「Zimmermann Telegram(ツィンメルマン電報)」は、第一次世界大戦の流れを変えた歴史的な暗号電報です。
1917年1月、ドイツがメキシコに送った極秘の軍事同盟の提案が、イギリスによって傍受・解読されました。
この電報の公開は、それまで中立を保っていたアメリカの参戦を決定づけ、戦争の結果に決定的な影響を与えました。
本記事では、この歴史的事件の経緯と影響について詳しく解説します。
Zimmermann Telegramとは
Zimmermann Telegram(ツィンメルマン電報)は、1917年1月16日にドイツ帝国の外務大臣アルトゥール・ツィンメルマンがメキシコ政府に送った暗号電報です。
正式には「Zimmermann Note」や「Zimmermann Cable」とも呼ばれます。
この電報は、アメリカが第一次世界大戦でドイツに対して参戦した場合、メキシコがドイツと軍事同盟を結ぶことを提案する内容でした。
暗号化されていましたが、イギリス海軍情報部によって傍受・解読され、歴史の流れを大きく変えることになりました。
電報が送られた背景
第一次世界大戦の膠着状態
1914年に始まった第一次世界大戦は、1917年初頭の時点で膠着状態に陥っていました。
ヨーロッパでは連合国(イギリス、フランス、ロシアなど)と中央同盟国(ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国など)が激しく戦っていました。
アメリカは当初から中立を維持しており、1916年のウィルソン大統領再選時のスローガンは「彼は我々を戦争から遠ざけた」でした。
しかし、ドイツの無制限潜水艦作戦によりアメリカ船舶が攻撃され、米独関係は徐々に悪化していました。
ドイツの戦略
ドイツは、アメリカの参戦を阻止するか、少なくとも遅らせる必要がありました。
そこで考案されたのが、メキシコを同盟国として引き込み、アメリカを北米大陸での戦いに釘付けにする戦略でした。
ドイツは1917年2月1日から無制限潜水艦作戦を再開する予定でした。
この作戦により、アメリカの参戦がほぼ確実になると予想されていたため、対抗策としてメキシコとの同盟が模索されたのです。
メキシコとの関係
メキシコは、1846年から1848年の米墨戦争でテキサス、ニューメキシコ、アリゾナをアメリカに奪われた歴史がありました。
また、1914年にはアメリカによるベラクルス占領、1916年にはパンチョ・ビリャ討伐のためのアメリカ軍の領内侵入など、両国の関係は緊張していました。
ドイツは、この米墨間の対立を利用してアメリカを牽制しようと考えました。
電報の内容
解読されたツィンメルマン電報の主な内容は以下の通りです。
無制限潜水艦作戦の通告
「我々は2月1日から無制限潜水艦作戦を開始する」
ドイツは、イギリスへの海上封鎖を強化するため、中立国の船舶も含めて攻撃する方針を通告しました。
アメリカの中立維持への努力
「それにもかかわらず、アメリカ合衆国を中立に保つよう努力する」
ドイツは、可能な限りアメリカの参戦を避けたいと表明しました。
メキシコへの同盟提案
「それが成功しない場合、我々はメキシコに以下の条件で同盟を提案する」
アメリカが参戦した場合の対応策として、メキシコとの軍事同盟を提案しました。
具体的な条件
「共に戦争し、共に和平する。寛大な財政支援を行い、メキシコがテキサス、ニューメキシコ、アリゾナで失った領土を奪回することを支援する」
ドイツは、経済的支援と失われた領土の回復を約束しました。
日本への仲介依頼
「メキシコ大統領が自発的に日本を即座に参加させ、同時に日本と我々の間を仲介することを提案する」
さらに驚くべきことに、日本(当時は連合国側で参戦)をドイツ側に寝返らせることも提案していました。
この提案草稿の初期バージョンでは、「カリフォルニアは日本のために確保されるべき」という記述もあったことが後に判明しています。
イギリスによる傍受と解読
ルーム40の暗号解読
イギリス海軍情報部の暗号解読班「ルーム40」が、この電報を傍受し解読しました。
ルーム40は、ウィリアム・R・ホール海将の指揮下にありました。
解読が可能だったのは、ドイツのスパイ、ヴィルヘルム・ヴァースムスから鹵獲した古いコードブックを使用していたためです。
イギリスは1914年以降、ドイツの通信ケーブルを監視し、大量の情報を収集していました。
解読の経緯
電報はベルリンからワシントンのドイツ大使館を経由してメキシコシティに送られました。
ドイツはアメリカの通信網を利用していたため、途中でイギリスに傍受されました。
興味深いことに、ウィルソン大統領は和平交渉のため、ドイツの外交通信にアメリカの通信網の使用を許可していました。
これがイギリスの傍受を可能にした一因となりました。
公開のジレンマ
イギリスは電報を解読しましたが、公開するかどうかで大きなジレンマに直面しました。
電報を公開すれば、ドイツは暗号が解読されたことに気づき、今後の情報収集に支障が出ます。
しかし、公開しなければ、アメリカを戦争に引き込む絶好の機会を逃すことになります。
さらに、イギリスがアメリカの通信も傍受していたことが明らかになる危険もありました。
巧妙な情報操作
イギリスは、メキシコシティの公共電信局からコピーを入手することで、この問題を解決しました。
「H氏」と呼ばれる英国のエージェント(後にトーマス・ホーラーと判明)が、メキシコでのスパイ活動によって電報のコピーを発見したという形にしたのです。
メキシコ版の電報は古い暗号を使用していたため、完全に解読することができました。
アメリカへの伝達
ウィルソン大統領への報告
1917年2月24日、イギリスのアーサー・ジェームズ・バルフォア外務大臣が、ワシントン駐在の米国大使ウォルター・ページに電報を渡しました。
2日後の2月26日、ページはウッドロー・ウィルソン大統領に電報の内容を伝えました。
ウィルソン大統領は当初、電報の真偽を疑いました。
内容があまりにも非現実的で、敵側の謀略である可能性も考えられたためです。
真偽の確認
ウィルソンは、アメリカの情報専門家をルーム40に派遣し、電報と暗号の真偽を確認させました。
暗号解読の過程を検証した結果、電報が本物であることが確認されました。
電報の公開と世論の反応
一般公開
1917年3月1日、アメリカ政府は電報の内容を公開しました。
新聞各紙が一斉に報道し、アメリカ国民に大きな衝撃を与えました。
当初の懐疑論
最初は、多くの人が電報を偽物だと考えました。
提案があまりにも荒唐無稽で、ドイツがメキシコを支援する能力も疑問視されていたためです。
ウィルソンの政敵たちも、これは敵側の捏造だと主張しました。
ツィンメルマン自身の証言
しかし、1917年3月3日、ツィンメルマン外相自身が記者会見で電報の真偽を問われ、「否定できない。真実だ」と認めました。
さらに3月29日、ドイツ帝国議会(ライヒスターク)での演説でも電報が本物であることを公式に認めました。
この自白により、すべての疑惑が払拭されました。
ツィンメルマンの意図は、アメリカが参戦しない限りメキシコへの支援は行わないという弁明でしたが、時すでに遅しでした。
アメリカ世論の激変
電報の公開は、アメリカ国民の感情を一変させました。
特に西部や南西部の州では、メキシコと日本による侵略の恐怖が広がりました。
ドイツの潜水艦攻撃で既に反独感情が高まっていたところに、この電報事件が追い打ちをかけました。
もはや戦争は遠いヨーロッパの出来事ではなく、アメリカ本土への直接的な脅威となったのです。
メキシコと日本の反応
メキシコの対応
メキシコのベヌスティアーノ・カランサ大統領は、軍事委員会を設置してドイツの提案を検討しました。
しかし、委員会は提案の実現性は低いと結論づけました。
理由は以下の通りです。
メキシコ単独ではアメリカに勝てない。
ドイツは必要な武器を提供できない。
たとえ勝利しても、膨大な数のアングロ系住民を統治できない。
1914年のナイアガラフォールズ平和会議の成果を無にする。
南米諸国との外交関係が悪化する。
カランサは1917年4月14日、ドイツの提案を正式に拒否しました。
この時点で、アメリカは既にドイツに宣戦布告していました。
日本の反応
日本政府は、電報の内容を「言葉にできないほど馬鹿げている」と一蹴しました。
日本は既に連合国側でドイツと戦っており、寝返る意図はまったくありませんでした。
日本とメキシコは日墨修好通商条約により友好関係にありましたが、ドイツの提案に乗る理由はなかったのです。
アメリカの参戦
外交関係の断絶
アメリカは、ドイツの無制限潜水艦作戦再開を受けて、1917年2月3日にドイツと外交関係を断絶しました。
しかし、この時点ではまだ戦争には至っていませんでした。
議会での決議
ツィンメルマン電報の公開から約1か月後の1917年4月2日、ウィルソン大統領は議会に戦争宣言を要請しました。
大統領は「戦争を終わらせるための戦争」「世界を民主主義にとって安全にするための戦争」と訴えました。
4月6日、アメリカ議会は正式にドイツとその同盟国に対する宣戦布告を可決しました。
参戦の決定的要因
ツィンメルマン電報は、アメリカ参戦の決定的な要因となりました。
暗号解読の専門家デイビッド・カーンは「他のいかなる暗号解読も、これほど大きな結果をもたらしたことはない」と評価しています。
また、「これほど多くのことが、秘密のメッセージの解読に依存したことは、かつてなく、その後もない」とも述べています。
歴史的意義
第一次世界大戦の転換点
アメリカの参戦により、第一次世界大戦の形勢は連合国側に大きく傾きました。
豊富な経済力と軍事力を持つアメリカの加入は、戦争の帰趨を決定づけました。
戦争は1918年11月11日に休戦協定により終結しました。
諜報活動の重要性
ツィンメルマン電報事件は、第一次世界大戦中のイギリスにとって最も重要な諜報活動の成功とされています。
暗号解読が世界の歴史に影響を与えた、最も初期の事例の一つです。
この成功は、現代の信号情報(SIGINT)の重要性を示す先駆的な事例となりました。
アメリカの台頭
第一次世界大戦への参戦は、アメリカが世界の覇権国家として台頭する契機となりました。
戦後、ヨーロッパ諸国が疲弊する中、アメリカは経済的・軍事的に世界をリードする立場を確立しました。
ツィンメルマンのその後
アルトゥール・ツィンメルマンは、電報事件の責任を問われ、1917年8月に外務大臣を罷免されました。
非貴族出身者として初めてこの地位に就いた彼でしたが、わずか1年余りで失脚することになりました。
ツィンメルマンは1940年6月6日に死去しました。
まとめ
Zimmermann Telegram(ツィンメルマン電報)は、1917年1月にドイツ外務大臣がメキシコに送った暗号電報です。
メキシコに対し、アメリカと戦う代わりに失われた領土の回復を約束し、日本の仲介も依頼する内容でした。
イギリス海軍情報部「ルーム40」が電報を傍受・解読し、アメリカ政府に伝達しました。
1917年3月1日に公開された電報は、アメリカ世論を激変させました。
ツィンメルマン自身が電報の真偽を認めたことで、アメリカの参戦は決定的となりました。
4月6日、アメリカは正式にドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦の流れを大きく変えました。
この事件は、暗号解読が世界史に影響を与えた重要な事例として、今日まで語り継がれています。


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