戦国時代の大名の強さを測る指標として、よく「石高」という言葉が使われますよね。
「織田信長は700万石」「武田信玄は120万石」なんて数字を聞いたことがある方も多いはず。
でも、この「石高」って一体何なのでしょうか?
そして、戦国時代の各大名は実際にどれくらいの石高を持っていたのでしょうか?
この記事では、戦国時代の主要大名の石高を一覧形式で紹介しながら、石高の意味や当時の経済力との関係をわかりやすく解説します。
石高(こくだか)とは?
石高とは、土地の生産力を「石」という単位で表したものです。
具体的には、その土地で1年間に収穫できる米の量を示しています。
1石 = 約180リットル = 成人男性が1年間に食べる米の量
つまり、「100万石の大名」というのは、「100万人を1年間養えるだけの米を生産できる土地を持っている大名」ということなんですね。
石高が示すもの
石高は単なる米の量ではなく、戦国大名の総合的な国力を示していました。
- 経済力:米は当時の基本的な通貨のような存在
- 軍事力:石高に応じて動員できる兵力が決まる
- 領土の広さ:ただし、土地の質によって同じ面積でも石高は異なる
一般的に、1万石あたり約200〜250人の軍勢を動員できたとされています。
つまり100万石の大名なら、2万〜2万5千人の兵を出せる計算です。
太閤検地以前の注意点
ここで重要なのが、戦国時代の石高データには「推定値」が多く含まれるということ。
豊臣秀吉が1582年から1598年にかけて実施した「太閤検地」によって、初めて全国統一の基準で石高が測定されました。
それ以前の戦国時代の石高は、研究者による推定や、後の江戸時代の数値からの逆算が含まれています。
特に以下の点に注意が必要です。
- 実測ではなく、兵力や領土から逆算した推定値も多い
- 地域によって測定基準がバラバラだった
- 大名によっては、実際より少なく申告していた場合もある
この記事で紹介する石高も、確実な数値と推定値が混在していることをご理解ください。
戦国時代の主要大名 石高一覧
ここでは、戦国時代を代表する大名たちの石高を、時期や地域ごとに紹介します。
天下統一に迫った大名たち
| 大名 | 時期 | 石高 | 領国 |
|---|---|---|---|
| 織田信長 | 1582年(本能寺の変直前) | 約700万〜780万石 | 畿内、東海、北陸、中国地方の一部など約30カ国 |
| 豊臣秀吉 | 1590年(天下統一後) | 直轄領200万石超 政権全体で1800万石超 | 全国統一 |
| 徳川家康 | 1590年(関東移封後) | 約250万石 | 関東8カ国(関八州) |
織田信長の最盛期の石高は、当時の日本全国の総石高(約1800万〜2000万石)の約4割に相当します。
わずか30年で6万石程度から700万石超まで急成長を遂げた信長は、まさに空前絶後の勢いでした。
秀吉の場合、直轄領(自分で直接支配する領地)は200万石程度でしたが、豊臣政権全体としては全国統一により1800万石を超える規模になりました。
東日本の有力大名
| 大名 | 時期 | 石高 | 領国 |
|---|---|---|---|
| 武田信玄 | 1573年(死去時) | 約120万〜130万石 | 甲斐、信濃、駿河、上野の一部など |
| 上杉謙信 | 最盛期 | 約145万〜170万石 | 越後、越中、能登、関東の一部など |
| 北条氏康 | 最盛期 | 推定100万石超 | 伊豆、相模、武蔵、下総、上総、上野など |
| 今川義元 | 1560年(桶狭間の戦い直前) | 推定100万石前後 | 駿河、遠江、三河 |
武田信玄と上杉謙信は、5度にわたる「川中島の戦い」で激突した宿命のライバルです。
ただし、上杉謙信の石高については、越後単独で35万石とする説から、領土拡大後の145万〜170万石とする説まで幅があります。
西日本の有力大名
| 大名 | 時期 | 石高 | 領国 |
|---|---|---|---|
| 毛利元就 | 最盛期 | 推定120万石超 | 中国地方10カ国 |
| 島津義久 | 1587年(九州平定直前) | 約165万石 | 薩摩、大隅、日向、豊後、肥後、筑後の一部 |
| 大友宗麟 | 最盛期 | 推定100万石超 | 豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向の一部 |
| 長宗我部元親 | 1585年(四国統一時) | 推定50万〜70万石 | 土佐、阿波、讃岐、伊予 |
毛利元就は、中国地方のほぼ全域を支配下に置き、一時は織田信長に次ぐ勢力を誇りました。
島津氏も九州統一目前まで迫りましたが、豊臣秀吉の九州平定によって薩摩・大隅・日向の3カ国(約77万石)に減封されました。
織田家の主要家臣
| 大名 | 時期 | 石高 | 領国 |
|---|---|---|---|
| 柴田勝家 | 1583年(賤ヶ岳の戦い直前) | 約73万〜123万石 | 越前、加賀の一部など |
| 明智光秀 | 1582年(本能寺の変直前) | 推定34万〜67万石 | 近江、丹波など |
| 羽柴秀吉 | 1582年(本能寺の変直前) | 推定70万石前後 | 播磨、但馬、因幡など |
| 丹羽長秀 | 最盛期 | 推定123万石 | 越前、加賀の一部など |
織田家の有力家臣たちも、独立した大名に匹敵する石高を与えられていました。
特に柴田勝家と丹羽長秀は100万石を超える大領を任されており、織田政権の重要性を物語っています。
中堅大名たち
| 大名 | 時期 | 石高 | 領国 |
|---|---|---|---|
| 伊達政宗 | 1589年(摺上原の戦い後) | 約114万石 | 陸奥南部、出羽南部 |
| 上杉景勝 | 1598年(会津120万石時代) | 約120万石 | 会津など |
| 佐竹義重 | 最盛期 | 推定50万〜80万石 | 常陸など |
| 前田利家 | 1598年 | 約83万石 | 加賀、能登など |
伊達政宗は「独眼竜」の異名を持つ奥州の雄です。
もう少し早く生まれていれば天下を狙えたかもしれませんが、秀吉の天下統一に間に合いませんでした。
前田利家の子孫は、江戸時代に「加賀百万石」として最大の外様大名となります。
石高と軍事力の関係
石高がなぜ重要だったのか?
それは、石高が直接的に軍事力に結びついていたからです。
動員兵力の計算
一般的に、以下のような計算式が成り立ちました。
石高1万石 = 動員兵力約200〜250人
これを主要大名に当てはめると…
- 織田信長(700万石):約14万〜17万5千人
- 武田信玄(120万石):約2万4千〜3万人
- 上杉謙信(145万石):約2万9千〜3万6千人
ただし、これは「最大動員可能人数」であり、実際には全兵力を一度に動かすことは稀でした。
領地の防衛に兵を残す必要があったからです。
有名な合戦の兵力
実際の合戦では、以下のような兵力が記録されています。
| 合戦名 | 年 | 兵力 |
|---|---|---|
| 桶狭間の戦い | 1560年 | 今川軍:約2万5千〜4万5千人 織田軍:約2千〜3千人 |
| 川中島の戦い(第四次) | 1561年 | 武田軍:約2万人 上杉軍:約1万3千人 |
| 長篠の戦い | 1575年 | 織田・徳川連合軍:約3万8千人 武田軍:約1万5千人 |
| 関ヶ原の戦い | 1600年 | 東軍:約8万9千人 西軍:約8万人 |
これらの数字は史料によって異なることも多く、誇張されている可能性もあります。
石高の地域差
同じ面積の土地でも、石高は地域によって大きく異なりました。
米どころと山間部
- 越後(新潟):江戸時代には米どころとして有名になりますが、戦国時代の越後一国の石高は約35万石程度だったとする説もあります
- 甲斐(山梨):山国で米の生産には不向きだったものの、金山の収入が大きかった
- 畿内(京都周辺):人口密度が高く、商業も発達していたため、石高以上の経済力があった
石高だけでは測れない国力
実は、石高だけが大名の力を示すわけではありませんでした。
- 金山・銀山:武田氏の甲斐金山、毛利氏の石見銀山など、鉱山収入は石高に換算されない
- 港湾収入:貿易や関税収入も大きな財源
- 商工業:堺や博多などの商業都市を支配すれば、莫大な利益
そのため、石高が少なくても裕福な大名もいれば、石高が多くても財政難に陥る大名もいました。
石高の変遷
戦国時代を通じて、大名の石高は大きく変動しました。
織田信長の急成長
織田信長の石高の推移は特に劇的です。
| 年 | 出来事 | 推定石高 |
|---|---|---|
| 1551年 | 家督相続 | 約6万〜30万石 |
| 1560年 | 桶狭間の戦い | 約30万〜50万石 |
| 1568年 | 上洛 | 約150万石 |
| 1573年 | 室町幕府滅亡 | 約300万石 |
| 1582年 | 本能寺の変 | 約700万〜780万石 |
わずか30年で約20倍以上の成長を遂げており、これは日本史上空前絶後の急成長と言われています。
豊臣政権下の変化
豊臣秀吉が天下統一を果たすと、各大名の石高は太閤検地によって確定されました。
この時、それまでの推定値と実測値に大きな差が出ることもありました。
- 長宗我部氏:四国統一時は推定50万〜70万石でしたが、秀吉による検地では土佐一国で約9万8千石と判定されました
- 島津氏:165万石から77万石に減封
- 徳川家康:131万石から250万石に加増(関東移封)
まとめ
戦国時代の石高について、重要なポイントをまとめます。
石高の基本
- 1石 = 成人男性が1年間に食べる米の量
- 石高は経済力と軍事力の両方を示す指標
- 1万石あたり約200〜250人の兵を動員できた
主要大名の石高
- 織田信長:最盛期約700万〜780万石(全国の4割)
- 豊臣秀吉:直轄領200万石超、政権全体で1800万石超
- 徳川家康:関東移封後約250万石
- 武田信玄:約120万〜130万石
- 上杉謙信:約145万〜170万石
- 毛利元就:約120万石超
- 島津義久:九州統一目前で約165万石
注意点
- 太閤検地以前の石高は推定値が多い
- 石高だけでは測れない国力(金山、貿易など)もあった
- 同じ大名でも時期によって石高は大きく変動した
石高という数字を通じて見ると、戦国時代の勢力図がより鮮明に見えてきますね。
織田信長の驚異的な成長速度や、各地域の有力大名たちの実力が、具体的な数字として理解できるのではないでしょうか。
戦国時代を学ぶ上で、石高は非常に重要な指標の一つです。
この記事が、戦国時代をより深く理解する手助けになれば幸いです。


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