散支夜叉とは?鬼子母神の夫で八大夜叉大将の一人を解説

神話・歴史・文化

毘沙門天に仕える八大夜叉大将の一人として知られる散支夜叉。
鬼子母神の夫としても有名なこの夜叉は、仏教では子どもや財宝の守護者として崇められてきました。

この記事では、散支夜叉の名前の由来、その姿や役割、そして仏教における位置づけについてわかりやすく解説します。

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散支夜叉の概要

散支夜叉(さんしやしゃ)は、仏教における八大夜叉大将の一人です。
サンスクリット語では「パーンチカ(Pāñcika)」または「サンジュニェーヤ(Saṃjñeya)」と呼ばれます。

毘沙門天(びしゃもんてん)、別名クベーラに仕える夜叉の総司令官的な存在で、夜叉軍を率いる立場にありました。
『大史』というスリランカの古典文学では、28人の夜叉大将の一人として登場しています。

また、仏教では二十八部衆の一尊としても数えられ、仏法を守護する重要な役割を担っています。

名前の由来と別名

散支夜叉という名前は、サンスクリット語「パーンチカ」の音写です。
ただし、経典によって表記には揺れがあるんです。

主な表記には以下のようなものがあります:

  • 散支夜叉
  • 散脂夜叉
  • 半支迦
  • 半枳迦
  • 般支迦
  • 般指迦

もう一つの名前「サンジュニェーヤ」も音写されると:

  • 僧慎尔耶
  • 散脂迦
  • 散脂
  • 散支

となります。

面白いことに、二十八大薬叉においては「散脂大将(サンジュニェーヤ)」と「般止柯(パーンチカ)」が別々に挙げられているケースもあるんです。
つまり、場合によっては同一の存在とされないこともあるということですね。

散支夜叉の姿と持ち物

ガンダーラ美術における散支夜叉の描写は、非常に印象的です。
2世紀後半のガンダーラでは、妻の鬼子母神(ハーリーティー)とともに描かれた像が多く作られました。

典型的な描写では:

  • 槍を持っている
  • 宝石や財宝が入った袋を持っている
  • 妻の鬼子母神と並んで座っている
  • 子どもたちに囲まれている

槍を持つ姿は、夜叉軍の総司令官としての武人の側面を表しています。
一方、宝石袋は財宝の神としての神格を象徴しているんです。

インドネシアのジャワ島にあるムンドゥット寺院(824年頃建立)には、散支夜叉のレリーフが残されています。
そこでは装飾的な頭飾りをつけ、ベンチに座り、周りで子どもたちが遊んでいる姿が描かれているそうです。

鬼子母神との家族関係

散支夜叉は、鬼子母神(ハーリーティー)の夫として知られています。
この夫婦の物語は、仏教において非常に重要な意味を持っているんです。

伝承によると、二人の間には500人の子どもがいたとされています。
一説によると数百人とも言われ、正確な数は諸説ありますが、いずれにしても非常に多くの子宝に恵まれた夫婦だったようです。

もともと散支夜叉はガンダーラ地方の守護夜叉、鬼子母神はラージャグリハ(王舎城)の守護夜叉女でした。
二人が結婚した後、鬼子母神は人間の子どもを食べるようになってしまいます。

しかし釈迦の教えによって鬼子母神が改心し、夫婦ともども仏教に帰依しました。
以降、子どもの守護者として信仰されるようになったんです。

ガンダーラ美術では、この夫婦が夫婦愛の象徴として描かれることも多く、仏教美術における重要なモチーフとなっています。

八大夜叉大将としての位置づけ

散支夜叉は、毘沙門天に仕える八大夜叉大将の一人です。
八大夜叉大将は、毘沙門天の配下5000人ともいわれる夜叉たちの頂点に立つ存在なんです。

八大夜叉大将のメンバーは以下の通りです:

名前サンスクリット語特徴
宝賢夜叉マニバドラクベーラに次ぐ地位
満賢夜叉プールナバドラクベーラに仕える
散支夜叉パーンチカ夜叉軍の総司令官、鬼子母神の夫
衆徳夜叉シャタギリクベーラに仕える
応念夜叉ヘーマヴァタクベーラに仕える、雪山に住む者
大満夜叉ヴィシャーカークベーラに仕える
無比力夜叉アータヴァカクベーラに仕える、大元帥明王と同体
密厳夜叉パンチャラクベーラに仕える

毘沙門天がもともと暗黒界の夜叉の長「クベーラ」だった時代から、これらの夜叉たちは彼に従っていました。
毘沙門天が仏教に帰依したことで、配下の夜叉たちも同時に仏教に帰依し、善神として祀られるようになったんです。

八大夜叉大将は「守護八大夜叉神」とも称され、常に毘沙門天の指示に従い、祈願する者を守護すると言われています。

経典での登場

散支夜叉は、複数の仏教経典に登場します。

最も重要なのは『金光明最勝王経』です。
この経典は唐の義浄が703年に漢訳したもので、国家鎮護を説く護国経典として知られています。

巻第八の「僧慎尔耶薬叉大将品第十九」では、散支夜叉が陀羅尼(真言)を説く場面があります。
そこにはこんな内容が記されているんです:

「この真言を受持する者には、生活に必要な楽しみ、飲食、衣服、花や果物、珍しい品々を与えよう。男女の子ども、童男童女を求める者にも、金銀珍宝、装飾品を求める者にも、私は全て供給し、願いを満たして欠乏することがないようにしよう」

つまり散支夜叉は、仏法を守る者に対して財宝や子宝を授ける力を持つとされていたわけです。

また『大日経疏』巻五にも、毘沙門天の左右に配置される八大夜叉将の一人として、散支夜叉の名前が記載されています。

日本では奈良時代、聖武天皇が741年に全国に国分寺を建立した際、『金光明最勝王経』を国分寺の塔に安置することを命じました。
国分寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺」といい、この経典に基づく国家鎮護の寺院だったんです。

信仰と文化的影響

散支夜叉は、財宝の神と子どもの守護者という二つの側面を持っています。
この二重の性格は、妻の鬼子母神とセットで信仰されることで、より強調されました。

仏教寺院では、鬼子母神の祠に散支夜叉も一緒に祀られることがあります。
特に子授けや安産、子育ての守護を願う信仰において、夫婦神として崇敬されてきました。

インドネシアやタイなど、東南アジアの仏教圏にも信仰が広がっています。
インドネシアでは「パン・ブラユット」として、ヒンドゥー教と習合した形で崇拝されています。

ジャワ島マジャパヒト王朝時代の寺院美術には、子どもの守護者としての散支夜叉と鬼子母神の像が数多く残されているんです。

日本では八大夜叉大将の一人として、毘沙門天信仰の中で位置づけられています。
ただし、単独で大きく信仰されることは少なく、八大夜叉大将全体、あるいは鬼子母神信仰の一部として崇められることが多いようです。

参考情報

この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました:

主要な参照元

経典関連

さらに詳しく知りたい方へ

まとめ

散支夜叉は、毘沙門天に仕える八大夜叉大将の一人として、仏教における重要な守護神です。

主なポイントは以下の通り:

  • サンスクリット語名はパーンチカまたはサンジュニェーヤ
  • 夜叉軍の総司令官的な立場
  • 鬼子母神の夫で、500人の子どもの父
  • 槍と宝石袋を持つ姿で描かれる
  • 財宝の神と子どもの守護者という二つの側面を持つ
  • 『金光明最勝王経』などの経典に登場
  • ガンダーラ美術で2世紀後半に人気

仏教に帰依した夜叉として、悪鬼から善神へと変化した存在の代表例とも言えるでしょう。
妻の鬼子母神とともに、子どもと財宝を守る神として、今も各地で信仰を集めています。

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