毎年2月23日は「天皇誕生日」。カレンダーの赤い数字を見て「あ、お休みだ」と思う人が多いかもしれません。
でも実は、この祝日にはなんと1200年以上の歴史があるって知っていましたか?
しかもそのルーツは日本ではなく、中国の唐の時代にまでさかのぼるんです。
この記事では、天皇誕生日の由来から宮中行事、歴代天皇の誕生日がどう扱われてきたかまで、わかりやすく解説していきます。
天皇誕生日ってどんな祝日?
天皇誕生日は、「国民の祝日に関する法律」(祝日法)で定められた日本の国民の祝日です。
その趣旨はとてもシンプルで、祝日法第2条にはこう書かれています。
天皇の誕生日を祝う。
現在の天皇誕生日は2月23日。第126代天皇である徳仁(なるひと)天皇陛下の誕生日にあたります。天皇陛下は1960年(昭和35年)のお生まれで、2025年(令和7年)には65歳を迎えられました。
ちなみに、天皇誕生日は外交上「ナショナル・デー」(国家の日)としても扱われていて、在外公館では祝賀行事が行われています。
天皇誕生日のルーツ「天長節」とは
天皇誕生日は、もともと「天長節(てんちょうせつ)」と呼ばれていました。
この名前の由来は、中国の古典『老子(道徳経)』第七章にある「天長地久(てんちょうちきゅう)」という言葉です。「天は長く、地は久し」という意味で、天地が永遠に続くように、天子(皇帝)の寿命も永く続くようにと願う言葉なんです。
なぜ「天長節」と呼ぶようになったのか
この呼び名が生まれたきっかけは、唐の玄宗皇帝(685〜762年)にあります。
玄宗皇帝は自分の誕生日を祝う日を設けました。当初は「千秋節」と呼ばれていましたが、天宝7年(748年)に「天長節」へと改称されたとされています。
唐の帝室は「李氏」で、『老子』の著者とされる老子も「李氏」と伝えられていたことから、老子にちなんだ「天長地久」の語が選ばれたという背景があります。
日本での天長節のはじまり
日本で初めて天長節の儀式が行われたのは、775年(宝亀6年)のこと。光仁天皇の時代です。
『続日本紀』には、光仁天皇が10月13日(旧暦)を自身の誕生日として天長節と定め、寺院の僧尼に読経を命じ、殺生を禁じ、百官に宴を賜ったと記録されています。
これが日本における天皇の誕生日を祝う行事の最古の記録です。
ただし、その後日本では「誕生日を祝う」という習慣自体があまり根づかず、天長節は長らく途絶えてしまいました。平安時代や室町時代に宮中で内々のお祝いが行われた記録はあるものの、国家的な行事として再び復活するのは、明治時代を待つことになります。
明治の復活から現代へ:天長節から天皇誕生日へ
明治時代の復活
1868年(明治元年)、明治政府は太政官布告によって天長節を国家の祝日として復活させました。
最初の天長節の祝賀は、明治天皇が東京行幸の途上にあった近江国(現在の滋賀県)の土山宿で行われたと記録されています。
1873年(明治6年)には、太陽暦の採用にともなって明治天皇の誕生日は11月3日に変更され、正式に国家の祝日として定められました。
戦前は「四大節」のひとつとして、天長節は特に盛大に祝われていました。四大節とは次の4つです。
- 新年(1月1日)
- 紀元節(2月11日、現在の建国記念の日)
- 天長節(在位中の天皇の誕生日)
- 明治節(11月3日、現在の文化の日)
当日は宮中で観兵式や宴会が催され、全国の学校でも記念式典が行われるなど、国を挙げてのお祝いの日だったんです。
戦後の改称
第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)、「国民の祝日に関する法律」が制定されました。
この法律によって「天長節」という名称は廃止され、「天皇誕生日」と改められました。しかし、天皇の誕生日を国民が祝うという本質は変わっていません。
ちなみに、祝日法の制定に先立って行われた政府の世論調査では、国民が希望する祝日として「天皇陛下のお生まれになった日」が「新年」に次ぐ第2位だったそうです。
歴代天皇の誕生日はどうなった?
天皇誕生日は、天皇が代替わりするたびに日付が変わります。
ここでは、明治以降の歴代天皇の誕生日と、その後の扱いを見ていきましょう。
明治天皇(11月3日)→「文化の日」
明治天皇の誕生日は11月3日でした。
崩御後の1927年(昭和2年)に「明治節」として祝日に制定され、さらに戦後は、1946年(昭和21年)に日本国憲法がこの日に公布されたことから、「文化の日」として現在も祝日になっています。
ちなみに、当時の吉田茂首相は憲法公布の日を意図的に11月3日(明治節)に合わせたとされており、歴史的な祝日との連続性を意識していたようです。
大正天皇(8月31日)→祝日にならず
大正天皇の誕生日は8月31日。
ところが8月末は盛夏のまっただ中で、各種式典の実施が難しかったため、実際の祝賀行事は2か月後の10月31日を「天長節祝日」として行うという異例の措置が取られました。
崩御後、8月31日は祝日にはなっていません。近代の天皇の中では唯一、誕生日が後に祝日として残らなかったケースです。
昭和天皇(4月29日)→「昭和の日」
昭和天皇の誕生日は4月29日。
1989年(昭和64年)1月7日の崩御後、祝日法がすぐに改正され、4月29日は「みどりの日」として存続しました。
その後、2007年(平成19年)に「昭和の日」へと名称が変更され、現在はゴールデンウィークの初日として多くの人に親しまれています。
上皇陛下(12月23日)→平日に
平成の天皇(現在の上皇陛下)の誕生日は12月23日で、1989年〜2018年まで天皇誕生日の祝日でした。
2019年(令和元年)の譲位にともない、12月23日は祝日ではなくなり、現在は平日に戻っています。「平成の日」として祝日にする構想もありましたが、実現していません。
なお、これは在位中の天皇との「二重権威」を避ける配慮があるとされています。
2019年:天皇誕生日のない年
2019年は、天皇誕生日が存在しない珍しい年でした。
新天皇(徳仁天皇)の誕生日は2月23日でしたが、即位は5月1日。2月23日時点ではまだ皇太子であったため天皇誕生日にはならず、上皇陛下の12月23日も退位後のため祝日ではありませんでした。
祝日法が施行された1948年以来、天皇誕生日のない年はこれが初めてのことです。歴史的にさかのぼると、1912年(明治45年/大正元年)にも同様のケースがありました。
天皇誕生日に行われる宮中行事
天皇誕生日には、皇居でいくつもの公式行事が執り行われます。
祝賀の儀
天皇陛下が、皇嗣殿下をはじめとする皇族方、内閣総理大臣、衆参両院の議長、最高裁判所長官から祝賀をお受けになる儀式です。
国の三権(立法・行政・司法)の長が一堂に会してお祝いを伝えるという、格式の高い行事です。
宴会の儀
天皇皇后両陛下が、各省庁の要人、都道府県知事、各界の代表者とその配偶者を招いて宴を催される行事です。皇族方も列席されます。
茶会の儀
各国の駐日大使など外交使節団の長とその配偶者を招いて催される茶会です。天皇誕生日が日本のナショナル・デーとして扱われていることから、国際親善の場としても重要な意味を持っています。
天長祭
伊勢神宮をはじめ、全国各地の神社では「天長祭(てんちょうさい)」が行われます。天皇陛下の長寿と国家の安寧を祈る祭祀で、戦前の天長節の伝統を受け継いだものです。
満艦飾
海上自衛隊では、基地や港湾に停泊している自衛艦で「満艦飾(まんかんしょく)」が行われます。艦首から艦尾まで信号旗を連ねて飾る伝統的な海軍の祝賀方法です。
一般参賀:国民が皇居を訪れる日
天皇誕生日の最も知られた行事が「一般参賀(いっぱんさんが)」です。
一般参賀は、国民が皇居を訪れて天皇陛下に直接お祝いの気持ちを伝えることができる貴重な機会で、毎年1月2日の新年と天皇誕生日の年2回行われています。
一般参賀のはじまり
天皇誕生日の一般参賀は、1948年(昭和23年)4月29日に始まりました。
当初は参賀者が正門から入って記帳するだけで、天皇が国民の前に姿を見せることはありませんでした。ただし、昭和天皇はこの様子を宮内庁庁舎の屋上からご覧になっていたそうです。
天皇と皇后が初めて参賀者の前にお出ましになったのは、1950年(昭和25年)のこと。庁舎中央のバルコニーに立たれたのが始まりです。
現在の一般参賀の流れ
午前の部では、天皇皇后両陛下と皇族方が宮殿「長和殿」のベランダにお出ましになり、天皇陛下がお言葉を述べられます。
2025年(令和7年)の一般参賀では、午前10時20分頃、11時頃、11時40分頃の計3回お出ましがあり、天皇皇后両陛下に加え、秋篠宮皇嗣同妃両殿下、愛子内親王殿下、佳子内親王殿下がお出ましになりました。
参賀者は皇居正門(二重橋)から入門し、宮殿東庭で祝賀を行った後、坂下門などから退出します。入場時には手荷物検査やセキュリティチェックが行われます。
午後の部では、天皇陛下のお出ましはなく、宮内庁庁舎前の記帳所で記帳を行う形式になっています。
コロナ禍での中止と再開
令和に入ってからの一般参賀は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けました。
2020年(令和2年)に予定されていた天皇陛下即位後初の天皇誕生日一般参賀は中止に。2021年、2022年も同様に中止が続きました。
2023年(令和5年)にようやく再開され、2024年(令和6年)以降は入場制限のない形で実施されています。2025年の天皇誕生日一般参賀には、午前中だけで約23,000人が訪れました。
天皇誕生日にまつわる豆知識
皇后の誕生日は「地久節」
天皇の誕生日が「天長節」と呼ばれるのに対し、皇后の誕生日は「地久節(ちきゅうせつ)」と呼ばれていました。
「天長」と「地久」はセットで、ともに老子の「天長地久」に由来しています。ただし、地久節は戦前から祝祭日にはなっておらず、現在も祝日にはなっていません。
ヨーロッパとの違い
イギリスなど一部のヨーロッパの国々では、君主の実際の誕生日とは別の日を公式な祝日にすることがあります。
しかし日本では、大正天皇の例(真夏のため祝日を10月にずらした)を除いて、天皇誕生日は実際の誕生日と同じ日に設定されています。天皇が代替わりすれば祝日も移動するため、日付が固定されているわけではないんです。
祝日法と天皇誕生日の関係
天皇誕生日は皇位継承によって自動的に変更されるわけではありません。国会で祝日法を改正して、新たに天皇誕生日の日付を規定する必要があります。
そのため、退位や崩御のタイミングと新天皇の誕生日の日付によっては、2019年のように天皇誕生日のない年が生まれる可能性があるんです。
まとめ
天皇誕生日は、単なるカレンダー上の休日ではなく、1200年以上の歴史を持つ日本の伝統的な祝日です。
その名称は「天長節」から「天皇誕生日」に変わり、宮中行事の形も時代とともに変化してきましたが、天皇の誕生を国民がお祝いするという本質は奈良時代から受け継がれています。
次の2月23日には、この長い歴史に思いをはせながら過ごしてみるのもいいかもしれませんね。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
公式情報・一次資料
- 宮内庁「天皇誕生日祝賀・一般参賀」 – 宮中行事の概要、一般参賀の歴史
- 宮内庁「天皇誕生日一般参賀要領」 – 一般参賀の詳細な実施要領
- 宮内庁「天皇誕生日一般参賀映像(令和7年2月23日)」 – 令和7年のおことば全文
- 宮内庁「儀式・行事に関する用語」 – 祝賀の儀・宴会の儀・茶会の儀の定義
- 衆議院「天皇誕生日を日本のナショナル・デーとしていることに関する質問に対する答弁書」 – ナショナル・デーとしての位置づけ
百科事典・辞典
- Wikipedia「天皇誕生日」 – 歴史的経緯の全体像
- Wikipedia (English) “The Emperor’s Birthday” – 英語圏での解説
- コトバンク「天長節」 – 天長節の語義・由来(日本大百科全書、精選版日本国語大辞典ほか)
- Wikipedia「一般参賀」 – 一般参賀の歴史と変遷
- Wikipedia「昭和の日」(英語版) – 昭和天皇の誕生日の祝日化の経緯
その他参考サイト
- 日本経済新聞「天皇誕生日、一般参賀を開催 宮内庁が要領発表」(2025年1月23日) – 2025年の一般参賀要領の報道
- 時事ドットコム「天皇誕生日の一般参賀要領」(2025年1月23日) – 2025年の参賀者数や実施形態
古典文献
- 『続日本紀』- 宝亀6年(775年)の天長節の儀の記録(最古の天長節の記録)
- 『老子(道徳経)』第七章 -「天長地久」の出典


コメント