「それでも地球は動く」——この言葉、一度は聞いたことがありませんか?
言ったとされるのは、17世紀イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイ。
地球が太陽の周りを回っているという説を唱えたせいで、宗教裁判にかけられた人物です。
実は、このセリフには「本当に言ったのか怪しい」という話があるんですね。
でもガリレオ自身の功績は本物。望遠鏡で宇宙を観察し、「実験で確かめる」という科学の基本を確立した人なんです。
この記事では、「近代科学の父」と呼ばれるガリレオの生涯と功績をわかりやすく解説します。
ガリレオ・ガリレイの基本情報
まずはガリレオの基本プロフィールを押さえておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei) |
| 生年月日 | 1564年2月15日 |
| 没年月日 | 1642年1月8日(77歳) |
| 出身地 | トスカーナ大公国ピサ(現イタリア) |
| 職業 | 天文学者・物理学者・数学者 |
| 異名 | 「近代科学の父」「天文学の父」 |
ガリレオが生まれた1564年は、イギリスの劇作家シェイクスピアが生まれ、ルネサンスの巨匠ミケランジェロが亡くなった年でもあります。
まさに時代の転換点に生まれた人物だったんですね。
ガリレオの生い立ちと家族
ガリレオはイタリア・ピサで音楽家の長男として生まれました。
父のヴィンチェンツォ・ガリレイは、呉服商を営みながら音楽理論の研究もしていた人物。
音響学(音の研究)で数値を使った分析を重視していて、この姿勢が息子ガリレオにも影響を与えたと言われています。
1581年、17歳のガリレオはピサ大学に入学。
父の希望は医学部だったのですが、本人は数学や物理学に夢中になってしまいました。
結局、学費が足りなくなって中退。
でも独学で研究を続け、25歳でピサ大学の数学講師に、28歳でパドヴァ大学の教授になります。
ちなみに、ガリレオには3人の子どもがいました。
長女のヴィルジニアは修道女になり、「マリア・チェレステ」(天の聖母マリア)と改名。
「チェレステ」は「天」を意味するイタリア語で、父の愛した天文学にちなんだ名前なんですね。
ガリレオの主な功績
ガリレオが残した功績は多岐にわたります。
どれも「実験して確かめる」という科学的手法に基づいているのが特徴です。
振り子の等時性の発見
ガリレオ最初の発見は、19歳のときでした。
伝説によると、ピサ大聖堂でミサ中に揺れるランプを眺めていたガリレオ。
自分の脈拍で時間を測ってみると、振り幅が大きくても小さくても、1往復にかかる時間が同じだと気づいたのです。
これが「振り子の等時性」と呼ばれる法則。
のちに振り子時計の発明につながる重要な発見でした。
ただし、このランプの話自体は弟子が書いた伝記が出典で、実際に起きたかどうかは定かではありません。
ガリレオが本格的に振り子の研究を始めたのは1602年頃とされています。
落体の法則
「重いものと軽いもの、同時に落としたらどちらが先に地面に着く?」
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「重いものが先に落ちる」と主張し、これが何百年も信じられていました。
ガリレオはこれに異を唱えます。
空気抵抗を無視すれば、重さに関係なく同時に落ちる——これが「落体の法則」です。
有名なのは「ピサの斜塔から2つの球を同時に落とした」という話。
ただしこれも、ガリレオの死後64年経ってから弟子が書いたもので、実際に行われたかは疑問視されています。
実際にガリレオが行ったのは、斜面にレールを置いて球を転がす実験でした。
落下は速すぎて観察できないので、斜面でゆっくり転がして測定したんですね。
「落下距離は落下時間の2乗に比例する」という結論を導き出しました。
望遠鏡の改良と天体観測
1608年、オランダで望遠鏡が発明されたという噂を聞いたガリレオ。
すぐに自分で改良版を作り、倍率20〜30倍の望遠鏡を完成させました。
そしてこれを空に向けたのです。
1609年から1610年にかけて、ガリレオは次々と驚くべき発見をします。
- 月面にクレーターがある:当時、月は完璧な球体だと信じられていた
- 木星に4つの衛星がある:のちに「ガリレオ衛星」と呼ばれる
- 金星が満ち欠けする:地動説の有力な証拠になった
- 天の川は無数の星の集まり:肉眼では「ぼんやりした帯」にしか見えなかった
- 太陽に黒点がある:太陽も完璧ではないことを示した
これらの発見は、1610年に『星界の報告』という本にまとめられました。
地動説と宗教裁判
ガリレオの観測結果は、ある「危険な結論」を支持していました。
それが「地動説」——地球が太陽の周りを回っているという説です。
当時の常識は「天動説」
16〜17世紀のヨーロッパでは、地球が宇宙の中心で、太陽も月も星も地球の周りを回っていると信じられていました。
これは単なる科学理論ではなく、聖書の解釈とも結びついた「常識」。
教会にとって、地動説は信仰を脅かす危険思想だったのです。
最初の警告(1616年)
ガリレオが地動説を支持する発言を繰り返すと、カトリック教会は1616年に警告を出します。
「地動説を真実として主張してはいけない」という内容でした。
ガリレオはこの警告を16年間守っていました。
『天文対話』の出版と裁判(1632〜1633年)
転機は1632年。
ガリレオは『天文対話』という本を出版します。
3人の登場人物が天動説と地動説について議論するという形式の本でした。
問題は、天動説を支持する登場人物「シンプリチオ」(「単純な人」という意味)の描き方。
当時の教皇ウルバヌス8世の意見を、このキャラクターに言わせてしまったのです。
怒った教皇は、ガリレオを宗教裁判にかけることを決めました。
有罪判決と軟禁生活
1633年、ローマで裁判が行われました。
ガリレオは「地動説を信じていた」ことを認め、公開で撤回を宣言させられます。
判決は「異端の疑いあり」として終身禁固刑。
ただし、翌日には自宅軟禁に減刑されました。
拷問にかけられたとか、火あぶりの危機があったという話は、後世の誇張です。
実際には、裁判中もトスカーナ大使館やメディチ家の別荘で過ごすなど、比較的穏やかな扱いでした。
「それでも地球は動く」は本当?
裁判で撤回を宣言した後、ガリレオが「Eppur si muove(それでも地球は動く)」とつぶやいた——。
この有名なエピソード、実は後世の創作である可能性が高いんです。
最初にこの話が登場するのは、1757年に出版された本。
ガリレオの死から120年以上経っています。
裁判記録にも、弟子の伝記にも、この言葉は出てきません。
審問官の前でそんなことを言えば、減刑どころか厳罰は確実。
「言いたかったけど言えなかった」というのが実情だったのでしょう。
ただ、この言葉がガリレオの信念を象徴しているのは間違いありません。
晩年と死
軟禁生活の中でも、ガリレオは研究を続けました。
1638年には『新科学対話』を出版。
運動の法則や材料力学について論じたこの本は、のちにニュートンの研究にも影響を与えました。
ただし、出版はイタリア国内では禁じられていたため、オランダから密かに刊行されています。
1637年頃から視力が衰え始め、1638年頃には完全に失明。
それでも弟子たちに口述筆記させながら研究を続けました。
1642年1月8日、フィレンツェ近郊アルチェトリの自宅で死去。77歳でした。
ちなみに、同じ1642年にはアイザック・ニュートンが生まれています。
バチカンによる名誉回復
ガリレオの死から350年以上が経った1992年。
教皇ヨハネ・パウロ2世は、教皇庁科学アカデミーでの演説でガリレオ事件について言及しました。
「当時の神学者たちが、科学の問題に踏み込みすぎた」ことを認め、「悲劇的な相互誤解」と表現したのです。
これは「公式な謝罪」とまでは言い切れない内容でしたが、教会がガリレオへの対応を誤りと認めた画期的な出来事でした。
なお、ガリレオの著作『天文対話』が禁書目録から外されたのは1835年。
すでに19世紀には、教会も地動説を事実として認めていたのです。
ガリレオの主要著作一覧
| 著作名 | 出版年 | 内容 |
|---|---|---|
| 星界の報告 | 1610年 | 望遠鏡による天体観測の成果をまとめた |
| 太陽黒点論 | 1613年 | 太陽の黒点についての考察 |
| 天文対話 | 1632年 | 天動説と地動説を対話形式で論じた(禁書指定) |
| 新科学対話 | 1638年 | 運動の法則と材料力学を論じた晩年の傑作 |
ガリレオの著作は、すべてイタリア語で書かれています。
当時の学術書はラテン語が常識でしたが、一般の人にも読めるようにあえて母国語を選んだのです。
ガリレオ年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1564年 | ピサで誕生 |
| 1581年 | ピサ大学入学(医学専攻) |
| 1585年 | 大学を中退、独学で研究を続ける |
| 1589年 | ピサ大学の数学講師に就任 |
| 1592年 | パドヴァ大学の教授に就任 |
| 1609年 | 望遠鏡を改良し、天体観測を開始 |
| 1610年 | 『星界の報告』を出版、木星の衛星を発見 |
| 1616年 | 教会から地動説を主張しないよう警告を受ける |
| 1632年 | 『天文対話』を出版 |
| 1633年 | 宗教裁判で有罪判決、自宅軟禁に |
| 1638年 | 『新科学対話』を出版、このころ失明 |
| 1642年 | アルチェトリで死去(77歳) |
まとめ
ガリレオ・ガリレイについて、ポイントをおさらいしましょう。
- 1564年イタリア・ピサ生まれの天文学者・物理学者
- 「近代科学の父」「天文学の父」と呼ばれる
- 振り子の等時性、落体の法則など物理学の基礎を確立
- 望遠鏡を改良し、木星の衛星や月のクレーターを発見
- 地動説を支持したため宗教裁判にかけられ、軟禁生活を送った
- 「それでも地球は動く」は後世の創作である可能性が高い
- 1992年、バチカンがガリレオ事件の過ちを認めた
ガリレオが偉大なのは、単に発見をしたからではありません。
「自分の目で見て、実験で確かめる」という科学の基本姿勢を確立したこと。
それは今も、すべての科学者が受け継いでいる遺産なのです。


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