 257 | ピウス10世 | 1903~1914年 | 20世紀初の教皇。列聖されている |
| 258 | ベネディクトゥス15世 | 1914~1922年 | 第一次世界大戦中の教皇。和平に尽力 |
| 259 | ピウス11世 | 1922~1939年 | ラテラノ条約(1929年)でバチカン市国を成立させた |
| 260 | ピウス12世 | 1939~1958年 | 第二次世界大戦中の教皇。その対応には賛否がある |
教皇領の喪失とバチカン市国の誕生
教皇がイタリア半島の中部に持っていた「教皇領」は、1870年のイタリア統一によって消滅しました。以降、教皇はバチカンに閉じこもり、「バチカンの囚人」と自称する状態が約60年続きます。
この対立に終止符を打ったのが、1929年にイタリア政府と教皇庁の間で結ばれたラテラノ条約です。この条約により、バチカン市国が独立国家として認められ、教皇はその元首となりました。
現代の教皇一覧(20世紀後半~現在)
第2バチカン公会議以降の教皇
現代の教皇たちは、テレビやインターネットの発達とともに、かつてないほど世界的な知名度と影響力を持つようになりました。
| 代 | 教皇名 | 本名 | 在位期間 | 出身国 | 主な特徴 |
|---|---|---|---|---|---|
| 261 | ヨハネ23世 | アンジェロ・ロンカッリ | 1958~1963年 | イタリア | 第2バチカン公会議を召集。「善良な教皇」と呼ばれた |
| 262 | パウルス6世 | ジョヴァンニ・モンティーニ | 1963~1978年 | イタリア | 第2バチカン公会議を継続・閉幕 |
| 263 | ヨハネ・パウロ1世 | アルビーノ・ルチアーニ | 1978年 | イタリア | 在位33日間で急死。「微笑みの教皇」 |
| 264 | ヨハネ・パウロ2世 | カロル・ヴォイティワ | 1978~2005年 | ポーランド | 455年ぶりの非イタリア人教皇。在位約26年5か月 |
| 265 | ベネディクト16世 | ヨゼフ・ラッツィンガー | 2005~2013年 | ドイツ | 約600年ぶりに自ら退位した教皇 |
| 266 | フランシスコ | ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ | 2013~2025年 | アルゼンチン | 南米出身初、イエズス会出身初の教皇 |
| 267 | レオ14世 | ロバート・フランシス・プレヴォスト | 2025年~ | アメリカ合衆国 | 北米出身初、聖アウグスチノ修道会出身初の教皇 |
ヨハネ・パウロ2世 ── 世界を旅した教皇
1978年に就任したヨハネ・パウロ2世は、ポーランド出身で、1523年のハドリアヌス6世以来約455年ぶりの非イタリア人教皇でした。
在位約26年5か月という長い在位期間中に世界各国を精力的に歴訪し、「空飛ぶ教皇」と呼ばれました。1981年2月には教皇として初めて日本を訪れています。冷戦終結にも大きな影響を与えたとされ、2014年に列聖されました。
ベネディクト16世 ── 退位という決断
2013年2月、ベネディクト16世は高齢を理由に教皇職を自ら退くことを表明しました。教皇の自発的な退位は、1415年のグレゴリウス12世以来、約600年ぶりの出来事で、世界中に驚きが広がりました。
退位後は「名誉教皇」として過ごし、2022年12月31日に95歳で逝去。これは歴代教皇の中で最も長寿の記録です。
フランシスコ ── 改革者としての12年
アルゼンチン出身のフランシスコは、南米出身の初の教皇、そしてイエズス会出身の初の教皇でした。在位中は移民問題や環境問題、経済格差などについて積極的に発言し、教会改革にも取り組みました。
2025年4月21日に88歳で帰天(逝去)。復活祭の翌日のことでした。
レオ14世 ── 初の米国出身教皇
フランシスコの逝去を受けて開かれたコンクラーベ(教皇選挙)で、2025年5月8日、ロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿が第267代教皇に選出されました。教皇名として「レオ14世」を選んでいます。
レオ14世は1955年にシカゴで生まれ、聖アウグスチノ修道会に入会後、長年ペルーで宣教活動に従事してきました。米国とペルーの二重国籍を持ち、英語、スペイン語、イタリア語、フランス語、ポルトガル語を話す多言語話者でもあります。
教皇名の「レオ」は、1891年に回勅『レールム・ノヴァールム(新しき事がらについて)』を発表して労働者の権利を擁護したレオ13世に敬意を表したものだと、本人が説明しています。北米出身初の教皇であると同時に、聖アウグスチノ修道会出身としても初めての教皇です。
対立教皇とは?正統な教皇との違い
歴代教皇の一覧を語るうえで避けて通れないのが、「対立教皇(アンティパパ)」の存在です。
対立教皇とは、正統な教皇に対抗して立てられた教皇のことで、後世になってその地位が正統と認められなかった人物を指します。歴史上、3世紀のヒッポリュトスを最初として、15世紀のフェリクス5世(1449年退位)まで、30人以上の対立教皇が存在しました。
興味深いことに、初代の対立教皇ヒッポリュトスは、最終的に正統教皇側と和解し、対立教皇でありながら後に聖人に列せられています。
対立教皇が多発した背景には、初期の教皇選挙制度の未整備や、世俗権力(皇帝や国王)による政治介入がありました。
教皇の代数と名前にまつわるトリビア
よく使われた教皇名ランキング
歴代教皇の中で最も多く使われた教皇名は「ヨハネス(ヨハネ)」です。ただし、代数には混乱があり、本来の正統な教皇の数は21人ですが、対立教皇や誤った数え方の影響で欠番(ヨハネス20世)が生じています。
その次に多いのが「グレゴリウス」と「ベネディクトゥス」で、いずれも16世まで使われています。一方、一人しか名乗っていない教皇名は44もあります。現在の「レオ」は14世ですが、前回レオを名乗ったレオ13世(在位1878~1903年)から122年ぶりの復活となりました。
在位期間の記録
最長在位:ピウス9世 ── 約31年7か月23日(1846~1878年)。使徒時代を除く歴代教皇の中で最も長く在位しました。
最短在位:ウルバヌス7世 ── わずか13日間(1590年9月15日~27日)。マラリアにより叙階式を迎えることなく亡くなりました。
非イタリア人教皇の増加
ローマ司教という性格から、教皇にはイタリア半島出身者が圧倒的に多かったのですが、1978年のヨハネ・パウロ2世以降、4代連続でイタリア以外の出身者が教皇に選ばれています。この流れは、カトリック教会のグローバル化を象徴する変化と言えるでしょう。
歴代教皇の全一覧(簡略版)
参考として、主要な歴代教皇を時代ごとにまとめておきます。なお、全267代の完全な一覧はカトリック中央協議会の歴代教皇ページや英語版Wikipedia「List of popes」で確認できます。
古代(1~7世紀)── 主な教皇
1. 聖ペトロ(30年頃~64/67年頃)、2. 聖リヌス(67~76年頃)、3. 聖アナクレトゥス(76~88年頃)、4. 聖クレメンス1世(88~97年頃)、…31. 聖シルウェステル1世(314~335年)、…38. 聖シリキウス(384~399年)、…44. 聖レオ1世(440~461年)、…59. 聖グレゴリウス1世(590~604年)
中世(8~15世紀)── 主な教皇
92. ステファヌス2世(752~757年)、…108. 聖レオ3世(795~816年)、…167. 聖グレゴリウス7世(1073~1085年)、…175. ウルバヌス2世(1088~1099年)、…176. インノケンティウス3世(1198~1216年)、…206. マルティヌス5世(1417~1431年)
近世(15~18世紀)── 主な教皇
214. ユリウス2世(1503~1513年)、…217. レオ10世(1513~1521年)、…220. パウルス3世(1534~1549年)、…250. ピウス6世(1775~1799年)
近現代(19~21世紀)── 全教皇
251. ピウス7世(1800~1823年)、252. レオ12世(1823~1829年)、253. ピウス8世(1829~1830年)、254. グレゴリウス16世(1831~1846年)、255. ピウス9世(1846~1878年)、256. レオ13世(1878~1903年)、257. 聖ピウス10世(1903~1914年)、258. ベネディクトゥス15世(1914~1922年)、259. ピウス11世(1922~1939年)、260. ピウス12世(1939~1958年)、261. 聖ヨハネ23世(1958~1963年)、262. パウルス6世(1963~1978年)、263. ヨハネ・パウロ1世(1978年)、264. 聖ヨハネ・パウロ2世(1978~2005年)、265. ベネディクト16世(2005~2013年)、266. フランシスコ(2013~2025年)、267. レオ14世(2025年~)
教皇選挙「コンクラーベ」の仕組み
現在、教皇は「コンクラーベ(Conclave)」と呼ばれる選挙で選ばれます。「コンクラーベ」はラテン語の「cum clave(鍵をかけて)」に由来する言葉です。
1059年に教皇ニコラウス2世が、教皇選挙を枢機卿による投票制にすることを明文化しました。現在の制度では、80歳未満の枢機卿がバチカンのシスティーナ礼拝堂に集まり、3分の2以上の票を得た候補者が新教皇となります。
投票のたびに投票用紙は焼却され、決まらなければ黒い煙、新教皇が決まれば白い煙がシスティーナ礼拝堂の煙突から立ち上ります。この白い煙を合図に、枢機卿首席助祭がサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーから「Habemus Papam(ハベムス・パパム ── 教皇が誕生しました)」と宣言するのが伝統的な手順です。
2025年のコンクラーベでは、133人の枢機卿が参加し、4回目の投票でレオ14世が選出されました。70か国以上から枢機卿が集まった、史上最も多様性に富んだコンクラーベだったとされています。
まとめ
初代の聖ペトロから第267代レオ14世まで、約2000年にわたるローマ教皇の歴史を見てきました。
この長い歴史の中では、殉教した教皇、アッティラ大王と交渉した教皇、十字軍を提唱した教皇、芸術のパトロンとなった教皇、そしてSNS時代にグローバルな影響力を発揮した教皇まで、さまざまな人物がいました。
一つ一つの教皇の背後には、その時代の政治・文化・社会が映し出されています。教皇の一覧を眺めることは、そのままヨーロッパと世界の歴史を追うことにもつながるんです。
現在のレオ14世は、初の米国出身の教皇として新たな時代を切り開いています。約2000年続くこの制度が、これからどのような歴史を刻んでいくのか。その行方を見守るのも、歴史好きにはたまらない楽しみかもしれません。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
公式情報・一次資料
- カトリック中央協議会「教皇」 – 日本のカトリック教会公式サイト。歴代教皇の基本情報
- カトリック中央協議会「歴代教皇」 – 『教皇庁年鑑2014』に基づく歴代教皇一覧
- カトリック中央協議会「レオ十四世略歴」 – 現教皇の公式プロフィール
- Vatican News「Leo XIV is the new Pope」 – バチカン公式ニュース(英語)
- Vatican News「第267代ローマ教皇レオ14世」 – バチカン公式ニュース(日本語)
百科事典・学術サイト
- Wikipedia「ローマ教皇の一覧」 – 日本語版の歴代教皇一覧
- Wikipedia「教皇」 – 教皇の制度・歴史の概要
- Wikipedia「List of popes」 – 英語版の歴代教皇一覧(代数の注記が詳しい)
- Wikipedia「Pope Leo XIV」 – 現教皇の経歴(英語)
- Wikipedia「2025 conclave」 – 2025年コンクラーベの詳細(英語)
- Wikipedia「対立教皇」 – 対立教皇の歴史
- New Advent Catholic Encyclopedia「List of Popes」 – カトリック百科事典の歴代教皇リスト
- Britannica「Pius IX」 – 最長在位教皇ピウス9世の解説
専門サイト・データベース
- 歴代ローマ教皇の一覧(Call of History) – 日本語の詳細な歴代教皇リストと注釈
- PopeHistory.com – 歴代教皇のデータベース(英語)
- Catholic-Hierarchy.org「Popes, In Sequence」 – 教皇の系譜データ
ニュース報道
- CNN「Robert Prevost elected as first American pope」 – レオ14世選出の報道(英語)
- USCCB「Chicago native Cardinal Prevost elected pope」 – 全米カトリック司教協議会の報道
書籍
- バラクロウ、ジェフリー『中世教皇史 改訂増補版』八坂書房、2021年
- 鈴木宣明『ローマ教皇史』教育社歴史新書
- John N. D. Kelly, The Oxford Dictionary of Popes, Oxford University Press, 1986


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